静か系彼女の恋模様
時計の針が夜十一時きっかりを指す。
ピピピピッ――
ほぼ同時に俺のケータイのブザーが鳴った。
俺は課題をしていた手を止めて、机の上に置いていたケータイに手を伸ばす。
このブザーは俺がタイマーをセットした訳ではない。メールの受信した際に鳴るブザーなのだ。だから俺のケータイにはメールが来ているはずである。
俺はパカッと軽快な音を立てて、ケータイを開く。
【受信メール 一件】
やっぱり、メールだった。
まだ内容は読んでいないが、送り主が誰なのかは分かっている。
器用にボタンを動かし、メールを開くと、
『おやすみ』
たった四文字が瞳に映った。
いつものことながら同じ文字で、しかも素っ気ない。
俺は苦笑しながら、同じようにおやすみと書いて返信をした。
メールは付き合って三ヶ月以上も立つ俺の彼女からだ。俺たちのルールで夜の十一時くらいにお互いおやすみメールを送ろう、と決めている。時間なんて曖昧でいいのに、それでも彼女は十一時きっかりにメールをくれる。だから俺はいつもその時間になるとそわそわとしてしまう。
彼女は風乃といい、無口無表情がいつものこと。高校に入って俺が一目惚れをして、そしてまぁいろいろなことがあり、無事つきあうことになったのだ。
だがしかし、俺たちは付き合っているにもかかわらず、何も進展がない。キスもなければ、手も繋がないし、甘い言葉を囁くなんてのも遙か彼方だ。今まで通りの、まるで友だち同士の関係が続いている。そりゃ別にこのままでも幸せだが、しかし不安も少なからずあった。彼女は俺に何も言わない。俺が話しかけ、「うん」や「そう」と返すことで会話が成り立っているといっても過言ではない。それくらいにまずは、会話自体がないのだ。
俺が不安に思うこと、それは彼女がほんとうに俺のことを好きなのだろうかということだった。最初は小さな思いだったが、長く一緒に居るとその不安は増大をする。笑顔もあまり見せないし、嬉しそうな態度も見たことがない。好きではないけど、俺を不憫に思って仕方なくつきあっているのかも……。そんな不安がいつも頭を苛ます。
だが不安をかき消すようにそんな考えは頭から振り払って、俺はケータイを閉じ、頭を整理して課題に取りかかるのであった。
いつもの放課後、帰り道でのこと。
これまたいつもの如く彼女と帰宅を共にしていた。俺が彼女を家まで送り届ける、というのが半ば日課となりつつある。距離も近くて、ちょっとでも手を伸ばせば届くのに、俺はそれをしない。自分たちの足音だけが、周りを包んでいた。俺も彼女も口を開かない。俺はちらりと横目で見るが、彼女は何を考えているのか全く分からない無表情で下を向いていた。
「………。」
しばらく歩くと、見慣れた大きな一軒家が現れる。洋風で大きな庭のあるここが彼女の家だった。
もう着いてしまった。今日も何も進展はない。何も変わらない。いつもと同じ日々が続いていく。
「じゃあ、またね」
彼女は俺を見て、くるりと背を向け歩き出す。
その姿を、何故か俺は呼び止めないといけない気がした。
「――風乃!」
呼ぶと風乃はぴたりと歩みを止める。振り返った顔には不思議そうな表情があった。どうしよう…。呼び止めたが、何を言うかは考えていない。焦り俺は唾を呑む。
「なに?」
何も言わない俺を見て、風乃は首を傾げる。夕日に照らされオレンジ色を長い黒髪に纏い、顔にも憂いのオレンジで彩られる。
俺は数秒の時間をかけてから、やっと言葉を発す勇気を得た。
「あ、あのさ…」
「?」
バッ、と顔を上げまっすぐに風乃を見つめる。
「お前って俺のこと、どう思ってるんだ?」
そして言いたかったことを、やっと尋ねることが出来た。俺の問いを受け、風乃は目を丸くする。だがそれも一瞬のことで次にはいつもの無表情に戻った。風乃は口を開こうとして閉じる。開こうとして、閉じる。そんな行動を繰り返してから、口を開いた。
「思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせばさめざらましを」
突然言葉の羅列が紡がれる。
何のことか訳が分からず、俺は固まった。しかし風乃はそれを気にする風もなく、言葉を続ける。
「小野小町の和歌。私の好きな話なの」
茫然自若となっている俺を置いて、彼女はふっと頬を緩める。
「…じゃあ、今度こそまたね」
そして次には踵を返し、家へと入っていった。ひゅるりーと虚しい風が吹く。俺は数分間、そこから動けなかった。
家に帰り鞄もベッドに放り投げて、床に寝転がる。俺の頭には、風乃の言葉と微笑みが浮かんで離れないでいた。頭がもやもやしてくる。
「……あー、ったく。どうすりゃいいんだよ」
軽く頭を掻き毟る。意味が分からなかった。俺が尋ねたことと、関係ないことで返事をされてしまった。
……なんだよ、やっぱり俺の事なんてどうでもいいと思ってるのか?
俺は次第に募る苛立ちで、拳を強く握る。悔しいとか哀しいとかもうそんなのは関係なかった。どうしようもない失望感と、先の見えない絶望感で足下が歪み始めているような錯覚を感じた。
しかし苛立ちと同時に、どうしても風乃が言っていた言葉が引っかかる。
小野小町、とか言ったかな……。
どうせすることなんてない。俺は立ち上がり、パソコンを立ち上げる。検索をして、風乃が言っていた言葉ってこれだったかなと記憶を掘り起こし、気になるページをクリックする。そこには確かに同じ言葉と注釈が書かれていた。
文字を目で追い、読んでいて途中で息を呑む。言葉が自分にスッと自然と入っていったのを感じた。そして、俺は今まで苛立っていたことなんか忘れたかのように、顔を少し赤らめて、笑うのだった。
パソコンにはこう書かれていた。
『恋しく思いながら寝入ったので、その人が現れたのだろうか。夢だと知っていたら、目覚めたくはなかったのに。』
これが、風乃が好きと言った和歌の意味だった。これこそが言葉の中に隠れていた、風乃の気持ちだった。
「……不器用すぎるだろ」
嬉しいのに、照れていて顔だって赤いのに、出てくるのは素直じゃない言葉で。顔はもう頬が緩んで締まりのない表情をしていることだろう。
どんな気持ちで風乃はこれを言葉にしたのだろう。
どんな想いでこの歌を見ていたのだろう。
無表情だったのかも知れなかったが、それでも俺は照れて顔が朱に染まる風乃のように思われて。
愛しい気持ちが増すのを感じた。
夜の十一時。針が時間ぴったりを指す。
ピピピピッ―――
いつものように俺のケータイが鳴り、メールの受信を告げる。
ケータイを開くと無機質な機械の文字。ボタンを操作し、メールを開く。
『おやすみ』
見慣れたこの四文字が、今日は何故か心温かく感じた。