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イリスは彼らの向かい側に座り、まずは自己紹介からすることにした。
「改めて、初めまして。イリスといいます。異世界でドラゴンなんてものをやっています」
「異世界のドラゴン、か。荒唐無稽すぎて信じられないはずなんだが、実際にこの目で見てるからな……。ああ、私は秀明。健一の父だ」
「私は健一の母の美枝です。よろしくね、イリスちゃん」
こちらの美枝という女はほんわかとした雰囲気だ。柔和な笑顔を浮かべていて、とても優しそうだ。イリスがそちらにも頭を下げると、あらあらと美枝は片手を頬に当てた。
「とってもいい子じゃない。これが世間を賑わせているドラゴンさんだなんて分からないわねえ」
「へ? えっと、賑わせてるって……?」
「これだ」
秀明が大きな紙の束を差し出してくる。ハルカ曰く、新聞と呼ばれているものらしい。いろいろな出来事の情報が、毎日まとめられて掲載されている、ということだ。
――あくまでざっくりした説明だけどね。それよりイリス、一面見て。一番最初のページ。
――んー? ……わー……。
一面の見出しは、こうだ。謎の巨大生物が街中に出現。読んでみると、各地での目撃証言や予想された進行ルート、そしてドラゴン、つまりはイリスの写真が掲載されていた。
なるほど。
「やっちゃった……」
誰が予想できようか。これほど精巧な絵を瞬時に描ける人がいるなんて。
――いや違うから。写真だから。
――はい?
――…………。ねえイリス。私の記憶を見てるんだよね? もしかして、食べ物のことしか見てないの?
――失礼な。九割ほどは食べ物だけど、他のこともたまに見てるよ。
――ほとんど食べ物じゃない! 興味のないことでもちょっとは見てよ! 予習ぐらいしようよ! 写真とか新聞とかその他諸々、基礎的な知識としてないとだめだよ!
言いたいことは分かるが、正直なところ面倒だ。それに、イリスにとっては異世界といえど観光と同じだ。知らないことを現地で知る方が楽しいと思う。
――そうだけどさあ! その結果がこれなんだけど!
――うぐ……。それを言われるとつらい……。
ハルカから聞いてみると、写真というのはその場の風景を一瞬で切り取るような技術らしい。ハルカも詳しい仕組みは知らないらしいが、ともかく素早い人なら数秒の時間があれば記録できるそうだ。異世界すごい。
「イリスさん。どうしたんだ?」
望が聞いてくる。イリスは小さく首を振って、
「ちょっとハルカに怒られただけ」
そう言うと、望は驚いたように目を丸くした。
「そうだ。その辺りのことを説明してほしいんだ。楠は近くにいるのか?」
「んー。いると言えばいるし、いないと言えばいないし……。もう巻き込むって決めたから言っちゃうけど、食べた」
きょとんと。首を傾げる新橋家一同。イリスはもう一度言う。
「ハルカの魂、食べちゃった。今は私と同居中。私の中にいて、この会話も聞いてるよ」
「よし分かった。分からないことが分かった。ちょっと一から説明してくれ」
望の依頼に、イリスは頷いて説明を始めた。
自分のいた世界の浮島で、流れてきたハルカの魂を食べてしまったこと。意気投合してハルカの魂を保護して、半分同化したまま過ごしていること。ハルカの記憶を見て食べ物に興味を持って、こうしてこの世界に来たこと。
そういったことをかいつまんで説明すると、望は何とも言えない複雑そうな表情になった。他の三人も何を言っていいのか分からないといった表情だ。気持ちは分かる、とハルカは苦笑していた。
「初恋の相手が目の前の女の子に食べられたって聞いて、俺はどうしたらいいんだろうな……」
「初恋? ハルカが? ほうほう」
「おい待てちょっと待て余計な会話をするな!」
もちろん、無視だ。
――初恋なんだって、ハルカ。ところで恋ってなに?
