02
不思議そうにしているハルカにいたずらっぽく笑いながら、イリスは魔力を集めて形成する。そうしてできあがったのは、真っ赤なマフラーだ。ハルカがあちらの世界で使っていたものを再現してみた。
それを首に巻く。予想以上に暖かい。これはなかなか、いいものだ。
――イリス。
ハルカの声にイリスが顔を上げる。ハルカが続ける。
――そのマフラー、大事にしてね。
――ん? まあもともとそのつもりだけど……。どうしたの?
――ちょっと思い入れがあるマフラーなんだ。本物じゃないのは分かってるけど、それでも大事にしてほしいなって。
もしかすると、勝手に作らない方が良かっただろうか。そう思っていたが、それに関してはハルカは否定した。ただ、大事に使ってくれればそれでいい、と。もともとそのつもりだったので、イリスはとりあえず頷いておいた。
その後の一週間、イリスは洞窟内で過ごした。ハルカと会話をしつつ、体を動かしたり眠ってみたり。変身魔法の持続などやったことはなかったが、どうやら問題はないようで一度も解けることはなかった。
大丈夫だろう。そう判断して、イリスは山を下りることにする。まずは、麓の村に行くべきだろう。そこにも美味しいものがあるかもしれない。今からとても楽しみだ。
――ところでイリス。お金はあるの?
――お金?
――うん。あ、もしかして物々交換だったりするのかな? とにかく、何かをもらうなら何かを渡さないといけないんじゃないかな。
それは知らなかった。詳しく聞いてみると、お金というのは何かを売ったり仕事をしたりしてもらうもので、それと自分の欲しいものを交換するらしい。ドラゴンはそういった物のやり取りはなかったので、想像すらしていなかった。
――どうしよう……。何も持ってないよ。私の鱗でも売ってみる?
――それは確かに売れそうだけど、多分大騒ぎになるんじゃないかな……。
いい案だと思ったのだが、ハルカによって却下されてしまった。それ以外だと、あまり思いつかない。お金を得るというのはなかなか難しいことのようだ。
――あ、そうだ。イリス、魔法って、傷を治すものもある?
――あるよ。腕が千切れていても内蔵が足りなくても、生きてさえいれば治せる自信がある!
――予想以上にすごかった。
ハルカはそう言うが、ドラゴンなら多くが使える魔法だ。イリスにとっては当たり前にある魔法なので、それほどすごいとは思えない。たかが腕をはやすだけじゃないか。
――いや、十分すごいから。
――異世界にはないだけじゃない? ここでは普通だよ、普通。
――えー……。
ハルカは納得していないようだが、ここで議論していても仕方がないだろう。イリスもハルカも、この世界の人間については無知に等しいのだから。
――とりあえず私の案としては、治癒魔法で怪我を治して、代わりにお金をちょっともらう。そうすれば、食べ物の一つぐらいは買えるんじゃないかな?
――なるほど! やってみる!
美味しい物のために、と心の中で付け加えて、ふんすと小さく鼻を鳴らした。
通りすがりのけが人を治癒して、噂が噂を呼んで大盛況、たくさんのお金をもらいました、というものを想像していたのだが、現実というのはいつだって厳しいものだ。
イリスは未だ人に話しかけていない。それどころか、村に入ってもいない。初めて間近で見る人の家を、木の陰からずっと盗み見ている。怖い、というわけではないのだが、どうしてか入れないでいる。
――ね、ねえハルカ。私、おかしくないかな。どこか変だったりしないかな。
――だから大丈夫だってば……。
ちなみにこのやり取りを軽く十回はしている。ハルカもそろそろ呆れつつある。
――実はイリスって恥ずかしがり屋だったんだね……。
――そそそそんなことないよ! い、今から話しかけるから! 入るから!
そう言うが、イリスの足は未だ動いていない。木で体を隠してじっと村を睨み付けている。ここがハルカの世界なら不審者として通報されているところだ。
――恥ずかしいなら、もういっそのこと顔を隠しちゃえば? それなら恥ずかしくないよ。
――ど、どうやって?
