01
早朝。イリスは神社の前で新橋家から様々なものを押しつけられていた。これも持って行け、あれも持って行け、と食べ物や調味料がどっさりだ。それら全てを空間魔法で作った空間に入れていく。さすがに時間が止まるといった都合のいい機能はないので、調味料以外は早めに食べてしまわないといけないだろう。
「ああ、イリス。これも持って行け」
望がそう言って渡してくれたのは、休憩所にあるものと同じ小さい冷蔵庫だ。冷蔵庫が欲しい、とつい言ってしまったことがあったが、覚えていたらしい。
「いいの?」
「ああ。その代わりと言ってはなんだけど、また来なよ」
「うん。ありがとう」
この一ヶ月の間で、望ともそれなりに打ち解けられたと思う。今では望はイリスのことを呼び捨てで呼んでくる。最初は謝られたが、別にいいと言うとそれ以降呼び捨てになった。
冷蔵庫も黒い穴に入れて、閉じる。さて、と新橋家の面々へと振り返る。
「それじゃあ、お世話になりました!」
「ああ。またいつでも来るといい」
「気をつけて行ってらっしゃい」
「体に気をつけてな」
「イリス様、お元気で!」
それぞれ秀明、美枝、望、健一の言葉だ。イリスは笑顔で頷くと、社の中に入り、そこにある大きな黒い穴に入っていった。
黒い穴から出た先は、果て無き山の洞窟、つまりはイリスのこちら側の拠点だ。鼻歌を歌いながら、早速自分の空間から食べ物を取り出す。取り出したのは、美枝お手製のサンドイッチだ。イリスの希望でレタスとハムをたくさん挟んだ一品だ。あまりに挟みすぎてパンよりも中の具材の方が圧倒的に多いという、サンドイッチの意味が分からなくなりそうな一品だ。
ハルカが呆れていたのは言うまでもない。
「いただきまーす」
ぱくりと一口。しゃきしゃきとしたレタスの歯ごたえが心地良い。頬を緩めながら、今度は望からもらった冷蔵庫を取り出す。新品らしく、とても綺麗だ。
まずは魔力を雷に変換して、可能な限り出力を絞る。電化製品に使う電気の強さは身をもって体験しておいたので、感覚はつかめている。電線に触れたりコンセントから電気を吸い出したりしていたのを望に見られた時は本気で呆れられたものだ。怒られなかったあたり、イリスに順応してきていたのだろう。
――かわいそうに。
――どういう意味?
――さあ?
小さく唇をとがらせ、電気を流し込む。無事に動き出した。どうやら魔力から変換した電気でも動いてくれるらしい。だが問題は、維持の方法だ。
魔力の供給を止めると、当然のように冷蔵庫は動きを止めた。
「むう……」
――予想通りだね。なんだっけ、魔方陣とかは?
――んー……。
魔力を操作して魔方陣を描く。一定の出力の電気を放出する魔方陣。それをその場で作り上げ、その魔方陣にコンセントをさしてみる。冷蔵庫が動き始めた。
「むむ!」
期待に胸を膨らませる。が、
「むう……」
魔方陣の魔力が切れると同時に、冷蔵庫も動きを止めた。
――つまりは魔方陣に魔力を供給し続ける何かがいるってことだね。ゲームとかだと魔石とかあるけど、ここにはないの?
――あー……。あったような、なかったような……。
少なくともイリスが暮らしていた浮島にはない。だが下界にはそういったものがあるとは、聞いたことがある。ただそれでも、魔力をため込むことができる石はとても貴重だと聞いた、はずだ。あまりよく覚えていない。
「よし! 困った時のクイナだ!」
冷蔵庫を自分の空間に入れて、久しぶりに麓の村へと出発した。
転移魔法で村の側、北門の近くに転移する。そしてそこで、イリスは思わず固まってしまった。
「えっと……。何してるの?」
「あ、イリスお姉ちゃん!」
北門にいたのはフィアと、そしてディアボロだ。ディアボロはフィアを背に乗せて走り回っていた。イリスに気が付いたディアボロが走るのをやめて、側に寄ってくる。
「お帰りなさいませ、イリス様」
「あ、うん……。え? なんだか態度変わってない?」
「いえいえ、そんなことはありません。俺は以前からこうでした」
ディアボロの背からフィアが下りて、そして笑顔で言った。
「イリスお姉ちゃんが出かけた後ね、すっごく大きなドラゴンさんがきたんだよ! それで、そのドラゴンさんが、ディアボロさんに何か言ってて、それからかな? えっと、確か、娘とその眷属にいい度胸だとかなんとか……」
「フィア様、黙ってください。お願いですから黙ってください。俺の首が物理的に飛ぶので黙ってください」
ディアボロがもういっそかわいそうなほどにフィアに懇願している。その様子から、何となく何かあったのか理解できた。どうやらイリスの父、龍王レジェディアが脅しをかけにきたらしい。
――何やってるのお父さん……。
――かわいそうに。骨の髄まで恐怖が染みついただろうね……。とばっちりで他の魔獣も怖がってそう……。これだからドラゴンは……。
――ちょっと後でお父さんを怒っておこう。
――あはは……。今から落ち込む様子が目に浮かぶよ。
ディアボロはイリスとフィアに深々と頭を下げると、静かに森の奥へと去って行った。その背中にどことなく哀愁が漂うのはきっと気のせいではないだろう。がんばれ、と小さく応援しておいた。もっとも、元凶はイリスかもしれないが。
「ところで、フィアは何をやってたの?」
「お姉ちゃんが戻ってきたみたいだったから、ここで待ちながらディアボロさんと遊んでたの」
よく分かったな、と思ってしまうが、フィアはイリスの眷属だ。何かしら感じているのかもしれない。
「そうなんだ。良い子良い子」
「えへへー」
フィアの頭を撫でてあげると、嬉しそうに笑った。うん。かわいい。
しばらく撫でて癒やされたところで、さて、とイリスは言う。
「クイナに用事があるんだけど、どこに行けば会えるかな?」
「クイナさん? だったら広場に……。あ、待って。広場はだめ」
「んー? なんでだめなの?」
「えっと……。ほら、あれ。あれなの。準備してるから」
どうやらイリスには言えないことらしい。別にそれはいいのだが、何となく、フィアに隠し事されたのが少し悲しくなってしまう。そっか、とイリスが眉尻を下げたところでその感情を察したのか、フィアは一瞬目を見開いて、慌て始めた。
「ち、違うの! えっとね、今行商人さんが来てるんだよ! ただ行商人さんは何も知らないから、イリスお姉ちゃんには会わせずにそのまま帰ってもらおうって話をしてただけ!」
壁|w・)第三話開始です。
なお、ストックがなくなったので偶数日更新に戻ります。
第三話を全て書き終えたら、また毎日更新に戻したいとは思いますが、多分厳しいです……。