10
少し時間を遡り、深夜。眠りに落ちた三人を病院まで送り届けてから、ハルカは手早く片付けをしていた。食器を片付け、電気を一つだけ残して全て消していく。
全ての片付けを終えて、ハルカは一息ついた。キッチンのテーブルに戻る。そこにはハルカが作ってラップに包んだオムライスが三つと、母に作ってもらったものが二つ。その二つにはラップをしていない。いすを引いて座り、手を合わせる。
「いただきます」
使い捨てのスプーンを手に取り、母のオムライスを食べる。一口。
「……っ」
涙が溢れそうになる。もう食べることなどできないと思っていた、母の味だ。丁寧に描かれた子犬に頬を緩ませながら、食べ進めていく。しっかりと、味わって。
一つを完食して、幸福感に満たされる。余韻までしっかりと楽しんで、さて、とイリスへと言う。
――イリス。お待たせ。
――もういいの? もう一つも食べていいよ?
――これはイリスの分だよ。体、ありがとう。
――ん。
ハルカは静かに目を閉じる。そして次の瞬間、黒かった髪は輝くような白銀へと変わる。そして再び目を開けて、ぐっと伸びをした。鼻をくすぐるいい匂い。目の前には、あの念願のオムライス。
イリスは頬を緩めて、早速食べることにした。ハルカが使っていたスプーンをそのまま使い、一口。とろとろの半熟の卵がチキンライスに絡み合い、お互いの味を引き立てている。これを食べると、改めて思う。
望はへただな、と。
――やめたげて! 比べてあげないで!
――えー。だって雲泥どころか天地の差があるよ。
――だと思うけど! 作ってくれたんだから……!
――あ、うん。それには素直に感謝してます。ちゃんと美味しかったし。
でもこっちの方がずっと美味しい。イリスが言うと、そうだと思うけど、とハルカは苦笑した。
イリスが今回行ったことは、とても単純なことだ。
まず楠家が全員眠ったところで、予めハルカから聞いていた自宅のキッチンに転移させる。ハルカが住んでいた時と同じ家にまだ住んでいたことは幸いだった。
転移させた後に、望から受け取った財布でオムライスの材料を買い集めた。白銀の髪のイリスに視線が集まっていたような気がするが、きっと気のせいだろう。
そして最後に楠家のキッチンに戻り、ハルカに体の主導権を譲った。
――いやいや、さすがに体を使うのは……。
――私のお父さんと話す時に使ってたじゃない。いいよ、気にしなくても。
――へ……? 気づいて、ました……?
――どうして気づかないと思うかな……。
自分の体のことだ。当然のように気づく。その時は勝手に体を使われたことに不満はあったが、まあたまには息抜きにいいだろう、と判断して何も言わなかっただけだ。ちなみに会話内容までは分からない。イリスに分かったことは、起きた時に体を使われた、という程度の感覚だ。
あとはハルカに丸投げした。家族の問題なのだから、ハルカがどうにかするだろう、と。
オムライスを綺麗に食べ終えたイリスは、少しの間だけ食後の余韻に浸り、そしてすぐに片付けを始めた。あまり人の家に勝手に滞在するのは良くないだろう。ハルカは気にしなくてもいいと思う、と言っているが、イリスが気にする。
ハルカの指示のもと、手早く片付けを終えたイリスはそのまままた転移で帰ろうとして、
――あ、待って、イリス。
ハルカに止められた。
――なに?
