03
「ご、ごめんなさい……。知らなくて……」
「いや、気にするな。悪いな、この女が怖くて」
「おい」
また警戒を緩める男に女が鋭い声を飛ばす。しかし男は肩をすくめて、
「いや、さすがに大丈夫だろう。少なくとも俺には悪い子には見えない」
「見張りの意味を問いかけたいね、あんたには。……はあ、まあもういいや」
二人とも、少女の観光という説明を信用していない。おそらくは、何かがあってどこかから逃げてきたのだろう。見たところ奴隷ではなさそうなので、賊にでも襲われて逃げてきたのかもしれない。ここまで無事に来られただけ彼女はとても幸運だろう。
白い少女はじっとこちらの様子を窺っている。顔は見えないが、不安そうに見えるのは何故だろうか。女も同じことを感じているのか、やがて諦めたかのように小さくため息をついた。
「心配しなくても、この村はあんたを歓迎するよ。長のところまで案内するから、一緒に来てくれるかい?」
「はい! ありがとうございます!」
そう言って、白い少女が勢いよく頭を下げる。女は笑いながら、気にするなと手を振った。
「それじゃあ行こうか。後は任せたよ」
「おう」
男が片手を軽く上げて返事をする。女はそれを確認してから歩き始めて、しかしすぐに立ち止まった。振り返る。白い少女は何故かその場から動いていない。
「どうしたんだい?」
女が声を掛けると、白い少女ははっと我に返り、慌ててこちらへと駆け寄ってきた。
「すみません、ちょっと相談していて……」
「相談?」
「あ、いえ。こちらの話です。ところで、その腕は怪我をしているんですか?」
白い少女が包帯の巻かれた腕を指して言う。女としては自分の汚点でしかないものなので、あまり触れて欲しくはなかった。だが聞かれてしまって黙っているのは、ただの逃げだ。自分の失敗はしっかり受け止めなければならない。
「少し前の狩りで失敗してしまってね。格好悪いことにちょっと深い傷をもらっちまったんだよ。おかげで今日も狩りに行くはずが、こっちに回されてね」
「そうなんですね。……じゃあ、お試しということで」
「は?」
どういうことかと首を傾げる女。白い少女はその小さな両手で女の腕に触れた。何を、と思った時には、すでにそれは起きていた。
淡い光が腕を包む。痛みなどなく、むしろ暖かく、気持ちがいい。もしかしたら、この少女は治癒士なのかもしれない。
治癒士。傷を癒やす魔法を扱える者をそう呼ぶ。癒やしの魔法は他の魔法とは違い、かなり特殊なものだ。まず適正がなければ使うことはできず、適正があったとしても魔法の才能がなければ満足に扱うこともできない。
適正があり、魔法の才能があれば生活に苦しむことはなくなる。優秀な治癒士というのはそれだけで国の財産だ。どこに国でも贅沢な暮らしができることだろう。魔法の才能がなくても、少しでも技能が伸ばせるようにと様々な援助をしてくれるはずだ。
それ故に、逃げ出す者も多いと聞く。援助と言えば聞こえはいいが、要はひたすらに癒やしの魔法の訓練をする日々ということだ。適正そのものが稀少ということもあり、別の職業につくということを認めてもらえない。魔力が尽きるまでひたすらに癒やしの魔法を使い続ける日々。それが、一生続く。それが嫌で逃げ出すわけだ。
逃げて、無事に一般的な生活ができるようになれればいいのだが、人攫いにあってしまう危険性も高い。なにせ、癒やしの魔法の適正は稀少なのだ。それがあるだけで、奴隷として破格の値段で売ることができる。
きっとこの白い少女もそうして人攫いにあって、逃げ出してきたのだろう。思わず目頭が熱くなってきた女だったが、すぐに異変に気が付いた。
なんだか、腕がとても軽いような……。
「はい。終わりました」
嬉しそうな少女の声。包帯を外して下さい、という声に、言われるがままに外していく。そうして露わになった素肌には、傷跡一つ残っていなかった。
「は……?」
意味が分からずに女が呆然とする。少し遠くから見ていた男も唖然として固まっていた。あれだけの深い傷をこうも簡単に治してしまったのだ。間違い無く、治癒士としては一流の部類に入るだろう。
「あんな、何者だい……?」
女がそう聞くと、少女は、あ、と思い出したように口を開き、慌てて頭を下げた。
「イリスです。よろしくお願いします」
違う。そうじゃない。
・・・・・
イリスは今、村の住人であろう女に案内されて、村の奥へと向かっている。ここまでは順調な滑り出しと言えるだろう。わざわざ村長のところにまで案内してくれるなんて、とてもいい人だ。
――ねえイリス。
機嫌良く女の後を追って歩いていると、ハルカが声を掛けてきた。
――なに?
――治癒の魔法ってやっぱり珍しいんじゃないの? あれだけ驚かれるってことは……。
――そんなはずないってば。誰でも使えるよ?
――それ、ドラゴン基準ってこと忘れてない?
そう言われてしまうと、それ以上はイリスも何も言えなくなる。
イリスの価値観はドラゴンが基準だ。ハルカの魂を部分的に取り込んだことによって人間の価値観もある程度分かっているつもりだが、そのハルカの世界には魔法というものがなかった。故に、人間がどの程度の魔法を使うのか、イリスは知らない。そのためにドラゴンが基準になっていることは否定できない。
あとで、それとなく聞いておいた方がいいだろうか。
「あの家だ」
そう言って女が指差したのは、村の中央にある大きな家だ。木造の二階建ての屋敷で、一階は村人たちが集まれるようにと開放されているらしい。二階が村長一家の居住スペースなのだそうだ。
その大きな家の前は広場になっていて、子供たちが走り回っていた。
「クイナお姉ちゃん!」
「その人だれー?」
子供たちがイリスたちへと群がってくる。どうやらこの女はクイナという名前らしい。そう言えば名前を聞くのを忘れていた。
クイナは子供たちを一回ずつ撫でてから、言う。
「この人はお客様だよ。村長に会うから、また後でな」
「はーい!」
嬉しそうに笑って、子供たちは離れていった。けれども、こちらを興味深そうに見つめてきている。イリスが小さく手を振ると、嬉しそうに振り返してきた。かわいいかもしれない。
「悪いね。騒がしくて」
クイナが申し訳なさそうにそう言ってくる。
「いえ。子供は元気なのが一番です」
「あんたも十分子供だろうが」
「そうですか?」
「そうだよ」
まったく、と呆れながらクイナがまた歩き始める。確かにドラゴンとしては若い方だが、人間よりもずっと長生きしているのだが。
――イリス。見た目を考えようか。
――ああ……。そうだったね。ということは、ハルカは子供なんだね。
――ま、まあ……。うん……。
――私の友達であることには変わりないけど。
――イリス大好き!
「ふふ……」
思わずイリスが笑い声を漏らす。クイナが怪訝そうにこちらへと振り返ってきたので、慌てて表情を引き締めた。
クイナに案内されて、村長の家へと入る。最初の部屋は大きな広間だ。ここが村人に開放されているという部屋だろう。その部屋に二階へと続く階段もある。クイナと共に、そのまま二階に上がる。
壁|w・)次話は12時までに更新するですよー。