小中大
……あぁ、かったりぃな……。
オレは毎朝、そう思いながら学校へ向かう。
今日も今日とて学校学校、授業授業。面倒くさいったらない。けどまあ、友達に会えるってだけでも、行く価値はあるのかもな。
とは言っても、やっぱ眠いしだるい。陽の光に欠伸を誘われつつ、重い足を学校に向ける。
それにしても今日もこの道は、感心する程人通りがないな。一応は通学路なんだから、同じ中学の奴が少しはいてもいいはずなんだけどな。
と思っていると、交差点の向こうに今日初めての人影発見。しかもあれは。
「おーい、志嶋!」
オレがそう呼ぶと、案の定そいつは振り向いた。
志嶋小春は、去年に続いて同じクラスになった女子。小学校は違うけど幼稚園は一緒だったので、去年の四月に六年ぶりに見たとき、すぐに誰だか思い出せた。
「あ、おはよう富田」
「おう、おはようさん」
その昔は互いに名前で呼び合った仲だったが、今は名字で呼んでいる。これも成長だな。
近づき、挨拶を返したオレのことを、志嶋は舐め回すように視線を動かして観察する。だらしなくズボンから飛び出したシャツや、ぼさぼさなままの髪などを見、最後にオレの顔を見上げる。
「今日も富田は、いつも通りだね」
「まーな」
志嶋は、どんな奴とでも嫌な顔なんて見せないで普通に会話する。いくら頭が良かろうと、どれだけカッコ良かろうと、性格が最低な野郎でも、志嶋は分け隔てない。
そういう意味では、志嶋はいい奴だ。
オレの少し前を歩くため、志嶋の姿がどうしても目に入ってくる。その度に思うことがある。
……こいつ、昔から変わってねぇな。
幼稚園児の頃の記憶なんてもうほとんど覚えちゃないけど、それでも幾つかの印象深い出来事は頭に残っているものだ。例えば、仲の良い友達と遊んだこととか。
志嶋は、そんな友達の中の一人だ。
オレが中学に入学して再会したのは、記憶の中とほぼ同じ容姿の志嶋。六年間一度も会ってはいなかったけど、親友は親友、オレが気を置く必要は感じなかった。
そう思ったのは、志嶋があまりにもあの頃のまま……六年なんて経っていないかのように変わっていなかったから。
簡潔にまとめると、志嶋は幼稚園児みたいに体がちっちゃ――
「――ふんっ!」
「ぃ痛ってぇぇぇっ!」
志嶋は気合の声と共に鋭いローキックを放った。当然、避けられるはずもなく右の弁慶に直撃。膝より下を切り取ってしまいたい位の、痺れにも似た凶悪な痛みが足を襲う。それに耐えきれる訳もなく、オレは情けなくうずくまった。
「志嶋……! 何すんだよっ!」
なんで蹴られたのか理解できない。笑って許せるほど、生易しい痛みではなかった。
すると志嶋は、さも親の仇を睨むような目をした。
「だって今、私のこと『ちっちゃい』とか思ったでしょ?」
あ、そうだった。志嶋は、自分の体の大きさを極端に嫌っている。それを刺激したら最後、こんな風に足を蹴られるんだった。
まさか他人の心の中まで感知範囲内だったとは、思いもしなかったけど。……こいつは超能力者かよ。心の中まで読まれるとしたら、本気で気を付けないと近い内に足が折れるな。
だけど今のは、確かにオレが悪かったかもしれない。なんせ志嶋が、そう言われることが嫌だと知っていたんだから。
なんて反省しつつ鈍い痛みに悶えている間に、志嶋の姿はみるみる遠ざかっていった。おいおい、あいつ何であんなに速いんだ? 歩幅だって小さ――うお!? 睨まれた!?
結局、オレが片足を引きずりながら歩き出したのは、志嶋が粒ほども見えなくなってからだった。登校時間、間に合うか……?
