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もしも異能がディスクロージャーされたら?  作者: パラレル・ゲーマー


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13/29

第13話 元世界王者、実はまだ現役だった件

 二〇二六年十月三十一日、土曜日。午前七時五分(日本時間)。

 週末の朝を迎えた日本列島は、昨日までの「国内に異能者が三百四十二万人(三十六人に一人)存在する」という衝撃に続き、未明の午前三時過ぎに地球の裏側――アメリカ合衆国のニューヨークから飛び込んできた、さらなる超弩級のニュースによって朝から蜂の巣を突いたような大騒ぎになっていた。


 テレビをつければ、NHKから民放各局に至るまで、土曜朝の旅番組や情報バラエティはすべて緊急報道特番へと差し替えられている。

 画面の中で繰り返し再生されているのは、数時間前のマンハッタン上空で撮影された、あまりにも非現実的なハイビジョン映像だった。

 高層ビル群のすぐ上を旋回する、全長四十五メートルの黒鉄の鱗を持った巨大なドラゴン。そして、その真正面の虚空に灰色のフード付きパーカー姿で浮かび上がり、空を埋め尽くす百七十八枚もの黄金と白銀の「魔法陣」を展開してドラゴンのブレスを鏡のように跳ね返し、わずか十分で撃破してみせた謎の青年の姿。


『――ご覧いただいておりますのは、日本時間の本日未明、米ニューヨークのマンハッタン上空で各局の報道ヘリが撮影した映像です。ホワイトハウスは緊急声明において、現場で対処にあたったのは国土安全保障省の特殊部門「MAJESTIC-12」の協力実働者であると発表しました。なお、このあと日本時間の午前九時より、ウォーレン米大統領が全米に向けて緊急演説を行う予定となっております』


 スタジオの大型モニターの前で、目の下にクマを作った司会者が、コメンテーター席に座る科学ジャーナリストや元官僚の識者たちへとマイクを向けた。

『昨日、日本政府から「国内の異能者は約三百四十二万人、三十六人に一人」という発表があったばかりですが……先生、日本の三百四十二万人の能力者の方々の中にも、このニューヨークの青年のように空中に魔法陣を何百枚も出して怪物を倒せるような方がいらっしゃるのでしょうか?』


 問われた専門家は、困り果てたようにハンカチで額の汗を拭った。

『……いえ、そもそも日本政府は昨日の会見におきましても、能力者の具体的なランク分けや、どのような種類の能力が存在するのかという詳細を一切公表しておりませんので、私ども外部の人間には判断のしようがないというのが正直なところです』

『つまり、分からない、と?』

『はい。ただ、官房長官が「大多数は日常生活の中で能力を適切に管理して暮らしている」と説明していたことから考えましても、このニューヨークの映像に映っている人物のような規格外の力が一般的であるとは考えにくいのですが……』


 そう歯切れ悪く答えた専門家の横で、再びモニターにドラゴンの極太ブレスが白銀の魔法陣で百八十度跳ね返される決定的な瞬間が映し出される。

 スタジオの出演者全員が、何度目になるか分からない溜息とともに言葉を失った。

『……いやあ、しかし、こうして改めて映像で見ましても、もう何が何だか……本当にすごい時代になったとしか言いようがありませんね』


 三日前の夜に異能の実在が公認され、昨日の夕方に「三十六人に一人」という身近な数字が提示された。

 だが、一般の国民がこれまでに映像として目撃した「異能」の具体例といえば、水曜日に渋谷の空でビルを破壊した男女の空中戦と、今朝のニューヨークの空を覆い尽くした大魔法戦の二つだけだった。

 どちらもあまりにも別次元の現象すぎて、一般の人々には「自分の隣の席にいるかもしれない三十六人に一人の能力者が、実際にどれくらいの力を持っていて、普段どんな風に生きているのか」を想像する手がかりすら掴めていなかったのである。


 そんな土曜日の朝七時三十分。東京都内、湾岸エリアにもほど近い見晴らしのいいマンションのリビングで、一人の青年がテレビに映るニューヨークの魔法使いの映像を眺めながら、山盛りのスクランブルエッグと鶏胸肉のサラダ、そしてプロテインシェイクの朝食をとっていた。


 青年の名は、橘(たちばな) 迅(じん)。二十七歳。

 鍛え抜かれたしなやかな筋肉をTシャツの下に収め、少し茶色がかった短髪を無造作に遊ばせた、爽やかな目元が印象的な男だった。

 彼の名を聞いて反応しないスポーツファンは、この日本にはほとんどいない。

 わずか二年前――二十五歳の時、プロボクシングの世界バンタム級およびスーパーバンタム級の二階級で世界王座を統一し、二十四戦二十四勝(二十一KO)無敗という完璧な戦績を誇りながら、最後の王座統一戦の翌週に突如として「一身上の都合」で現役引退を発表した、日本ボクシング界の元スーパースターである。


 怪我もスキャンダルもない絶頂期での突然の引退は、当時ワイドショーでも連日取り上げられ、今なおスポーツ誌で「もし橘迅が現役を続けていたら」という特集が組まれるほど惜しまれていた。

 だが、当の橘本人は、テレビの中で報道ヘリに向かって『ばいばーい!』と手を振って消える灰色パーカーの魔法使いを見て、フォークを片手に楽しそうに笑っていた。


「あははっ、すっげえなあ、アメリカのトップ層は! 空に魔法陣を百七十八枚かよ、あんなのに遠距離から撃ちまくられたら、インファイターの俺なんか近づく前に蜂の巣だな」


 橘はプロテインを一気に飲み干すと、テーブルの上のスマートフォンを手に取った。

 彼もまた、昨日の夕方に官房長官が発表した「三百四十二万人」のうちの一人――登録済みの異能者だった。

 そして、彼が二十五歳で無敗のまま表のプロボクシング界から姿を消した本当の理由も、まさにそこにあった。


 二年前、ラスベガスで最後の王座統一戦を終え、帰国の準備を進めていた頃のことだ。橘は突然、『身体能力強化』と『視力強化』の異能に覚醒した。世界王者として磨き上げた肉体に、本人にも説明のつかない新しい力が加わったのだ。

 八咫烏の記録上、彼の階位はTier4。だが、それは格闘家としての実力を示す数字ではない。身体能力強化によって筋力とスピードは常人の数倍になり、視力強化によって相手のパンチが止まって見えるほどの動体視力を得た。

 ほどなく政府の専門機関(八咫烏)の担当官が接触し、登録手続きとともに能力者向けの競技世界が存在することを教えられた。何も知らない対戦相手と秘密を抱えたまま表のリングに上がり続けるのは違う。それに、異能を正面から使って挑める強豪たちがいるという話は、世界王者になってもなお拳闘を愛する橘にとって、抗いがたいほど魅力的だった。

 だから彼は、誰にも本当の理由を言えないまま、大好きだった表のベルトをすべて返上してリングを降りたのだ。


 ――ただし、彼は「格闘技そのもの」を引退したわけではなかった。


「……なあ、考えてみたらさ」

 橘はスマートフォンの画面を開き、自身の公式X(旧Twitter)アカウントを表示させながら、独り言を呟いた。

 彼の公式アカウントには、引退から二年が経った現在も八十五万人以上のフォロワーがいる。普段は食べたラーメンの写真や、旅先の風景、当たり障りのない筋トレの報告くらいしか載せていなかったが、三日前からの異能公表ニュースを受けて、コメント欄には昔のファンから『橘さんが突然引退したのって、まさか36人に1人だったからですか!?』といった冗談半分のリプライがいくつも届いていた。


「総理大臣も官房長官も『異能者は実在します』『342万人います』って公式に認めたんだよな。アメリカの魔法使いなんか、生中継で顔出ししてカメラに手まで振ってるし。……だったら、俺がなんで引退したのかも、今どこで何をしてるのかも、そろそろ昔から応援してくれてたファンに言っちゃっていいんじゃないか?」


 三日前に八咫烏から届いた通達では、当面は一般社会への自己開示も不用意な能力実演も控えるよう求められていた。しかし昨夜、登録者向けの暫定ガイドラインが改定され、本人の意思によるカミングアウトと、安全を確保した場所での自分自身の能力実演は、他者の秘密や機密事項を侵害しない範囲で認められるようになっていた。非公開の興行を勝手に一般公開することは依然として別問題だが、橘は「じゃあ、俺自身の近況報告くらいはいいよな!」と気楽に考えた。


 橘は親指を動かし、スマホの画面にスラスラと文章を打ち込んでいった。

 そして午前七時三十四分。何の気なしに『ポストする』の青いボタンをタップした。


――――――――――――――――――――

橘 迅 / Jin Tachibana ✓ (@Jin_Tachibana)

そろそろ言ってもいいかなと思うので、カミングアウトします。

俺、能力者です。


25歳でプロボクシングを引退したのも、最後の世界戦が終わった後に異能に目覚めたからです。秘密を抱えたまま普通のリングで戦い続けるのも違うなと思って、ベルトを返上しました。


ただ、引退したのは「表のリング」だけです。

実は今でも、能力者向けのプロ格闘技リーグで現役選手としてバリバリ試合してますw


ちなみに残念ながらチャンピオンではありません。

向こうのリングには、俺より強い選手がゴロゴロいるんですよ。


今の環境には本当に満足してます。ファイトマネーとかの待遇もめちゃくちゃいいし、何より異能ありで全力で殴り合える試合が最高に面白い。

でも、せっかく能力者の存在が公表されたんだし、そろそろ一般の皆さんにも俺たちの試合を見てほしいんですよね。


というわけで、関係者の皆さん。

一般公開のエキシビションマッチ、誰か組みませんか?

