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――ちなみに私も伝説上の怪物としてなら知ってるからね。
――だ、だって、浮島にはいなかったから……!
――うんうん。仕方ないね。
――うう……。
こんなことなら、もう少し魔獣に対して興味を持っておけば良かった。少しだけ後悔しつつ、気を取り直して彼らに向き直る。
「フィアは?」
「あの小娘か? まだ生きている。治癒魔法をかけてある」
「そっか。もう食べられたかと思っちゃった」
「食うものか。こいつが小娘を連れてきた直後に、とんでもない化け物がとんでもない速さで向かってくるんだ。間違い無く小娘を求めている。生かして引き渡すぐらいはする」
へえ、とイリスは目を細めた。どうやらこのディアボロという魔獣、イリスのことに気が付いていたらしい。そしておそらく、彼我の力量差にも気が付いている。イリスには勝てないということに。
だがそれは、どうやらディアボロだけのようだ。
「ただの小娘だろう。何を警戒している」
ケルベロスがディアボロの前に立った。唸り声を上げて、イリスを見据えてくる。ぴりぴりとした殺気を感じる。
「貴様がいらぬのなら、我が貰う」
「好きにしろ」
やれるものならな、とディアボロが嘆息しつつ後ろに下がった。我関せず、といった様子だ。少し奥まで下がり、小さいながらもしっかりとした結界を張った。よくよく見れば、そのすぐ側にフィアが横たわっていた。どうやら守ってくれるらしい。
――つまりは少し本気でやってもいいと!
――え? いや、あの、イリス?
――フィアがなんだか治療を受けてるってことは気づいてたからあのディアボロって魔獣は許してあげるけど、ケルベロスはフィアを殺しかけたからね!
――う、うん。そうだね。そうだけど……。
――つまりは、殺していいと!
――へ? ちょ、ちょっと待って……。
ケルベロスが大きく息を吸う。何かしらのブレスを吐こうとしているようだ。なるほど、あちらの殺意はしっかりと伝わってきた。なら、やっぱり、いいよね?
――ちょ……。
三つ首がブレスを吐き出す。それぞれ炎、雷、氷のブレスだ。イリスはそれを避けることもなく、受けた。全身で、しっかりと。炎が周囲に燃え移り、イリスの姿を隠してくれる。
そして、それに紛れて……。
「ふん。他愛ない。王が警戒している故に本気でやったが、これでは跡形もないだろうな」
ケルベロスが鼻で笑う。隣の二体も、肩をすくめて同意を示そうとして、
凍り付いた。
「……っ!?」
ケルベロスも、何が起こったのか分からずに、唐突な恐怖から体を震わせた。何が怖いのか、恐ろしいのか分からない。本能からくる、純然たる恐怖。未だ炎のブレスで燃えさかるその場所から、何かを感じる。魔力ではない。殺気でもない。強いて言うなら、存在感だ。
そして、唐突に。何かがケルベロスの首の一つに巻き付いた。
「な……」
それは、何かの尻尾だ。白銀の鱗に覆われた尻尾。炎の中にあったというのに、綺麗なままの尻尾。そしてその尻尾が。
ケルベロスの首を引きちぎった。
「があああ!?」
痛覚は共有しているのか、他の二つの首が叫び声を上げる。叫び声を上げながら、それを見た。
炎の中から現れる、白銀の存在。ケルベロスよりも一回りは大きく、全身が鱗に覆われている。瞳は深紅に輝き、静かにケルベロスを見据えていた。
「ドラゴン……」
ケルベロスが、呆然とした様子でつぶやいた。
・・・・・
ディアボロは目の前のそれを見て、口の端を大きく上げた。
ディアボロがこの地に来たのは、十日ほど前のことだ。この地からドラゴンの気配が希薄になり、訪れた。この地に興味があったのもそうなのだが、それ以上にドラゴンがどういった場所を好んでいるのか見てみたかったというのもある。ドラゴンがいる時は彼らの殺気に竦み、近づけないのでまさに好機と言えた。