――ちょっと寄って欲しいところがあるんだ。まずはキッチンから出て。
了解、とイリスはキッチンから廊下に出る。電気をつけていないので暗いが、イリスの目なら十分に見える。まっすぐ延びる廊下を歩き、ハルカの指示に従い、途中の階段を上る。
二階にも短い廊下があり、部屋が三つあった。そのうちの一つに入る。
――あはは。そのままだ。ここ、私の部屋だったんだ。
――ふうん……。
部屋の中は少し薄めの青いカーペットというものが敷かれていた。入って左側にベッドがあり、その反対側に勉強机がある。机の隣には大きめのタンスがあった。
――そのままかもしれないとは思ってたけど、本当にそのままだとびっくりするね。もう十年も経ってるらしいのに。
――んー……。私にはよく分からない。
――あはは。いいよいいよ。それよりイリス、タンスの一番下、開けてみて。
言われるがままに、イリスはタンスの一番下の引き出しを引く。中には様々な小物が入っているが、イリスはたった一つの物に目を奪われた。
赤いマフラーに。
「もしかして、これ……」
――うん。イリスが気に入ってくれたマフラーの、オリジナル。お礼になるかは分からないけど、イリスにあげる。持って行こう。
マフラーを手に取ってみる。イメージと同じでさらさらふわふわの手触りだ。だがこれはイリスの魔力で作ったものではない。正真正銘の、本物だ。
――いいの?
――うん。もちろん。イリスに使ってほしいな。
――ハルカ……。ありがとう。大事にする!
マフラーを取り出し、引き出しを閉める。そして次にやるべきことは。たった一つ。
保護魔法だ。
――え。
赤いマフラーを魔力で包み、そして全力で保護魔法をかけた。時間経過の劣化? 衝撃による破損? そんなものは認めない。断じて認めない。だからこれは必要なことだ。
そうして保護魔法をかけた結果、例えディアボロクラスの魔獣が全力で攻撃したとしても傷一つつかないマフラーが完成した。ドラゴンですらこの保護を突破するのは骨が折れるだろう。満足だ。
――なんかすごいマフラーになった気がする。
――だめだった?
――そんなことないよ。大事にしてくれるのは嬉しいから。
――うん。
魔力で使ったマフラーを消して、もらったマフラーを首に巻く。うん。暖かい。
一人満足して頷いて、今度こそイリスは楠家を後にした。
病院の屋上に戻ると、誰もいない屋上の隅で望は何か運動をしているようだった。手を曲げたり飛び跳ねたり、よく分からない動きをしている。しばらくその様子を眺めていたが、大して面白くもないので声をかけることにした。
「お待たせ、望」
「ん? ああ、おはよう、イリスさん。うまくいったのか?」
「うん。結果は、ハルカの友達って人に聞いてみてよ」
「ああ、そうするよ。それで、帰るのか?」
うん、とイリスは頷いて、魔力を操作。そして、
「てんいー」
気の抜けた声の直後、ここに来る前の場所、神社の休憩所の前に戻ってきていた。望が絶句している横で、イリスはよしと一つ頷く。とりあえずこうして戻ってきた。一つのことをやり遂げたことに、ちょっとだけ達成感を覚える。
――ハルカ、おつかれー。
――うん。おつかれ。新橋君にも説明してあげてね。
おっとそうだった、とイリスは望の方を見る。望は未だ固まったままだ。
「望、おつかれ」
そう声をかけると、ようやく再起動したかのようにゆっくりとこちらに視線を合わせた。
「これは、あれか? いわゆる転移魔法ってやつ?」
「うん」
「おお……。なんというか、すごいな……。でも最初からすれば良かったのに」
最初、というのは行きのことを言っているのだろうか。イリスはできないと首を振る。
「転移魔法は便利だけど、制御が大変なんだよ。行き先がどういった場所で、何があって、どこに転移するか、しっかりとイメージしないといけない。適当に転移しちゃうと、建物や地面に埋まっちゃうよ」
「はあ……。そんな制限もあるんだな」
そうして話をしながら、二人で休憩所の中に入る。当然ながら誰もいない。そう思っていたのだが、先客がいるようだった。
休憩所の中央に、三人の人影。健一と、健一の父の姿だ。もう一人の女は恐らく健一の母だろう。健一の両親の二人はイリスと望の姿を認めると、安堵のため息を漏らした。
「おかえり。遅かったな」
「すみません、おじさん」
「構わないさ。それで、もちろん説明はしていただけるのでしょうか?」
後半はイリスに向けられた言葉だ。男が真っ直ぐにこちらを見据えている。面倒くさい、と少しだけ思ってしまうが、巻き込んだのは事実だ。正直に答えるべきだろう。
壁|w・)食レポが書けるようになりたい。