07
「病院って……。楠のお母さんのか? 何でまた……」
「いいから」
「いや、さすがにな……」
これは少し手こずりそうだ。できるだけ急いだ方がいいはずなので、説得に時間を取られるのは正直避けたいところではある。
だから、もう、いいか。
――え?
巻き込んでしまえ。
――ちょ。
イリスがいきなり立ち上がると、望と健一は少し驚いたように目を丸くした。その二人の手を掴み、外に連れ出す。目を白黒させながらも、二人は大人しくついてきてくれた。
周囲の気配を確認。イリスから見える範囲の人はこの二人と、社にいる中年程度の男一人だけ。おそらくこの男が健一の父だろう。
よし巻き込もう。
――い、イリス?
今現在、全てに優先されるものはハルカのお母さん。それ以外は割とどうでも良い。だから目撃者は全て巻き込む。あとでお礼でもすればいいんじゃないかな?
――適当だー!
適当だとも。何も問題はない。問題が起こるなら叩き潰す。イリスが獰猛な笑みを浮かべると、ハルカが頭を抱えたようだった。
――大事になってきた……。
――大丈夫! 多分!
――多分……。
二人を連れて社へと向かう。掃除をしていたらしい中年の男はイリスの姿を認めて、首を傾げた。
「どうされました?」
「地図を貸してください」
「は……? まあ、構わんが……」
男が神社の裏手へと向かい、そしてすぐに戻ってくる。その手には一冊の本がある。表紙には漢字で地図と書かれていた。それを受け取り、ぱらぱらとめくる。当然ながらよく分からない。仕方ないので望を連れて行くことにしよう。
「最初に謝っておきます。ごめんなさい」
一様に疑問符を頭に浮かべる三人から少し離れる。そして。
人間への変身魔法を解いた。
光と共に現れるのは巨大なドラゴン。人よりも大きく、そして生物的に絶対的な上位者である存在。茫然自失としている三人の中で、唯一健一だけはすぐに瞳を輝かせた。神様呼びが今以上に定着しそうだが、もう、いいや。
「とりあえず、他言無用。いいよね?」
拒否は認めない。それが分かったのだろう、三人が何度も頷く。イリスも満足げに頷くと、風を操り望を浮かばせる。
「うお!?」
混乱する望を背中にのせて、イリスは空に飛び上がった。男が呆然とそれを見送り、健一がよく分からないままも大きく手を振っている。うん、あとで余裕があればこの子も乗せてあげよう。
「望。病院の方向はどっち?」
黙秘は認めない。若干の威圧感をこめて聞くと、望は頬を引きつらせながらも、一つの方向を指差した。
「だいたいだけど、西の方向だ」
「うん。了解。それじゃあ行くよ」
「いや、あの、説明を……」
「間に合ったら帰り際にゆっくりとね」
重ねて言うが、最優先はお母さん。だから説明も後回しだ。
案内よろしく、と望に声をかけて、イリスは指示された方向へと飛び出した。
――ちなみにイリス。この世界にはインターネットというとても便利なものがあります。
――ん?
――空に浮かび上がった時、イリスはいろんな人に見られてるよね?
――まあ……。見られてるね。でもどうせ誰も信じないだろうし……。
――写真とか動画とか多分撮られてるよ。で、インターネットを使えばそれを全世界に発信できます。何が言いたいのかって言うと、さっきの他言無用は意味がない。
ちょっと意味が分からない。
音速なんてものは軽く超えたスピードで飛び続ける。簡単な結界を望の周りに展開しておいたので、風の影響などはないはずだ。望はもう考えることを諦めたのか、イリスの背中に座って地図を見ている。意外と順応生が高くて一安心だ。
「もう一度聞くけど、楠のお母さんを助けるんだよな?」
「うん。ハルカから頼まれたからね」
「その意味が分からないけど……。まあ、信じるよ。もうすぐだ。それにしても、千キロ以上離れていたはずなのに、三十分かからないとか、すごいな……」
「ドラゴンだからね」
「すごいなドラゴン。あ、そろそろスピード落として。もうすぐ見えてくるはずだ」
「はーい」
少しずつスピードを落としていく。とりあえずは十分の一ぐらいで。だがこれでも速すぎると言われてしまったので、さらに落とす。とりあえず下の町を走る長い箱ぐらいにはなったはずだ。
――ちなみにあれが電車だよ。
――電車! 乗りたい!
――うん。また今度ね。
――わーい。
ハルカの記憶にあった、ハルカが毎日乗っていた電車。自分が動かなくても移動できるというびっくりな乗り物。スピードはそれなりだが、今から乗るのがとても楽しみだ。
そのことにわくわくしていると、
「あれだ」
望が一つの建物を指差した。大きな白い建物だ。周囲の建物よりもさらに大きく、広い。というより今気づいたが、この周辺の建物は大きな建物ばかりだ。父よりも背の高い建物がいくつも建ち並ぶ。この世界の人間には本当に驚かされる。是非とも中に入りたい。
――うん。また今度ね。
――わーい。
先ほどのやり取りを繰り返しながら、イリスは病院の上空にたどり着いた。なんだか下の地面の方で大勢の人がこちらを見ている気がする。というより指を指されているので間違い無く見ているのだろう。
――イリス。今更だけど姿を消したりとか、できないの?
――んー? 認識を無理矢理ずらして分からないようにする? それとも光とか色々と動かして見えないようにする?
――ちょっと何言ってるか分からないけど、やりやすい方で。
――了解。
認識をずらす方は人数が多くなるほど面倒になってくるので、素直に周囲の光を操作する。これで周囲にはドラゴンがいきなり消えたように見えたはずだ。そのままゆっくりと病院の屋上へと下りようとして、
「狭い……」
「だろうな」
駐車場と呼ばれる場所ならともかく、病院の屋上そのものはそれほど広さがない。それでも何もなければぎりぎり下りられはするのだが、今は洗濯物なのかシーツなど色々と干している。このまま下りてしまうとそれらを踏み潰すことになるだろう。
仕方なく、イリスは上空で変身することにする。イリスの体を光が覆い、これから何が起こるのか察したのだろう望が顔を青くする。心配しなくても落としたりはしないのだが。
望の体を風を操って支える。その間に、イリス自身は人の姿になった。ちゃんと服も忘れない。村での一件で学習している。イリスはちゃんと失敗から学べるのです。
――いや、そんなに気にしなくても……。
ハルカが何か言っているが、気にせず屋上に下りる。もちろん姿は隠したままだ。姿を見せていると、空から女の子が、なんてことを言われかねない。おそらく、それどころではなくなるだろうが。
イリスの隣に立った望は、自分の姿が見えていないことに気づいたのか、不思議そうにしていた。その望の手を取って歩き始める。もちろん行き先はハルカのお母さんの部屋だ。
「どこ?」
イリスが短く聞くと、望はすぐに答えてくれる。
「七階。七三五号室らしい」
「分かった」