対戦相手も募集中です!w

(2026年10月31日 07:34 / 3.2万 リポスト・14.8万 いいね ※5分後)

――――――――――――――――――――


 投稿を終えた橘は、スマホをテーブルの上にパタリと置き、「よし、皿洗ってジム行く準備するか」と立ち上がってシンクへと向かった。

 彼にとっては、長年嘘をついているようで心苦しかった昔のファンへの、ちょっとした種明かしとファンサービスのつもりだった。


 だが、スポンジに洗剤をつけて皿を洗い始めた直後。

 ダイニングテーブルの上に置いたスマートフォンが、ブブブブブブブッ!! と、まるで生き物のように激しく振動してテーブルの端まで勝手に滑り始めた。

 通知音が連続しすぎて、もはや一つの繋がった電子音(ピーッという連続音)に変わっている。


「……あれ?」

 橘は泡のついた手をタオルで拭き、不思議そうにスマホを拾い上げた。

 画面を見た瞬間、彼の目が丸くなった。

 投稿してからまだ三分しか経っていないのに、インプレッション(表示回数)がすでに三百万を超え、リポストといいねの数字がスロットマシンのリールのように猛烈な速度で回転し続けていたのである。


「……え、ちょっと待って。なんか想像の十倍くらい伸びてないかこれ!?」


*

【5ちゃんねる:ニュース速報+ & 芸スポ速報+】

(2026年10月31日[土] 07:38)


スレタイ:【超速報】無敗の元ボクシング世界王者・橘迅(27)、異能者だったと公式Xでカミングアウト!!「今も能力者プロリーグで現役」 ★1


1 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 07:38:05.00 ID:Boxing_Shock

たった今、2年前に24戦無敗のまま電撃引退した元ボクシング世界統一王者・橘迅が公式X(フォロワー85万人)を更新。

・自分が異能者(342万人の1人)であることを公表

・25歳での電撃引退の理由は「最後の世界戦の直後に異能に覚醒したため」

・現在は「能力者向けのプロ格闘技リーグ」で現役選手として試合をしていると暴露

・一般公開のエキシビションマッチ開催を呼びかけ


ソース(本人公式X):[リンク]

※認証バッジ付きの本物アカウント、乗っ取りの形跡なし。


12 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 07:38:28.19 ID:What_The_Hell

は?????


25 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 07:38:45.44 ID:Jin_Fan_01

橘迅!? あのボクシングの橘迅かよ!?

日本のスポーツ史上でもトップクラスの天才って言われながら、25歳で突然理由も言わずにスパッと引退したあの橘迅が!?


48 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 07:39:12.88 ID:Reason_Found

引退理由が「異能への覚醒」だったのかよ……!

当時、網膜剥離を隠してる説とか、ジムの会長との金銭トラブル説とか、週刊誌で散々いろんな憶測が書かれてたのに、本当は「超能力に目覚めちゃって一般人と殴り合うとフェアじゃないから」って理由で無敗のままベルト返上してたのか!! カッコよすぎるだろ!!


76 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 07:39:40.10 ID:Wait_Wait_Sec

おい、引退理由にもたまげたけど、その後の文章がさらにおかしいぞ!

『実は今でも、能力者向けのプロ格闘技リーグで現役選手としてバリバリ試合してますw』

……はあああああああ!? なんだよ「能力者向けのプロ格闘技リーグ」って!?


109 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 07:40:15.33 ID:Secret_League

俺たち一般人が全く知らないところで、異能者同士が超能力を使って殴り合う「裏のプロ格闘技興行」が存在してたってことかよ!?

しかも「ファイトマネーとかの待遇もめちゃくちゃいい」って書いてあるぞ! ラスベガスで何億も稼いでた元世界王者が「待遇がいい」って言うんだから、アングラな地下闘技場じゃなくて、相当デカい規模のプロスポーツ団体が裏社会にあるんじゃねえか!!


145 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 07:40:52.67 ID:Read_Line_4

いや、お前らそこじゃねえだろ!!

この投稿の中で一番ヤバい一文は、真ん中のこの2行だぞ!

『ちなみに残念ながらチャンピオンではありません。向こうのリングには、俺より強い選手がゴロゴロいるんですよ』


178 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 07:41:18.04 ID:Silence_All

…………。


195 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 07:41:32.90 ID:Brain_Bug

は?????

ちょっと待て、橘迅って、普通の人間だった頃に世界の強豪を全員KOして24戦無敗で2階級制覇した人類最強クラスのボクサーだぞ?

その橘迅が「さらに異能に覚醒してパワーアップした状態」で戦ってるのに、その裏リーグじゃチャンピオンですらなくて、「俺より強い奴がゴロゴロいる」だと……!?


234 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 07:42:10.12 ID:Monster_League

異能格闘技界のレベルどうなってんだよwwwww

無敗の世界王者+異能のハイブリッドが「中堅〜上位ランカー止まり」って、そのリーグのチャンピオンは一体どんな化け物なんだよ!?


272 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 07:42:45.55 ID:Want_To_Watch

おい、そんなの聞かされたら、めちゃくちゃ見たいに決まってるだろその試合!!!

エキシビションマッチ!? 組め! 今すぐ東京ドームかさいたまスーパーアリーナ借りて組んでくれ! PPV(ペイ・パー・ビュー)でも1万円払って絶対買うわ!!


310 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 07:43:20.19 ID:Pure_Champ

ていうか、ボクシングファンとして一つだけものすごくホッとしたことがある。

「最後の世界戦が終わった後に異能に目覚めた」ってことは、あいつが表のリングで24連勝して世界チャンピオンになった時までは、異能の力なんか一切使ってない「100%純粋な生身のボクシング技術と努力」だけで世界を獲ってたってことだよな。

昨日の夜、ネットで「有名なスポーツ選手は最初から異能を使ってズルしてたんじゃないか」って疑う声があったから、本人がそこをハッキリさせてくれたのは本当に嬉しいし、引退してからも大好きな格闘技を続けて笑ってたって知って泣きそうだわ。


355 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 07:44:05.80 ID:Close_To_Us

しかもさ、今日の朝はずっとニューヨークのドラゴンと魔法使いのニュースばっかりで、「異能者ってのは空に魔法陣を178枚出して怪獣を消す神様みたいな連中なんだ」って現実感が麻痺してたけど、こうして俺たちが昔からテレビで見て知ってる橘迅が「俺も能力者です、プロリーグで試合してます!」って出てきてくれたおかげで、急に「ああ、本当に342万人がこの社会の中でいろんな仕事をして生きてるんだな」って実感湧いてきたぞ!


398 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 07:44:48.12 ID:Show_Us_Power

ただ、橘はまだ自分が「どんな異能」に目覚めたのか書いてないんだよな!

手から炎のパンチが出るのか、瞬間移動するのか、それとも単純にパワーとスピードが上がるのか!?

おい誰か、橘のリプライ欄で「どんな能力なのか見せてくれ!」って聞いてこい!!


【橘迅の自宅マンション(07時47分)】


「……うわあ、リプライがもう二万件超えてるぞ」

 スポーツバッグを肩にかけた橘は、玄関先でスマートフォンの画面をスクロールしながら目を丸くしていた。

 画面には、昔のボクシングファンからの『生きててよかった!』『まだ現役だったんですね!』という温かいメッセージと並んで、日本中のネット民からの『橘さん、具体的にどんな能力なんですか!?』『証拠の動画見せてください!』『異能ボクシングってかめはめ波でも撃ち合うんですか!?』という質問が、文字通り秒単位で何百件も積み上がっている。


「いやあ、昨夜の暫定通達が出るまでは八咫烏の担当官に怒られるから絶対に答えられなかった質問ばっかりだけど……ここまで『どんな能力なんだ!?』『ハッタリじゃないなら見せてくれ!』って言われたら、格闘家としては見せないわけにはいかないよなw」


 橘はニヤリと笑った。

 もちろん、自分が所属している非公開リーグ(『プロフェッショナル・異能コンバット・リーグ』、通称PCL)の他の選手の名前や、試合会場の内部映像を無断でネットに上げるわけにはいかない。そこは契約違反になるし、まだ身元を隠して戦っている選手仲間たちに迷惑がかかる。

 だが、「橘迅個人がどんな能力を持っていて、普段どれくらいの数値でトレーニングしているか」という自分自身のデータであれば、誰のプライバシーも侵害しない。

 何より、橘の能力はニューヨークの魔法使いのような複雑怪奇な魔術ではなく、『身体能力強化』と『視力強化』という、スポーツ測定器を使えば一目で凄さが伝わる極めてシンプルで分かりやすい能力だった。


「……よし。ちょうどこれから朝の測定とワークアウトだし、トレーニング動画くらいならアップしてもいいよな!」


 橘はスニーカーの靴紐をギュッと結び直すと、愛用のスポーツバッグを担いで、いつものトレーニング施設へ向かうためマンションの部屋を出た。エントランスには、事前に呼んでおいた車が待っている。


*

 午前七時五十八分。

 橘の自宅から車で十分ほどの湾岸エリアにある、一見するとただの会員制高級フィットネスクラブにしか見えない4階建てのビル。

 だがその地下二階と三階は、八咫烏の公認を受けた登録能力者専用のハイパフォーマンス・トレーニングセンターになっていた。一般のジムの器具では能力者が全力で扱うとシャフトが折れたりマシンが吹っ飛んだりするため、ここには特殊合金と油圧ダンパーを用いた高負荷対応のトレーニング機器や、超高速移動を測定するためのレーザー計測走路が完備されている。


「おはようございます、橘さん! ……って、橘さん、今朝のXの投稿、もうテレビのワイドショーの速報テロップにまで出てますよ! どうするんですかあれ!」

 地下フロアの測定ルームに入るなり、専属トレーナー兼・測定スタッフの青年――彼自身もTier4の微弱な感知能力を持つ登録者だ――が、タブレットを抱えて目を白黒させながら駆け寄ってきた。


「おう、おはよう! いやあ、なんか思ったより世間の食いつきがすごくてさw」

 橘は爽やかに笑いながらジャージの上着を脱ぎ、タンクトップとハーフパンツのトレーニングウェア姿になった。

「それでさ、SNSのみんなが『どんな能力なのか実際に見せてくれ!』ってあんまりうるさいから、今からやる朝のフィジカル測定の様子を、俺のスマホでちょっとだけ動画に撮ってXに上げてもいいかな?」

「ええっ!? 測定動画をですか!?」

「うん。もちろん、この施設の名前や場所が特定されるような看板は映さないし、他の選手やスタッフの顔も絶対に入れない。純粋に俺個人の測定数値だけ! 自分の能力を自分で披露する分には、誰にも迷惑かからないだろ?」


