第二話 悪だくみ
習永が次に意識を得たのは、幔幕の中であった。
なんとなく疲れがまだ芯に遺っている感じだったが、それでも推して体を持ち上げた。
騎馬兵の躍動する様子だの、右督の狂乱だの、一つ一つ記憶を辿ってゆけば、最後には将校の某の顔がでてきた。ようやく、自分が卒倒したことに思い至った。
自軍の被害の状況やら、助けに来たあの将校のことやら、気になることが頭の中をひとしきり駆け巡った後、自分の本来の任務を思い出した。
柵の造営である。目標地点に到達する前に、敵襲を察知したので、その柵造作のための資材を流用して防衛陣地を構築した。戦場ではやむを得ぬ判断であった。
とかく賀覧将軍に申し開きをせねばならない。
べきべきと鳴る体中の関節に気遣う余裕もなく、ぎこちなく立ち上がった。
軍医がそれを気に留めてすっとんできた。
「いまは、ご静養を」
「将軍のもとへゆかねばならん」
「その将軍から、習部尉には英気を養わせよとおおせつかっています」
頑として聞き入れない軍医に腹を立て、習永は力任せに腕を引きはがす。さすがに腕力で軍人に敵おうはずもない。
賀覧将軍は気難しい人柄のとおり、神経質かつ堅実な作戦をする。石を積むように戦をする人だ。決めた手順を崩すことを嫌う。
今回の習永の仕儀はまったく予定外のものである。怒りを買っているに違いない。習永は一刻も早く名誉を回復したい。心がざわついては静養などできようもないではないか。
軍医を押しのけて幔幕を出ると、ちょうど、かの将校が向かってくるところであった。
「やあ、習永どの」
「そなた、たしか。……すまぬが」
「支乾。慶純将軍からの、参軍事の」
ああ、と習永は目を開く。
習永自身は気が付いていないが、それにしても顔色が悪い。そんな土気色の顔の男が、軍医を引きずって幔幕を出ようとしている。支乾は苦笑いするほかなかった。
「その顔で会いに行かれては、賀覧将軍も気を遣う。じっとしていられないならば、わが営においでになってくれ」
「いやしかし、わたしは賀将軍に――」
「ちょうどその賀将軍にご挨拶にいったところなのだ。習部尉のことも気にしておられた。事情もご承知しておられる。ぜひわが営に。茶の一つでもだすから」
支乾はそういいながら、軍医のほうへ合図をする。
軍医は仕方なく歩行補助の杖を出してやった。
ていねいに軍医へ礼をつくして辞す習永をみて、支乾はまぶしい思いがした。
「善いな、習永どの。善い善い」
習永は怪訝な顔をするが、支乾は気にしない。
習永の歩調にあわせながら自分の陣営に案内する。道すがら、二、三の将校と出会って労いのことばを習永に投げるものはいたが、支乾に言及するものは皆無であった。
「この軍では貴官がわたしの初めての面識者だ。いろいろとたのむ。アチラの軍からの出向なので、いい顔されんのだ。貴官には恩があるだろうから、よくしてくれよ」
いたずらっぽく笑って見せるが、習永の反応はにぶい。
やりすぎたかな、と支乾は頭をかく。
習永は気を取り直して自軍の様子を問うた。中督部が総崩れになっていた光景が脳裏に去来する。診療所の床にも喬眉の姿はなかったように思えるが、意識を取り戻してすぐに飛び出してきたものだから、把握できていない。
「喬眉中督は名誉を果たされたと聞く」
支乾はそういった。うなだれはしない。自分もあの人も、責務を遂行していたにすぎない。戦場に立つ限り、順番は廻ってくるのだ。喬眉は、たまたまそれが昨日であった。遅いか早いかだけの問題である。
ちょうど目的地に着いた。
「もどった!」
支乾はつとめて朗らかな声を挙げる。その砕けた様子に、習永はわずかばかり気後れした。軍中で、ここまで気の置けぬ仲があるものか。わが陣営には、もはやあの愛想のない左督しか残っていない。
支乾の言葉に、二つの声が応じる
「こっちの御大将はいかがでござった」
「大哥の悪だくみには、つきあってくれそうだったか」
悪だくみ――。その言葉に習永は気色ばむ。
支乾を「大哥」といった髭面の男は、まずった、という顔をして支乾と、もう一人を交互に見やる。
もう一人のほう――青白い顔をした面長の書生然とした男は、すでに刀柄に手をかけていた。威嚇などという生ぬるさではない。殺気には一片の躊躇も存在していなかった。
「まて、まて。な」
支乾は青白い書生のほうへ体を差し込むように、習永のかたに腕を回した。
「このお方、覚えてないかね。あのときの将校どのだ。紹介したい。まあまあ、とりあえず習永どのも――」
おちつけ、という代わりにぐっと力を込めてその肩をつかむ。
書生は支乾の静止におとなしく従った。髭面のほうは、すまない、すまない、と支乾に平謝りである。
