パンツはき忘れ系女子
「あ、そういえば今日パンツはいてないや」
「マジでぇぇぇぇぇ?!」
ぽりぽり頭をかきながら、「失敗失敗」とへらへら笑う麻耶。
朝の登校風景にぴったりな、爽やかな笑顔だ。
だがこの女……ノーパンである。
我が幼馴染ながら恐ろしい無頓着さだ。
春日太一1●才。人生ベスト級衝撃事件勃発中だ。
「なんかスースーすると思ってたんだよ。なーるほどなー」
……なーるほど。
たしかにたしかに。まぁそういうことも……ありえねぇよ! ねぇよ! だってパンツだぜ!? パンツなんだぜ?!
あのおパンツさまを忘れるなんて天地がひっくり返ってもありえねぇ緊急事態だ!
華の女子校生がそれでいいのかよ! 心配になってくるわ!
「いやー、またやっちまったよ」
「またなのか? パンツってそんなしばしば忘れるものか?」
「お前は男だからわからないかもしれねぇけどさ、女って出かけるまでに色々準備することあるんだよ」
「まぁ、わからんでもない」
「だからいろいろ髪をセットしたり、化粧したりしてるうちにうっかりパンツをはき忘れることだってあるもんなんだよ」
「あー……っていやいやいや。身だしなみにを時間を割くような女子がパンツをはき忘れるはずがねぇ」
「ちぇっ。騙されなかったか」
「やっぱりお前が馬鹿なだけかよ……。うっかりあまねく女子はしばしばパンツをはき忘れるものなのかと希望を抱いちまったじゃねぇか。あんなぁ、パンツってのは、パンツってのはなぁ……」
と、一陣のいたずらな突風が彼女のスカートを……揺らした。
「……!!!」
「おっとと。あぶねーあぶねー。……どうしたんだ太一。身体が直角に曲がってるぞ? 朝の体操か?」
「……」
普通の女子なら赤面もののアクシデントのはずなのに、コイツときたら顔色一つ変えずにさらっとスカートを守りやがる。
「なー、どうしたんだよ太一。早く行こうぜ? 遅刻するって」
この事態をまったくものともしない神経の太さ。
女子力の低さたるや国宝級。
一人ハラハラドキドキしている僕が馬鹿みたいだ。
……だんだんムカついてきたぞ。
こうなったら意地でも見てやる。
そしたらこいつだって自分の愚かしさを知ることだろう。
「ん? どーした。急に真剣な目ぇして?」
僕は麻耶の足もとを凝視する。
無駄のないすらっとした足だ。一年生でありながら陸上部で鳴らしているだけあって、程よく筋肉のついた健康的な美脚。枕にしたいほど肉感的な太ももを追っていくと、短めに端折られたスカートがそれを隠した。
これだけでも眼福ものだが、待てど暮らせど二度目の神風は起こらない。
それよりも、この布の向こう側には彼女の一番大事なものがあられもない姿で待ち受けているという事実が、いやおうなく妄想が膨らませる。
僕は全神経をそのスカートへと集中させた。
考える。
あられもない姿の彼女の秘密のつぼみを。
妄想する。
その瑞々しい楽園を。
……。
…………。
「だ、ダメだ! 見たことがないものは想像できない!」
「なんの話してんだ……?」
くそ! なんで僕は童貞なんだ! ちくしょう! この役立たず!
「ま、パンツなんてマジでどうでもいいよ。さっさと行かなきゃ遅刻するぜ?」
「テメェはパンツのありがたみをなにもわかってねぇ!」
ついに僕の堪忍袋の緒が切れた。
おパンツ様に対する度重なる不敬、このまま放っておけない。
「な、なんだよ急に」
「お前はパンツの重要さがわかってねぇよ! パンツってのはなぁ、パンツってのはなぁ、それはそれは大事で奥深いものなんだよ!」
「……いやいや。パンツなんてただの布切れだろ。べつにそんな熱くなるようなことじゃ……」
「きぇぇぇぇ!」
僕は奇声を発しながらジャンプして麻耶の脳天に手刀を振り下ろした。
「おっと」
しかし痛恨のミス。麻耶はその類まれなる運動神経を駆使してひらりとかわした。
振り下ろされた手刀は、背後にあった石塀に直撃する。
「……! ……!」
びりびりとした痛みが腕に広がり声も出ない……!
痛い! 血! 血が出てる!
