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夜。フィアは隣から聞こえる微かな物音で目を覚ました。隣、つまりはイリスが眠るベッドだ。そちらを見れば、イリスが立ち上がって何かをしていた。いや、していた、というよりも戻ってきたところだろうか。何か、不思議な袋を持っている。がさがさと音のする袋で、その音がフィアを起こしたらしい。
そして、あることに気が付いた。髪の色に。
イリスはこの宿についてさあ寝よう、という時までずっとフードを被っていた。それでも寝る直前に見たイリスの髪の色は、いつも通りの白銀だったはずだ。それが今は、真っ黒になっている。どういうことか分からずにフィアが絶句していると、そのイリスがフィアの方へと振り返った。
「あ、ごめんね。起こしちゃった?」
何故だろう。口調も、雰囲気も、イリスと似ている。けれど、不思議なことに目の前の彼女は自分の大好きなイリスお姉ちゃんではないと確信できた。
「だれ……?」
不安に思いながら問いかける。イリスの姿を探して周囲を見ても、誰もいない。
「すごいね。気が付いたんだ」
少しだけ驚いたような声。そのまま、続ける。
「食堂に行こうか。行きながら説明してあげる」
手早く着替えて、食堂へと向かう。静かに歩きながら、フィアは驚くべきことを聞いた。
イリスというドラゴンの体に宿る、人間の魂。その魂、ハルカが表に出てくると髪が黒くなるらしい。理由は分からないのでそういうものと思ってほしい、ということだった。
そしてこのハルカは、死んだ後でこの世界に来たということらしかった。別世界というのはよく分からないが、きっと大変だったんだろうな、と思っている。
「ハルカお姉ちゃんも大変だったんだね」
口に出してそう言うと、ハルカは一瞬だけ動きを止めた。そして、
「ねえ、フィア」
「なに?」
「撫でてもいい?」
おずおずといった様子で聞いてくる。フィアは聞かなくてもいいのに、と思いながらも頷いた。ハルカの手がそっとフィアの頭にのせられる。ゆっくりと動かされる。なでなで、なでなで。
イリスとはまた少し違うなで方だが、これはこれで、悪くない。
「ハルカお姉ちゃん、くすぐったい」
「あ、ご、ごめんね? ついつい、撫で心地が良かったから」
そうなのだろうか。イリスもよく撫でてくれるが、フィアには分からない。
その後は真っ直ぐに食堂に向かう。明かりのない食堂は薄暗く、きっと人の目では何がどこにあるか分からなかったことだろう。だが今の目なら、はっきりと、まではいかないが、何となくどこに何かあるのか分かる。
ハルカの方はしっかりと見えているらしく、ほうほうと何度か頷きながら食堂の奥へと歩いて行く。フィアもそれに続く。
やがてたどり着いた厨房は、しっかりと掃除の行き届いた清潔な部屋だった。ふんふんと頷きながら、ハルカは部屋を行ったり来たりしている。そして一言。
「まあ、なるようになるか」
そんなのでいいのだろうか。思ったが、口には出さないでおいた。
しばらくして。食堂のテーブルに、大きな皿が何枚も並んだ。それらのお皿には全て同じ料理が載っている。黄色で、丸い何かだ。赤い何かで簡単な絵が描かれている。犬だろうか。
「さあ、食べて」
ハルカが顔を輝かせて言ってくる。感想を聞きたい、というのは分かるのだが、初めて食べる料理なので少し勇気がいるのも分かってほしい。手渡されたスプーンを使って、黄色い何かをつついてみる。すると、中から半熟のとろとろがあふれ出てきた。
美味しそうな匂いが鼻をくすぐる。思わず喉を鳴らしてしまう。スプーンでその料理を口の中へ。
「…………っ!」
なんて言えばいいのか分からない。ただただ、美味しい。
ぱくぱくと勢いよく食べていくと、向かい側のハルカは嬉しそうに微笑んだ。
そして次の瞬間には、その髪は白銀へと戻っていた。
・・・・・
――イリスもどうぞ。
その声と同時に、イリスに五感が戻ってくる。鼻をくすぐるあの匂い。母から娘へと伝授された、あのオムライスだ。
目の前ではフィアが夢中で食べている。そうだろうそうだろう。このオムライスは絶品なのだ。ほらほらもっと食べなさい。
――あれ? イリス、いらないの?
そんなわけあるか。イリスはすぐに側のオムライスを引き寄せると、早速とばかりにスプーンで一口。半熟とろとろの卵の食感が楽しい。うん。とても美味しい。ハルカの母のものに勝るとも劣らない一品だ。すごい。素晴らしい。えっと、ぶらぼー。
――あはは。ありがと。喜んでもらえて、作った私も嬉しいよ。
――でもハルカはいらなかったの?
――喜んでもらえているだけで、満足です。
こんなに美味しいのだからハルカも食べればいいのに、と思いながらも、イリスはオムライスを食べ進める。あっという間にテーブルの上のオムライスが消えていく。空腹の二人が食べているのだから当然だろうか。
ちなみに今回の材料は、フィアが眠った後に果て無き山に転移、そこから日本に移動して、こんびにというお店で買ってきた。この世界とは違い、真夜中でも開いているお店だ。そんな時間にお店なんて開けていて儲かるのだろうか。まあ、便利なのは間違い無い。
黙々と食べ続けて。気が付けば、テーブルの上には空になった皿しか残されていなかった。目の前ではフィアが、けぷ、と可愛らしくげっぷをしている。とても満足そうな笑顔だ。その気持ちはよく分かる。
「美味しかった?」
イリスが聞けば、フィアは満面の笑顔で頷いた。
「うん! また食べたい!」
「あはは。また今度ね。私も毎日食べたいところだけど、ハルカも大変だろうから」
イリスの体を使うとはいえ、この量のオムライスを作るのに何時間も動きっぱなしだった。体力はともかく、精神的に疲れたと思う。
それに、オムライスは確かに美味しいが、この世界の美味しいものも見つけたいというのが本音だ。オムライスがあれば常に満足できるけど。
――どれだけ大好きなの……。
――お父さんより大好き。
――それ絶対お父さんに言ったらだめだよ!?
何故だろうか。それぐらい美味しいので別にいいと思うのだが。イリスが首を傾げると、ハルカが小さくため息をついた。意味が分からない。
――それより片付け。宿の人がそろそろ来るよ。
――あ、そうだね。
今使っている食器や調味料は全てイリスが日本から持ち込んだものだ。食器は新橋家から譲ってもらったもので、調味料はほとんどが先ほど日本で買いそろえてきたものになる。当然ながら、この世界にはないものもあるので、あまり見られるわけにはいかない。
洗うのは今日の夜にしよう、と心の中で言い訳をして、空間魔法で作った穴に食器や調味料を放り込んでいく。フィアは目をきらきらさせてそれを見ていた。
「私もそれ、使いたい!」
「ん? 空間魔法?」
「うん!」
片付けをしながら、少し考える。治癒の適正すら得られているのだから、空間魔法も使えるようになっているかもしれない。いずれ教えてみてもいいだろうか。
「うん。夜にでも練習してみようか」
「わーい!」
嬉しそうにはしゃぐフィアにイリスは頬を緩ませて、片付けを終えた。
壁|w・)オムライスを食べることしかしていない!
イリスの好きなもの
オムライス>>(こえられない壁)>>お父さん
龍王「!?」
……冗談、かも?