そう不安に思いつつ走り出そうとしたとき、視界の端に何かが映った。
つまみ上げてみると、それは志嶋がいつも使っている厚手のハンカチだった。どうせ、さっき足を振るったときに落としたのだろう。
……ったく、手間かけさせやがって。オレはハンカチをポケットに突っ込み、学校へ向けてダッシュした。
久々の全力疾走の甲斐あって、ギリギリながらも何とか始業に間に合った。
フラフラしながら、教室の最前列廊下側にある自分の席に勢いよく腰を下ろす。深呼吸をして息を整えていると、後ろの席からオレを呼ぶ声がした。
「グッドモーニング、秀哉」
「ああタカ、おはよう……」
にたっと笑いかけてくるのはタカ――村崎隆大。小学校以来の親友だ。
「今日はやけにレイトだね。ホワイ?」
タカの、そんな中途半端な言語の質問。
こいつはいつもこうだ。子供の頃から通っている英会話スクールの影響で、言葉の至る所に英単語がほぼ無意識に混ざるのだそうだが……その理由が本当かどうかは定かではない。
英語部分を日本語に直すと……ああ、オレが遅くなった理由ね。
「それはこいつが――」オレは隣の席で何食わぬ顔で読書に没頭している憎き仇、志嶋を指差した。「志嶋がオレの足を蹴りやがったから!」
「誰のせい?」
顔も合わせず瞬時の返答。これで言い返さない訳がない。
「お前のせいだろ!」
そう怒鳴ったつもりだったのに、声に完全に被さるようにチャイムが響いた。これでは何を言ったか伝わらない。
「……うるさいぞ富田、チャイムが聞こえなかったのか?」
定刻きっかりにやってきた担任の、凄みを帯びた目に射抜かれたオレは、黙って席に着くしかできなかった。
それから幾時間もの授業を耐え、気が付けば残り一時間。それで退屈な学校からも解放される。
けどその前に、オレには最後の関門が残っている。覚悟を決めてシャーペンを取る。
「あれ?」志嶋がそんなオレを見て呟く。「富田が勉強してる……しかも休み時間なのに」
悪いけど、返事をする余裕はない。
その志嶋の疑問には、タカが代わりに答えてくれた。
「秀哉は、今日のジャパニーズの漢字テストで、何としても合格点をゲットしなきゃいけないんだ」
国語の部分くらいは日本国語で言えないのか? と心の中でツッコむ。
「え、何で?」
「ビコーズ、彼は先週のテストの点がソーバッドだったのさ。そのせいでティーチャー松井から言われたらしい」
「……まさか『個別レッスンですよ!』って?」
「ザッツラーイト」
志嶋の憐みの視線が痛い……。
個別レッスンというのは、国語の松井先生の決まり文句だ。出来の悪い生徒に行うマンツーマンの長時間補習。そんなのは真っ平御免なので、オレはやむなく勉強をしているという訳だ。
出題範囲の漢字をノートに写し、何度も繰り返し書く。……が、全然覚えられる気がしない。
とここで無情のタイムアップ。間髪入れずに松井先生のご登場。五十過ぎの小柄なおばさんが、今日もプリントの束を抱えて――って、ん?
「……先生、今日はテストはあるんですか?」
オレと同じ違和感に気付いたのか、志嶋がタイミング良く質問した。それに先生は満面の笑みで、
「ありませんよ。良かったですねぇ」
教室中がざわめく。誰もが簡単には信じなかったからだ。その空気を感じ取ってか、先生は皆を安心させるようにもう一度言う。
「心配無用です。嘘ではありませんよ」
今度こそクラス中が喜んでいる中、しかしオレは全く逆の感情を燻らせていた。
……そして、それが爆発した。
「――おい! 次回やる、っつってただろうが! どういうことだよ!」
オレは思わず、大きな音を立てて机を叩き立ち上がった。
確かに前回の授業で話していた。『次の授業のテストで合格点』と。その為にオレは、珍しく勉強までしたっていうのに!
