第6章:雨の日の猫 ――言葉のない祈りに、星は応える。
その日は、静かな雨が街を濡らしていた。
すべての音がしっとりと湿り、空気は重く沈んでいる。
アオトは傘をさしながら、ゆっくり歩いていた。
足取りは少し重く、背中の甲羅の青は薄れて、もうほとんど透明に近かった。
路地の隅、ひっそりと佇む黒猫を見つけた。
猫は濡れていて、毛並みは冷たく、目は伏せられている。
捨てられたのか、誰にも気づかれなかったのか。
言葉はない。
けれど、その沈黙が語っていた。
アオトは足を止めた。
そっとポシェットから星を取り出す。
それは、雨に濡れても消えない光。
彼は静かに、猫のそばに星を置いた。
まるで小さな焚き火のように、暖かな灯りが猫の体を包んだ。
猫はゆっくりと目を開けた。
その瞳に星の光が映る。
言葉はなかった。
でも、確かに“交流”があった。
アオトは傘を猫に差しかけた。
自分は濡れてもいいと思った。
その瞬間、胸の奥で何かがほどけていった。
私はあの日の雨を覚えている。
ユリと私はまだ若かった。
公園のベンチで雨宿りをしているとき、濡れた猫がひょこり現れた。
ユリは迷わず傘を差しかけた。
「濡れてるね……かわいそう」
私はただ見ていた。
あの姿が、心に刻まれた。
猫は何も言わなかった。
けれど、ユリの傘に少しだけ寄り添った。
それが、私たちの優しさの始まりだったのかもしれない。
猫は星のそばで丸くなり、小さく鳴いた。
それは感謝の声のようであり、別れの挨拶のようでもあった。
アオトは何も言わず、傘を差し続けた。
その沈黙の中に、言葉以上の深い想いがあった。
孤独に寄り添うこと。
誰かを“見つける”こと。
星は、言葉を持たぬ者にも届く。
それは、光のかたちをした祈り。
私は猫の瞳に映った星を見た。
それは誰にも言えぬ痛みを、そっと包む光だった。
アオトは言葉を使わずに星を渡した。
それは、彼自身の孤独への応答でもあった。
雨の日の猫は、捨てられた存在ではなく、
“見つけられた”存在になった。
そしてアオトはまた一歩、空に近づいた。
残る星は、もうひとつだけ。
彼の体は、透明に近づいていた。
――雨の中に灯る小さな光は、何を伝えるのか。