――それを知らないのにどうして楽しそうなの? まあ、うん。新橋君に伝えてえもらえる? そう言った目で見たことは一度もないから、色々とごめんなさいって。
――はーい。
ハルカに言われたままに伝えると、望はその場に項垂れてしまった。ちょっとだけかわいそうなことをしてしまったのかもしれない。
そんな望は放っておいて、話は進む。
「それで、イリスさん。私たちを巻き込むとのことだが、具体的には?」
「んー。私がここにいることを他言しない、程度かな」
「何だ。そんなものでいいのか?」
「うん。あとは、できればでいいんだけど、あの私が出てきた神社が欲しいなって」
その言葉に、秀明は首を傾げる。どうしてあんなものが欲しいのか、といった顔だ。確かに、異世界のドラゴンがあの小さい社を欲しがるとは思えないだろう。だがこれは、イリスにとっては重要なことだ。
「さっきの説明にあったけど、あっちの世界とこっちの世界は一つの穴で繋がってるの。で、こっち側の穴があの社の中にできてる。私の出入りもそこになるから、できれば見られたくないってだけ。まあ無理なら、神社の中から直接どこかに転移するけど。どうかな?」
「ふむ……。まあいいでしょう」
意外とすんなりと承諾されてしまった。イリスが驚いているのが分かったのか、秀明は笑いながら、
「まあ元より維持管理しかしていないからな。立ち入り禁止にはしておくから、好きに使いなさい」
「ありがとう!」
駄目で元々のお願いだったので、これは嬉しい誤算だ。大切に使わせてもらうとしよう。
「さすが神様ですね。神社を欲しがるなんて」
こういったのは健一だ。イリスは少しだけ首を傾げ、
「私の話、聞いてた?」
「はい。異世界のドラゴンで色々できる、と。神様と同じですね」
何故だろう。話が通じない。思わず頬を引きつらせていると、美枝が笑いながら、
「まあまあ、いいじゃないの、イリスちゃん。それで、イリスちゃんはこれからどうするのかしら?」
こちらはちゃん付けだ。いや、神様呼びよりはよほどましだと思えるが。
この後の予定は特にない。目的だったオムライスも食べることができた。しかし、せっかく来たのに一日で帰るのは少しもったいないような気もする。
「食べ歩き、かな?」
「つまりは何も予定が決まってないのね?」
「まあ……うん……」
あえて濁したのにはっきりと言われてしまった。否定はできないので構わないが。
「それじゃあ、ここで一ヶ月ぐらい働いてみない? お給料はあまり出せないけど、三食寝床つきよ。あとは夜に、この世界の基礎知識を教える授業もするわ。……望が」
「俺っすか」
そう言うが、望は特に拒否はしなかった。どうやら教えてくれるつもりらしい。これはなかなかいい条件ではないだろうか。問題であったお金も稼げて、この世界のことも教えてくれる。それに何より、ご飯がついてくる。元の世界でも治癒の対価に晩ご飯をもらっていたが、きっとこちらの世界はもっと美味しいものが出てくるのだろう。
素晴らしい。
「のった!」
元気よく手を上げて言う。美枝は嬉しそうに微笑むと、ありがとう、と頷いた。
「では早速今日から始めましょう。こちらにいらっしゃい」
「はーい」
美枝と共に休憩所を出る。残された男三人はあっという間に決まったこれからのことに、苦笑するしかなかった。
「一応、私が責任者なんだけどな」
「大丈夫だよ、お父さん。元々おっちゃんの方が頼りがいがあるから」
「え」
昼。イリスは美枝に着せてもらった服で、掃除に勤しんでいた。竹箒でせっせと石の道を掃除する。美枝曰く、基本的には掃除、たまに販売所に立ってくれればいい、とのことだ。曰く、その方が絵になるから、とのことだが、よく意味が分からない。
今のイリスはハルカ曰く、いわゆる巫女服だ。その巫女服で、さらにマフラー着用。さすがにマフラーは外せないかと美枝に聞かれたが、マフラーをやめるぐらいなら働くのをやめるというと妥協してもらえた。
――そこまでマフラーにこだわらなくても。
――やだ。
――あ、はい。うん。気に入ってくれてるなら、いいんだけどね。
何となく、ハルカは機嫌がよさそうだ。
――とりあえず一ヶ月はここで働いて、お給料もらったらまた色々と食べに行こうかな。
――だね。次は何か食べたいものはあるの?
――んー……。
せっせと竹箒を動かしながら、考える。一番の目的のオムライスは食べられたし、その上ハルカもある程度作り方を覚えてくれたらしいので、材料さえあればいつでも作れるとのことだ。というわけで、卵料理からは少し外れてもいいだろう。
何にしようかな、と考えるが、あまりいい案が出てこない。それに、一ヶ月の間、新橋家でご飯をもらうことになっている。一ヶ月後に決めた方がいいだろう。
――まあ、そうだね。それにイリス、一度あっちに帰らないと、みんなが心配するよ。
――あ、それもそうだね。フィアにも会いたいし。
――それに、あっちにもまだ美味しいものがあるかもしれないよ! あとあっちの都会を見たい!
――あ、それもそうだね。一ヶ月ここで働いたら、一度帰ろう。
確かにあちらを放っておくわけにもいかないのは確かだ。目的のものも食べたのだから、この働く約束を果たしたら帰ることにしよう。自分の世界の人間の生活も見てみたい。
ともかく、一先ずは仕事に集中することにしよう。イリスはそう決めると、掃除に集中することにした。
壁|w・)第二話終了。
明日閑話を投稿して、その後はまた偶数日更新に戻ります。




