05
どう答えようか悩んでいると、突然望が頭を下げてきた。深く、床につきそうなほどに。驚くイリスの目の前で、望が言う。
「頼む。知ってることがあるなら、教えてほしい。どんな些細なことでもいい。でないと、あいつの母ちゃんが……」
――……っ!
ハルカが息を呑む気配が伝わってきた。両親の今の状態が気になるのだろう。先を知りたいというハルカに頷き、イリスは口を開く。
「えっと、楠さんのお母さんがどうかしたの?」
「ああ……。ずっと探しているんだ。娘のことを。十年も、必死になって、ずっと、ずっと。寝る間も惜しんで……。俺も協力できる時は協力してたんだけど、本人から自分の人生を大切にしなさいって怒られちゃってな。今は、楠の友達が仕事しながら手伝ってたはずだ」
そこで望は言葉を句切った。伝えるべきかと逡巡するかのように。やがて、意を決したかのように望が口を開く。
「この間、その友達から、楠の母ちゃんが倒れたって連絡を受けた」
――たおれ、た……?
「ずっと睡眠時間を削ってるんだ。いずれこうなるだろうとは、分かってた。だからみんな協力してたんだ。もう、見ていられなくてさ……」
どうやらこの望という青年、いわゆるともて良い人のようだ。友達の親のために、ここまで親身になれるなんて。
「だから、頼む。何か知ってるなら、教えてほしい。もちろん礼はする。厄介なことに巻き込まれてるなら、それにも手を貸してやる。だから、頼む……!」
大の大人が、見た目少女のイリスに頭を下げる。それだけ、望も追い詰められているということだろうか。
――ハルカ。いい人に囲まれてたんだね。
――うん……。
――どうするの? 私はハルカの意志に従うよ。
――ん……。私は……。
ハルカはしばらく悩んでいたようだったが、やがて弱々しく首を振ったようだった。言えない、とか細い声が小さく届く。イリスは頷いて、望に言う。
「ごめんなさい。私は何も知りません」
イリスがそう言うと、望はショックを受けたように凍り付いていたが、やがて悲しげに眉を下げた。
「そっか。そうだよな。いや、俺はなんでこんな話をしたんだろうな。見た目が似てるってだけなのに……。ごめんな。ああ、よければ昼飯でも食っていってくれ。家は近いのか?」
「近くはないけど、一人で帰れるよ。大丈夫」
「そうか。じゃあ何が食いたい? 俺も一人暮らしの経験があるから、色々と作れるけど」
「オムライス!」
イリスが即座に、大きな声で返事をする。望は一瞬面食らっていたようだったが、やがて小さく噴き出して、よしと頷いた。
「美味しいオムライスをご馳走するよ。それまでは、まあ、この神社を見学でもしていればいいさ」
また後でな、と望が立ち去っていく。どうやらここは今のところは好きに使っていいらしい。望が出て行って扉が閉まってから、イリスはその場に横になった。なんだかこの畳という床はちょっと気持ちがいい。
――ハルカ。これでいいの?
――うん……。
――私、そう言えばハルカがどうやって死んじゃったのかとか、聞いてないんだよね。……聞いても、いい?
ハルカの記憶を見ることはできるが、イリスはその死ぬ直前の記憶までは見ていなかった。見ることはできるのかもしれないが、本人に許可も取らず見ていいものではないと思ったためだ。死ぬ時の記憶なんて、いいものであるはずがない。
ハルカは少し考えて、そして言った。
――詳しくは言いたくないけど、まあ、心臓麻痺とか、そんなの、かな?
――そうなの? それって死体が残らないもの?