 スタッフの青年は、あまりの行動力に呆気にとられたように口を開けたが、昨夜更新された暫定ガイドラインと施設の撮影規定を確かめ、指定された測定区画で本人だけを映すなら問題ないと判断した。

「分かりました。じゃあ、背景に白いパーテーションを立てて、場所が分からないようにして私がカメラを回しますよ。最初はいつもの握力測定からでいいですか?」

「サンキュー! じゃあ、一発目で分かりやすいやつ、よろしく!」


 そして午前八時三分。

橘の公式Xアカウントに、一本目の短い動画がアップロードされた。


――――――――――――――――――――

橘 迅 / Jin Tachibana ✓ (@Jin_Tachibana)

能力はシンプルな『身体能力強化』と『視力強化』です。

手からビームが出たり魔法陣が出たりはしませんw

どれくらい強化されるのか言葉で説明するより、普段の測定を見てもらった方が早いかな。


というわけで、いつもの朝のトレーニング動画(その1:握力)ですw

[動画添付:0:22 / 1080p 60fps]

(2026年10月31日 08:03)

――――――――――――――――――――


 動画が再生されると、白い無地の壁の前に、黒いタンクトップ姿の橘迅がリラックスした笑顔で立っている。

 その右手には、市販のプラスチック製の握力計ではなく、分厚い削り出しのジュラルミンフレームと高圧スプリング、そしてデジタル液晶パネルが組み込まれた、明らかに特注品と分かるゴツい計測器が握られていた。


『えー、市販の百キロまでの握力計だと、全力で握った時に中のバネとセンサーがバキッと壊れちゃうことがあるんで、専用の特注計測器を使います』

 橘がカメラに向かって軽く笑い、計測器を体の横に構えて、ふっと短く息を吐く。

 特別な掛け声も、血管が浮き出るような大げさな力みもない。ただ、彼の瞳の奥に静かな集中が宿った瞬間。


 ギュギギギギッ……!!

 分厚い金属スプリングが悲鳴のような軋み音を上げ、橘の前腕の筋肉が鋼のように隆起する。

 カメラがズームしたデジタル液晶パネルの数値が、目にもとまらぬ速さで跳ね上がっていく。

『050.0 kg』……『115.4 kg』……『168.9 kg』……『204.2 kg』……。

 そしてピピッという確定音とともに画面に固定された最終数値は――


『 225.4 kg 』


『――まあ、寝起きだとこんな感じですw』

 橘が涼しい顔で計測器をテーブルに置き、ピースサインをしたところで二十二秒の動画が終了する。


【5ちゃんねる:ニュース速報+】

スレタイ:【動画】元世界王者・橘迅、異能を使ったトレーニング動画を公開!!握力『225kg』wwww ★3


1 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 08:04:15.00 ID:Grip_225

橘迅が「能力を見たい人のために」とトレーニング動画第1弾を投稿。

能力は「身体能力強化」と「視力強化」。

特注の握力計を片手で握り、寝起きで余裕の『225.4kg』を記録した模様。

[動画リンク]


8 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 08:04:32.12 ID:Unit_Error

……225?


15 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 08:04:48.45 ID:Pound_Or_Kg

おい、単位はポンド(lb)じゃなくてキログラム(kg)だよな!?


29 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 08:05:05.88 ID:Grip_225

液晶画面にハッキリ『225.4 kg』って出てるぞ!!

しかも金属のバネが「ギュギギギ」って見たことない音立てて軋んでたんだが!!


44 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 08:05:28.19 ID:Normal_Man_40

ちょっと待ってくれ、成人男性の平均握力って45kgくらいで、俺なんかこないだ健康診断で測ったら38kgしかなかったんだぞ……。

平均の5倍以上じゃねーか!!!!


68 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 08:05:55.10 ID:Gorilla_Punch

握力225kgって、もう人間じゃなくて野生のシルバーバック(ゴリラ)の領域じゃんwww

バンタム級(53.5kg)やスーパーバンタム級(55.3kg)のスリムな体格から、どうやってゴリラと同じ出力が出るんだよ!!


95 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 08:06:22.33 ID:Scary_Handshake

いやゴリラにも個体差はあるだろうけど、こんな奴にファンサービスで「握手してください!」ってうっかり手を握られたら、俺の右手がミンチになって粉砕骨折するだろww

頼むから一生俺の手は握らないでくれwww


128 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 08:06:50.77 ID:Boxing_Context

しかもお前ら忘れるなよ、こいつただの怪力自慢の素人じゃなくて「無敗のボクシング元世界王者」なんだぞ……。

その225kgの握力で固めた拳で、世界最速レベルのジャブとストレートを顔面に打ち込んでくるってことか!?


162 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 08:07:20.04 ID:Martial_Nerd

>>128

まあ厳密に言えば、握力の数値とパンチの衝撃力(運動エネルギー)は使う筋肉もベクトルも別物だけどな。


195 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 08:07:45.60 ID:Boxing_Context

>>162

そういう細かい理屈の問題じゃねえんだよ!!

「身体能力強化」って言ってるんだから、腕の筋肉だけじゃなくて背筋も脚力も全部5倍になってるに決まってるだろ! そんな奴が本気で殴ったら人間の首が物理的に千切れ飛ぶわ! そりゃ表のボクシング引退するしかないわな!!


【トレーニングセンター地下フロア(08時12分)】


「……えっ、ただ握力測っただけの動画なのに、もう五百万再生いってるのか?」

 スマホの画面を見た橘が、きょとんとした顔でスタッフを振り返った。

「みんな『ゴリラだ!』『人間やめてる!』ってめちゃくちゃ大騒ぎしてるんだけど、握力二百キロちょっとでこんなに盛り上がるもんなの?」


 測定スタッフの青年は、心の底から呆れたような、それでいて少しおかしそうな顔でツッコミを入れた。

「橘さん、感覚が麻痺しすぎですよ! 普通の握力計じゃそもそも測定できないような数字ですし、六十キロも満たない体格の人間が片手で二百二十五キロ出したら、一般の人から見たら怪獣と同じですって!」

「……あ、そっか。普段リーグの控え室で、ヘビー級の連中が三百キロとか四百キロ出してるのを普通に見慣れてたから、自分の数値が世間的にどれくらいヤバいのかすっかり忘れてたわw」


 裏の競技界の環境にどっぷり浸かっていたせいで、一般社会との基準値のズレに今さら気づいた橘は、ポリポリと頭をかいて笑った。

「よし、じゃあせっかく喜んでくれてるみたいだし、次はジャンプとダッシュも撮っちゃおうぜ! カメラ持って体育館の方に来てくれ!」


午前八時十六分。

橘のアカウントに、二本目の動画が投稿された。


――――――――――――――――――――

橘 迅 / Jin Tachibana ✓ (@Jin_Tachibana)

握力だけでめちゃくちゃ驚かれてて笑いましたw

腕だけじゃなくて全身が同じくらい強化されるので、次は下半身のジャンプ力(垂直跳び)です。

[動画添付:0:18 / 1080p 60fps]

(2026年10月31日 08:16)

――――――――――――――――――――


 画面に映し出されたのは、天井の高さが八メートルほどある屋内コートの壁際。

 壁面には、床からの高さを示すデジタルレーザーの目盛り線が、五十センチ刻みで『1.0m』『2.0m』『3.0m』『4.0m』と赤く投影されている。

 床のマットの上に、橘が助走もつけず、ただ普通に両足を肩幅に開いて立っている。


『じゃあ、次は立ち幅跳びじゃなくて、その場での垂直跳びいきます』

 橘が軽く膝を曲げ、腕を後ろへ引く。

 次の瞬間。


 ドンッ!!


 まるで床の下で小型の爆薬が炸裂したかのような鈍い重低音が響き、分厚い硬質ゴムマットがベコッと深く沈み込んだ。

 カメラマンであるスタッフが慌ててスマホのレンズを真上へと跳ね上げるが、橘の身体はすでに重力を無視したかのような初速で宙へと突き抜けていた。

 バスケットボールのリングの高さ(約3.05メートル)とほぼ同じ位置にある『3.0m』のレーザーラインのところまで、橘の頭頂部どころか「足の裏(スニーカーの底)」が軽々と到達する。

 そのまま空中で一拍静止したかのような華麗なボディバランスを見せ、橘は宙で軽く姿勢を整えると、猫のようにしなやかな膝のクッションを使って、元のマットの上へとスタッと静かに着地してみせた。


『……うん、今日は身体が軽くて調子いいですねw』


【5ちゃんねる:ニュース速報+】

スレタイ:【超人】橘迅、トレーニング動画第2弾「垂直跳び3メートル」を公開wwwもうキャプテン・アメリカだろこれ ★5


1 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 08:17:10.00 ID:Jump_3Meters

第2弾きたぞ!!

助走なしのその場ジャンプ(垂直跳び)で、足の裏が地上3メートルに到達!!

[動画リンク]


14 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 08:17:28.33 ID:Fly_High

飛んだあああああああああ!!!


28 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 08:17:45.12 ID:No_Run_Up

おい待て、1歩も助走してないぞ!?

その場でちょっと膝曲げただけで、なんで2階建ての一軒家の屋根の高さまで人間が跳ね上がるんだよ!!


52 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 08:18:10.89 ID:Human_Biology

垂直跳び3メートルってwwww

一般人の平均が50〜60センチで、NBAのマイケル・ジョーダンとかの最高記録でも1メートル20センチくらいだぞ! 人間ってそういう風に跳べる生き物だったっけ!?


81 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 08:18:38.45 ID:Bus_Roof

これ、街中で路線バスや大型トラックが突っ込んできても、その場でピョンって跳ぶだけで屋根の上に飛び乗れるじゃねーか!!

完全にリアル・キャプテン・アメリカだろ!!


115 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 08:19:05.19 ID:More_Than_Cap

いや映画のキャプテン・アメリカより高く跳んでそうだがwww

しかも着地する時の音聞いたか? 3メートルの高さから落ちてきたのに、膝と足首のバネだけで衝撃を全部吸収して「スタッ」って無音で着地してやがる! 関節と骨の強度まで5倍になってないと、着地した瞬間に自分の脚が折れるぞあれ!


149 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 08:19:35.60 ID:Ring_Out

ちょっと待って、この脚力でリングの上で飛び跳ねながら戦うってこと?

