岩之助、三人鍋に敗れる。
春風が強く小太朗の袖を揺らす。
小太朗は侍から離れないように、懸命に歩く。
峠道をゆっくりと歩く二人。
空には鳶がゆったりと飛んでいる。
「少し休憩するか?」
「まだ大丈夫だよ。」
「いや、俺が疲れた。」
道端の石に二人並んで腰掛ける。
風はいつのまにか止んでいる。
鳶はどこかにいってしまったようだ。
竹筒の水を飲みながら、小太朗は空を見上げる。
朝から大分歩いたはずだが、まだ昼前だ。
小枝がはぜる音に小太朗は振り返る。
そこには、若い男が剣を構えて立っていた。
思わず石から転げ落ちる小太朗。
「鍋の!ここであったが百年目、この前の恨み晴らさせてもらう。覚悟しろ!」
侍は、手ぶらでただ立っている。いつも通りの立ち姿。
奇声を発し侍に切り掛かる男。
侍は体の力を抜いたまま、ひらりひらりと身をかわす。空を切る男の剣。
「くそっ、神妙に切られやがれ!」
言いながらまた切り掛かる男。
侍はただ無表情に身をかわし続ける。
全身の力を抜いている後ろ姿は、襲われている者の緊張感は微塵も感じさせない。
しばらく懸命に剣を振っていた男は、ついに倒れ込む。肩で大きく息をしながら侍を睨んでいる。
「まだまだだな。」
言いながら、侍は背中の鍋を下ろす。
「小太朗、火を起こせ。」
慌てて立ち上がり、訳も分からず周りを見渡し木を拾い集める小太朗。
「お主も手伝え。」
侍は男の腰を蹴る。
わけもわからず、キョロキョロする男。改めて見ると男はまだ若く、今風のいなせな形に髪を結っている。
侍は手際良く料理の準備を始める。
鍋に残り物の食材をどんどん放り投げる。
湯気が立ち上がるにつれて、うまそうな味噌の匂いが立ち込める。
頃合いを見計らって、侍は三つの椀に汁を注ぎ始める。
「お主も座れ。」
男にも座るように促す侍。
何故か三人で鍋を囲むことになってしまった。
「いただきます。」
侍と小太朗は手を合わせて、汁を啜る。腹の中から体が温まる。
「お主も食え。」
「嫌だ。なんでお前が作った鍋を食べなきゃいけないんだ。」
「滅茶苦茶美味しいですよ。」
言いながら小太朗は箸を進める。
男はその様子に唾を飲み込む。
男は苦虫を噛み潰したような表情でお椀を見つめる。
ふわりと味噌の香りが漂う。
男は無言で汁を啜る。
暖かさが腹の中に広がる。懐かしい味、故郷の味がする。
侍はおたまで男の頭を殴る。
「飯を食うときは『いただきます』と言え!」
「…いただきます。」
無言で汁を啜る三人。小太朗は訳もわからず、無心に汁を啜る。
男は箸を置き、話始める。
「あの時はお前に敵わなかった。恥をかかされたんだ。この屈辱を晴らすまで、俺は故郷には帰れない。」
侍は男をじっと見つめる。
「お主が、町娘にちょっかいを出すからじゃ。」
「俺は、あの娘に一目惚れしたんだ。だから攫って嫁にしようとしたんだ。」
男は今にも噛みつきそうな顔で、侍を睨む。
小太朗は、ちょっとだけ男と距離をとる。
「お陰で子分の前で恥をかいた。復讐しようとお前を追いかけた子分は、やられて逃げてきた。」
男は、手が白くなるほど拳を握りしめている。
「だから俺が直接復讐しに来たんだ!」
侍は残りの汁を飲み干し、一人手を合わせる。
「何事にも順序がある。嫌がる娘を攫って嫁にできるわけがない。料理と一緒だ。」
小太朗は、何のことかわからず二人の顔を交互に見る。
「腹も膨れて落ち着いたであろう、復讐なんか忘れて、あの娘に謝りに行け。」
「確かに落ち着いた。今の俺じゃお前には勝てねえ。それもわかった。俺は修行して強くなる。」
言いながら、男はこちらに背を向けて走り出す。
小太朗はほっと息をつく。
侍は地面に落ちていた小石を拾い、男に向かって軽く投げる。
投げた石は綺麗な放物線を描き、男は倒れる。
「食べ終わったら、『ご馳走様』だ。」
男はガバッと身を起こし、こちらを振り向く。
「…ご馳走様でした。」
「うむ、よろしい。名前くらい名乗って行け。」
「俺は岩之助だ。首を洗って待っていやがれ!」
言いながら、男は振り向かずに走り去っていった。
「昔の自分みたいで恥ずかしいな。」
言いながら侍は頭を掻く。
「お師匠さんも、昔女の人を攫ったの?」
侍は少し微笑んで
「攫いはしないが、似たようなもんだ。」
小太朗は侍をじっと見つめる。
侍は少し遠い目をした。
春風が二人の頬をくすぐる。
「さて、都は向かうか。」
言いながら、侍は鍋を背負う。
「お師匠さん、もう食材がないよ。」
侍は顎をさすりながら、考え始めた。




