第8章:井戸の記憶 ――星の源は、水だった。
旅の途中、アオトはふと足を止めた。
息は浅く、甲羅はほとんど透けて見えるほどに色あせていた。
目の前にあるのは、苔むした古い井戸。
遠くから、川のせせらぎが静かに響いている。
この場所には、確かな記憶があった。
言葉にならない、でも確かに心に刻まれた何か。
アオトはそっと井戸の縁に手を置いた。
冷たい石の感触が、忘れかけていた過去を呼び起こす。
水面を覗き込むと、揺れる光の中にふたりの姿が浮かんだ。
優しい声。
「この水は、星になるんだよ。」
小さな手――それは確かにアオトの手だった――に渡された皿の中の水。
父と母の顔は霞んでいる。
だが、その優しさだけは鮮明に覚えている。
それは、夜の闇に灯る光の種だった。
「誰かが悲しいとき、この水が星になって、 その人の夜を照らすんだ。」
記憶は断片的で曖昧だが、胸の奥に染み込んでいく。
アオトは思い出した。
あのとき、自分が何を受け取ったのかを。
井戸の底には澄んだ水が静かにたたえられていた。
水面に星のような光が揺れている。
アオトは気づく。
星は空から生まれるのではない。
それは、誰かの祈りと涙、そしてこの水から生まれるのだ。
水は記憶を抱いている。
優しさも、痛みも、願いも。
それが星になる。
「あの人たちは、星を育てていた。アオトは、それを受け取ったのだ。」
その言葉が心に響いた。
アオトは、星を渡す者ではなく、星を育てる者になっていた。
彼は井戸の水をひとすくい、皿に注いだ。
その水は、月の光を受けて静かに光っていた。
まるで、小さな銀河を手のひらに受けたように。
そっとポシェットにしまい、空を見上げた。
「最後のひとつ、誰に渡そう。そして、僕はどうなるのだろう。」
その声は誰にも届かない。
ただ、風が優しく吹き抜けた。
井戸の水は、今日も静かに星を育てている。
――星の源は、過去の記憶と祈りの水。
この光は、これからどこへ届くのだろうか。