普通のボクシングのリング(ロープの高さ1.3メートル)でこんなジャンプしたら、そのまま場外へ飛び出して客席の10列目まで飛んでいくだろww


188 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 08:20:08.12 ID:Footwork_God

>>149

笑ってる場合じゃねえぞ、ボクシングにおいて脚力とバネっていうのは、上に跳ぶためじゃなくて「前後のステップ(踏み込みとバックステップ)」と「パンチの体重移動」に全部変換されるんだ!

現役時代の橘迅って、もともと「神速のステップイン」って言われてて、相手が気づいた時には懐に入ってるフットワークの天才だったんだぞ? その技術にこの垂直跳び3メートルの脚力が組み合わさったら、一体どんなスピードで間合いを詰めてくるんだよ……!?


【さらに11分後――午前8時27分。第三の、そして最大のバズ動画が投下される】


――――――――――――――――――――

橘 迅 / Jin Tachibana ✓ (@Jin_Tachibana)

「その脚力で走ったらどうなるんだ?」というリプライがめちゃくちゃ多いので、施設の屋内トラックでダッシュの最高速度(瞬間風速みたいなもの)を測ってもらいました。

カメラがちょっと追いついてないですけど、どうぞ!

[動画添付:0:15 / 1080p 60fps]

(2026年10月31日 08:27)

――――――――――――――――――――


 三本目の動画は、外部に所在地が漏れないよう窓のない地下の100メートル屋内直線タータントラックで撮影されていた。

 コースの横には、陸上競技や自動車の速度計測に使われる業務用のレーザー・ドップラー速度計測器が設置されている。

 スタートラインに立った橘が、クラウチングスタートではなく、ボクサーがリングで構えるようなやや低いスタンディングの姿勢をとる。


『じゃあ、中間地点の最高速度だけ測ります。いきまーす』

 スタッフが電子ホイッスルを「ピッ!」と鳴らす。


 最初の一歩、二歩は、フォームの美しい一流の短距離走者のように見えた。

 だが、三歩目でタータンの床を蹴り抜いた瞬間――物理法則がバグを起こしたかのように、橘の身体が画面の左から右へと「弾け飛んだ」。

『ドォンッ!!』と、走る人間から発生するはずのない空気の破裂音がマイクに入り、撮影しているスタッフのカメラが慌てて右へとパンするが、フレームの中にはすでに橘の残像すら残っていない。ただ、彼が通過した直後の猛烈な突風で、コース脇に置かれていたプラスチックのカラーコーンが三つ、風圧だけで宙を舞って転がる様子だけが映し出される。


 直後、画面がコース脇のレーザー速度計測器のデジタルモニターへと切り替わる。

 そこに赤色LEDで誇らしげに表示されていた最高瞬間速度(Peak Velocity)の数値は――


『 120.8 km/h 』


【5ちゃんねる:ニュース速報+(サーバー負荷上昇・書き込み速度毎分800件突破)】

スレタイ:【時速120km】橘迅、ダッシュ測定動画を公開→最高速度『120.8km/h』で人間をやめる ★8


1 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 08:28:05.00 ID:Speed_120km

トレーニング動画第3弾。

屋内トラックでのスプリント測定にて、最高瞬間速度『120.8 km/h』を記録。

カメラのパンが全く追いつかず、通過した風圧だけでカラーコーンが吹き飛ぶ映像にネット民が絶句。

[動画リンク]


9 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 08:28:18.12 ID:kP2m9xQa

120km/h!?!?


18 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 08:28:25.45 ID:vL8n3sWz

は?????


27 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 08:28:33.01 ID:mR4b7cXy

人間の走る速度じゃねーだろwwwww


41 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 08:28:42.88 ID:Highway_Man

新東名高速道路の追い越し車線を走ってる乗用車と全く同じスピードじゃねーか!!

生身の人間がスニーカー履いて時速120キロで走ってくんな!!


63 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 08:28:55.19 ID:Bolt_Who

ウサイン・ボルトの人類最高速度が時速44.7kmだぞ!?

ボルトの約2.7倍、チーター(時速110km)すら直線でぶち抜いてんじゃねーか! もう人間じゃなくて車か野生のチーターだろこれ!!


89 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 08:29:12.55 ID:Not_Human_Grass

人間ですらなくなってて草。

いや、政府公認の「異能者」なんだから人間離れしてて当たり前なんだけど、いざ数字と映像で見せられると脳が理解を拒否するわww


124 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 08:29:35.10 ID:Ring_Horror

おい、ちょっと想像してみろよ。

この時速120キロの初速でステップインしてくる男が、リングの上で5メートル離れた場所から、握力225kgの拳を構えてお前に向かって突っ込んでくるんだぞ?


158 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 08:29:58.40 ID:Invisible_Death

>>124

見えねえだろ!!!!

時速120キロって秒速33.5メートルだぞ!? 5メートルの距離なんか「0.15秒(まばたき1回する時間)」でゼロになる計算だ!

俺なら試合開始の「カーン!」っていうゴングの音が耳に届くより先に、顎を粉砕されて人生のエンディングロールが流れてるわ!!


195 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 08:30:25.88 ID:Wait_A_Minute_9

……ていうかさ、お前ら。時速百二十キロで動けるボクサーの試合って、いったいどう成立してるんだ?

相手が同じように速いとは限らないだろ。触れられなくする能力とか、足場を動かす能力とか、間合いの概念そのものが変わらないか?


221 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 08:30:42.12 ID:What_Again

確かに。橘のパンチがどんなに速くても、相手の能力によっては正面から殴れないかもしれないわけか。


256 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 08:31:05.33 ID:Wait_A_Minute_9

そうなんだよ。普通のボクシングと違って、何を許可して何を反則にするかだけでも大変そうだろ?

飛行はありなのか、瞬間移動はどう扱うのか、リングの広さはどうするのか。考え始めたら疑問が止まらん。

橘の身体能力を見せられたせいで、逆に異能格闘技のルールそのものが気になってきたわ。


290 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 08:31:22.04 ID:Fight_Theory

例えば橘が踏み込んだ瞬間に相手が壁を出してきたら? 世界王者の技術でも、初見の能力を読み切るのは大変だろうな。


318 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 08:31:38.77 ID:Counter_Question

視力強化なら術式の動きも見えるのか? いや、見えるのと対処できるのは別か。駆け引きが想像できねえ。


345 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 08:31:55.19 ID:Stream_This

それが分からないから試合を見たいんだよ! ただ速いだけの格闘技じゃないってことは分かった。

橘の技術が相手の異能にどう通用するのか、実況と解説付きで見せてくれええええ!!!


【午前8時40分、橘迅による締めくくりのトレーニング映像とスペックまとめの拡散】


 ネット上のパニックと熱狂をよそに、すっかり気分が乗ってきた橘は、午前八時四十分に最後の追加動画(4本を1つに繋いだ1分間のモンタージュ映像)を投稿した。


 一つ目は、ベンチプレス。両端にプレートがぎっしり詰まった『200kg』のバーベルを、セーフティバー付きのベンチに寝転がった橘が、まるで準備運動の軽いダンベルでも扱うかのように、鼻歌交じりにスイスイと十回連続で挙上する映像。

 二つ目は、高耐久デジタル背筋力計。グッと引き上げた瞬間に表示される『712.0 kg』という、小型フォークリフト並みの数値。

 そして三つ目が、もう一つの異能である『視力強化』のビジョントレーニング映像だった。

 壁面いっぱいに並んだ百個のLEDパネルが、一般人の目にはただの光の点滅にしか見えない「0.02秒(1フレーム強)」という超高速でランダムに光り、その中に一瞬だけ表示される小さなアルファベットと数字を、橘が視線だけで正確に追いかけながら、両手で残像が見えるほどの猛スピードで次々とノーミスでタップして消していくドリル映像である。


『――体力だけじゃなくて、目の方もこんな感じで強化されるんで、時速120キロで動いても相手の動きやパンチはちゃんと止まって見えます。以上、俺の普段のトレーニングでした!』


【X(Twitter)/8時50分、日本中のタイムラインを埋め尽くす『橘迅スペック表』】


@Combat_Sports_Data(格闘技データ分析垢)

【異能時代のフィジカル】元ボクシング2階級統一王者・橘迅(27)が公開した「身体能力強化+視力強化」の基礎測定値まとめ(成人男性平均との比較)


・身長 / 体重:168cm / 56.0kg(通常時)

・握力:225.4 kg(成人男性平均の約5倍)

・背筋力:712.0 kg(成人男性平均の約5倍)

・ベンチプレス:200 kg × 10回以上(体重の約3.6倍をアップ感覚で挙上)

・垂直跳び:約 300 cm(成人男性平均の約5倍)

・最高瞬間走速度:120.8 km/h(100m世界記録保持者の約2.7倍、一般人の約4〜5倍)

・動体視力:0.02秒の高速明滅識別を100%クリア

・備考:24戦24勝(21KO)無敗の世界最高峰のボクシング技術保有。

・注目点:【この身体能力と世界王者の技術が、異能格闘技でどんな駆け引きを生み出すのか】

(2026年10月31日 08:48 / 9.5万リポスト・32万いいね)


【5ちゃんねる:ニュース速報+】

スレタイ:【期待】橘迅の超身体能力+視力強化、異能格闘技ではどう使うんだ!? 試合を見せてくれ ★10


112 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 08:52:10.12 ID:Spec_Monster

文字と数字でまとめられると、改めてスペックがバグり散らかしてて草。

ステータス画面のパラメータを全部5倍にするチートコード入れたボクシング世界王者じゃねえかww


148 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 08:52:45.66 ID:Vision_OP

一番反則なのは、実はパワーじゃなくて最後の「視力強化」だよな。

プロボクサーが「相手の動きがスローモーションで見える目」と「それを追い越せる時速120キロの身体」をセットで持ってるなんて、既存の格闘技の概念からしたら完全無欠のチートだろ!


185 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 08:53:20.19 ID:Rules_Are_What

数字もすごいけど、異能格闘技ってルールをどう作ってるんだ? 相手が飛んだり、分身したり、見えない壁を出したりしても試合続行なのか?


