07
イリスと一緒にこの村を離れる、ということで、イリスはフィアの家を訪ねた。両親に報告しないといけないためだ。無断で連れ出すわけにもいかない。
そうしてフィアの家を訪ねて両親に顛末を話すと、両親は二人そろって呆然としていた。どうやらフィアの現状を把握していなかったらしい。二人揃って、泣きながらフィアに謝っていた。
その後、フィアの旅立ちの許可は無事に得られた。転移魔法があるので定期的に顔を出しに来ることを約束すると、フィアの両親からはお礼を言われた。当たり前のことだと思うのだが。
「お父さんとお母さんは普段通りなんだね」
広場へと戻る時にそう聞くと、フィアは複雑そうな表情を浮かべた。
「うん。家にいる時は、楽しいよ。でもずっと一緒にいるわけじゃないから……」
「あー……。まあ仕事もあるだろうしね……」
もしかしたら、家での時間があるからこそ、幼いフィアでも現状に耐えられたのかもしれない。それでも、耐えられただけすごいと思うが。
「ねえ、フィア」
「なに?」
「ちゃんと相談してね。頼ってくれてもいいから」
そう言うと、フィアは驚きながらも嬉しそうにはにかんだ。
「この嬢ちゃんも一緒に行く? 本気やの?」
ケイティにフィアも同行することを言うと、本気で驚いているようだった。最初に言っていたのがイリス一人だったので無理はないかもしれない。急に一人増えたことを謝ると、しかしそんなことはどうでもいいと一蹴されてしまった。
「イリス、分かってんのか? 護衛がおるとはいえ、安全な旅ってわけやないぞ? 盗賊もおるし、魔獣も出る。ここまで来れたイリスなら分かってる思て言うてないけど、死ぬかもしれへんで?」
一人増えたことよりも、フィアのことを心配してくれているらしい。意外といい人のようだ。
「この村の人が死んだら、次の商売がしにくいやろ?」
違った。お金のためだった。
――いや、きっと照れ隠しだよ! そうに違いない! 多分! きっと! おそらく!
――希望的観測?
――否定はしない!
ハルカはケイティのことを信じたいようだが、やはりハルカも信じ切ることはできないらしい。ただ、金のためと分かりきっていれば、こちらもやりやすいというものだ。いざとなれば見捨てることもできる。
――いや、イリスの性格からして、いざという時は見捨てられないと思う。
――そんなことないよ?
――見捨てようとしたことはあっても、結果的に見捨てたことってあったっけ?
――う……。
言われてみると、確かに結果的に助けてばかりだ。ディアボロの騒ぎの時もこの村を助けたし、日本の時もハルカのお母さんを助けている。
これはあれだ。そう。感謝の言葉が気持ちいいとか。そういうことで。
――そういうことにしておくね。
くすくすと優しげに笑うハルカに、イリスは少しだけ顔を赤くした。ケイティが首を傾げて、慌てて何でも無いと手を振る。
「フィアのことは私が守るから大丈夫」
「ふうん……。まあ、イリスがそう言うなら、ええけどな。準備は終わってんの?」
「大丈夫!」
必要なものがあれば転移魔法で取りに来ればいい。さすがにケイティの前で使う気はないが、皆が寝静まった後なら時間はあるはずだ。
「じゃあ行くで」
ケイティの気のない言葉の直後、他の一行からは大きな返事があった。ケイティたちも準備を終えてイリスを待っていたようだ。
ケイティに促されて、イリスはケイティと同じ馬車に乗る。四台ある馬車のうち、先頭の馬車だ。二台目、三台目の馬車に荷物が満載され、先頭と最後尾の馬車に人が乗っているらしい。クレイを含む護衛は馬に乗って同行する形のようだ。
全員が準備を終えたところで、村人たちの見送りを受けて一行は村を後にした。
「イリス様、お気を付けて!」
「姫様、またお待ちしています!」
おい誰だ姫様って呼んだのは。
――クイナから広まったのかな? あっはっは!
――確かに口止めしなかったけど! しなかったけど!
頭を抱えるイリスの隣ではフィアが笑いを堪えており、向かい側のケイティは意味が分からずにしきりに首を傾げていた。
森の中の道を馬車は進む。周囲を守る護衛は常に辺りを警戒しているが、今のところ襲われたことはない。まだ昼前だが、順調な旅路だ。
馬車の護衛は八人。クレイがリーダーらしく、時折何かしらの指示をしているのを聞く。他の七人はクレイのことを信頼しているようで、その指示に従っている。
商人はケイティを含んで三人。ケイティがまとめ役だそうだ。護衛のほとんどがケイティが所属する商会のお抱えらしく、簡単な計算ができるそうで行商には便利らしい。
――ハルカ。計算ってできる?
――日本の教育なめないでよね。できるよ。イリスは?
――日本でいうところの五桁のかけ算ぐらいなら暗算でできるよー。
――あ、はい。ごめん。私計算できないってことにしておいて。
おや、とイリスは首を傾げる。先ほどまでは自信満々だったのに。
――天は二物を与えず、だっけ? 二物どころか十物ぐらい与えられてませんかね?
――えっと……。普通だよ?
――そんな普通があってたまるか。
ハルカが拗ねてしまった。いいもんいいもん、私はイリスを愛でることに忙しいもん、とつぶやいている。愛でるって何だろう。
「フィアは計算はできる?」
「えっと、教えてもらったけど、簡単なものなら……」
フィア曰く、あの村では学校のようなものはないが、時折子供を集めて簡単な勉強をすることがあるらしい。村の伝統などもその時に教わるそうだ。簡単な文字の読み書きや計算も教えてもらえるらしい。
「あの村は他の村と違ってかなり裕福な方やからな。ドラゴンの加護のおかげで攻め込まれることもないやろうし。他の村やと、生活だけで精一杯ってところの方が多いで。まあ、イリスなら知ってるか。旅をしてるみたいやし」
「も、もちろんだよ」
ごめんなさい知りません。そんなことを言えるはずもなく、愛想笑いを浮かべておいた。
この大陸は、二つの大陸を果て無き山のある島が繋ぐ形で作られている。大陸と比べると果て無き山のある島は小さいが、それでも村から大陸まで順調にいっても三日ほどかかるそうだ。
「気の長い旅になりそう……」
それを聞いたイリスがそう零すと、クイナは肩をすくめて、
「まあ大陸入ってすぐに最初の街があるからな。気が楽な方や。こっち側には盗賊なんてほとんどおらんし」
「そうなの?」
「言うたやろ? ここまで来る行商人そのものが少ないて。魔獣だらけやしな。潜伏中に襲われるのがおちや」
「でもまだ襲われてないよ?」
フィアが首を傾げて聞くと、ケイティは不思議そうに頷いた。
「そうやねん。本来ならもう襲われていても不思議やないんやけどな。なんでやろ」
フィアがまさかといった様子でイリスを見て、イリスは苦笑して小さく頷いた。
間違い無く、魔獣たちはイリスの存在に気づいている。人間は危険を察知する本能が薄れているようだが、野生の獣や魔獣ならイリスを怖れてしまうだろう。
気の長い旅にはなりそうだが、平和な旅ではあるようだ。
周囲を警戒しているクレイたちには少し申し訳なく思ってしまった。




