緑乱の賢者
坑道に、音がなくなった。
ほんの数秒前まで、緑光が満ちていた空間は、すでに元の色を取り戻している。
湿った岩肌。
低い天井。
冷たい空気。
ただ一つ違うのは――そこに立っている『僕』だった。
深緑の髪。
森の奥を思わせる瞳。
見慣れないはずなのに、否定しきれない輪郭。
誰も、すぐには声を出せなかった。
光が消えた理由も。
ヴェルトの姿が見えない理由も。
目の前に立っているものが、何なのかも。
理解が追いつかない。
最初に声を荒げたのは、ブルース李だった。
「……おい」
苛立ちを隠そうともしない声。
一歩、前に出る。
「さっきの光……どうなってやがる」
視線が、僕を値踏みする。
「消えたと思ったら……なんだ、その姿は」
拳を握り直す。
青い光が、まだ完全には消えていない。
それでも、さっきまでの勢いはない。
本能が、違和感を察している。
「おい、聞いてんのか!」
クロハが、低い声で続いた。
「……防御魔法でも、結界でもない」
視線が、僕の足元から頭までをなぞる。
「変身系スキル?いや……違う」
ルルアンの声は、少し震えていた。
「ね、ねぇ……これ、ほんとに大丈夫なの……?」
カナタは矢を番えたまま、動かない。
ブレイズは剣を下ろさず、距離だけを測っている。
そして。
「……はは」
場違いなほど楽しそうな笑い声が、坑道に響いた。
トレッドワンだ。
斧を肩に担いだまま、目を輝かせている。
「最高だな」
心底楽しそうに、息を吐く。
「こんなに滾るのは、久しぶりだ」
ぎらついた視線が、僕を捉える。
「なぁ、ユーマ」
斧を肩に担ぎ、心底楽しそうに。
「これからが本番なんだろっ!!」
トレッドワンが吠えた。
僕に向かって、とびかかってきた。
スキルもなにも使わない。
ただ純粋に斧だけの攻撃。
僕は、ゆっくりと前に出た。
一歩。
ただそれだけ。
なのに、空気が変わる。
足裏に伝わる岩の感触。
視界に入る六人分の位置。
重心。
次に動く確率。
考えたわけじゃない。
最初から、そうあるかのように理解できる。
(……これが)
胸の奥で、静かに納得する。
力が増した、という感覚じゃない。
世界そのものが、整理されている。
(……緑乱の賢者。僕がヴェルトと一緒にいたいと願って手に入った、力……)
ヴェルトと重なった意識が、余計なノイズを消していた。
ガキッンッ!!
斧が僕の手前で止まる。
斧と僕の間はほんの五センチ程度。
そこには深緑の葉が一枚。
斧を受け止めていた。
「なっ!?」
軽く手に持っていた杖をトレッドワンの胸に向ける。
「《リーフ・カッター》」
杖の先から勢いよく深緑の葉が吹き出した。
トレッドワンの体が勢いよく壁まで吹っ飛んだ。
(……次)
【0:37/レベル20】
位置を把握するために意識を空間に向ける。
六人。
トレッドワンは壁際。
クロハは、坑道の左手――鍾乳石の影に半身を隠す位置。
カナタは、そのさらに後方、天井近くの足場に移動している。
ルルアンは、クロハの少し後ろ。回復に入れる距離を保ったまま、動けずにいる。
ブレイズは、正面右。剣を下げず、踏み込みの間合いを測っている。
そしてブルース李は――一歩も引かず、正面中央。
拳を構えたまま、こちらを睨みつけている。
((右です))
一番近いのはブレイズ。
トンと軽く地を蹴ると十歩の距離があっという間に一歩の距離へと変わる。
「――ま、待っ……!」
ブレイズが、剣を振るう。
大振り。
焦っているのかスキルを使う素振りもない。
熟練のプレイヤー?