220 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 08:53:55.45 ID:Safety_First

それ以前に観客席はどう守るんだよw 超人同士がぶつかった衝撃でリングごと吹き飛んだら笑えないぞ。


258 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 08:54:30.88 ID:Show_Me_League

いや、あの規模で何年も興行してるなら、ちゃんと設備もルールもあるんだろ。そこを含めて猛烈に見たくなったわ!

まだ橘の対戦相手も決まってないんだぞw いいからまず一試合、実況解説付きで一般公開してくれええええ!!!


*

 そして、時計の針が午前九時ちょうどを指した。

 テレビ各局の画面が一斉に切り替わり、ワシントンD.C.のホワイトハウスから、ロバート・“ボブ”・ウォーレン合衆国大統領による全米向け緊急演説の同時通訳中継が始まった。


『――先日、同盟国である日本政府が公表したのと同じように、現代の通常の科学の枠組みでは十分に説明することのできない「特殊な能力」を持つ人々は、我がアメリカ合衆国にも実在します――』


 超大国の大統領が、建国以来初めて超常能力者の実在を公式に認め、その人権保護と治安維持の方針を力強く宣言する歴史的な演説。

 だが、その土曜日の朝九時過ぎの日本のX(旧Twitter)のトレンド欄とタイムラインは、後世の歴史家が振り返れば頭を抱えるであろう、世にも奇妙な「二元のカオス」を呈していた。


【X(Twitter)/午前9時15分、国際政治と超人ボクサーが交差する日本のタイムライン】


@NHK_News_Live

【速報】ウォーレン米大統領、演説で「特殊な能力を持つ人々はアメリカ合衆国にも実在する」と正式に表明。マンハッタンのドラゴン迎撃にあたった青年(通称Hoodie Wizard)の身元や国内の能力者人口については「安全保障および個人のプライバシー保護のため公表しない」と明言。

(2026年10月31日 09:12)


@Tokyo_Sports_Web

【衝撃】元ボクシング無敗の世界王者・橘迅が異能による驚異の身体能力を動画で公開! 握力225kg、垂直跳び3m、最高瞬間速度120km/hを記録し「能力者プロリーグの試合を一般公開したい」と対戦相手を募集!

(2026年10月31日 09:13)


@Normal_Citizen_1031

ちょっと待って、今日の朝のニュースの情報量おかしくない??

左のテレビ画面ではアメリカの大統領が「ドラゴンはMAJESTIC-12が倒しました、我が国にも能力者はいます」って歴史的演説をしてて、右のスマホ画面では元世界王者の橘迅が時速120キロで走って3メートル飛び跳ねてる動画が流れてるんだけど、俺の脳みそはどこに焦点を合わせればいいんだwww

(2026年10月31日 09:15)


@Boxing_Freak_88

ウォーレン大統領が演説で「能力者だからといって全員があのニューヨークの魔法使いと同じ力を持っているわけではない、個人差がある」って言ってて、まさにその瞬間に日本で橘迅が「俺は魔法陣は出せないけど、身体能力5倍でボクシングやってます!」って実例を見せてくれてるの、タイミングが完璧すぎるだろw

(2026年10月31日 09:18)


 国家規模の重苦しい政治発表と、一人のアスリートが放った明るく痛快な実演動画。

 水曜日から続いていた「未知の存在に対する漠然とした恐怖」が、橘迅という誰もが知るスポーツマンの鍛え抜かれた肉体と爽やかな笑顔によって、「なんだ、すごい力だけど、俺たちが大好きなスポーツや格闘技の延長線上にあるワクワクするものじゃないか!」という前向きな好奇心へと、急速に色を変え始めていた。


 午前九時二十分。

 その熱狂にさらなる油を注いだのは、格闘技界のプロフェッショナルたちによる専門的な分析だった。


【YouTube:元プロボクシング日本フェザー級王者・畑中タケシの『ボクシング徹底解剖チャンネル』】

(緊急生配信タイトル:『【橘迅】時速120kmの動画を見てプロボクサーが本気で震えた理由を解説します』 / 同時視聴者数:68,000人)


 (画面には、引退後に解説者として人気を博している元日本王者の畑中が、自宅のモニターに橘のトレーニング動画を停止させた状態で、興奮を抑えきれない表情でマイクに向かっている)


 畑中(画面の橘のステップを指差しながら):

「――はい、皆さんおはようございます! 今朝から日本中が大騒ぎになっている橘迅くんのカミングアウトと、さっき上がった4本のトレーニング動画について、元プロボクサーの視点から緊急で生配信を回しています。

 まずね、ネットの皆さんは『握力225キロすげえ!』『垂直跳び3メートル!』『時速120キロ、車じゃん!』って、その人間離れしたフィジカルの数値ばかりに注目して騒いでますよね。もちろん、それだけでも腰を抜かすような数字ですよ。

 でもね、同じリングに上がっていた人間として言わせてください。皆さん、一番恐ろしい『大前提』を一つ忘れてませんか?」


 (畑中はカメラに向かって指を一本立て、真顔で言い放つ)


畑中:

「橘迅という男は、25歳で異能に目覚める前――つまり俺たちと全く同じ『普通の生身の人間』だった頃から、すでに24戦24勝21KO無敗の、世界最高峰のボクシング技術を持ったパウンド・フォー・パウンド(全階級通じて最強クラス)の天才だったんですよ!!」


 (チャット欄が『あ』『確かに』『元から最強だった』と一斉に流れる)


畑中:

「いいですか、もし仮にそのへんの素人が突然異能に目覚めて、時速120キロで走れるようになって、握力が225キロになったとします。それでも、格闘技の訓練を受けていなければ、ただ真っ直ぐ猪みたいに突っ込んで大振りのパンチを振り回すだけだから、達人なら軌道を読んでカウンターを合わせることもできるかもしれない。

でも、橘迅は違うんです!

ミリ単位で相手の距離を支配する空間把握能力、予備動作ゼロで飛んでくる精密機械みたいな左ジャブ、相手の呼吸と視線のわずかな動きから0.5秒後のパンチを先読みするディフェンス技術、そして相手の死角へ一瞬で回り込む世界一のピボット(足さばき)とフェイント!

その『人類が到達したボクシング技術の完成形』みたいな頭脳とテクニックを持った男に、通常の5倍の筋力・スピードと、0.02秒を見切る超人的な動体視力が後からプラスされたんですよ!?」


 (畑中は背もたれに仰け反り、頭を抱えて苦笑する)


畑中:

「さっきのダッシュ動画の1歩目と2歩目の重心移動を見ましたか? あれ、時速120キロのスピードが出ているのに、頭の位置(ヘッドレベル)が1センチも上下にブレてないんです。つまり、あの超高速移動の最中に、いつでもノーモーションで体重の乗ったカウンターパンチを打ち込める体勢を維持してるってことです!

……正直に言います。もし俺が現役時代に、この状態の橘くんとスパーリングしろって言われたら、ファイトマネー10億円積まれてもリングから逃げ出しますね。文字通り、何が起きたか認知する前に顎を砕かれて病院送りになります。

そして……プロとして今、俺が一番震えているのは、この橘くんの身体能力そのものじゃないんです」


 (畑中がごくりと唾を呑み込み、視聴者に語りかける)


畑中:

「この『世界最高のボクシング技術×身体能力5倍×視力強化』を持った橘迅が、向こうの異能プロ格闘技リーグでは、まだチャンピオンになれていないということです。

 一体、その裏のリングではどんな次元の技術体系と異能の駆け引きが行われているのか……格闘技に関わる人間として、一生に一度でいいから、その試合をこの目で見てみたいと思いませんか!?」


【5ちゃんねる:芸スポ速報+(09時35分)】

スレタイ:【格闘技】元日本王者・畑中「橘迅は元から世界最高の技術がある。そこに5倍の身体能力が乗ったら誰も勝てん」 ★4


45 :名無しさん@芸スポ好き:2026/10/31(土) 09:36:12.00 ID:Boxing_Tech

畑中の解説配信見てきたけど、めちゃくちゃ腑に落ちたわ。

そうだよな、「異能で強くなった素人」じゃなくて、「もともと技術だけで世界を制覇した天才ボクサーが、後から異能を手に入れた」んだもんな。鬼に金棒どころか、宮本武蔵にビームサーベル持たせたようなもんじゃねえか。


78 :名無しさん@芸スポ好き:2026/10/31(土) 09:36:55.33 ID:Eye_And_Body

普通の人間でも「相手のパンチは見えるけど身体が反応できない」か「身体は速いけど目が追いつかない」のどっちかで限界が来るのに、橘は「視力強化で完全に見えて、しかも時速120キロで動ける身体」の両方を持ってるんだぞ。

近接格闘技において、これ以上相性のいい能力なんて存在しないだろ!


114 :名無しさん@芸スポ好き:2026/10/31(土) 09:37:40.88 ID:Why_Not_Champ

じゃあなんでその橘がチャンピオンじゃないんだよ!?(本日100回目の疑問)

相手はどんな反則技使ってくんだよ、やっぱり手から火を出したり重力を10倍にしたりすんのか!?


152 :名無しさん@芸スポ好き:2026/10/31(土) 09:38:25.19 ID:Old_Fan_Voice

俺は10年前、橘がデビューした頃からずっと後楽園ホールに見に行ってた古参ファンだけどさ。

昔の橘の試合で一番好きだったのは、あの左ジャブなんだよ。相手に読まれているはずなのに、なぜか当たる。今の身体能力であれがどう進化したのか気になって仕方ない。

あの頃の映像を何度も見返してるけど、異能のリングでは普通のボクシングとは全然違う間合いになってるんだろうな。どう戦っているのか想像もつかん。


190 :名無しさん@芸スポ好き:2026/10/31(土) 09:39:10.04 ID:Coexist_Sports

>>152

表の時代を知ってる人ほど、今の橘がどんなボクシングをしてるのか気になるよな。

別に異能格闘技が公開されたからって、今までの生身のボクシングや総合格闘技の価値が消えるわけじゃないしな。体重別の階級があるのと同じで、「生身の人間が限界を競う伝統的なボクシング」と、「異能者が規格外の技をぶつけ合う異能格闘技」の二つが並立するなら、格闘技ファンとしては楽しみが2倍になるだけだわ!


