37 研究所の長い一日_13
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晴子は心を炎で滾らせながら立ち上がると、目前にいる傲慢で尊大な悪魔どもに、まさに掴みかからんとした。
「晴子クンッ!!」
すると、背後から主任教授が猛然と叫びながら、老体に鞭打って羽交い絞めしてきた。
「放して下さいっ、教授っ! こんな悪魔どもっ、これ以上野放しにしては、絶対ダメですよっ!」
「キミの言うことは尤もだっ! だがそれはっ、断じてキミの役割ではないっ!」
「放して下さいっ! 一発殴ってやんないと、気が済みませんっ!」
「ダメだっ、晴子クンッ! キミの薬学の才能は、天がお与えになった特別な力だっ! キミは人類に万能薬をもたらすために天から遣わされた、まさに『神の御使い』なのだっ!」
「きょ、教授……」
晴子は、教授のその言葉を聞いて、急速に冷静さを取り戻していく。
大体どこの世界に、指導教授から「神の御使い」と見做される学徒がいるのだろう?
それは、ルネサンス期のイタリアで、その「天才」性ゆえに師匠の筆を折らせてしまった若きダビンチのように、……。
または、ヨーロッパの片隅で「それでも地球は回っている」と呟いた学徒のように、……。
もしくは、その生涯に100回近くも転居を繰り返しながら、様々な画風でち密なデフォルメを駆使して、この複雑な世界を描写した北斎のように、……。
ふと気が付くと、……晴子の目の前には、とても異様な光景が広がっていた。
「後は、任せておけ! 晴子クン!」
主任教授はその言葉をこちらに残した後、2匹の悪魔どもに近付くや、持ち前の合気術で投げては床に落とすを始めてしまったのだ。
ラウンジルームの高級なソファーセットの上に山岡教授を投げ飛ばし、出口のドアに駆け寄って逃げ出さんとする大富豪の襟首を掴んでは、毛足の長い絨毯の床の上に叩き落す。
「まっ、待てっ! 北園っ! 我々にこんなことをやって、ただで済むと思うのかっ!?」
「うるさいっ! 私は悪魔の吐き出す言葉などに惑わされないぞっ!」
「聖徳晴子女史には、アルメリアの名門、ハルベルト大学の教授職と研究室を用意していたのだぞっ! これは日本政府とも、管轄の役所の者とも話が付いていたからこそ、今回の打診だったのだっ!」
「うるさいっ! 私は悪魔の甘言など、聞く耳持たんっ!」
ちぎっては投げ、ちぎっては投げを繰り返し、ラウンジルームの高級家具はバラバラに倒れ、ガラスケースの中にある、高級洋酒の瓶が割れて床に散乱していた。
途中、大富豪のものとも、山岡教授のものともワカらないのだが、……。
晴子の美しい顔に、血飛沫がピッと飛んできた。
さて、私は教授を止めるべきなのだろうか? と晴子は思った。
でも、もうこのまま後には引けないんだと思い、黙って光景を目に焼き付けることにした。
騒動に気付いたのか、大学の職員達が血相を変えて部屋に飛び込んできた。
「北園教授っ!? 殿中ですぞっ! お止め下さいっ!!」
「うるさいっ! 私は悪魔に魂を売った者達を、この手で打擲してやっているのだ! 正しい行いをやって、一体何が悪いというのだっ!」
「ここは殿中ですぞっ! お止め下さいっ!」
晴子の目の前では、およそ10名の警備員達が主任教授を取り押さえ、羽交い絞めにする。
ラウンジルームの2か所に悪魔が転がっていて、どちらも虫の息をしていた。




