37 研究所の長い一日_09
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「おぅ、昼間からお邪魔しているよ、北園っ!」
晴子らが陽光の差し込むラウンジルームに入って席に着くなり、相手の日本人の男は気さくそうに、そう告げてきた。
北園とは晴子の主任教授の名前で、そう告げられるなり教授は、「で、どうしたの今日は? 世間話でもわざわざしにきたのかな、山岡?」と訊ね返している。
その山岡という男は、以前主任教授が在籍していた国立機関で、現在もなお最先端の感染症の研究に携わっている、業界トップの一人だ。
晴子はその男と直接面識はなかったものの、多くの論文を通じて彼の業績だけは知っていた。
一方、山岡教授と同行したアルメリア人の男を、晴子は月刊の経済誌などで何度か拝見したことがある。
まぁ、……言わずと知れた、海外のIT長者の一人だという認識に過ぎなかったのだが、……。
すると、その爬虫類が眼鏡をかけたような見た目の男が微笑んできたので、晴子は思わず背筋がゾッとしてしまった。
その第一印象から既に、……チョ~最悪だったかもしれないと思う。
「まぁ、……オレとオマエの仲だ。回りくどいことを言うつもりはない。今日我々がこちらにやってきたのは、そうだな、……前途有望な人材のリクルーティングだな!」
山岡教授が主任教授にそう言った後、改めて晴子に顔を向け、心を許したようにニコリと微笑んできた。
その笑顔を見て、晴子は山岡教授も私を留学させたいのかなぁと思った。
「リクルーティングとは何かね? それに、オマエさんと一緒にこられた外国の御仁は、……どうやら経済音痴の私でも知っている著名な人物のように見受けられるのだが、……」
主任教授が、幾分怪訝な気持ちを含ませてその外国人に会釈をすると、相手もニマッと笑って握手を求めてきた。
晴子の目の前で握手をしている両者だが、相手に比して主任教授の顔色は優れない。
「こちらの方は、北園、……オマエが言わんとするとおり、オレの研究全般に渡る金主様だよ!」
山岡教授はそう言ってニヤリと笑う。
この国の研究者達は、概ね少ない予算の中で、何とか研究をしている者がほとんどだ。
それは官民いずれも同様で、山岡教授の研究室がアルメリアから潤沢な資金を得ていることは、業界でも噂に上がることが幾度となくあった。
「オマエのとこは、今も感染症の研究をしているのだな? 確か、フラワーインフルエンザの『花枯れ』の機序を調べているのではなかったかね?」
「いや、……今は鳥インフルエンザの『突然変異』について、論文をまとめているところだよ!」
2人の教授は日本語でやり取りをしているのだが、隣りでニコニコと笑みを浮かべている大富豪は、どうやらその内容がワカるようだった。
そのアルメリア人は、こちらを見てニコリと笑うと、イヤホンを外しながら、英語に翻訳された音を聞かせてくれた。
どうやらこのIT長者の男は、私に強い関心があるようだと晴子は思った。