――フードを作って被る。ほら。
ハルカに促されて、イリスは着ているローブを再構成、フードを取り付けてみる。そして髪をローブの中に隠して、フードを目深に被った。なるほど、これなら顔を見られることはない。
――ハルカ、すごい! これなら、大丈夫……!
現在のイリスの姿は、真っ白なローブとフードで全身を隠した状態だ。マフラーで口元も隠しているため、イリスの素肌はほとんど見えていない。素手の手が見えているだけだ。
意気揚々と村へと向かうイリス。
――不審者の度合いは間違いなく上がってるけどね……。
どこか疲れたようなハルカの言葉は、イリスには聞こえなかった。
・・・・・
果て無き山。その麓に村ができたのはもういつのことか。この村はほとんどが自給自足で成り立っている。最初期はドラゴンの手助けがあったという言い伝えもあるが、それを知る者はいない。今も昔も、農作業や狩りで生活を続けている。
ただ、この近辺の農作物は他の土地よりも質が良いことで有名だ。そのため、行商人が時折買い付けに訪れ、様々な外の物と交換していく。数少ない、外との交流だ。
だが、あれに関しては、行商人とも思えなかった。
村の北側には果て無き山へと繋がる道がある。ただし山の近辺は凶暴かつ凶悪な魔獣が出ると伝えられているので、誰も使う者はいない。それでも時折、そちらの方から人が来ることがある。何かしらの事情で故郷を追われて追っ手をまくために、もしくは腕の覚えのある武人が腕試しに入ったり、あとは珍しい鉱石や植物を求めて護衛を連れて商人が入ったり、など理由は様々だ。
そういった人の来訪もあるので、北門にも常に見張りがいる。もっとも、二人だけではあるが。
その日の見張りも二人だ。剣を携えた男と、槍を持った女の二人。何かがあった時は、一人が時間を稼ぎ、一人が村の中へ知らせる役目になる。ドラゴンの加護があると言われているこの村で騒ぎを起こすような者はいないのだが。
「おい。大丈夫か?」
男が女の腕を見て言う。女の腕には包帯が巻かれていた。先日、狩りをしていた時に油断して獣に噛みつかれた場所だ。女は意地の悪い笑顔を浮かべて、
「なんだい、心配してくれてるのかい? あたしより弱いくせに」
「うるせえよ。なんで片腕使えないのに偉そうなんだよ」
「はは。性格さ。気にすんな」
快活に笑う女と、呆れたようにため息をつく男。この女はいつもこの調子だ。怪我をした時も血をだくだくと流していたのにいつも通りに戦っていたものだから、見ている周囲が慌てたものだ。あの獣も困惑していたと思う。今はもう皆の腹の中だが。
そんな会話をしながらも、二人の意識は森に向いている。年に一度あるかないかとはいえ、時折誰かが来ることがあるのも事実だ。油断をして襲われて死にました、なんて笑い話にもなりはしない。
だから、それにすぐに気が付いた。
「おい」
「ああ……」
二人の視線の先、森の奥から一人の人間が歩いてきた。
白いローブにフードを目深に被った、真っ白な人間だ。全身を隠しているので人族か魔族かすらも分からない。見た目はとても小柄だ。口元を覆う赤い布がやたらと目立っている。
白い人間がこちらへと歩いてきて、二人は武器に手を掛けた。
「止まれ」
男の声に、白い人間が動きを止めた。何となく、こちらへと意識が向いた気がする。
「ここに何をしに来た?」
「その……。見物、というか、買い物、というか、何か食べられたら、と……」
その声は予想と違って高いものだ。まだ年端もいかない少女だろう。思わず警戒を緩めそうになっていると、女から鋭い視線がとんできた。慌てて気を引き締める。
「観光ってことかい? まあ辺鄙なところにある村とはいえ、たまにあることだね。それはいいんだけど、どうして北から来たんだい? 村の北は凶暴な魔獣が多いって有名だろうに」
「え」
女の問いに、白い人間から漏れ出た声はとても短いものだった。唖然としたその様子から、本当に知らなかったのだと分かる。これには問いかけた女も予想外だったようで、本当に知らないのかい、と頬を引きつらせていた。
壁|w・)村長! 森から不審者が!!
次話は明日6時に投稿予定、なのです。