03
少年に案内されて歩くと、ぽつぽつと民家が増え始め、そしてすぐに大勢の人や車が行き交う街中になった。ハルカの記憶にあったようなビルはないが、それでも大きな建物がいくつも並んでいる。文明というのはイリスにはよく分からないが、こんな建物をたくさん作るのだから、この世界の人間はすごいのだろう。
特にイリスが気になったのは車だ。すごいスピードで走っている。もちろんイリスが本気で走る速さよりは遅いが、それでも驚異的な速さだと思う。
――ちなみに、新幹線とか飛行機とか、もっと速いよ! イリスより速いかも!
――そうなの?
――そうそう! 特にすごい飛行機だと、音速よりも速いからね。音よりも速く飛ぶんだよ。
――ん? その程度がどうかしたの?
――あ、はい。何でもありません。
ドラゴンって、というハルカの意味の分からない嘆きが聞こえてくる。
確かに音速をこえる速さというのはなかなかに難しい。それをただの人間が実現しているのだから、やはりこの世界の人間は侮れない。もしかすると、手段によってはドラゴンに届きうるかもしれない。
何か考えないといけないかな、と思った直後に、
「神様、苦手なお菓子とかあります?」
「ない!」
そんな考えはどこかに吹き飛んだ。お菓子。なんて素晴らしい響きだ。ハルカの記憶にもあった。チョコレートとかポテトチップスとかお饅頭とか。食べたい。とても食べたい。
この世界の人間の脅威? どうでもいい。そんなことよりお菓子が欲しい。
――大丈夫かな、この子。
そんなイリスに対して、ハルカは少し呆れながらも笑っていた。
少年に案内されてたどり着いたのは、静かな場所だった。白くて細かい石のような地面に、石で作られた道がある。その奥に、イリスが出てきた建物と同じようなものがあった。ただしこちらの方が大きくて綺麗だが。
「おっちゃん呼んでくる!」
ここで待ってて、と少年がどこかへと走って行く。イリスは軽く手を振って、その大きな建物へと向かう。不思議な造りだ。目の前の箱はなんだろうか。
――そこにお賽銭を入れて、鈴を鳴らして、お願い事をするんだよ。他にも細かい決まりはあるけど、ざっくり言うとそんな感じ。イリス、何かお願い事はある?
――オムライス。
――ぶれないね。
そんなことを言われても、イリスの今回の目的はとにかくオムライスだ。他にも美味しいものに巡り会うことができれば喜んで食べるが、とりあえずオムライスだ。
イリスが自分でもよく分からない決意を固めていると、
「ごめんね。遅くなった」
背後から声をかけられた。振り返り、相手の姿を見る。二十歳前後に見える男で、優しげな顔立ちをしている。だが、何故かその目は驚愕に見開かれていた。どうしたのかとイリスは首を傾げる。
――ああ……。冗談みたい……。
今度はハルカの呆然としたような声だ。
――あの人、大きくなってるけど、私の元クラスメイトだ。間違い無いよ。
クラスメイト。それはつまり、学校という施設でハルカと一緒に過ごしていた人間の一人ということか。なるほど、それなら彼のこの驚きも理解できる。
いなくなったクラスメイトが目の前に現れたのだから、驚いて当然だ。
もっとも、髪の色は違うので、さすがに混同しないとは思うが。
注意深く相手の様子を見ていると、その相手が意を決したように口を開いた。
「あー……。はろー? にーはお? ぐーてんもるげん?」
何を言っているんだこの男は。
――うん。外国の挨拶。その髪の色だからね、外人さんと勘違いしたのかも。
――ああ、そっちなんだ。
――うん。そっちみたい。
小さく安堵の吐息を漏らすイリスと、どこか悲しげなハルカ。とりあえず無視をするわけにもいかないので、イリスも挨拶を返すことにする。
「初めまして。言葉はちゃんと通じるよ」
「あ、なんだ。そうなのか。ごめん、てっきり日本語が通じないかと」
「ばかだな、おっちゃん。それだったらここまで連れて来れないよ」
「いきなり見ず知らずの人を連れてくるお前にばかだとは言われたくないな」
そう言って、男が少年の頭にげんこつを落とし、少年は悲鳴を上げてその場にうずくまった。とても仲が良さそうだ。
「ああ、そうだ。自己紹介をしておこう。俺は望。新橋望だ。よろしく」
「私はイリス。よろしくね、望」
「それにしても、日本語がうまいな。イリスさんはどこの人だい?」
「え? あー……。秘密で」
この世界の外国の知識など、イリスにはない。ハルカの記憶を見ても、それほど詳しいわけではなかったようだ。あまり下手なことを言うと疑われることにしかならない。
――そう言えば今まで気にしてなかったけど、どうして言葉が通じてるの?