「テストをするかしないかは、私の自由ですよ。それとも……」先生は悪い企みが見え見えの表情を作る。「富田君にだけ、特別にテストを受けさせてあげましょうか?」
ふざけんな! そう口から出る直前に、左側から椅子が暴れる音がした。
「先生! それはどうかと思います!」
そう訴える志嶋に、松井先生の生暖かい視線がスライドする。
「どうしましたか? 志嶋さん」
「富田君にだけテストをさせるなんて、おかしいじゃないですか!」
それを聞いた先生は、まるで分かってない、とでも言いたげな溜め息をつく。
「彼はテストが無いことに腹を立てたのですよ? つまり、テストが無くて残念、テストがしたかった、と。……従って、彼にテストを課してあげれば彼は満足する。おかしな点はありませんよ」
その口調は、まるで癇癪を起こした子供を優しく諭すかのようなもの。しかしそれを聞いた誰もが、人を小馬鹿にした屁理屈にしか聞こえなかった。
「――先生、おかしな点ならありますよ」オレの後ろ、学級委員のタカがはっきり言い切った。「富田は今、一言も『テストがしたかった』などと言っていません。それなのに一人だけにテストを受けさせるなんて、不公平です」
タカは敬語を使う時に限り、英語が混じらなくなる。……よく分からない。
その正論に対し、先生は眉をひきつらせ、少し考え込んでから皆に告げた。
「……不公平ですか。なら……テストは全員で受けることにしましょう。それなら問題ありませんね」
全員、という単語に、再びクラス中がざわめき出す。その慌てる様子を見て、勝ち誇ったように笑みを漏らす松井先生。
だけど、オレは先生の矛盾に気付いていた。志嶋もタカも、同じことが分かっているようだった。
「先生、まさか嘘を付くつもりなんですか?」
高慢な表情が露骨に歪んだ。タカの反論に続いて、志嶋とオレも畳み掛ける。
「先生、最初に『テストはしない、嘘は付かない』って言いましたよね?」
「今更約束を取り消すなんて、誰も許さないからな」
そーだそーだ! と皆も抗議した。それらに気圧された先生は、口を動かすも声は出ず、何秒も視線をあちこちに漂わせる。しかし打開策は出ず、肩を落としチョークを手に取り、背を向けた。
「……授業を、始めます……」
その悔しげに震える声を聞き、全員で先生に隠れてガッツポーズを取った。
今日の全課程を乗り切り、ようやく学校から解放された。今教室に残っているのは、学級委員としての仕事をしているタカと、オレと志嶋の三人だけだ。
「わざわざミーのことをウェイトしなくてもいいのに……」
困惑するタカに、志嶋は笑って答える。
「村崎、いつも仕事頑張ってるんだから。最後に一人で帰るなんて寂しいでしょ?」
「あ、ああ……サンキュー、志嶋」
「それにさ、村崎がいなかったら、富田も私も皆も、松井先生のテストをさせられてたはずだよ」
「おう、タカのおかげで助かったぜ」
するとタカは、感謝されることに慣れていないかのように顔を赤らめた。
「おれは……先に志嶋が言ってたから続けられたのさ。リアリーに感謝すべきは志嶋だよ」
「そっか。ありがとな、志嶋」
突然話を振られて驚いた志嶋は、見て分かるほどに体を強張らせる。
「えっ!? あ、その……うん」
そうしている内に、タカは作業を終わらせて鞄を背負った。
「オーケー、帰ろうか」
三人で昇降口に向かい、外に出たときだ。自分のズボンのポケットが、異様に膨らんでいることに気が付いた。
「お、忘れてた。志嶋!」
首を傾げて「何?」と聞き返す志嶋に、オレは今朝拾ったハンカチを差し出した。
「これ、私の……どうして?」
「朝拾ったんだよ。道で」
志嶋は心底ほっとしたように、顔を綻ばせる。そしてオレを見つめ、口を――とその瞬間。
「――そうだ、タカっ!」オレは大事なことを思い出して、タカを呼んだ。「今日、お前ん家に行っていいか!?」
「オフコース」まるで悪戯っ子のような笑みだった。「このまま秀哉は、トゥデイが何の日かフォーゲットしたままなのかと思ったよ」
「オレがこんな大事な日を忘れる訳ねぇだろ! 何か月も待ったんだからな!」