*

 一方その頃――午前九時五十分。

 東京都港区のオフィスビルの一角にある、『日本異能格闘技連盟(JPCF)』およびプロ興行団体『PCL(プロフェッショナル・異能コンバット・リーグ)』の運営本部オフィス。

 一般社会には「大手イベント企画・映像制作会社」として登記されているその広大なフロアでは、スタッフたちが朝から橘の公式Xや報道の反応を追い、非公開の連絡窓口に届く照会への対応に追われていた。橘はリーグ名も運営会社名も公表していない。一般のスポーツメディアが取材を申し込む先は、橘本人の公式アカウントや古巣の大塚ボクシングジムだった。


 フロアの壁面には、歴代のタイトルマッチの巨大なタペストリーやポスターがずらりと掲げられている。

 一般のネット民の中には「能力者の格闘技なんて、薄暗い地下室の金網の中で、裏社会の連中が賭け事をしながら細々とやっているアングラ興行なのではないか」と想像している者もいたが、実態はまるで正反対だった。


 国内に三百四十二万人、世界中の関係機関や人外共同体まで含めれば数千万人規模の潜在的視聴者と富裕層パトロンを抱える「神秘社会」において、異能格闘技は半世紀以上の歴史を持つ最大のエンターテインメント産業の一つとして完全に成熟していたのである。

 興行に使われるのは、高出力の衝撃波や熱量、空間干渉を完全に遮断する多重結界設備が組み込まれた、収容人数三万人クラスの専用ドーム・アリーナ(表向きは閉鎖された巨大物流倉庫や地方のドーム施設などを利用)。

 競技には、Tierだけを実力の物差しにせず、能力の系統や実際の攻撃・防御性能、危険度を踏まえたクラス分けと安全ルールが定められ、リングドクターには治癒・再生系の能力者チームが常駐している。

 さらに、登録能力者専用の秘匿ネットワークを通じて配信される認証制のペイ・パー・ビュー(PPV)放送は毎大会数十万件の売上を記録し、神秘社会系の巨大企業や古い財閥がこぞってスポンサーにつくため、トップ選手たちの年間ファイトマネーは表のプロスポーツ界のスター選手を優に凌駕していた。


 橘迅は、そのPCLの『フィジカル・ストライカー部門(打撃・身体強化系クラス)』において、転向からわずか二年でランキング上位へと駆け上がり、華麗なKO劇を連発して会場を沸かせている屈指の人気ファイターだったのである。


「――広報部より報告! 橘選手の今朝のXの投稿とトレーニング動画を受けまして、表のスポーツ新聞やテレビ局から、橘選手本人と古巣の大塚ボクシングジムに取材申し込みが殺到している模様です! 一方、当団体の認証済み非公開窓口にも、以前から事情を知る既存スポンサーや秘匿配信の提携事業者から『一般公開するなら従来の放映契約はどうなる』『新しい興行のスポンサー枠は設けるのか』といった照会が次々と届いております!」


 運営本部の会議室で、広報担当のスタッフが目を回しながら報告を読み上げた。

 長机の上座に座る興行統括ディレクターの中年男性は、モニターに映る橘の「時速120キロダッシュ動画(再生数すでに二千万回突破)」を眺めながら、苦笑いを浮かべて頭をかいた。


「……まったく、迅のやつめ。先週の試合後の打ち上げで『もし将来、世間に異能のことが知られる日が来たら、昔の一般のファンにも俺たちの試合を見せてあげたいんですよねえ』とは話していたが、まさか政府発表の翌朝に、運営への事前相談もなしに自分のXで対戦相手募集までぶち上げるとはな」

「ディレクター、彼に投稿の削除を要請しますか? 一応、リーグの存在自体は非公開規約の対象ですが……」

「いや、もう遅いし、消させる必要もないだろう」

 ディレクターは首を横に振った。

「昨日の夕方に政府が『三百四十二万人』を発表し、今朝はアメリカの大統領まで能力者の実在を公認したんだ。そもそもあの投稿で、迅はうちの団体名も、アリーナの場所も、他の選手の名前も一切出していない。ただ自分の身体能力を見せて『こういう素晴らしいプロの舞台がある』と言っただけだ。ここで無理に口を封じたら、それこそ世間から『怪しい闇の地下組織だ』と誤解されてしまう」


 すると、隣に座っていた競技運営部の部長が、自分の秘匿端末の画面を見せながら笑った。

「それにディレクター、うちの登録選手専用の掲示板やグループチャットも、今朝から迅の話題で持ちきりですよ。誰も怒ってなんかいません、むしろ『迅のやつ、めちゃくちゃ面白いこと始めたな!』『一般公開のエキシビションやるなら、俺が相手してやろうか?』『表の東京ドームで何万人の一般観客の前で試合できるなら最高じゃねえか!』って、ランカー連中がこぞって乗り気になってます」


「ははっ、まあファイターって生き物は、表だろうが裏だろうが『より多くの観客に自分の強さを見てもらいたい』という目立ちたがり屋の集まりだからなあ」

 ディレクターは腕を組み、壁に貼られた満員のアリーナのポスターを見上げた。

「しかし……こうして表のネットの反応を見ていると、なんだか不思議な気分になるな」

「何がですか?」

「俺たちにとっては、何十年も前から当たり前にルールを作って、会場を押さえて、チケットを売って運営してきた日常のプロスポーツだ。それが、ただ一人の選手が『俺たちはここで戦ってるぞ』と外の世界に向かって窓を開けただけで、日本中がまるで新しい大陸でも発見したかのように熱狂している。……今まで一般の人たちにとっては、俺たちがどれだけ凄い試合をやっても、文字通り『この世に存在しないもの』と同じだったんだな」


 ディレクターは少しだけ感慨深そうに目を細め、それから机をポンと叩いた。

「よし。八咫烏のスポーツ・文化振興課の担当官にも今すぐ連絡を入れてくれ。迅がせっかく投げてくれたボールだ、これを単なる個人の騒ぎで終わらせるか、異能プロスポーツが表の社会へ出ていく歴史的な第一歩にするかは、俺たち運営の腕の見せ所だぞ!」


*

 午前十時十分。

 トレーニングセンターでの朝のワークアウトを一通り終えた橘迅は、シャワーを浴びてベンチでスポーツドリンクを飲みながら、少し落ち着いた気持ちでスマートフォンの画面を眺めていた。

 トレンドの1位から5位までは『#橘迅』『時速120キロ』『握力225kg』『異能格闘技』『キャプテン・アメリカ』で完全に独占されている。


 そんな無数のタイムラインの奔流の中で、橘の指がふと止まった。

 それは、多くのボクシング仲間がリポストしていた、ある一人の一般男性(アカウント名:@Old_Boxing_Fan)の投稿だった。

 投稿には、少し端が擦り切れた一枚の紙のチケットの写真が添えられている。

『2024年10月・世界スーパーバンタム級王座統一戦 王者・橘迅 vs 挑戦者・カルロス・シルバ アリーナA席』――二年前の秋、橘が表のボクサーとして最後に戦ったあの夜の半券だった。


――――――――――――――――――――

ボクシング好きのオッサン (@Old_Boxing_Fan)

これ、今も財布のお守りに入れてる、2年前の橘迅の最後の世界戦のチケット。

あの夜の10ラウンドの右カウンターは、俺が人生で見たスポーツの中で一番美しい瞬間だった。勝った時、会場の1万5千人が全員総立ちになって泣きながら拍手したのを今でも鮮明に覚えてる。


その1週間後に突然引退を発表したから、俺はもう二度と、一生あいつの試合を見ることはできないんだと思ってた。どこかで怪我でもして苦しんでるんじゃないかってずっと心配だった。


でも、違ったんだな。あいつ、あの後もずっと現役で、もっと凄いステージで格闘技を続けてたんだな。

動画の中の迅が、現役時代よりいい顔で笑って「今の試合もめちゃくちゃ面白い」って言ってくれてるのが、ファンとして何より嬉しいよ。


なあ迅、もし本当に一般公開の試合ができるなら、死ぬ前にもう一回だけお前の試合を見に行かせてくれ。

今度はどんな凄い相手と戦ってるのか、俺たちにも見せてくれよ。

(2026年10月31日 10:02 / 4.1万リポスト・18万いいね)

――――――――――――――――――――


 ベンチに座ったまま、橘はその投稿と、写真に写る二年前のチケットをじっと見つめた。

 いつも浮かべている屈託のない笑顔が、その時だけは少しだけ静かなものに変わった。


 二年前、能力者のプロリーグ(PCL)へ移籍してからの日々は、橘にとって格闘家としての楽園そのものだった。

 全力で拳を振るっても誰も死なないし、相手も自分と同じかそれ以上の超常の力を振るって真っ向から殴りかかってくる。会場はいつも熱狂した能力者の観客たちで満員になり、勝てば莫大なファイトマネーが振り込まれ、負ければ悔しさで眠れなくなるほど強いライバルたちが上に何人もいる。

 自分自身は、何一つ不遇ではなかった。毎日が充実していて、楽しくて仕方がなかった。


 けれど。

 自分のことをデビュー戦の四回戦ボーイの頃から応援し、チケットを買って会場で声を枯らして名前を叫んでくれていたあの「表の世界のファンたち」だけは、そのスタジアムの扉の外に置き去りにしたままだったのだ。


「……そうだよなあ」

 誰もいないロッカールームで、橘はぽつりと呟いた。

「俺が勝手に一人で楽しんでるだけじゃダメだよな。せっかく壁がなくなったんだから、あの時応援してくれた人たちにも、『今の俺の試合はもっと面白いんだぞ』って、胸を張って見せてあげないとな」


