表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エルドレイズ・アルカディア ――コミュ症の僕が、ゲームで友人を作ったら、それは“友人”じゃなかった  作者: 雪野耳子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

28/30

その指先にあるもの。

 トレッドワンの斧が、低く唸った。

 肩に担がれた刃は、まだ振り下ろされていない。

 けれど、その溜めそのものが圧だった。

 踏み込めば、終わる。

 下がれば、追われる。

(……詰めてくる)

 直感が、そう告げる。

 次の瞬間、斧が振り上げられた。

 軌道は高い。

 けれど――途中で止まる。

(フェイント!)

 反射的に横へ跳ぶ。

 だが、その動きすら見越していたかのように、盾が突き出された。

「――っ!」

 受け止めきれない。

 身体が弾かれ、石床を滑る。

 赤いエフェクトが、視界の端で弾けた。

 小さい。

 けれど、確実に。

 ――当たっていないはずなのに、減る。

(削られてる……!)

 トレッドワンは追ってこない。

 いや――追わないのではない。

 待っている。

 こちらが立て直す、その瞬間を。

「ほらほら、止まるなよ」

 楽しそうな声。

 だが、視線は一切逸れていない。

 次は、低い薙ぎ。

 しゃがむ。

 風圧が、頭上を撫でる。

 すぐに立ち上がり、《ウィンド・ブラスト》。

 斧の振り抜き終わり。

 そこしかない。

 風が叩きつけられ、トレッドワンの身体がわずかに揺れる。

 ――今!

 すれ違いざまに、杖を叩き込む。

 金属音。

 火花。

 HPバーが、ほんの一ミリ動いた。

「いいねぇ」

 笑う。

 本当に、心から楽しんでいる。

「ちゃんと殴り合いになってる」

 その言葉に、背筋が冷えた。

 遊ばれている。

 けれど、完全な手抜きじゃない。

 こちらの動きを読む対象として見ている。

 だからこそ――次の一撃が、速い。

 さっきより、半拍早い踏み込み。

 さっきより、低い斧。

 反応が、遅れる。

 盾がぶつかり、体勢が崩れた。

 赤いエフェクト。

 また一つ。

(……まずい)

 HPバーが、2割を切った。

 避けている。

 確かに、直撃はしていない。

 それでも、間合いの中にいるだけで削られる。

 トレッドワンの攻撃は、そういう質のものだった。

 斧。

 盾。

 身体そのもの。

 全部が、判定。

(このままじゃ……)

 視界の端で、ヴェルトが見える。

 前衛二人を相手に、必死に耐えている。

 こちらを見ていない。

 ――見られない。

 集中している。

 僕を信じて、前だけを見ている。

 それが、逆に――

「よそ見すんなよ」

 低い声。

 気づいたときには、もう遅かった。

 斧が、真横から迫っている。

「っ!」

 身を捻る。

 刃そのものは外れた。

 だが――。

 圧。

 風。

 赤いエフェクトが、連続で弾けた。

(110……95……)

 視界の端で、数字だけが冷静に減っていく。

「いい顔してるじゃん」

 トレッドワンの声が、近い。

「必死で、考えて、避けて……それでも削れる」

 斧が、再び担がれる。

「だから面白いんだよ」

 その瞬間だった。

 最初に異変を感じたのは、音だった。

 剣戟でも、魔法の炸裂音でもない。

 もっと静かで、乾いた――何かが「切り替わる」ような気配。

 ヴェルトの背後。

 瓦礫の陰に溶けるように立っていたクロハが、ゆっくりと息を吐いた。

「……はぁ」

 それは溜息だった。

 苛立ちを隠そうともしない、露骨なそれ。

「もう、めんどくさい」

 その呟きに、感情はほとんど乗っていなかった。

 あるのは、ただの処理。

 『片付ける』という判断だけ。

 クロハの杖が上がる。

 狙いは――僕じゃ、ない。

(――ヴェルト!?)

 前衛二人を正面に抱え込み、

 《ツリー・ウォール》を軸に必死で耐えているヴェルト。

 背中。

 完全に、無防備だ。

 赤い魔力が、杖先に凝縮される。

 熱が、空気を歪ませる。

「《ファイア・バレット》」

 放たれた魔法は、一直線だった。

 迷いも、遊びもない。

「ダメッ――っ!!」

 叫びながら、身体が先に動いた。

 トレッドワンの間合い。

 斧の射程。

 盾の圧。

 そんなこと、考えていられなかった。

「《ヴァイン・バインド》!!」

 床を叩いた瞬間、蔦が噴き上がる。

 狙いは、クロハの足元。

 絡みつく。

 引き倒すほどじゃない。

 でも――体勢は、崩れる。

「……っ」

 クロハの視線が、一瞬だけ揺れた。

 そのほんの一瞬で、十分だった。

《ファイア・バレット》の軌道が、わずかにズレる。

 ヴェルトを外れ――

 代わりに、こっちへ。

(――来る)