「それもそうだね。今頃、ミーの家にはザットが……!」
「くぅぅ、わくわくするよな!」
「え? どういうこと?」
オレ達の異様な盛り上がりの理由が分かっていない志嶋。それもそうだ。だって、
「志嶋には関係ないし」
「……何それ。ねぇ教えてよ」
「言ってもどうせ理解してくれねぇもん。だから話すだけ無駄だっつの」
タカと意気投合した小学生の頃、同級生から変だとバカにされて以来、他人には一切口外していない、二人だけの秘密の趣味だ。
だから、これ以上訊ねてほしくない。そうすると、より強く拒絶しないといけなくなるから。
それなのに、志嶋は語調を強めて三度迫ってきた。
「別に聞いたっていいでしょ? 何で隠そうとするの?」
「教えねぇっつってるだろ! いい加減諦めろよ!」
「だって気になるんだもん!」
「お前なぁ――んな小っせぇこと、いちいち気にすんじゃねぇよ!」
……言ってしまってから、オレは自分の失言に気が付いた。つい言い返してしまった。最悪の禁句で。
反論は無かった。言葉の応酬が途切れたせいで、途端に空気が重くなる。時が凍りついたかのように、誰も動かない。
その沈黙を破ったのは、オレの悲鳴だった。
「――うぐぉぉぉぉぉぉっ!」
志嶋の、左足を軸にした見事な回し蹴り。その弧は的確にオレの向こう脛を捉え、樹を棒で思い切り叩いたような鈍い音を響かせる。今朝のものなど比較にならないくらいの威力だ。
「お、おい志嶋!」
タカが呼び止める。痛みで俯いているオレには見えないが足音と言葉から察するに、志嶋は今この場から走り去ろうとしているらしい。
オレが顔を上げたときには、既にここに志嶋の姿はなかった。
それから十数分後、オレはタカの家に来ていた。
道中は、ほとんど会話をしなかった。しかし、タカはびっこを引くオレの歩調に合わせて歩いてくれていた。
でも、今はそんなことはどうでもいい。
「……遂にこの時が来たな……!」
オレは目の前に置かれた、ネット通販の段ボールをじっと見つめる。この中にオレ達が長い間待ち望んだアレが入っていると思うと、心臓がバクバクと高鳴りだした。タカも緊張の面持ちで鋏を掲げている。
「レッツ……」
一度深呼吸をし、それからタカは梱包を解き始める。ガムテープが鉄の刃に裂かれていくのを、オレは固唾を飲んで見守る。
永遠のように感じた時間の後、封印は完全に解かれた。タカによって中から取り出されて現れる、オレ達の至宝。
「おぉぉ……!」
「これが――機巧戦士ギルディーン!」
黄金に輝くボディ、携える白銀色の勇者の剣。無駄のない流線型のフォルム、戦士の象徴である巨大な角の付いた兜。百六十分の一スケールで緻密に再現された、ギルディーンのフィギュアだ。
「すっげぇぇっ! 本物みてぇ!」
「ソーグレート……待った甲斐があったよ」
これは、機巧戦士ギルディーンという、三十年以上前に一世を風靡したロボットアニメの主役機体、その復刻版フィギュアだ。これを予約したのは、もう四か月も前になる。
今となってはその名前を知る者はごく少数。だがオレもタカも、その少数の一人だった。小学生の時にお互いにそのことを知ってからは、ギルディーンの話で盛り上がる毎日を過ごした。
そんなある日クラスメートから『そんな昔のアニメ好きなの? ダッセー!』と言われて以来、ギルディーンに関わる全ての事柄は、二人だけの秘密とした。今思えばアホらしい理由だ。
それでもオレ達のギルディーン好きの炎は燃え続け、結果こうしてフィギュアを買った――というのが現在の話。
「マジでかっこいいな、タカ!」
「インビジブルの機巧戦士がかっこいいのは当然さ!」
それから二人で、タカのコレクションを並べて遊んだり、学校ではできないギルディーンの話をした。
そうして夢中になっていると、いつの間にか窓の外が暗くなっていた。タカに別れを告げ、オレは家に帰る。
電灯の下を歩く足取りは、ギルディーンの満足感のおかげか普段より軽く感じた。だけど……何かが心に引っ掛かっている。
一体、何だったっけ……?