 その時、彼の手の中のスマートフォンが、着信メロディを鳴らした。

 画面に表示された名前は、『大塚会長』。

 橘が十七歳の高校生の頃から二十五歳で引退するまで、二人三脚で世界王者へと育て上げてくれた、古巣『大塚ボクシングジム』の老会長からの電話だった。


 橘は少しだけ背筋を伸ばし、通話ボタンを押して耳に当てた。

「……もしもし、大塚会長。ご無沙汰してます、迅です」


『おう、迅か。……お前、土曜日の朝からずいぶん派手な花火を打ち上げたじゃねえか。ジムの電話がさっきからマスコミの取材申し込みで鳴りっぱなしで、練習にならんぞ』

 受話器の向こうから聞こえてきた七十歳の老会長の声は、言葉とは裏腹に、少しも怒ってはいなかった。

「あはは、すみません会長。ちょっと近況報告のつもりが、思ったよりデカい騒ぎになっちゃって」

『馬鹿野郎、お前が時速120キロで走って3メートル跳ぶ動画なんか上げりゃ、世界中がひっくり返るに決まってるだろうが』


 会長はそこで少しだけ声を落とし、穏やかな口調で尋ねた。

『……二年前、お前がラスベガスから帰ってきて「会長、理由は言えないけど今日でボクシングを辞めさせてください」って頭を下げた時、お前の拳と目を見てりゃ、怪我じゃないことくらい俺には分かってたよ。それが、「異能」ってやつだったのは本当なんだな?』

「……はい。あのまま普通のリングに上がったら、大好きなボクシングを汚すことになると思って。あの時は、本当の理由を言えなくて本当にすみませんでした」

『いいんだよ、謝るな。お前がどれだけ真面目に拳闘に向き合ってたかは、俺が一番よく知ってる』


 電話の向こうで、老会長が小さく息を吐く音がした。

『それで、迅。今も向こうの世界で、試合をしてるっていうのは本当か?』

「はい! 月に一回か二ヶ月に一回くらいのペースで、バリバリ現役でリングに上がってますよ」

『……怪我はしてないか? 楽しいか?』

「はい、めちゃくちゃ楽しいです! 相手もみんなとんでもない能力を持った化け物ばっかりで、昔の四回戦の頃みたいに、毎回どうやって攻略しようかワクワクしながら戦ってます!」


 橘が心の底からの明るい声で答えると、受話器の向こうで数秒間の静かな間があり、やがて老会長が掠れた声で笑った。


『……そうか。お前が今もリングの上で楽しく拳を振ってるなら、俺はそれで十分だ。安心したよ』

「会長……」

『ただし、迅。もしその一般公開のエキシビションマッチってやつが本当に決まったら、俺の分のチケットも忘れずに取っておけよ。お前が今どんなボクシングをやってるのか、セコンドじゃなくて客席からじっくり見せてもらうからな』

「もちろんです! 決まったら、大塚会長にはリングサイドの一番前の特別席を用意しますよ!」

『ハッ、お前は昔からそういう調子のいいところだけは変わらんな。……身体に気をつけろよ、迅』


 ツー、と通話が切れる。

 橘はスマートフォンを握りしめたまま、嬉しそうに目元を拭うと、「よし、絶対に実現させてやるぞ!」と気合を入れ直して立ち上がった。


  *

 だが、午前十時三十分。

 意気揚々とXのダイレクトメッセージ(DM)の受信箱を開いた橘を待っていたのは、彼の予想の斜め上を行く、世にもおかしな「挑戦者たちの大行列」だった。


 原因は間違いなく、彼が最初の投稿の最後に書いた『対戦相手も募集中です!w』という軽い一文にあった。

 橘としては、当然ながら「同じ能力者プロリーグの選手仲間や、他団体の実力ある異能者ファイター」に向けて呼びかけたつもりだったのだが、主語を省いて書いたせいで、熱くなりすぎた日本中の一般の格闘技ファンや腕自慢たちが、文字通り自分のことだと受け取って突撃してきたのである。


「……えーっと、なになに? DMが三千件以上来てるぞ」

 橘が上から順番にメッセージを開いていくと、そこには驚くほど熱のこもった長文が並んでいた。


『橘選手、はじめまして! 都内の私立大学でボクシング部の主将をしている者です(戦績・国体ベスト8)。私は異能者ではありませんが、子供の頃から憧れていた橘選手とどうしても一度グローブを交えたいです! 1ラウンドだけでもいいので、公開スパーリングの相手に選んでください!』


『お疲れ様です! 私は身長192cm、体重115kgの現役アームレスラー兼・ボディビルダーです。異能はありませんが、ベンチプレスなら私も190kg挙げられます! 生身の肉体の限界が異能者にどこまで通用するのか、私が人類代表として挑戦します!』


『極真空手・参段の32歳会社員です! 時速120kmの動画を見ましたが、直線的な動きなら私の動体視力とローキックでタイミングを合わせられる自信があります! ぜひ対戦をお願いします!』


『昔から橘さんの大ファンのサラリーマン(29歳・格闘技経験なし)です! さっきの動画の握力225kgのボディブロー、お腹に力を入れておけば1発くらいなら耐えられると思うので、記念に私の腹を殴ってください! 生命保険には入っています!』


「いやいやいや、耐えられるわけないって!! 生命保険に入ってますじゃないんだよ、俺を殺人犯にする気かよwww」

 橘はスマホを持ったまま、ロッカールームで腹を抱えて笑い転げた。


【5ちゃんねる:ニュース速報+(10時35分・挑戦者続出スレ)】

スレタイ:【悲報】橘迅の「対戦相手募集」に、異能を持たない一般人の腕自慢が大量に応募してしまうwww ★6


1 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 10:35:12.00 ID:Challengers_Die

橘迅の公式Xのリプライ欄にて、現在「俺と戦ってください!」と名乗りを上げる一般人が数百人単位で発生中。

大学生ボクサー、空手有段者、筋トレYouTuber、果ては「1発なら耐えられると思う」という一般会社員まで参戦を表明している模様。


18 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 10:35:45.33 ID:I_Applied_Too

ちなみに俺もさっきDMで対戦申し込んだわwww


32 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 10:36:08.12 ID:Are_You_Esper

>>18

は??? お前、36人に1人の異能者なのか!?


49 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 10:36:30.88 ID:I_Applied_Too

>>32

いや、週2で市営ジムに通ってるだけの普通のシステムエンジニア(31歳)。


68 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 10:36:52.19 ID:You_Will_Die

>>49

死ぬぞお前wwwww

今すぐDM取り消してこい馬鹿野郎!!


95 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 10:37:20.45 ID:Dream_Match

だってよ、無敗の元世界王者・橘迅とリングで向かい合えるかもしれない千載一遇のチャンスだぞ!? 男なら一度くらいワンチャン試したくなるだろ!


128 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 10:37:48.10 ID:No_One_Chance

ワンチャンなんか1ミリもねえよ!!

相手は最高速度120km/hで踏み込んできて、握力225kg、背筋力712kgで殴ってくる元世界王者だぞ!?

試合開始のゴングが鳴った0.2秒後には、お前の首から上がリングのロープ飛び越えて放送席まで飛んでいってるわ!!


164 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 10:38:19.66 ID:YouTuber_Bait

しかもさっき、登録者50万人のストリート喧嘩系YouTuberが「橘迅の120キロ動画、あれ早送りのトリックだろw 俺がブレイキングダウンルール(1分間)で化けの皮を剥がしてやるよ」って挑発動画上げてたけど、コメント欄で視聴者全員から「お前が物理的に剥がされてミンチになるからやめとけ」「遺影の準備しとけ」って全力で止められてて草生えたわww


202 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 10:38:55.12 ID:Sympathy_Little

まあでも、無謀だと分かってても「あの異能のスピードを目の前で体感してみたい」って思っちゃう格闘技ファンの気持ち自体は、ちょっとだけ分かるなww

俺も、絶対に殴られない安全ガラスの向こう側からなら、120キロのステップインを正面から見てみたいもんw


 一般人の無謀すぎる応募の嵐に苦笑していた橘だったが、もちろん彼は格闘技のプロフェッショナルである。

 どれほど手加減をしたところで、生身の一般人と能力者が同じリングに上がれば、かすり傷一つで取り返しのつかない重大事故になることは誰よりも理解していた。無能力者との対戦やスパーリングを受けるつもりは、最初から一ミリもない。


 そんな一般人からのDMをかき分けるようにして、橘の個人のLINEや、登録選手専用の秘匿メッセンジャーアプリには、本物の「向こう側の選手仲間たち」からの連絡も次々と届き始めていた。


『おい迅、朝のX見たぞ! 一般公開のエキシビションマッチってマジでやる気なのか? もし組めるなら俺が相手してやろうか? 先月の借りを返したいと思ってたところだ』

『橘くん、公開試合の話、すごく面白いと思う! 階級が合えば私もぜひカードに入りたいな』

『表の会場で一般客を入れてやるなら、派手な異能の撃ち合いの方が盛り上がるだろ? 俺のスケジュールなら来月空いてるぜ』


 連絡をくれたのは、いずれもPCLの第一線でしのぎを削っている、橘と同等かそれ以上の実力を持ったランカーたちだった。

「おっ、やっぱりみんな表のリングでやるのに興味津々じゃないか! これなら対戦相手には全然困らなそうだぞ」


 橘が嬉しくなって返信を打とうとした、その時だった。

 午前十時五十分。

 彼のスマートフォンに、普段から競技の安全管理や登録更新で世話になっている「政府の専門機関(八咫烏)のスポーツ・文化管轄窓口」の担当官から、直通の電話がかかってきた。


「……おっと、来た来た。さすがにちょっと怒られるかな?」

 橘は少しだけ首をすくめ、通話ボタンを押した。

「もしもし、お疲れ様です! 橘です!」


『おはようございます、橘さん。……今朝のXの投稿とトレーニング動画の件で、少々ご相談とお願いがありましてご連絡いたしました』

 電話の向こうの担当官の声は、徹夜続きで少し疲れてはいたものの、意外にも怒っている様子はまったくなく、いつもの丁寧な事務方のトーンだった。

「あ、はい! すみません、事後報告になっちゃって。もしかして、俺が勝手に能力の数値を出したの、まずかったですか?」


『いいえ。三日前の総理会見と昨日の官房長官会見を受け、昨夜、登録者向けの暫定ガイドラインを改定いたしました。本人の意思による自己開示と、安全管理下での自分自身の能力実演については、他者のプライバシーや国家機密、施設の秘匿情報を侵害しない限り、原則として処罰や削除の対象とはしない方針です。橘さんがご自身の能力と測定結果を公表されたこと自体には、何ら問題はございません』

「お、マジですか! よかったー!」


『ただですね、橘さん。ご投稿の最後に書かれていた「一般公開のエキシビションマッチ」の開催につきましては、橘さん個人のご判断だけで進めるわけにはいかず、当機関および競技団体(PCL)との事前の綿密な調整が必要となります』

