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「案内できるところはこれで全部かな?」
「え……。東と西は?」
「前も行っただろ? 居住区だから何もないよ」
クイナの短い返答。なるほど確かにそこを案内されても、少し困る。誰々の家と言われても、イリスに分かるわけがない。
「もしこの村に住む気があれば、家ぐらい用意できるよ」
「だから住もうよお姉ちゃん!」
「いや、えっと……。まあ、気が向いたら、ね……?」
何気なく言ったクイナと、それに反応して期待に瞳を輝かせるフィア。イリスは困ったように笑いながら、返答を濁しておいた。
その後もしばらくの間は村をぶらぶらと見て回ったが、結局昼前には戻ってきてしまった。楽しかったが、確かに特徴はない村だというのはすぐに分かる。
そしてイリスが戻ってくるのを待っていたかのように、一人の魔族の女がこちらへと歩いてきた。大きな鍋を持って、だ。鍋からはとてもいい匂いがしている。
「イリスちゃん。これ、昨日のお礼に」
「料理!? ありがとう!」
鍋の中には半透明のスープが満たされている。ぶつ切りの野菜とお肉が入ったシンプルなものだ。味も薄いかもしれない、と思ったのだが、予想以上に濃いめの味付けだった。それも野菜の自然な甘みだ。美味しい。
その女から話を聞くと、どうやらイリスへの報酬は昼と夜に、それぞれ決められた人が料理を作ることになったようだ。イリスとしても毎日料理を大量にもらっても余らせてしまうだけなので、その方が助かるというものだ。
ちなみに朝はフィアが譲らなかったらしく、フィアのおにぎりで固定されているとのことだ。フィアのおにぎりは美味しいので問題はない。よろしくね、と頭を撫でると、フィアは恥ずかしそうにはにかんだ。
そうして、イリスの一日の流れが、少しずつ決まっていった。
一ヶ月ほどの時間が流れた。
イリスは今も山の洞窟と麓の村を往復している。村人も慣れたもので、全身真っ白で顔を隠している不審者を見ても、笑顔で手を振ってくれるようになった。イリスもこの村がとても気に入っていて、次の場所になかなか行けなくなっている。
ただイリスにとってのこの村の欠点は、子供たちだ。
「あー! イリスお姉ちゃん!」
「ぐえ」
ああ、子供たちは無邪気だ。だから怒れない。例えマフラーの端っこを引っ張られて首を絞められても、怒れない。まあ、代わりに大人たちが怒ってくれるのだが。
「イリスお姉ちゃん、もうその布、外したら……?」
いつもの場所で待っていたフィアが苦笑しながら言ってくる。どうやらまた首を絞められたのを見ていたらしい。イリスは首を振って、
「私にとっては大事なものだから」
――イリス……。
なんだかハルカが感動しているようだ。少しだけ照れくさく思えてしまう。
「そうなんだ……。あ、はいこれ。朝ご飯!」
そう言って、フィアがおにぎりを差し出してくる。ありがとう、とイリスは笑顔で受け取った。
最近のイリスの一日は流れがほぼ固定化された。最初にこの場所に来て、フィアと一緒に朝ご飯を食べる。途中からクイナが合流、一緒に食べる。その後は村をのんびり見て回る。この時に、前日までに依頼があれば、あまり動けなくなった人のお宅を見に行く。そこまで案内してくれるのはもちろんフィアとクイナだ。
それが終われば昼食。食べ終わればぽつぽつと治癒の希望者が現れ始め、夕方が最も忙しくなる。日が沈む頃に治癒を終えると、その日の夕食担当の家に招かれ、食事。その後に洞窟に帰宅、という流れだ。
固定化した流れではあるが、イリスにとってはとても充実した日々だ。治癒をしているだけで美味しいご飯が食べられる。仲の良い知り合いも増えた。こうして人間との交流を始めて良かったと思える。ただ最近は、皆がフードの中を見たいと言ってくるのが少し煩わしいが。
「でもそろそろ、次の場所も見たいかな……」
おにぎりを頬張りながらイリスがそうぽつりと零すと、フィアの瞳が驚愕に見開かれた。
「え……? イリスお姉ちゃん、どこかに行っちゃうの……?」
呆然とした様子のフィアに、イリスはえ、と固まってしまう。見る間にフィアの瞳に涙がたまり、あふれ出しそうになってきた。慌てふためき、イリスが戸惑っていると、フィアの頭にクイナの手が優しく置かれた。
「落ち着きな、フィア。イリスはすぐに出て行くなんて言ってないだろ?」
「クイナさん……」
「イリス。もし村を出るなら、できれば一言お願いするよ。みんな、見送りぐらいしたいはずだからさ」
「あー……。うん。分かった」
まさかそこまで受け入れられているとは思わなかった。イリスが頷くと、安堵したようにクイナが小さくため息をつく。フィアは無言でイリスに抱きついてきて、イリスはフィアの頭を優しく撫でた。
――ハルカ。どうしよう……?