まあどうせ、明日になったら思い出すだろ。
「そうだ、あれだ……」
それは翌朝の、登校中の道の上で。昨日同様、前方にあいつの背中が見えたとき、ようやく引っ掛かりの正体が分かった。昨日の志嶋との、あの喧嘩ともいえない小さな言い争い。
自分に非があると分かっているからこそ、変な罪の意識を感じてしまう。だからといって簡単に謝っても良いものなのだろうか……?
結局オレは、その時志嶋を呼び止めることはしなかった。そんなことをしても、気まずくなるだけだと思ったから。
でも。志嶋の席はオレの隣。……今日は別の意味で、溜め息が出た。
教室に着いたら、志嶋と目が合う。水を飲もうと席を立つと、同時に隣も立ち上がる。今週に限って給食当番、今日に限って志嶋の隣の食缶担当。掃除用具入れの残り一本のホウキを同時に狙う。
何でこんなにも志嶋と関わるんだ。その度に、二人の間に妙に気まずい雰囲気が入り込む。
そんな一日だった。
思えば今日、これだけすれ違っているというのに、一度も志嶋と会話をしていない。どうにかしてくれよ、空気が重すぎて耐えられない……。
それはきっと、志嶋も同じだ。
あいつも、ずっと落ち着かない様子だったから。怒っているでも喜んでいるでもない、いつもの調子が出ないというような物凄く居心地の悪そうな顔。
もしかして、このまま一年を過ごすことになるのだろうか。席が変わったとしても、この一年は根本的に離れることにはならない。
こんな気分の悪い関係のまま。あんな些細な一言のせいで。
……嫌だ。何故か、オレは心の底からそう思った。でも、どうしようもない。オレはさっさと家に帰ろうと教室を出――
「――行ってこいよ」
「うお!?」
いきなり、後ろからタカがそう話しかけてきた。それがあまりに突然で、思わず大声が出てしまう。
振り向いたオレに、タカは真剣な表情でもう一度繰り返した。
「行ってきな。志嶋の所」
「……なんだよ、オレは別に……」
「ダウトだね」気持ちいいくらいに即否定。「今日のユーの様子はいつもとまるで違った。リーズンはすぐ分かるよ」
完全にバレている。昨日タカの家に居たときには、まだ忘れたままだったのに。
「どうせ、イエスタデイのあのやりとりだろう? ユーがずっと思い詰めてるのは」
「……オレ、どうしたらいいんだ?」バレていると知った途端、何故か口に出していた。「分かってたのに、またあいつに言っちまった……」
あれは志嶋の体に対して言ったんじゃない。どうしてもギルディーンのことを聞かれたくなかったから、これ以上聞くなという意味で言った言葉だ。
でも、志嶋にとっては意味など関係ない。大きいだの小さいだのといった単語自体が禁句なのだから。
オレ達のギルディーンとも似たトラウマ。そのことを、オレはずっと知っていたのに。
「後悔、してるのか?」
オレは少し考え、頷く。……タカに言われてやっと気付いた。このもやもやする気持ちの正体は、『後悔』だったということに。
するとタカは、笑みを作ってオレの肩に優しく手を置いた。
「なら、もうすることは分かるだろ? メイビー、志嶋も同じ風に思ってるさ」
「……ありがとな、タカ」
おかげで、気持ちの整理が付けられた。
「ユアウェルカム。――さ、志嶋は少し前に帰っていたぞ?」
「分かった、また明日っ!」
返事を一言残して、オレは走った。階段を駆け下りて、昇降口を飛び出して、家への道を全力疾走。息も絶え絶えに、それでも志嶋に追いつくため、走る。
そして。
「――志嶋っ!」
交差点の向こう、ようやく見えたその背中に向けて、オレは叫んだ。
「富、田……?」
志嶋の家はもうすぐそこという、まさにデッドライン寸前であった。