「……ああ、まあ、それはそうですよねえ」


 担当官は、橘にも分かりやすいように、実現に向けた実務上の課題を一つずつ噛み砕いて説明した。

『まず第一に、対戦相手となる選手の同意と身元保護の問題です。橘さんのように表の社会へ顔と名前を出すことを厭わない選手ばかりではございませんし、相手選手の家族や勤務先への影響も考慮しなければなりません。

 第二に、競技団体との契約およびルール調整です。既存のリーグにはスポンサー契約や配信権の規約がございますし、一般の視聴者に向けてどの範囲まで能力の仕組みや競技規則を開示するかという基準作りが必要です。

『そして第三に、これが最も重要ですが「一般観客の安全確保」です。橘さんの時速120キロに達する走力や、強化された打撃が交錯する試合を、通常のボクシング会場(後楽園ホールや一般の体育館など)で行えば、リングが破損したり、衝撃波や吹き飛んだマウスピース一つで客席の一般人に重傷を負わせる危険がございます。一般公開を行うのであれば、会場への結界防壁の仮設や医療体制など、万全の安全基準を策定しなければなりません』


「なるほど……。確かに、普通のリングのロープじゃ、俺たちがぶつかったら一発で千切れちゃいますもんね」

 橘は素直に納得して頷いた。彼もプロのアスリートだ、無許可で公園や普通のジムを借りて素人興行を打つつもりなど最初からなかった。

「よく分かりました! もちろん、俺も安全管理やリーグのルールを無視して勝手にやるつもりは全然ないです」

『それを聞いて安心いたしました』

「ただ、担当さん。一つだけ確認させてください。……今の話って、要するに『ちゃんと準備と調整をしなきゃダメだ』っていう話であって、『一般公開の試合そのものが絶対に禁止』ってわけじゃないんですよね?」


 電話の向こうで、担当官がほんの一瞬だけ言葉を止め、そして少しだけ柔らかい声になって答えた。

『……はい。現時点におきまして、政府および当機関として「異能スポーツの一般公開を禁止する」という決定は下しておりません。むしろ、今朝の橘さんの動画に対する世間の非常にポジティブで明るい反応を見まして、上層部の一部からも「異能者に対する世間の過度な恐怖心を和らげ、健全な理解を促進するためのモデルケースとして、前向きに検討すべきではないか」という意見が出始めております』

「本当ですか!?」

『はい。ただ、今はまだ国の法整備全体が動いている最中ですので、今すぐ今日明日に開催決定、というわけにはまいりません。まずは当機関とPCLの運営本部、および関係省庁の間で正式な協議の場を設けますので、結論が出るまで、もうしばらくだけお待ちいただけますでしょうか』


「了解です!! ダメじゃないって分かっただけで十分ですよ! お忙しいところすみません、大人しく待ってます!」


  *

 午前十一時十分。

 政府機関の担当官との電話を切った直後、今度はPCLの運営本部のディレクターからもメッセージが入った。

『迅、今朝からとんでもない騒ぎにしてくれたな(笑)。さっき八咫烏の担当課とも話がついた。連盟およびリーグ運営本部として、本日付で「一般公開エキシビション興行に関する特別検討委員会」を正式に立ち上げることになった。開催時期や会場、対戦カードについてはこれから調整になるが、お前が蒔いた種だ、いつでも最高のコンディションでリングに上がれるよう準備しておけよ!』


 メッセージを読み終えた橘は、ベンチから立ち上がり、誰もいないトレーニングルームの真ん中で小さくガッツポーズを作った。

 自分が朝食を食べながら何気なく投稿した「みんなにも俺たちの試合を見てほしい」という一言が、今、本当に巨大な壁を動かそうとしている。


 橘が改めてXのタイムラインを開くと、そこには朝から積み上がった何十万件ものコメントが、キラキラと輝くような熱気を放っていた。

『一度でいいから、生で異能格闘技の試合を見てみたい!』

『新しい時代のプロスポーツがどんなものなのか、めちゃくちゃワクワクする!』

『一般人もチケットを買えるようになったら、絶対に応援に行くぞ!』

『元世界王者の橘迅がチャンピオンになれないリーグとか、少年漫画の暗黒武術会みたいで最高すぎるだろww』


 そこにあるのは、三日前の渋谷の事件の時にネットを覆っていた「得体の知れない化け物が隣にいる」という暗い恐怖でもなければ、今朝のニューヨークのドラゴンに対する「世界が終わるかもしれない」という畏怖でもなかった。

 ただ純粋に、人間の限界を超えたアスリートたちのぶつかり合いを見たいという、スポーツへの明るく前向きな興奮だった。


「……いやあ、やっぱり言ってよかったな。みんな、こんなに楽しみにしてくれてるじゃん」


 橘は嬉しそうに目を細めると、朝からの騒動に一つの区切りをつけるため、親指を動かして今日最後のポストを打ち込んだ。


――――――――――――――――――――

橘 迅 / Jin Tachibana ✓ (@Jin_Tachibana)

朝からめちゃくちゃたくさんの反響と問い合わせ、本当にありがとうございます!w


ただ一つだけ!

DMやリプライで「能力者じゃないけど俺と試合したい!」って人が多すぎるんですよwww

そのチャレンジャー精神は格闘家としてめちゃくちゃ嬉しいんですけど、さすがに生身の人とやると大怪我させちゃうので、それだけは勘弁してください!

まずは俺たち能力者同士が全力でぶつかる試合を、客席から安全に見てほしいなと思ってます。本当にびっくりするくらい面白いんですよ!


ちなみに、向こうのリーグの知り合いの選手たちからも「公開試合やるなら俺が相手するよ」ってすでに何人も連絡が来てます。なので、対戦相手には全然困らなそうですw


ただ、さっき政府機関の方とリーグの運営から「一般公開については安全対策とか色々な調整が必要なので、少し待ってください」と丁寧にご連絡をいただきました。

なので、俺もいったん大人しく待ちます!


また何か進展があったらここで報告しますね! それじゃ、午後の練習に行ってきます!w

(2026年10月31日 11:25)

――――――――――――――――――――


【5ちゃんねる:ニュース速報+(11時30分・歓喜の反応)】

スレタイ:【朗報】橘迅の異能エキシビションマッチ、裏の選手たちも乗り気!政府機関と調整へ ★12


1 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 11:26:10.00 ID:Match_Hope

橘迅がXを更新。

・無能力者からの対戦応募が多すぎるため「危ないので勘弁してw」と丁重にお断り

・裏リーグの知り合いの選手たちから「公開試合なら相手するよ」と複数の名乗りあり

・政府機関および運営から「調整が必要なので少し待ってほしい」と連絡があり、実現に向けて待機中とのこと!


15 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 11:26:35.12 ID:Good_News_Sat

きたああああああああああ!!


29 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 11:26:58.45 ID:Opponent_Ready

知り合いの選手から何人も「相手するよ」って連絡が来てるって!!

やっぱり裏の格闘技界、選手層も規模もめちゃくちゃデカいんだな! 時速120キロの橘と互角以上にやり合える超人たちが、表のリングに出てくる気満々じゃねえか!


54 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 11:27:25.88 ID:Funny_Rejection

いやちょっと待て、「能力者じゃないけど俺と試合したいって人が多すぎるんですよwww」って本人から公式にツッコまれてて草。

さっきのスレでDM送ったって言ってたシステムエンジニアのお前、橘に心配されてんぞwww


82 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 11:27:52.19 ID:I_Applied_Too

>>54

うるせえ、世界の橘迅に「気持ちは嬉しいけど危ないから勘弁して」って認知されただけで一生の自慢だわwww 命拾いしたぜ!


118 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 11:28:30.04 ID:Gov_Adjust

それより一番デカいニュースは、政府機関(八咫烏?)から連絡が来て、「禁止」じゃなくて「実現には調整が必要だから待ってくれ」って言われたことだよな!

もし政府が絶対に隠したいならアカウントごと消させてるはずなのに、「調整が必要」ってことは、安全性やルールの問題さえクリアできれば、本当に一般公開の試合が実現する可能性があるってことだぞ!!


156 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 11:29:12.60 ID:Ticket_War

おい、もし本当に世界初の「異能格闘技・一般公開エキシビションマッチ」が開催されたら、東京ドーム5万人でもチケットの倍率100倍とかになるんじゃねえか!?

俺、いくらでも出すから絶対に見に行くぞ!


195 :名無しさん@涙目です:2026/10/31(土) 11:29:50.33 ID:New_Era_Fun

水曜日に渋谷のニュースを見た時は「世界がどうなっちゃうんだろう」って怖かったけど、今日の橘迅の動画と投稿を見てたら、なんか「異能があるこれからの世界、めちゃくちゃ面白そうじゃん!」ってワクワクしてきたわ。

橘、午後の練習も頑張れよー! 続報待ってるぞ!!


 午前十一時四十五分。

 トレーニングセンターのロッカールームで、橘迅は鳴り続けるスマートフォンをマナーモードに切り替え、ロッカーの中へとそっとしまった。

 画面の向こうの世界は、まだ彼の一投が引き起こした巨大な波紋で揺れ続けている。政府とリーグ運営がどんな話し合いをして、いつ、どんな形で表のリングが用意されるのかは、まだ誰にも分からない。


 けれど、橘のやるべきことは昨日までと何一つ変わらなかった。

 来月には、所属するPCLの公式ランキング戦が控えている。そこには、時速120キロの自分の踏み込みをも凌駕する、手強いライバルたちが待っているのだ。


「――よしっ!」


 橘は両頬をバンと叩き、新しくバンテージを巻き直した両手に、使い込まれた愛用のボクシンググローブを装着した。

 ただ一つだけ、昨日までと違うことがあるとすれば。

 これから自分が流す汗と、磨き上げる拳の先に、かつて自分を愛してくれた何百万人ものファンたちの視線が、もう一度繋がったということだ。


 軽快なステップを踏みながらリングへと向かう二十七歳の元世界王者の背中に、地下トレーニング場の明るい照明が眩しく降り注いでいた。

最後までお付き合いいただき感謝します。


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