クリームに誘われて
「今日は何のケーキにしようかなぁ!」
仕事帰り。しがないOLの河原 林檎は、毎日のように通っているケーキ屋さんに向けて、ご機嫌で歩いていた。
林檎は無類の甘いもの好き。
食べるのは勿論、自作するのも大好きだ。
だが、平日にお菓子作りは時間的に厳しいので、近場にケーキ屋さんができないかなぁ、と密かに思っていた。
そんな願いが神に通じたのか、先月職場と自宅の丁度真ん中辺りに、『クリームに溺れて』というケーキ屋さんが出来たのだ。
「こんばんは! 今日も買いに来ました!」
林檎は元気よく挨拶して、カランコロンと扉の鈴を鳴らし、店内に入る。
「林檎ちゃん、今日もお疲れ様」
店主の甘露がカウンターに出て来て、労ってくれた。
彼はおそらく林檎の少し歳上。
柔らかな物腰の落ち着いた人で、色素薄めなかなりのイケメン。
そんな甘露が作るケーキはどれも絶品。
初めて食べた日から、林檎はすっかり彼のファンになってしまった。
「甘露さんもお疲れ様です! 今日のオススメ、ありますか?」
「んー、どれも自信作だけど……。あっ、美味しい苺が入ってね。それを使ったショートケーキがオススメかな」
「わー! ではそのショートケーキ下さい!」
箱に入れてもらう間、林檎は店内をくるりと一周する。
ショーケースの後ろには、ビスケットやマドレーヌ等の焼き菓子が置いてあるのだ。
(どうしよ〜。まだ水曜日だけど、買っちゃおうかなぁ。でも最近ちょっと太ったし……)
林檎は一応女子なので、体型変化には気を付けていて、焼き菓子を買うのは金曜日だけ! と決めているのだ。
帰宅して直ぐランニングもしていて、糖質過多にならない様にしている……。つもりだ。
「林檎ちゃん、出来たよ〜」
「わ! ありがとうございます!」
ウジウジ悩んでいると、甘露がショートケーキを箱に詰め終わった、と丁度良く声を掛けてくれる。
良かった、彼のおかげで誘惑に勝てた。
「お会計、こちらになります」
「はーい」
しっかりお金を払って、林檎は今日の楽しみを大事に抱える。
「ところで林檎ちゃん、次に食べたいケーキとか、ある?」
「急にどうしたんですか?」
甘露は困った顔をして、一枚の用紙を林檎に掲げた。
見てみると、『バレンタインandホワイトデー特集』とある。
ケーキや焼き菓子のイラストが描かれていて、わくわくする。
恐らく『クリームに溺れて』で開催するイベントなのだろうが、何故甘露は困っているのだろう。
「実は俺、作ることは得意だけど発想力がなくてさ。この企画は姉さん発案なんだけど、俺に目玉のケーキを考えろって言ってきたんだよねぇ……」
『クリームに溺れて』は甘露と彼の姉、蜜姫二人で経営している。
甘露が制作担当で、蜜姫はケーキの案出しや広報をしているのだ。
林檎は何回か蜜姫にも会った事があるが、溌剌とした美人さんだった。
彼女はお昼の接客担当なので、今は居ない。
「今回も蜜姫さんが考えるんじゃないんですね」
「目玉以外は姉さんが考えるんだけど、何故か目玉を俺にって言ってさ……」
「成程」
甘露は気の強い蜜姫に言われると断れないみたいで、今もしゅんっとしている。
中々見られない彼の姿に、林檎はきゅんとした。
「私、仕事でデザイナーをしてるんです。甘露さんが良ければ、微力ですがお手伝いさせて下さい!」
「えっ、良いの?」
「はいっ! いつものお礼です!」
甘露は、助かった〜! と言って喜んでいる。
「じゃあ、このマンションの三階にある俺の家で土日に作戦会議しない?」
「か、甘露さんの家⁉︎」
てっきり店内でと思っていたが、違うみたいだ。
甘露のプライベートな空間にお邪魔して良いのか悩みつつ、憧れの人の家、という甘美な誘惑に抗えなくて、林檎はおずおずと頷いた。
「わっ、分かりました! お家、お邪魔します!」
「うん、よろしくね林檎ちゃん」
「こちらこそです!」
テンパっている林檎を見る甘露の瞳は、喜色に染まって、獲物を捕らえた動物の様に底光していた。