オレを見上げる志嶋の顔は、困惑と疑問に満ちていた。なぜ今呼び止められたのか、分かっていないのだろう。
だからオレは開口一番、
「――ごめん! 昨日はまたあんなこと言って……本当にごめんっ!」
謝った。こんなに本気になったのは初めてかもしれないオレの、心からの謝罪。
しばらく、志嶋は何も言わなかった。時折何かを考えるように俯いたり、視線を逸らしたりしていたが、ようやく口を開く。
「……私も、ごめん」頭を下げ、その後に上目遣いでオレを見た。「私が無理に二人の秘密を聞き出そうとしたから……」
「志嶋……」
合わせる顔がないと言わんばかりに、視線を落とす志嶋。
「それに、いつも足蹴っちゃって……。本当に謝るのは私の方だよ」
「そうじゃねぇ。オレが、うっかり言っちまうのが悪いんだ」
少なくとも、それは志嶋の責任じゃない。その点はオレも自業自得だと思ってるから、一度も志嶋のことを怒ったり恨んだりはしていない。
なのに、志嶋は自責の念にかられたように一層下を向き縮こまる。
「違うよ、私が……身長にコンプレックスがあること自体が悪いんだよ」
「――何言ってんだ。小さくたって、志嶋は志嶋だろ?」
深く考えることもなくそう言った途端、志嶋は弾かれたように首を上げ、オレを見つめた。その眼は涙に潤んでいる。まさか、オレのせい?
蹴られたときの痛みがフラッシュバックして、一瞬身がすくんだ。しかし、いつまで経っても回し蹴りは来なかった。
代わりに、志嶋が小さく口を開く。
「……やっぱ、変わってないね。昔から」
「は? オレがか?」
まさか。オレが幼稚園児と同格とでも?
どういう意味か聞き返そうとしたその前に、「ねえ」と尋ねられた。
「覚えてない? さっきのとほとんど同じ言葉、幼稚園の頃にも言われたんだよ?」
さっきの……『小さくても志嶋は志嶋』、それを昔のオレが?
過去の記憶を探ると、探し物は意外とすぐに見つかった。
当時、志嶋の身長は同学年の誰よりも高かった。そんな志嶋を、生意気な奴らが『デカ女』などと呼んでバカにしていたときのことだ。日曜朝の某ヒーローに感化されていたオレは、友達のピンチに颯爽と駆けつけ叫んだ。『お前らやめろ! おっきくたって、小春は小春だろ!』と。
「ああ、思い出した……」
完全なオレの黒歴史だった。これはあまりに恥ずかしい……。
「私、ずっと気にしてた。あの時、お礼を言えなかったこと」
そう。件の時、実は志嶋から礼はもらっていない。言われる前に立ち去ったから。当たり前のことをしたまで、といった体で無言で姿を消すヒーローがカッコよくて、その真似事をしたのだった。
顔を赤くしたオレに、志嶋は真剣な表情をして切り出す。
「それにね。私、そのこと以外にもたくさん、お礼を言いそびれてるんだ。だから……言わせて」
その大きな瞳から、視線が離せない。
志嶋は深呼吸をし、そして言った。
「秀哉――ありがと」
それは、七年越しの感謝の言葉。
これまで、志嶋がオレに対して溜め込んできた全ての気持ちだった。それは、オレの心にしっかりと届いた。
でもオレはそれ以上に、『秀哉』と呼ばれたことが気になった。
幼稚園児の頃は、誰しも名字ではなく名前で呼び合っていた。当然、オレと志嶋も。
……七年ぶりに名前で呼ばれた仕返しだ。オレも久々に呼んでやるか。
「どういたしまして、小春」
読んでくださってありがとうございました
感想、批評等ございましたらどんなものでも構いませんのでいただけると嬉しいです
また、下記のブログでネタバレを含むこの作品の解説を行っています
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