09
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ふと、響子は物音が気になって目を覚ました。辺りは薄暗いが、自宅のキッチンだ。父と共に病院に泊まることにしたはずなのだが、いつの間に戻ってきたのだろうか。
かちゃかちゃと、何か食器が重なる音が聞こえる。音の出所を探ろうとして、
「へ……?」
一緒に寝ていた二人に気が付いて、響子は息を呑んだ。
キッチンに用意されているテーブルに突っ伏して眠るのは、父と、そして事故にあって意識不明となっていた母だ。何故、こんなところに。
響子が呆然としていると、父も目を覚ました。響子と同じように不思議そうに首を傾げ、そして母を見て目を剥いた。やはり父も知らないらしい。
そしてすぐに、その母が目を覚ました。
「あら……? ここはどこ?」
何とものんきなセリフだ。思わず父と二人で脱力してしまう。これは、夢だろうか。
そう思っていると、さらに別の声が届いた。
「おはよう」
その声に、聞くことなどなかったはずのその声に、三人は一斉に流しへと振り返った。
そこにいたのは、紺色のパーカーに黒いスカート姿の女の子。ある日を境に行方が分からなくなった、もう一人の家族。たった一人の、姉。
「お姉ちゃん……?」
響子が呼ぶと、その少女は照れたようにはにかんだ。
「うん。久しぶりだね、響子」
「お姉ちゃん!」
思わず姉を名乗る少女に抱きついてしまう。おかしいことは分かっている。姉が生きていたとしても、この姿のはずがない。けれど、どうでもよかった。目の前にいるのは間違い無く、姉だった。
「あはは。響子は相変わらず泣き虫だね」
「遙!」
次に両親が駆け寄ってくる。響子と一緒に抱きしめてきた。
「ああ、遙……! 遙……!」
「ちょ、お母さん、くるし、お父さんも、やめ……!」
どうやら本当に苦しがっているらしい。すぐに三人とも慌てて体を放すと、姉はけほけほと小さく咳き込んだ。
「殺す気か!」
「ご、ごめんね、遙」
母が申し訳なさそうに謝る。
「大丈夫だ、俺の娘はそう簡単に死なない」
「三人でぎゅうぎゅうにされたら苦しいよ! 当たり前に! あと残念ながら簡単に死んだよ」
最後は、ひどく冷たい声だった。思わず三人で顔をしかめると、姉は小さく苦笑を浮かべた。記憶にある、姉の面影そのままだ。ああ、懐かしい……。
「まあ、とりあえず座ってよ」
姉に促されて、響子たちはそれぞれ先ほどのいすに座る。一つだけ余っているいす、響子の隣に姉は腰掛けた。
「それじゃあ、単刀直入に言うけど」
何となく、姉が何を言おうとしているのか理解できた。先ほどの姉の言葉を思い出せば、すぐに分かる。聞きたくはない。自分も、希望を捨てきれなかった一人だから。
けれど、姉は無情にも、淡々と告げた。
「私はもうとっくに死んでるから、これ以上探さなくてもいいよ」
ああ、やっぱり……。
「十年も探してくれてたんだよね? それは正直なところとても嬉しいけど、でも、はっきり言うと無駄だから。そのせいで体を壊すようなことをしてほしくない」
「でも……。でも! 諦めることなんて!」
母が立ち上がって叫ぶ。姉は、悲しげに眉尻を下げていた。
「お母さん。今日、すごい大怪我をしたでしょ?」
「え? どうして、知って……」
「うん。ちょっと機会があってこうして戻ってきたら、お母さんが大怪我をしたって聞いて、私はすごく驚いて。怖くなった。ねえ、お母さん。探してくれるのは嬉しかったんだよ。でもさ」
自分のせいで苦しむ家族なんて、見たくないよ。
母は、口をぱくぱくと何度か動かしていたが、すぐに悄然と肩を落として座ってしまった。そうして何も言わなくなってしまった母の代わりに、父が口を開く。
「遙。せめて、遙の体がどこにあるかだけでも、教えてくれないか? せめて弔いたい。それに、もしかしたらまだ間に合うかもしれないし……」
「んー。ごめん。私も知らない。私の体は本当に行方不明」
いい年して迷子です、と姉が笑う。姉以外誰も笑わなかった。咳払いをして、姉が続ける。
「それに例え見つかって、蘇生できたとしても、多分死ぬまで寝たきりになるよ」
「は? どうして……」
「だって、私の魂はもうそこにはいないから」
意味が分からないといった様子で唖然とする父。響子も理解できない。
「荒唐無稽だと笑ってもいいけど、ざっくり言うとね。私は今、異世界にいるの」
「異世界?」
「そうそう。魂だけがそこに流れちゃって、今はイリスっていう女の子の体に同居させてもらってるんだ。このイリスっていう子がいろいろと規格外で、それでいて天然で、一緒にいておもしろ……。あ、いや、何でも無い」
