12
「分かった。じゃあお言葉に甘えて……」
「あー! ずるい! イリスお姉ちゃん、私の家に泊まろうよ!」
横から口を挟んできたのはフィアだ。きっとクイナを睨み付けて、
「イリスお姉ちゃんは渡さない!」
「えー……」
これにはクイナも困ったように頬をかいている。その間も、フィアは敵意のこもった瞳をクイナに向けていた。イリスもどうしていいのか分からない。
――いやあ、懐かれてるね。
――そんなのんきなこと言わずに、助けて!
――無理。
ばっさりだ。もういっそのこと泣いていいだろうか。
何もできずに固まっているイリスとは対照的に、クイナは少し考えて、
「じゃあこうしよう、フィア。今日はあたしの家で泊まる。明日はフィアの家で泊まる。交互だ。どうだい?」
「私が先!」
「これからについても相談したいんだ。聞き分けておくれ」
「むう……」
フィアは不満そうに頬を膨らませていたが、やがて諦めたのかため息をついた。
「分かった……」
「悪いね。ありがとう、フィア」
どうやら無事に解決したらしい。ただ当事者であるイリスは完全に置き去りだが。もう少し自分の意見も聞いてほしいなと心の中で思いつつ、口には出さない。余計にややこしくなりそうだ。
「それじゃあ、イリス。さっさと終わらせなよ」
「はいはい……」
口には出さないけど、不満に思っていないわけではない。イリスは少しだけ口を尖らせて、治癒を再開した。
老夫婦の家で美味しい焼き肉をご馳走になった後、クイナと共に彼女の家に向かう。彼女の家は村の北側にあった。もしものために、戦える人は北に住むことになっているらしい。
「さあ、どうぞ。何もないところだけどね」
「何もない……のかな……?」
部屋に散乱している物を見て、イリスは少しだけ頬を引きつらせた。
そこにあるのはあらゆる武器。剣もあれば槍もある。それらを手入れするための道具もある。そういったもの全てが、床に散乱していた。刀剣を床に放置するなと言いたくなるのを堪えながら、イリスは中に入っていく。クイナに促されて、部屋の中央にあるテーブルに向かった。
二つあるうちの片方のいすに座り、一息つく。クイナは剣や槍を拾って回り、部屋の隅にあるふたのない樽にぶち込んだ。扱いが悪すぎると思う。
「それじゃあ、ちょっと話をしようか」
クイナがイリスの対面に座る。イリスは首を傾げてクイナの言葉を待った。
「単刀直入に聞くけど、イリス、あんたは何者だい?」
「はい? 何者って、なにが?」
「結構前だけど、髪の色とか気にしてただろう。もしかしてとは思うけど、イリス、実は遠いところの種族なんじゃないのかい?」
まさかそんな問いがくるとは思わなかった。いや、いつか聞かれるだろうとは思ったが、なぜ遠い種族だと思ったのだろうか。
イリスが答えずにいると、クイナは苦笑して、まあいいよ、と肩をすくめた。
「そんなことはどうでもいいんだ。イリス、あんたに頼みがある」
「うん……。なに?」
「イリス、実はかなり強いだろ?」
それは確信を持った問いかけだった。さすがに誤魔化すことはできないだろう。それに、嘘までつきたいとは思わない。イリスが、まあそれなりに、と答えると、
「じゃあ明日でも、明後日でもいい。あたしに付き合ってくれ」
「どういうこと?」
「あたしの推測だけど、北側の魔獣が他の場所に散らばった原因は、やつらよりも強い魔獣が棲み着いたからだと思うんだ。それを、叩く。あたしたち二人で行けば不意打ちできるだろう。それなら十分に勝ちの目はあるはずさ。もちろん、あたしにできる限りのお礼はするよ。どうだい?」
「だめ」
イリスは即答で返事をした。クイナはわずかに目を見開き、苦笑する。仕方ないか、と弱々しくため息をついた。
「まあ、無理強いはしないさ。忘れておくれ」
寝る用意をするよ、とクイナは肩を落としながら離れていく。イリスは少しだけ後悔しながらも、何も言わずに目を閉じた。
――イリス。ちなみに理由を聞いてもいい?
ハルカの声。内心で頷いて、答える。
――私は本来ここにいてはいけないドラゴンだから。私みたいなのはあまり介入するべきじゃない。この村の問題はこの村で解決するべきだよ。
――その結果、フィアやクイナが死んじゃってもいいの?
「……それは……」
良いのかと聞かれれば、当然ながら良くはない。だからと言って安易に力を貸せば、それこそ彼らはイリスに依存してしまうだろう。それは避けなければならないことだ。
――そっか……。分かった。ごめんね、変なこと聞いて。
ハルカは納得したわけではなかったようだが、それでもイリスの意志を尊重してくれるようだ。ハルカもフィアのことは気に入っていたようだったので、できれば助けたいのだろう。
――もし村まで魔獣がきたら、その時は村を守るぐらいは、するよ。
それが、譲歩できる限界だ。ハルカは一瞬唖然としたかのように黙り込んだが、すぐに、
――ありがとう、イリス。
少しだけ嬉しそうにそう言った。
「きゃああああ!」
日が昇る直前の、明朝。叫び声が響き、耳に届いた。その声を聞いた瞬間、すぐに体を跳ね起こし、扉へと走り出す。同じようにすぐに反応したクイナもイリスの後に続く。
クイナの家を出たイリスは、素早く周囲に視線を走らせる。何もない。次に上空。そこに、いた。
巨大な犬の姿のような魔獣だ。ただし、頭が三つあり、その体は周囲の家よりもずっと大きい。
イリスに遅れてその魔獣に気づいたクイナが、呆然とした様子でつぶやいた。
「ケルベロス……」
「知ってるの?」
「北に棲む魔獣の中でも最強格の一体だね……。あの三つの首はそれぞれ炎と雷、氷のブレスを吐き出すと言われてる。まあ、あたしも初めて見たけど……」
そこまで言って、クイナは自嘲気味に笑った。
「あたしは何を考えていたんだろうね……。あれは、あたしらじゃどうにもできない。初めて見て、ようやく分かったよ……」
ケルベロスから感じる魔力は、人間のそれと比べるとまさに桁外れだ。何をどうやっても、人間があれを仕留めるイメージを想像できない。人間からすれば、その姿だけで絶望するだろう。
――いや、私でもちょっと怖いなあ……。イリスは怖くないの?
――怖がる要素があるの?
――ドラゴンって……。
ハルカが呆れ、イリスは内心で首を傾げた。
ケルベロスが、言う。
「我らの新たな王が、人間を求めている」
低く、恐怖を煽るような声音だ。物音で出てきた誰もがその姿に硬直し、声を聞いて膝を折っている。クイナですら、その顔は青ざめていた。
「故に、今日から一日一人、贄を求める。我らの王の血肉となるのだ。光栄に思うがいい」
「ふざけるな! なんで急に……!」
クイナが思わずといった様子で叫び、ケルベロスは鼻で笑った。
「王が代わっただけのことだ。我らは強さこそが全て。我以上の強者が現れたのだから、それに従うのは当然だろう」
どうやらこのケルベロスはつい最近までは北の森の王のような立場だったらしい。そのケルベロスよりも強い魔獣が現れ、それは人を求めている。クイナたち村の住人にとって、死刑宣告とも言える内容だ。
「今日のところは、この小娘をもらい受ける」
そこで初めて、気が付いた。
ケルベロスの頭の一つが、フィアをくわえていることに。
壁|w・)まだ死んでないよ!
次話は12時までに更新したいです。
あと、毎日更新は明日で終了予定、です。