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神田少女

 中野浩はニヤニヤしていた。カバンの中には大量の薄い本。

今日は同人誌即売会

「生まれてこれまで弟だと思っていた兄弟が実は妹だった!!」

のオンリーイベントだったのだ。

 ラノベレーベル「衝撃文庫」で大ヒット中のこの作品、何故か主人公の兄にも内緒で弟として育てられたヒロインが兄と風呂場で遭遇というラッキースケベ事件から妹だったという事実がばれ、そこから巻き起こる色んな騒動といった作品だが、ヒット作を次々と飛ばす人気作家、羽根木完はねぎかんと美少女ゲーム界でブレークして本作のカバーと挿絵を担当する絵師、九斉きゅうさいのタッグで人気沸騰し、来年初頭からのアニメ化も決定している。

 つまり中野はその人気作品の二次創作イベントにおもむき、主人公の妹「晶央あきお」が作品世界では起こらないであろうふしだらな行為に至る内容の同人誌を買い漁っていたのだった。

 普通だったらそんな中野を一般的にはただのキモヲタとして扱うだろう、しかし普通と違うのは、このヲタクこそがが「これ妹」の絵師九斉ということだった。 

 もちろん会場にはお忍びで参加している。中野自体が作品に愛情を込めすぎて、ヒロインに恋愛感情に近いものを覚え、終いには晶央の薄い本が欲しい!という感情に至ったのだった。

 ここでまさしく本末転倒な結論が浮かぶ。

「これって俺が描けばいいんじゃね?」

 逆に言えばどんな同人誌作家が束になってかかっても、オリジナルの絵師九斉がちょっとでもエロい絵を描けば全員爆死である。しかも美少女ゲームの原画家時代は、そのイベントシーンのあまりのエロさに、プレイヤーがモニターに向かって小さく「オゥフ」と呟いてしまうほどの濃密で色っぽいイラストを描けてしまうのだ。

 しかし中野は作品中の晶央に恋をしてしまって、自分で晶央を穢すなんてとんでもないことだと思い込んでしまう。それほど原作者の羽根木が書く世界観は緻密で素晴らしく、誰もがヒロインを好きになってしまう、天才的作家だった。

 それなのにこんな可愛い晶央を実の兄貴が◯◯しちゃうような、知らないおじさんが複数でハ◯イエースでやってきて拉致してやっぱり◯◯しちゃうような、薄いくせして1000円位してしまう本を大量に買ってしまう俺は……俺なんか……人として最低だ。こんなんだったら自分で描いてセルフ◯◯してやんよ!と心で叫びながら会場を後にした。


 秋葉の会場から歩いて、めったに外に出ない事もあり、神田の画材屋で色々買い込む。ラフ用のスケッチブック、鉛筆、消しゴム、トレースペーパー等。

 初夏の神田の街はもうすでに蒸し暑くて、中野は逃げこむように近くの喫茶店に入った。

 老舗の喫茶店は学生時代からのお気に入りで、28歳になった今でも時々訪れる。最近のカフェと違って古臭い内装と音楽、そして強いコーヒーの香りが心を落ち着ける。

「もうそろそろラフ画を編集さんに見せないと催促がくるるだろうな」

と思いながら、薄い本と画材でパンパンになったカバンからスケッチブックと鉛筆を取り出す。

いつもは自宅に引きこもっての作業だけど、コーヒーでも飲みながらざっとラフでも描こうと思い立ったのだ。この店は漫画家などの常連客も多くて、ネーム作成作業などに没頭するのも見かけられ、店側も寛容に扱ってくれる。

 最近の絵師は全ての作業をPC内のイラスト作成ソフトで仕上げる人も多いが中野は違った。まずは神にラフを描いて、それをトレースしてスキャニング、そこから修正、彩色を行う。九斉の線が流麗で魅力的と言われるのはこういった手描きの部分を大切にしてるせいかもしれない。

 さらさらと、兄に微笑みかけ手を伸ばす晶央が白紙に現れる。昔から圧倒的な画力と世の中で称されていた。今でこそ稀代の美少女絵師と言われているが、子供の頃から絵の才能は群を抜いて素晴らしく、何度も賞をとって賞賛された。しかし洋画を専攻するべく入学した美大で出来た友人がアニメ研究会に所属している筋金入りのヲタクで、同室のお陰もあって大学時代を通してすっかり洗脳されてしまった。お陰で中野の絶大な絵の才能はサークルの運営費を賄うための同人誌製作に費やされ、更にはメキメキと可愛い美少女イラストのスキルが上がり、気づけばコミケの大手壁サークルスペースに君臨していた。そして人気美少女ゲームメーカーにスカウトされ大学卒業後原画家としてデビュー、ヒット作を連発して会社の看板絵師となった。 代々芸術家の家系である実家の両親の悲しみは想像が出来ないほどである。才能の無駄遣いというか、本来の才能が開花したというべきか。


 ラフ画もある程度まとまったので中野は店を出た。神田の街はすっかり夕暮れで、幾分か涼しい風も吹いていた。一人暮らしのマンションに戻ってラフ画をクリーンアップしようとも思ったが何となくブラブラと歩いてみたくなった。この辺りの路地裏には、昔を偲ぶような懐かしさがあって、何故か心が惹かれるのだ。

 車が行き交う大通りから曲がって、昔ながらの飲食店や長屋がある薄暗い路地を歩く。もしかして大昔、もしかしたら江戸時代にもこの通りはあったのかな?などと想像を巡らせる。

 なぜか子供の頃から旧いもの、懐かしいものに心を惹かれる事がある。人類が生まれて、原始時代から古代、そして時代を重ねて受け継がれた子供が今の自分だと思うと不思議な感じと安心感が生まれるのだ。そんな空想ともつかない気持を抱いて路地の奥をみたら、そこに和服を着た少女が立っていた。

 芸者さん?というより時代劇に出てくる町娘みたいな格好。なにか着物好きの人なのかな。

 思わず視線が釘付けになってその少女を凝視してしまった。すると。

「えっえっ」

目があった途端にその少女は物凄い勢いで駆け寄って来た。更には目に涙を浮かべている。

そして涙声で

「お助けください、後生です!」

と叫んで中野にすがりついた。


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