唐突に、姉の顔が歪んで苦笑に変わった。ごめんごめん、と小さな声で謝っている。その女の子に謝っているのだろうか。
「まあ、ともかく。体も探さなくていいよ。もしも見つけて息を吹き返しても、目覚めることは絶対にないから期待しないように」
「そう、か……。遙はいいのか? 体が見つからなくても」
「うん。さっきも言ったけど、私はそれで家族が苦しんでいる方がやだ。忘れてほしいなんて言わないけど、笑顔で過ごしてほしいな」
「そうか……。分かった。善処しよう。娘を悲しませたいとは思わないしな」
父がそう言うと、ありがと、と姉は笑った。
姉は次に響子を見る。じっと、見つめてくる。
「うーん……。響子にも何か言おうかと思ってたんだけど、響子はとっくに頑張ってるからなあ……。ねえ、響子。何かしてほしいこと、ない?」
突然そんなことを言われても困ってしまう。しばらく考えて、
「あの、ね。お姉ちゃん」
「うん」
「ぎゅってしてもらっても、いい?」
「なんと。いいけど、言われた私がびっくりだ」
子供の頃、姉はいつも響子に抱きついてきた。スキンシップだ、とか言って、響子が嫌がっても構わずに。当時はそれが嫌だったが、失った今になって、とても寂しかった。もうあの温もりが感じることができないと思うと、とても苦しかった。
「はい。ぎゅー」
姉が響子のことを抱きしめてくる。今となってはもう響子よりも小さな体で、けれどあの頃と同じように。同じ温かさで。
「お姉ちゃん……」
「ん?」
「生意気な妹でごめんなさい……」
「いやいや、そんなことなかったよ。かわいい妹でした。もちろん、今もね」
「迷惑かけてごめんなさい……」
「いやいや、私の方がいろいろ迷惑かけちゃったよね。響子は私にはもったいないぐらい、できた妹だったよ。自慢の妹だよ」
「お姉ちゃん……」
「うん?」
「大好き……」
「あはは。私も大好きだよ」
笑って、頭を撫でてくれる姉。いつの間にか、響子は涙を流して、姉の小さな体を抱きしめていた。
響子が落ち着いてから、両親とも同じように抱きしめ合っていた。両親もやはり泣いてしまい、特に母の号泣には姉も狼狽えていた。
ようやく全員が落ち着いてきたところで、さて、姉が言う。
「実はこうして来たのには、理由があるのです。一番大事な用事は、こうしてちゃんとお別れを言うことだったけど、もう一つ、この機会を作ってくれた友達に恩返しをしたいの」
「恩返し? 何をすればいいの?」
「うん。せっかくだけど、響子は何もできないね」
「え? ひどくない?」
「お母さんぐらい料理できるなら、響子でもいいけど」
「…………」
響子がそっと目を逸らす。姉は小さく笑いながら、母に言う。
「お母さん。ちょっとお願い、してもいいかな?」
「ぐす……。何かしら」
「オムライス、作り方教えて。あとついでに、作って」
母は驚いたように目を丸くして、そしてすぐに満面の笑顔になって頷いた。
ふと気が付けば、響子は病室のベッドにうつぶせで眠っていた。目をこすりながら、立ち上がる。ベッドでは母が整った寝息を立てていた。
夢、だったのだろうか。それにしては妙にリアリティのある夢だったような気がする。姉の温もりを思い出せるほどだった。
「起きたのか、響子」
病室の扉から父が入ってきた。手には缶コーヒーが二つ。一つを響子にくれた。
「昨日だが、不思議な夢を見たよ」
「そうなの?」
「ああ。帰ってから話そう。……お母さんは今日退院できるそうだ」
「はい?」
今、父は何を言った? あれだけ重傷だった母が、退院?
「すでに完治しているよ。何があったのか、誰にも分からない。まさに奇跡だ、てね」
遙が助けてくれたのかもしれないな、という父の呟きに、妙に納得してしまった。
母と共に、車で自宅に帰る。目覚めた母は、憑き物が落ちたように明るかった。
「もう遙を探すのはやめにするわ」
その言葉には本当に驚かされた。まさか、同じ夢でも見ていたのだろうか。
そうして自宅に戻った響子たちは、キッチンを見て、揃って絶句してしまった。
キッチンのテーブルの上。そこには、お皿ごとラップで包んだオムライスが人数分、用意されていた。テーブルの真ん中には、ずっと昔に何度も見た、字。
『みんなで食べてください。これからもずっと元気でね。遙より』
夢、ではなかったらしい。
「異世界って楽しいのかな?」
響子が思わずそんなことをつぶやけば、
「剣と魔法のファンタジーってやつかな? 俺も行きたいな」
父が笑いを堪えながら言って、
「私はイリスって女の子に会いたいわね。お礼を言いたいから」
母は優しげに微笑んでいた。
・・・・・
壁|w・)少し長くなってしまいました。
二番煎じどころか十番煎じぐらいの内容ですが、書きたかったシーンを書けて満足ですよー。