「……お、おい。大丈夫か? 急に攻撃してくるから……」
「この際だから言うけどなぁ!」
「話続けるのか……」
パンツへの想いが、僕を瞬間的に復活させたのだ。
「この際だから言うけど、お前がスカートをしかずに自転車のサドルにまたがるのだって僕はどうかと思ってるんだぜ?!」
「別に普通だろ……」
「アホか! いいか? デニムをはいていれば、サドルON! デニムON! パンツなわけだよ!」
僕はON! の掛け声とともに血に濡れた手のひらの上に、もう片方の手のひらを置く。
「太一ぃ……血ぃ出てるけど……」
「そんなことはどうでもいい! それがどうだ! スカートをしかなかったらサドルON! パンツ! なんだぜ?! ダイレクトパンツじゃねぇかよ! カンベンしてくれよ!」
「……いやいやいや。別に見えてるわけじゃないんだからそんなに気にすることないだろ」
「気にするよ! 気にしろよ! ダイレクトの魔性に恐れおののけよ! お前が乗ったそのサドルには、ダイレクトにパンツの温かみや香りがうつってしまっているんだぜ?! そりゃあサドル泥棒も出没するってもんだよ!」
「……はっ」
麻耶の目からうろこが落ちていた。
サドルを盗まれた経験のある麻耶にこれは効いたようだった。盗まれたサドルがどのような用途に使用されているか想像してしまったのかもしれない。
バカめ。だから普段からあれほどパンツには細心の注意を払えといっているだろうに。
「パンツの重要性がわかったかよ。おパンツさまがサドルに乗るだけでそれほどの重大事なのに、お前ときたらそのパンツすら忘れたんだ。今の状態がどれほど深刻な事態か理解できたか」
「い、いやいや。でもさ、ぶっちゃけスカートがめくれないように気をつければいいだけだろ? 運動神経には自信あるし、学校につくまで守り抜けると思うぜ? んで学校についたら運動着着ればいいだけじゃんよ」
「落第!」
「なにに?!」
「お前は今の特異性をまったく理解していない! 落第だ! お前にはもはやパンツをはく資格がない!」
「そこまでいうか?!」
「いいか? よく考えてもみてくれよ。お前は今自分がノーパンだと思っているだろ。っていうかノーパンだと勘違いしているだろ」
「の、ノーパンノーパン連呼すんなや……」
ぷいとそっぽを向いたその頬にはかすかに赤みが帯びていた。
無神経バカの麻耶にしてはレアな反応にちょっと心が動きかけたが、邪念を振り払う。
「ええい今真剣な話をしてるんだ! ちゃんと目を見て聞けよ! いいか?! お前は今ノーパンじゃないんだよ。お前は今パンツをはいているんだ。っていうか、パンツ一丁なんだよ!」
「は、はぁ? 意味わかんねぇよ」
「パンツとはなんだ? あん? パンツってのは肌の上に着るものだろう? 素肌の上に着るものが肌着であり、あられもない股間を覆い隠すものがパンツだろう? だとしたらどうだ? 今お前がはいているものはなんだ? 素肌の上にはいているそのヒラヒラしたものはなんというのが正しいんだ?!」
「え……いや……え? まさかお前……」
さっと麻耶の顔が青ざめる。
胸の内に生じた恐ろしい考えを必死で振り払おうとしているかのようだ。
「そうだよ麻耶。お前が今はいているのは、もはやスカートじゃない」
「な、なんなんだよ?」
「……パンツなんだ」
「?!」
「お前が今はいているものは、パンツなんだ。いいか。形の話をしているんじゃない。役割としての概念で考えたとき、素肌の上にはいているそれはまさしくパンツといわざるを得ないものなんだよ。つまりお前はパンツ一丁で往来を歩いているということになるんだよ」
「そ、そんなこと……」
「しかもだぜ? そのヒラヒラしたものがパンツになってしまった今、もっと重大な事件が起こっているんだ。つまりだ。ONパンツならばなんの問題もなかったひらひらした構造。地球さまに対してパンツおっぴろげだったその布! それがパンツとなるとだ、それはつまり――」
「つま……り?」
「――……ぱっくり股間だけあいた! 穴あきパンツってことになるんだ!」
「?!」
「麻耶、お前は登校途中の生徒がたくさん通る通学路で、通勤中のサラリーマンやOLの目の触れる天下の往来で、股間がばっくりあいた穴あきパンツ一丁で歩いているとんでもないド変態ってことになるんだよ!」
「え。え……いや……そんな……そんなこと……ない……」
衝撃的な事実に打ちのめされたのか、麻耶はよろよろと後ろに後ずさった。オレは見逃さない。歩くときに太ももが持ち上がり、スカートの影の部分が大きくなったその隙間に全視力を集中させる。後ずさるたびに、ほんのわずかではあるが太ももの間に生まれる深遠に目を凝らし、未知なる楽園を見出さんと凝視する。
「み、見んな……そんな目で見んなっていってんだろぉ……」
麻耶はスカートをぎゅーっと両手で押し付けた。
目じりに涙の浮かんだ瞳で、とがめるようにこちらを睨む。
「太一が変なこというから! なんか! 無性に恥ずかしくなってきちゃたじゃないか!」
「おいおいやめてくれよ。僕はただ客観的な事実をいっただけだぜ?」
「うるせぇバカ……! こ、この……死ね!」
恨みがましい目で、ひょこひょこと不恰好にあとずさる。
滑稽である。
「わはは」
「笑うなよ! こっちはマジで困ったことになってんだぞ!」
涙声で怒鳴ってくるが、もじもじと内股をこすり合わせながらいうもんだから、なんかもう、僕の性的欲求を満たすばかりだ。
「パンツなんてただの布なんだろ? 堂々としてればいいじゃないか」
「ちくしょー……アホー……太一のアホー」
「おっと。つい熱が入りすぎたな。こりゃマジでやばいぜ。さ、急いで登校しようじゃないか」
「できるかー! アホー!」
ぶつぶつ文句をたらす麻耶の横に並んで、僕は笑いをかみ殺しながら歩いた。
実にすがすがしい気分だ。
長話のせいで遅刻はもう確定的なのだが、こんな麻耶が見れたのだからよしとしよう。
「って! そうだ! 太一のズボン借りればいいんじゃないか!」
「いやいや、なにを馬鹿なことを……っておい! やめろ! そのベルトを掴んだ手を離せ!」
「ええいうるせぇ! 誰のせいでこんなことになったと思ってるんだ! よこせ! お前はパンツ一丁で登校しろ!」
「うわ! やめ……! やめてーー!!」
……。
パンツ一丁で登校することになったのは、僕だった。