そして実際に来てみて思ったことは、なんてことはない、ただの森だった。
強い魔獣が多いと聞いていたのに、その全てがディアボロよりも弱い魔獣ばかりだ。確かに有名で強力な魔獣は多いのだが、ディアボロよりも強い者はおらず、落胆したものだ。ドラゴンがいないのなら、彼らが戻ってくるまで自分が君臨してやろうと思い、この地を支配した。
ディアボロは食べるものにこだわらない。元いた場所では、人間も食べていた。特に若い子供は柔らかくて美味しい。この地に来た記念にまずは人間の子供を食べようと思い、新たな部下、自分の前にこの地を治めていたケルベロスに攫わせに行かせた。
そしていざ食べようとしたところで、得体の知れないものがこちらへと向かっていることに気が付いた。
自分よりも強い、圧倒的強者。種族としての絶対的な差。ディアボロの直感が、それがドラゴンであると告げていた。
ディアボロはドラゴンと戦いたいわけではない。強い者との戦いは心惹かれるが、それは魔獣が相手の話だ。ドラゴンが相手では楽しむことすらできずに瞬殺される。間違い無い。ディアボロも別に死にたいわけではないので、すぐに目的であろう子供に治癒魔法をかけた。
そうして待った結果、現れたのは人間の小娘、のように見える何かだった。
一目見て理解した。この小娘が、ドラゴンであると。
この森に最初から棲んでいた魔獣たち、ケルベロスもそうだが、彼らはどうやらそのことに気が付いていないらしい。それどころか、小娘から感じる異様な気配にも気づいていないようだ。おかしいと思ったが、すぐに推測を立てることができた。
この森にはずっと長い期間、ドラゴンの気配があった。彼らからしてみればそれは当たり前のことであり、特に気に留めるようなことでもなかったのだろう。圧倒的な恐怖の世界で生まれ育ったからこそ、その恐怖に慣れてしまう。皮肉なものだ。
ともかく、事を荒立てるつもりはない。幸い、ドラゴンもそのことには気づいているのか、比較的落ち着いているように見える。ここは大人しく攫ってきた子供を引き渡して……。
と思っていたのだが、あろうことかケルベロスが前に出てしまった。どうやら止めても無駄らしい。仕方なく、ディアボロは子供の元に戻り、結界を張っておいた。ほら、俺はこうして子供を守っているぞ、と。伝わればいいのだが。
だが、興味もある。強く止めなかったのはそれが理由だ。ドラゴンとはどれほど強いのか。
そうしてケルベロスがブレスを放ち、小娘の姿が見えなくなる。そして次に出てきたものは。
文字通りの、化け物だった。
・・・・・
ドラゴンの姿に戻ったイリスは、つまらなさそうに目の前のそれを一瞥する。首を一つ失ったケルベロスが、呆然とイリスを見ていた。その瞳は恐怖の色で染まってしまっている。
だからといって、止めるつもりはないが。
イリスの白銀の尻尾がぶれる。その一瞬後、ケルベロスの巨体は真横に吹き飛んでいった。木々をなぎ倒しながら、倒れるケルベロス。イリスはそのケルベロスへと顔を向け、口を開く。口内に、目映いほどの光が集まってくる。
と、誰もが逃げ出す光景の中、イリスはといえば、
――ふふふん! 強いでしょ!
――さすがドラゴン! すごい!
――次はとっておきだよ!
――わくわく!
和気藹々と自分に憑依しているハルカと話している。会話ついでに殺されようとしているケルベロスはたまったものではない。幸い、そんな会話は誰にも聞こえないのだが。
――これが私のブレスだー!
――手加減忘れずに!
――だいじょぶ!
イリスの口から光の玉が射出される。その光球はケルベロスの真横を通り、大地を穿ち、
そして爆発した。
壁|w・)ストレス発散もかねてるかもしれないからね、仕方ないね。
次話は明日6時更新予定、なのです。