――今更だね。ハルカと私は単純に魂が繋がってるからだよ。伝えたい内容を直接送ってるから、言葉が通じているように感じるだけ。外の人の声がハルカの使う言葉として聞こえるのは、私を介して聞いているから。
――そうなってたんだ……。え? じゃあ今は? どうしてイリスは新橋君と言葉が通じてるの?
――ハルカの記憶から日本語を勉強したからだけど。
なかなか難しい言語だったが、一応それなりに習得できたという自信がある。こうして日常会話に支障もないようなので、どうやらちゃんと使えているようだ。
――どんだけ高性能なの……。
そんなことを言われてもイリスも困る。ちなみに今は日本語に対応した翻訳魔法を作ろうかと思っている。便利そうだから。
――それは必要あるの?
――さあ?
そこでハルカとの会話を切り上げて、望を見る。急に黙り込んだイリスを心配しているのか、少し険しい顔つきでイリスを見ていた。
「どうかしたかい?」
「いえ、何でも。それで、私に何の用?」
ハルカの元クラスメイトとはいえ、イリスにとっては他人だ。今のイリスの思考はオムライスが占めている。お菓子は期待できないようだし、早くお金を手に入れて食べに行きたい。
そう思っていたのだが。
「よければ、少し話でもどうかな? 美味しいお菓子もあるけど」
「喜んで!」
イリスの即答に望は面食らっていたようだったが、やがて薄く笑うと頷いた。
「よし、決まりだな。健一、休憩所に案内してくれ」
「了解! 神様、こっちだよ!」
「だから神様じゃないってば……」
もう訂正できないような気がしてきた。イリスはため息をつきながら、健一と呼ばれた少年と共に移動する。ただ目的地はすぐ側で、入口の側にある小さな建物だった。一部屋しかない建物で、一階は四面ともに大きな窓がある。健一曰く、望とは違うもう一人の神主がさぼるために作った建物らしい。
「それでいいの?」
「良くはないから、親父は望おじさんにめちゃくちゃ怒られてました」
どうやら健一の父親がもう一人の神主、というものらしい。ばかですよねえ、と笑いながら、健一は休憩所の扉を開ける。特徴的な床の建物だ。日本では当たり前に見るものらしいが。
――畳だね。どう?
――なんだか不思議な感じ。草? おー……。持って帰りたい。
――やめなさい。
筵の代わりになりそうだと思ったが、どうやらこれはとても大きなもので持ち運びには適さないようだ。残念だと思いながら、イリスは健一が用意した座布団というものに座った。
「神社がよく見えるね」
「だからさぼりやすいんです」
「なるほど、だめな方向に全力だね」
あまりイリスも偉そうなことは言えないが。山のことを放置しすぎて麓の村に迷惑をかけたことは記憶に新しい。今はディアボロがまとめてくれているので安心だ。ケルベロスもとても協力的だ。ただ、イリスと会うたびに涙目になる意味が分からない。
――トラウマなんだろうね……。かわいそうに。
――むう。あっちが原因なのに。
壁|w・)言葉が通じる説明がメインになってしまった気がします。
ちなみに冒頭でレジェディアとハルカが会話できている理由は、結構単純でレジェディアが日本語を覚えたためです。
この辺りはいずれまた詳しく触れるですよー。