――どんな理由でも死体が残らないなんてこと、ほとんどないけど。
ハルカが苦笑気味にそう言う。しかし実際のところ、ハルカの死体は消えてしまっているようだ。明らかに、おかしい。ハルカもそれが分かっているのだろう、むう、と唸っている。
――どうして、行方不明にしたんだろう……。死体さえあったら、みんなも諦めてくれたはずなのに……。
少し、何かが引っかかるような言い方だった。まるで誰かが自由に選べたような。少し気になるが、今のハルカに詳しく聞こうとは思えない。まだ動揺しているだろうから。
イリスが黙ったまま横になっていると、休憩所の扉が開いた。入ってきたのは健一だ。イリスを見て、首を傾げている。
「神様、どうかしました?」
「いやだから神様じゃないってば……」
いつになったら分かってくれるんだろう。イリスは苦笑しつつも、体を起こした。
「さっきの人がオムライスを作ってくれるらしいから、待ってるところ。健一はどうかしたの?」
「いえ、おっちゃんから、案内してやれって言われたので。見て回ります?」
「行く!」
人間に興味があるイリスは、もちろんこの場所にも興味がある。神社というのは何をするところなのか、いまいち分からないままだ。よろしく、と健一に頭を下げると、顔を真っ赤にして頷いてくれた。
健一と共に神社を見て回る。色々と説明はされたが、イリスは何となくとしか理解できていない。神様にお願いをする場所、という認識で落ち着いてしまった。健一にそう言うと、まああながち間違いでもないですね、と苦笑されてしまった。
――そう言えばあっちの村だとドラゴンが信仰の対象になってたけど、神様はいないの?
――いるよ。女神様が。私も一度しか会ったことないけど。優しそうな神様だよ。
――へえ。会ったことあるんだ。いいなあ、ちょっとここの神様と取り替えてよ。
――いや意味が分からないよ?
なにやらとんでもないことを言っている気がする。ハルカは冗談だよと笑っているが、冗談でなければ少し困るところだ。
一般の人が見て回れるところは全て周り、イリスたちは休憩所に戻ってきた。すでに望は戻っきており、指で休憩所を指し示していた。
「早く戻ってきてくれてよかったよ。オムライス、できてるから食べようか」
「わあ! 待ってました!」
望と健一と共に、休憩所に入る。
どこからか持ってきたのか、小さなテーブルが休憩所の中央に置かれていた。そのテーブルの上には、湯気の立つ料理が置かれている。丸い黄色い料理で、赤い線が引かれていた。ハルカの記憶にあるオムライスと似ている。とても楽しみだ。
――ん……?
ハルカが先ほどのイリスの思考に疑問を覚えているようだが、今イリスの頭の中はオムライスで一杯になっている。ついに念願のオムライスが目の前に。
ちなみにオムライスは三つ用意されている。どうやら望と健一も食べるらしい。
イリスがテーブルの前に座ると、銀色のスプーンが差し出された。
「俺の料理はほとんどが独学だから、あまり期待はしないでくれよ」
瞳を輝かせるイリスを見たためか、望がそう言った。にっこりと笑顔で言う。
「楽しみ」
「…………」
望の頬がわずかに引きつったのを見ながら、イリスはスプーンを手に取る。黄色くて柔らかい膜のようなものをそっと切って、中に入っているご飯、ハルカ曰くチキンライスというらしい、それを一緒に口に入れる。
「ん……」
美味しい。この黄色い膜とチキンライスは別個の料理としても出されることがあるらしいが、これは一緒に食べる方がきっと美味しい。うん。間違い無い。
――何の確信なんだか。
ハルカの少し呆れたような声。それに構わず食べ続ける。もぐもぐ。もぐもぐ。
「はは。気に入ってもらえて良かったよ。俺たちも食うか」
「うん」
望と健一もそれぞれ食べ始める。少し遅い昼ご飯だ。
――どう? イリス。念願のオムライスのお味は。
――美味しい。美味しい。美味しい。
――あ、うん。私のことはいいから、ゆっくり味わってね。
――うん。
羊羹も美味しかったが、やはりオムライスは別格だ。これなら何杯でも食べられる。食べられる、のだが……。
「なんか違う……」