修行の始まり。
「食材が心許ないな。」
侍が呟く。
「どこかで仕事でもするか。」
言いながら、街道沿いの茶店に入っていく侍。しばらくして、出てきた侍の手には大きな籠。中には山菜が沢山入っている。
「小太朗、この籠を街道の外れの薬屋まで運んでこい。」
小太朗は黙って頷き、籠を受け取る。
「それだけじゃ修行にならんな。これを背負え。体力をつけるのも修行の一つだ。」
侍は小太朗の背中に鍋を背負わせる。ズシリと鍋の重みが肩に加わる。
「では、行ってこい。」
頷き、小太朗は駆け出す。
曲がりくねった道を息を切らしながら歩く小太朗。
爽やかな風が頬をくすぐる。じわりと汗をかく。
風が雑木林を揺らす音に小太朗は不安になる。何かに追いかけられている気がして慌てて走り出す。籠を落とさないように、しっかりと抱きしめたまま。
鍋の重さに振り回されて一度転んだ。後ろを振り向かずにひたすら、走る。
小太朗は自分の激しい息遣いだけが聞こえる。
周りを見る余裕もなくひたすら走る。
もうこれ以上は走れない。
大きく肩で息をしながら振り返る小太朗。
背後には誰もいない。ただの気のせいだった。
小太朗は、安心して地面に座り込む。
膝の痛みに泣きたくなったが、我慢できた。
軽く足を引き摺りながら、目的の薬屋を目指す。
「こんにちは。」
小太朗は店内に向かって声をかける。
自信なさげな小さな声。
中からの反応はない。
「こんにちは!」
意を決して大きな声を出す。
「はいよ。」
薬屋の中からしわがれた声で返事がある。
しばらく間があって、中から杖をついた老人が出てくる。
「おやおや、可愛いお使いじゃの。」
老人は小太朗から荷物を受け取る。
「ご苦労じゃったの。これはお茶屋さんへのお代だよ。」
小太朗の手に小さな布の袋を握らせる。
小判が入っているのであろう、布の袋はずしりと重い。
ペコリと頭を下げ、今来た道を戻ろうとする小太朗が軽く足を引きずっているのを薬屋の店主は目ざとく見つける。
「おやおや、足を怪我したんだね。大変だったね。」
老人は、小太朗の膝の擦り傷に薬草を塗ってくれた。
皺だらけの優しい、暖かい手。
小太朗は優しくされることに慣れておらず動揺する。ただ下を向いて頬を赤く染めるだけだった。
再び頭を下げ、今来た道をゆっくりと戻る。
背中の鍋の重みが、肩の紐から疲れた体に伝わる。
先程の薬屋の年配の店主が、お礼にと言って、茶屋への謝礼とは別に小さな包みを持たせてくれた。包み越しに漂ってくる良い匂いに、小太朗は唾を飲み込む。
「これ、食べたらお師匠さんに怒られるだろうな。」
小太朗は唾を飲み込み、我慢することにする。
「お師匠さん、お待たせしました。お使い終わりました。」
空になった籠と薬屋の店主から預かった茶屋への謝礼と一緒に包みを差し出した。
「お疲れ様。」
侍はニコリと笑みを浮かべ、荷物を受け取り茶屋へ向かう。
小太朗は一人、道端で待ちぼうけ。
包みの中身が気になるが、侍に聞くことは出来なかった。
空の雲を見ながら、あれやこれや包みの中身を想像する。
甘い物だったらいいな。もう長いこと甘いものなんか食べてない。
しばらくして、侍は小さな荷物を持って小太朗の元へ戻ってくる。
「さっきのお使いのお礼に、味噌と塩と醤油を少し分けてもらえた。しばらくは、味のある飯が食えるな。」
小太朗は頷く。
「小太朗、足はどうした。怪我したのか?」
「転んだけど大丈夫、薬屋さんが薬をつけてくれたんだ。」
「お礼はちゃんと言えたのか?」
「…あ。」
先程の老人の手の暖かさを思い出す。
「人として生きるのであれば、礼儀作法は知らねばならん。」
小太朗は、慌てて来た道を走って戻る。
大きな鍋が背中で揺れている。
しばらくして息を切らしながら小太朗が戻ってくる。
「ちゃんと礼は言えたか?」
「うん。」
頷く小太朗。
「お師匠さん、僕はお師匠さんに剣を教えてもらって強くなりたいんだ。世界でいちばんの剣士に。」
「その前に、まずは人としての礼儀を身につけねばな。」
小太朗は小さく頷く。
しばらく街道を歩く二人。春の風が心地よい。
ふと思い出したように侍が口を開く。
「腹が減ったな。小太朗、さっきの薬屋から頂いたものを食べるか。」
言いながら、道端の石に並んで腰掛ける。
包の中には白い、まんまるなまんじゅうが二つ。それぞれ一つずつ手に取り、パクつく。
饅頭の中には、ぎっしりと餡子。甘さが口の中に広がる。
無言で食べ終わる二人。腹が満たされ、小太朗は心が軽くなるのを感じる。
「さて、晩飯の準備を始めるか。」
小太朗は侍を見上げる。
「働かざるもの、食うべからず。しっかり働いてもらうぞ。」
春の風が、咲き始めた花をゆっくりと揺らす。
小太朗は、もう一度深く頭を下げた。




