鍋侍と、捨てられた少年。
腹が鳴った。
見上げた空は青かった、雲一つなく。ただ無常に太陽が少年を照らす。
少年が弱るのを待って、カラス達が遠目に見守っている。
カラス達の低く鳴く声が、何もない空に響く。
…もう3日も何も食べていない。親に捨てられて、少年はあてもなく一人で彷徨っていた。
両親の最後の言葉が頭の中にこだまする。
涙はもう枯れてしまった。
少年が目を閉じた瞬間、地面を蹴る足音が聞こえた。目を開けると、そこには背中に鍋を背負った奇妙な侍がいた。
「どうした童。なんでこんなところで寝転んでいるんだ?」
…ぐぅ。
誤魔化しようもない音だった。
「腹の虫で返事をするとは、器用な童だ。」
侍は乾いた声で笑う。
侍は背中の鍋と荷物を下ろして、地面に座り込む。そして大きな身振りだがどこか優しい手つきで、荷物の中から小さな包みを取り出す。
「これでも食え。」
言いながら少年に、一つのおにぎりを差し出す。不格好で、でもどこか優しい三角。
モジャモジャの髪を後ろで束ねた、見上げるほどの大男。着ている着物もどこかみすぼらしい。
だが、どこか堂々とした姿。木刀を脇に差し、鍋を背負った侍?
「……変な人だ」
少年の乾いた唇から、思わず掠れた声が漏れた。
「聞こえているぞ。」
「へっ!?」
「腹の音もな。」
少年は慌ててお腹を押さえた。
「……お金、ないんだ。」
「見れば分かる。」
男は少年を見つめる。
侍は、ふと思いついたように呟いた。
「あったかいものもあったほうが、良いな。」
侍は近くに落ちている木々を拾い集め焚き火を起こし、慣れた手つきで手際良く料理を始めた。
そして差し出されたのは、湯気を立てた味噌汁。
「…本当に、いいの?」
「腹を満たすのに理由はいらん。」
少年はおにぎりを両手で持ちじっと見つめる。思わず唾が出てくる。
少年は恐る恐るおにぎりを一口食べる。三日ぶりの米の味が口の中にじわりと広がる。そして味噌汁。湯気とともに、味噌の匂いがふんわりと香る。一口飲んでみる。喉の奥に暖かさが染みる。腹の奥が、満たされていく。
「…うまい。」
「そうか。」
侍は鍋を大切そうに磨きながら、それだけ言った。
「……あのさ。」
少年は、恐る恐る聞いた。
「おじさん、なに者?」
「侍だ。」
「それは見れば分かる。」
侍は焚き火を見つめる。揺らめく炎の中に答えを探そうとするように。
流れる沈黙。先ほどのカラスたちが獲物にありつけずに残念そうに飛び去っていく羽音だけが聞こえる。
そして、侍はぽつりぽつりと話し始める。
「俺は戦で出世した、何人も斬り殺して。…だが腹を空かせて倒れた仲間を、何人も見てきた。」
火が、ぱちりと鳴る。
「戦に勝っても、飯がなければ死ぬ。剣はそれを救ってはくれない。」
少年は、無意識に剣の柄を握った。
どこかで誰かが捨てた、拾い物の剣。
少年は意を決して、声を絞り出す。
「ぼく、剣で強くなりたい。」
侍は、少年を見る。
「強くなって、ここに居ていいっていう場所が欲しい。」
八歳の声だった。小さくて、必死な声。
「捨てられたからか。」
少年は、頷く。
「なら、なおさらだ。」
侍は立ち上がり、鍋を背負う。
「腹を満たせない剣士は、長く生きられん。」
侍は空を見上げる。
「剣は命を奪う。ご飯は命を生かす。」
少年は、握りしめた剣から目を逸らした。
「じゃあ、どうすればいい?」
「ついて来い。捨てられた子供を、腹減らしたままにはできん。」
少年は、すがるような思いで侍を見上げる。
小枝が弾ける音に、少年は思わず振り返る。
刹那の後、木立の中から男達が飛び出してきた。
全部で五人。身なりからして、世間からはみ出した者達だ。
血走った目、乱れた髪。
男達は剣を構えて、ジリジリと侍との距離を詰める。
一人の男が奇声を発した。
それを契機に男達は、一斉に侍に切り掛かる。
少年が息を飲み込んだ瞬間。
侍は無造作に鍋で剣戟を受ける。
火花とともに、乾いた音が響く。
訪れる静寂。
少年は体をこわばらせ、思わず腰の剣の柄を握りしめる。
剣戟を躱された男は、剣の柄を握り直す。
男達は目で合図をしながら、侍を円を描くように取り囲む。
しばらく睨み合いが続き、一陣の風が吹き抜けたかと思った瞬間、膠着が崩れる。
猪のように突進してくる男達。
少年が目を見開いたその瞬間。
侍は、男達を見回しニヤリと笑う。
そして、ためらいなく男たちを蹴り飛ばす。
舞を舞うように優雅に。
あっという間に、全てが終わっている。
侍の周りでは、うめき声をあげる男達が地面に転がっている。
侍は、男達に一瞥もくれずに荷物をまとめる。
少年は、目の前の出来事に驚き、腰を抜かした。
侍は鍋を背負って歩き出す。
少年は、思わず声を上げる。
「あの!名前!」
侍は振り返らずに言った。
「好きに呼べばいい。」
「お師匠さん!」
「むず痒いな。」
少年は、その背中を見上げた。
大きな背中と背中を覆い隠すほどの大きな鍋。不思議と怖くはなかった。
侍は顎をさすりながら空を見上げる。
「童、俺についてくるのか?」
少年は侍をまっすぐ見つめながら頷く。
この侍についていけば、居場所を見つけることができるかもしれない。
侍は少年を見つめる。
「一緒に旅をするのは構わんが、名前がないのは困るな。」
侍は地面に膝をつき、少年の目線に合わせる。
少年はすがるような思いで、侍の大きな目を見つめ返す。
「お主は今日から小太朗と名乗れ。今は小さいが大きく朗らかになれ。」
小太朗は頷き、侍の後を追って歩き出す。
空はどこまでも晴れ渡っている。
小太朗と侍の生き延びる旅が始まった。