――んー……。こればっかりはどうにも。まあここまで仲良くなったら仕方ないよ。多分、これからも同じようなことはきっとあるよ。慣れろ。
――む、難しいなあ……。
イリスもここまで深く関わるつもりはなかったため、どうしていいのか分からない。しかし、かといってここに住むこともできることではない。
イリスは人間よりもずっと長く生きるドラゴンだ。いずれ、年を取らないイリスを不審に思うだろう。それを考えれば、もうそろそろこの村を出ないと勘づかれるかもしれない。
その時を考えると、少し憂鬱になってしまう。そう感じている自分に驚きながらも、イリスはフィアの頭を撫でながらため息をついた。
「朝はああ言ったけど、解決の目処がたつまでは、離れられないかな……?」
「あー……。その、なんだ。すまない」
クイナが申し訳なさそうに眉尻を下げる。イリスは、気にしないでと手を振った。
今は夕方。治癒をしている真っ最中だ。ただ、いつもより人が多い。昨日よりも明らかに。
ここ一週間ほどにかけて、初日よりも少しずつ治癒を求める人が増えてきていることは分かっていたが、今日になって一気に増えた。しかも狩りに行った人ばかりが増えている。イリスが治癒をしている間に、クイナに何かあったのか聞いてみてもらったところ、
「最近、北の魔獣が南側に来るようになったんだよ。北側はドラゴンの影響か、他よりも強力な個体が棲み着く傾向がある。そいつらが南に来ているんだ。今のところ死人は出ていないが、正直、いつまでもつか……」
「なるほどねえ……」
治癒に来る他の人にも聞いたが、皆同じことを言っている。やはり北側の魔獣が出没しているということで間違いないようだ。
「そんなに違うものなの?」
「全然違うね。いつもの魔獣なら三人もいれば余裕を持って仕留められる。けれど北側の魔獣となれば、そうはいかない。十人いても勝てるかどうか、だろうね」
「そんなに違うんだ……。怪我をする人も増えるわけだ」
「それに、北側の魔獣も色々いる。一番厄介なワイバーンあたりだと、あたしたちじゃ手に負えない。間違い無く全滅さ」
全滅。即ち、死。思わずイリスの頬が引きつった。
たった一ヶ月。されど一ヶ月。イリスもこの村に対する思い入れはそれなりにある。親しく話す人も増えた。その人たちが死ぬのは、少し、嫌だ。
――でも私たちじゃ何もできないよ。北側の魔獣を全部狩り尽くすなんてできないだろうし。
――うん……。やろうと思うと、この辺りは焦土になっちゃう。
――あ、うん……。手段を選ばなければできることに驚いちゃう。
だがこのまま放置はできない。他の土地に行って、また戻ってきた時には村がなくなっているという可能性も否定できない。今までは魔獣たちはそれぞれのテリトリーで生活が完結していたようだが、こうなってくるとこの村を襲わないとも言い切れないだろう。
「今までこんなことはあったの?」
「いや、あたしは初めてだね。何か原因があるはずだけど……」
そこまで考えたところで、クイナは思い出したように手を叩いた。
「イリス。この件が解決するまで、あたしの家に泊まりな」
「へ? いや、いいよ。北の洞窟に……」
「今は何があるか分からないんだ。いいから泊まっていきな」
クイナがイリスのことを心配してくれているのは分かる。だからこそ、断れない。もっとも、帰ったところでもそもそと干し肉を食べるだけなので、無理に帰る必要はないのだが。
仕方なく、イリスはクイナの提案を受けることにした。
壁|w・)1ヶ月の期間のお話は、もしかしたら閑話で書く、かも……?
ただ基本的に同じことの繰り返しです。毎日料理を食べられてイリスはほくほく。
そしてちょっぴり事件のかほり。
次話は明日朝6時に更新予定、なのです。