「支参軍……」
「順を追って話そう。逃げも隠れも、ここではできぬ。ひとまずは腰を落ち着けて」
支乾はとりあえず、お互いを紹介した。
支乾を「大哥」と称する、口を滑らせた虎ヒゲ男のほうは、寅眈という。
すさまじい殺気をいとも簡単に出し入れした青白いほうは、劉辰という。
それぞれ、寅眈は左督、劉辰は右督として、支乾軍を構成していた。
「中督はおらぬ。督部二つからの編成が、わが軍だ。あとはわたし自身が率いる騎馬兵二百」
つまり、二千人からの部隊ということになる。
最前、習永を救い出した騎馬突撃もこの二百騎によるものであった。
習永は黙って支乾を見た。説明を求めているのは明らかだったが、支乾は軽くいなす。
「我らがこちらに推参したのは、賀覧将軍に助太刀するため、というのは表の理由。その実、慶純将が賀覧将軍へ、誘いの使者として我らをこちらに寄越したのだ」
「誘い……『悪だくみ』の誘いか」
「違うな。それはわが将軍の悪だくみで、大哥のじゃない」
懲りずに口をさしはさむ寅眈。ふたたびゆらりと青白い殺気が昇り立つが、今度は殺意というよりも怒気である。
支乾はそれを放っておいて、習永に向き直る。
「このおしゃべりの言う通りだ。わが将軍・慶純の『悪だくみ』は、蹇族と組んで反旗を翻そうということだ」
習永はすうっと血の気が引く思いがした。
叛徒のまんなかに入るのか。うまく回らない頭に代わり、身体はこわばり、手はしぜんと剣の柄をさぐっていた。支乾は身じろぎもせずにいう。
「それを邪魔してやろうというのが、私たちの『悪だくみ』。賀覧将軍がこれに乗ってくれるか、という心配をこやつらはしておったのだ」
「乗らぬことがあるのか」
慶純の通敵行為、反逆が真実ならば、帝国の一大事である。これを防ごうとする支乾たちを阻むことこそ、利敵というべきことではないか。いくら賀覧将軍が気難しい御仁とはいえ、である。習永は緊張を解かない。
「慶純の反逆を許す真似は、いくらなんでもしないであろう。しかし、そうなると問題はこれだ」
と支乾は自分を指さす。
なるほど、と習永は得心した。慶純のもとから派遣されてきた一軍の将が、慶純の反逆を告げに来た――疑われ、斬られても不思議はない。自分がそうであったように。
「委細承知した。重大事のようであるし、何かあれば力になろう。恩義をかえしたい」
支乾はちょっと考え、寅眈にむけて手をひらひらとして見せた。
すこしいやそうな顔をしながらも、先ほどの粗相の手前、強く出ることもできない。そそくさと席を離れる。
「……まあ、誤解も解けたことだし、習永どの、喫茶といこう。北辺の冬は堪える」
寅眈がいそいそと人数分の茶と軽食をもってきた。
社交辞令だとおもっていた「お茶でも」を本当にするとはおもっていなかった習永は、さきほどの衝撃も手伝って、唯々諾々とこれを受けるほかなかった。
あとは歓談である。
どうやら、寅眈が支乾を「大哥」と呼ぶのは、寅眈の一方的なことらしく、支乾は「お前の兄者になった記憶はない」と嬉しそうにうるさがっていた。
「劉辰も大哥を大哥と呼べばいいのに」
「支乾どのは兄上じゃない」
「兄き分、ってだけだぜ」
「実の兄に申し訳が立たぬだろう」
「そんなもん、たててどうする」
習永は不思議に思ったことを素直にぶつけてみた。この三人は、どういった経緯で集まったのか。
「付き合いじたいは、わたしと劉辰が一番ながい。同郷の出身だ。わが父が軍人だったからその後を継いでわたしも軍人だ。父に無理言って百長(百人部隊の隊長)までになっていた劉辰を督軍としてもらい受けたのだ」
「おれはその埋め合わせで転属」
「埋め合わせ?」
「百人将の劉辰を督軍に抜擢した代わりに、不良督軍をおしつけられてしまったのだ」
「おれはさほど悪くないんだぜ」
寅眈は不満げにかぶりを振る。
もとは他の部隊での部将であったが、同僚と殴り合いのいさかいをおこして、降格したのだという。以来疎まれて各部尉のもとを転々としていたところ、ようやく支乾の下に落ち着いたのだとか。
ようやく習永の顔に生気がかえってきた。その機を見逃さず、支乾はすかさずいう。
「さて、交際をあたためたことだし、習永どの、賀覧将軍の説得にご助力ねがいますかな」
「それはもう」
「よかった。実は先ほどの会見で賀覧将軍はいたくわたしを気に入ってくれたようで。『戦場では背中に気を付けておくがいい』とお言葉をいただいたのだ」
支乾は肩をすくめるように、いかにも、こまった、という身振りをする。
「はあ、それはそれは」
厄介ごとの範疇には収まらなさそうであった。習永はまた茶をすすったが、味はまるでわからなかった。




