第五章
ぼくは夢中になって、かなり離れたところで小半時足らずの間、小枝を拾っていた。体育館の角の屋根のあるところには、乾いた枝切れや木の葉があった。夢中になって拾っていると、何やら別館校舎の方でばちばちと大きな音がしはじめた。何だろうと戻ってみると、焼却炉の焔が別館の建物に燃え移りはじめていた。風向きが変わったのだ。みしみしと古い校舎は、軋むような音を立てて激しく燃え立ちはじめた。ぼくは突然のことにしばし呆然としながらも、用務員室の陰で隠れて見ていた。どうしよう。もしも目撃者がいたらぼくは少年院行きだ。炎は窓を伝って軒の辺りまで広がっていた。その時、金村先生のぎゃあああという金切り声が聞こえ、全身に電気が走ったかのように、ぼくの恐怖は一気にピークに達し、矢も楯もたまらず一目散に逃げ出した。けれど、その燃えさかる様子をどこかで見ていたかったので、裏のお寺の参道の石灯籠のところに隠れて焔を見つめていた。
強く乾燥した風が吹いていたから、別館全体が焔に包まれるのは時間の問題だった。もう二階の方まで火が廻っていた。火の見櫓の半鐘の早鐘がけたたましく鳴った。消防団の車が駈けつけて、消火を始めた。別館の校内で、ピアノの弦がぴしぴしと切れ、ピアノが崩れるような凄絶な音が大音響とともに聞こえた。それを聞いてぼくは全身が身震いするような激しい悦びを感じた。恥ずかしい話だが、少し小便を漏らしてしまった。半ズボンの前の方が小便に染まった。帰ろうと思ったが、身体が固まったまま動かなかった。自然と目から涙が溢れ出てきた。涙は手で拭っても、袖で拭っても止まらなかった。近所に住んでいる従姉のにのえ姉さんが来ていた。にのえ姉さんは当時十九歳だったと思う。高校を出たばかりの、町の紡績工場で働いている美しい娘だった。
「姉さん、校舎が」、ぼくはしゃくりあげながら言った。
「うん、いいの」
にのえ姉さんはそれ以上何も言わず、ぼくは彼女の胸に抱かれて泣いた。にのえ姉さんの胸はやさしく、温かかく、とてもいい匂いがした。彼女は何にも言わずにぼくを抱きしめていた。ぼくは自分が偽りを働いていることに、あまり自覚的でなかった。悪いことをしていると云う意識が足りなかったかも知れない。別館の二階の窓からごうごうと焔が噴き出していた。隣接している本館の理科室の方にも燃え移り出したので、気分的に焦りの気持ちもあったが、全部燃えてしまうのも面白いような気がした。あの、いまいましい宿題をやらずに済むような気がした。お寺から南の駄菓子屋の辺りは近所の人でごった返して、噂話をしながら大勢が食い入るように火事を見つめていた。空は赤紫の恐ろしい色に変わっており、上空には薄黒い火事の雲が立ち昇っていた。その向こうに鬼の眼のように吊り上がった細い月が、紅くなって浮かんでいた。
翌日、警察による捜査があり、焼け跡付近から発見されたのは、「すみや」で販売されている灯油缶だった。目撃情報があったため、キンちゃんに容疑がかけられたが、キンちゃんは否認を続けた。灯油缶に付いていた指紋はキンちゃんのものではなかった。キンちゃんは証拠不十分で釈放された。もしかしたら、キンちゃんはあの時怪しい男が、校舎の周りに灯油を撒いていたのを見ていたのかも知れない。恐らく信じてはもらえないと思い、黙っていたのだろう。そんなこととは知らない世間は彼を疑惑の眼で見つづけた。「き○がい」なんぞみな極悪人だ。それは露骨な村八分であった。




