06
ぽつりとイリスが言葉を漏らす。全員が静かに食べていたので、その声は妙に響いた。望が首を傾げながら聞く。
「違うのか? 一応オムライスだけど……。ああ、ただ、プロが作るようなものは無理だからな? 参考程度に聞くけど、どんなオムライスだったんだ?」
どんなオムライス、と聞かれても少し困る。ハルカの記憶にあるものなので、イリスは直接食べたことがない。ただ、とても美味しそう、というのだけが分かる。とりあえず、
「卵はもっとこう、とろとろだったかな?」
「ああ、半熟か。それは俺には無理だ」
望が肩をすくめ、イリスが続ける。
「あと、ケチャップで何か模様描いてた、かな? 簡単に描かれてるけど、犬だったような……?」
――……っ!
ハルカが鋭く息を呑む。どうしたのかとイリスが不思議に思っていると、目の前の望も大きく目を見開いていた。イリスの先ほどの言葉に何か原因があるのだろうが、全く分からない。健一も分からないのか、望の反応に首を傾げている。
やがて、望が小さくため息をついた。
「それは、多分、楠のお母さんのオムライスだな。あの人のオムライスはすごく美味しい。で、必ず手間をかけてケチャップで子犬を描いてる」
「あー……」
またやらかしたらしい。
どうやらハルカの記憶に強く残り、そしてイリスが強く食べたいと思ったオムライスは、よりにもよってハルカの母のオムライスらしい。これはさすがに、食べられないかもしれない。
だが今は、そのことは後回しだ。
望は目を細め、じっとイリスのことを見つめていた。
「やっぱり、何か知ってるのか?」
「えっと……」
さすがに、何も知らないとは言えない。イリスが口ごもっていると、望の視線が鋭くなってくる。いっそのこと、本気で逃げようかと思い始めたところで、ぴりりり、という妙な音が鳴った。ハルカ曰く、携帯電話の呼び出し音、らしい。
それを聞いた瞬間、望の顔色が悪くなった。妙に青ざめて、ポケットからスマホというらしい道具を取り出している。そして失礼、と短く言い残して、足早に休憩所を出て行った。
「さっきの音、多分ですけど楠さんに関わる電話ですね」
健一が言って、イリスが少しだけ驚く。
「そうなの?」
「はい。あの呼び出し音は楠さんの友達って人からの電話です。その人からの電話はほとんどが楠さんのことです」
ただ、と健一が続ける。
「その人はよほどのことがない限り、連絡してこないそうで。連絡があった時は、あまり良くないことが起こった時だそうです」
良くないこと、とは何だろうか。ハルカが見つかることはあり得ないが、しかしハルカの死体が見つかることはあり得るかもしれない。ハルカも自分が行方不明になっていたことを知らなかったほどだ。どこかから不意に死体が出てきてもおかしくはない。
――確かにそうだけど、それだとみんなにトラウマを植え付けそうで申し訳ないなあ……。
のほほんとしたハルカの声。だが、何となく、その声からは不安を感じる。
しばらくして、望が戻ってきた。その顔は先ほどよりもさらに青く、いっそのこと白い。ふらふらと自分の席に戻ってきて、どっかと座った。
「あの……。何かあったの?」
イリスがそう聞くと、望が弱々しい声で言った。
「事故、らしい」
「え?」
「楠のお母さんが、交通事故にあったらしい。意識不明の重体で、その……。助かる見込みの方が……」
それ以上は言わなくても分かる。まさか突然そんなことが起こるとは思わなかった。ハルカも、呆然としているようで沈黙している。
「一緒に暮らしている妹さんが言うには、遙が戻ってきたって叫んで、家を飛び出したらしい。それで、車にひかれた、て……」
「それって……」
――まさか……。
人の縁、繋がりとはなかなか侮れないものだ。他の日ではなく、イリスがこの世界に来た今日という日に、ハルカが戻ってきたと家を飛び出した。それは本当に、偶然なのだろうか。
イリスと一緒に、当然ながらハルカの魂もここに来ている。もしかすると、何かしらそれを感じ取ったのかもしれない。イリスたちのような感覚の鋭いドラゴンは、同族がどこにいるのかぐらいはすぐに分かる。人間とはいえ、それはないと誰が言い切れるだろうか。ましてや実の娘だ。何か感じたのかもしれない。
意識不明。重体。死。このまま何もしなければ、死ぬ可能性が高い、ようだ。
――ハルカ……。どうしよう?
ハルカの母であっても、イリスにとっては赤の他人だ。近くの誰か、親しい誰かならともかく、見ず知らずの人を助ける義理もない。特に異世界のことだ。あまり関わるべきではないだろう。
だが、それでも。ハルカが望むなら。
――いい。
しかし、ハルカの答えはとても短いものだった。
――ハルカ?
――何もしなくていい。もう帰ろう。
感情のない声。しかし、泣き出しそうになるのを必死に堪えている声だ。それぐらいはイリスにも分かる。まだ短い付き合いだが、それでも四六時中一緒にいるのだ。分からないわけがない。
――さ。帰ろう?
振り払うような声。忘れようとしているかのような声。
ちょっといらっとした。
――ハルカ。
イリスの声から怒気を感じたのか、ハルカが一瞬だけ息を呑んだ。
――ハルカはどうしたいの? 正直な気持ちを教えて。
――私は……でも……。
――私はハルカのことは友達だと思ってる。大切な友達。だから、ハルカが望むなら、世界の全てを敵に回してもいいよ。
――イリス……。
――ちなみに今のはハルカの記憶にあった漫画からです。
――色々と台無しだよ。
思わずといった様子で笑うハルカに、イリスは少しだけ安心した。こうしてちゃんと笑えるなら、きっと大丈夫だ。あとは、ハルカから本当にしたいことを聞き出すだけだ。
――だからね、ハルカ。ちゃんと、言ってほしいな。ハルカが何をしたいのか、私に何をしてほしいのか。どんなことでも、いいよ。
――本当に、いいの?
――うん。もちろん。
例え今回のことが原因でこちらの神様に目を付けられて、この世界に来られなくなったとしても、それはそれで構わない。美味しいものは食べたいが、友達より優先することではない。今のイリスにとって、父とハルカより優先することなんて何一つない。
もっとも、その次に優先されるのが食べ物とフィアが同列だというあたり、イリスの食べ物に対する執着は並外れているのかもしれないが。
――じゃあ、イリス。お願い、してもいいかな?
――うん。何かな?
――お母さんを、助けて。
――よしきた。お任せあれ。
ようやく、ちゃんと望みを口にしてくれた。それだけでイリスは動くことができる。今なら神様を相手にしても喧嘩しよう。もちろん避けられるなら避けるが。
「ねえ、望」
イリスが望を呼ぶと、望は泣きそうな顔を上げた。この人も、他人の家族をここまで気に掛けるあたり、相当なお人好しだろう。それだけで好感が持てる。
――もしや恋の予感!?
――寝言は寝て言え。
――そこまで言わなくても。
うん。いつも通りだ。内心で小さく笑いながら、望へと言う。
「病院、教えて。病院の名前と住所? とかいうやつ。あとは地図も欲しいかな?」
壁|w・)ストックはもう少しあるのー。
尽きるまでは毎日更新したいけど、多分じきにストック尽きるのー。