違うね。
コイツは単なる弱い者いじめをしてきたサイテーなヤツだ。
「遅いよ」
僕は杖を一瞬後ろに引く。
「《リーフ・ソード》」
「うわっぁあ」
ブレイズが剣を振り下ろそうとした。
だが、その剣は、最後まで振り切られなかった。
途中で、体が止まる。
剣が、空中で固定される。
僕の杖の先から出た深緑の光の刃がブレイズを貫いていた。
真っ赤なエフェクトが飛び散り、ブレイズが倒れる。
「ルルアンっ!蘇生!」
「あっ、うん……ソウル・リターン!」
ルルアンが前にでてブレイズに魔法を唱えた。
「えっ、な、なんで?!」
ブレイズの体が真っ白な光に包まれたが、何も起きなかった。
「魔法は掛かってるのに!なんで?ソウル・リターン!」
もう一度、唱えるが生き返らない。
「ごめん、ここで復活はできないんだ」
ここはもう僕の『空間』だから。
僕はルルアンの前に移動すると《リーフ・ソード》で切った。
真っ赤なエフェクトと共にルルアンも床に倒れ込んだ。
(あと、三人)
【0:47/レベル18】
僕は杖を持ち直して、構える。
((マスター、魔法が来ます))
(わかった、ありがとう)
クロハの魔法。
《ファイア・ボール》だ。
木や葉の魔法だから炎の魔法を撃ってきたかんじだ。
確かに属性の相性はある。
だけど、僕のこの力はゲームの仕様とは違う。
だから、まったく気にしない。
「《リーフ・シールド》」
小さな葉が大きな火の玉を止める。
炎の玉は一枚の葉の前に消え失せた。
「今度は、こっちの番」
僕はお返しとばかりに杖をクロハに向けて唱える。
「《リーフ・カッター》」
クロハは焦った表情で魔法を唱えた。
「なんでっ、初心者のくせに!《ファイア・ウォール》!!」
炎の壁がクロハの前に現れる。
普通なら葉の刃は炎の壁に阻まれるだろう。
だけど、僕の魔法は違った。
炎の壁を突き破り、クロハの体に突き刺さった。
真っ赤なエフェクトが幾重にも飛び散る。
「うそっ、なんで……」
クロハの体が床に倒れた。
(あと、二人)
【0:07/レベル18】
((マスター、後ろ))
その言葉と同時に杖を持った腕を振ると矢が床に転がった。
姿が見えない。
また、矢が後ろから飛んできた。
隠れながら撃ってきてる。
どこいるかは把握してるけど、動きながら撃ってきてるからちょっと厄介だ。
そのとき、背中に軽い衝撃が走った。
振り向くとブルース李の拳が僕の背中に入っていた。
赤いエフェクトが散る。
「よしっ、はいった――うぐっ」
僕の蹴りがブルース李の鳩尾に入った。
赤いエフェクトが散り、床に転がった。
「く、そぉ……なんでっ!いいのが入っただろっ」
ブルース李はゆっくりと立ち上がりながら僕を睨んだ。
「うん、入ったよ」
僕はゆっくりと一歩近づいた。
「さっきまでの僕だったらHPは半分以上持っていかれた、だろうね」
ヒューンという風切り音が響いてきた。
杖を軽く構えて、唱える。
「《リーフ・カッター》」
葉の刃が矢を弾き、そのまま矢の軌跡を遡っていくとカナタに命中した。
離れた位置で赤いエフェクトが散り、ドタンと倒れた音が響いてきた。
(あと、一人)
【0:13/レベル16】
「さっきの光か?? あれで回復したのかよ!」
ブルース李が、悔し紛れに叫んだ。
地面を踏みつける音が、乾いた坑道に響く。
「あと、アイツ! あの長髪野郎はどこに行きやがった!」
視線が、僕の背後を探る。
いない。
見えない。
それだけで、勝手に結論を作る。
顔が歪んだ。
「ああ、そうか! お前を置いて逃げたのか!」
「帰還の護符使って、初心者置いて逃げ出したか!」
「仲間に置いてかれて――ざまぁねぇな!!」
――その瞬間。
胸の奥で、何かが音を立てて切れた。
怒りだった。
冷たくも、静かでもない。
腹の底から、一気に噴き上がる感情。
(……置いていかれた?)
違う。
違いすぎる。
それを聞いた瞬間、僕だけじゃない――もう一つの怒りが、はっきりと重なった。
((失礼ですね))
ヴェルトの声。
いつもより、はっきりとした温度。
((事実を知らずに、勝手なことを言うのは))
内側で、深緑の気配が強くなる。
静かだけれど、確実に怒っている。
「……違う」
僕は、低く言った。
ブルース李が鼻で笑う。
「は? 何が違うってんだ」
「置いてかれてなんかない」
一語一語、噛みしめるように。
「一緒にいる」
胸に手を当てる。
「今も」
一瞬。
ブルース李の目が、わずかに揺れた。
けれど、すぐに怒鳴り声で塗り潰される。
「はぁ!? どこにだよ!!」
「見えねぇじゃねぇか!」
「だったら、あのバカみたいな力はなんだ!!」
声が裏返っている。
怒り、というより。
恐怖を必死に押し殺すための音だった。
「さっきの一撃が、効いてないわけねぇだろ!!」
叫びながら、視線が――僕のステータスに走る。
そして。
固まった。
「……な……」
目が、見開かれる。
HPバー。
MPバー。
どちらも、上限表示。
ただし。
HPだけが、わずかに減っている。
99999――そこから、
約9700ほど削れた数値。
「……カン……スト……?」
言葉にならない声。
ブルース李が、無意識に――一歩、下がった。
恐怖が、身体を動かした。
その瞬間だった。
僕の手の中に、緑の光が集まる。
形を成す。
深緑の葉が幾重にも重なり、
一本の剣になる。
「《リーフ・ソード》」
声は、静かだった。
振り抜く。
速さじゃない。
重さでもない。
切られる結果だけが、確定する。
ブルース李のHPが、ゼロになる。
倒れる。
音もなく。
抵抗もなく。
操作不能。
……動かない。
坑道に、沈黙が落ちた。
(……これで)
【0:51/レベル14】
全員、倒した。
そう思った、その直後。
「すげぇ、な」
背後から、声がした。
明るくて。
楽しそうで。
振り返る。
そこに――トレッドワンが立っていた。
傷一つない顔で、
心底嬉しそうに笑って。
「最高だろ、今の」
斧を肩に担ぎながら。
「マジで、最高だ」
その声を最後に、
坑道の空気が、ゆっくりと動き出した。