 距離が近すぎる。

 回避動作に入る前に――赤い光が。

 衝撃が、胸を打ち抜いた。

「――っ!!」

 熱が走る。

 内側から焼かれるような感覚。

 視界いっぱいに、赤いエフェクトが弾けた。

 HPバーが、一気に削れる。

 一割。

 数字が、無慈悲に表示される。

 その瞬間。

「……ッ!!」

 トレッドワンの空気が、完全に変わった。

「何度も――」

 踏み込み。

 地面が鳴る。

「何度も言わせんなっ!!」

 怒声が、坑道を震わせる。

「よそ見すんなって言ってんだろうが!!」

 斧が、真正面から振り上げられる。

「《ウィンド・ブラスト》!」

 反射的に撃つ。

 風が叩きつけられる。

 ――止まらない。

 盾で押し切られる。

 距離が、一気に詰まる。

(まず――)

 HP一割。

 この距離、この速度。

 避けきれない。

 そう理解した、その刹那。

 視界に、緑が割り込んだ。

「――っ!?」

 視界に割り込んできた影を見て、息が止まった。

 ヴェルトだ。

「ヴェルト! やめ――!」

 叫ぶより早く、トレッドワンの斧が振り抜かれた。

 魔法は――出ない。

《ツリー・ウォール》もない。

 ただ、身体ごと。

 ヴェルトが、真正面から踏み込んだ。

 重たい衝撃音が響く。

 刃そのものではない。

 けれど、盾にも、壁にもならない身体で受け止め、確実に判定を生む。

 赤いエフェクトが、ヴェルトの全身に弾けた。

 HPバーが、一気に削れる。

 十。

 九。

 八――。

 一桁。

 ヴェルトの身体が、ぐらりと揺れた。

 それでも、倒れない。

 倒れずに、僕の前に立ち続けている。

 VRゲームだ。

 痛みで動けなくなることはない。

 骨が折れて、立てなくなることもない。

 ――それでも。

 数値が、すべてを語っていた。

「……なんで……」

 喉が詰まり、声が掠れる。

 ヴェルトは振り返らない。

 僕を見ない。

 ただ、前だけを見据えたまま、低く息を整えている。

「ユーマさん」

 その声は、不思議なほど落ち着いていた。

「……大丈夫です」

 大丈夫なわけがない。

 あと一撃で、リスポーンだ。

 それでも。

「あなたを、守れた」

 そう言って、ヴェルトはほんの少しだけ、口元を緩めた。

 その背中が、はっきりと語っていた。

 ――信じている。

 この状況でも。

 数値が一桁になっても。

 胸の奥で、何かが音を立てて崩れた。

 その瞬間。

「――っらあっ!」

 僕は考えるより先に、身体を動かしていた。

 斧を振り抜いた直後で、重心が前に残っているトレッドワンの腹部へ――蹴り。

 渾身でも、必殺でもない。

 ただ、距離を作るためだけの一撃。

「チッ」

 トレッドワンの身体が半歩、後ろへずれた。

 それで十分だった。

「……仲間思いじゃん」

 ブルース李が、にやりと笑う。

 いつの間にか、僕とヴェルトを中心に、円を描くように位置取りが変わっていた。

 逃げ道を潰す配置。

 前にも、横にも、背後にも――敵がいる。

「なぁ、提案があるんだけどよ」 軽い口調。

 けれど、拳はすでに構えられている。

「そのアイテム、渡してくれたらさ」

 視線が、僕の首元――ペンダントを指さす。

「見逃してやってもいいぜ?」

 息が詰まる。

 それを渡せば。

 ヴェルトは、これ以上攻撃されない。

(……渡す?)

 その選択肢が、はっきりと頭に浮かんだ。

 アイテム一つ。

 それだけで、ヴェルトがこれ以上攻撃されずに済むなら。

 リスポーンすることもなく、ここを切り抜けられるなら――。

(それくらい、安い……?)

 一瞬、心が揺れる。

 初めてのボス戦で手に入ったアイテム。

 それはそれで大事だと思う。

 だけど、所詮はアイテムなのだ。

 失っても、ゲームは続けられる。

 ヴェルトが目の前で倒されるのを見るくらいだったら。

 ヴェルトが助かるなら。

 そう思った、その瞬間――。

「……それは」

 低く、けれどはっきりとした声が、前から飛んできた。

 ヴェルトだ。

 僕に背中を向けたまま、ブルース李を見据えている。

「それは、ユーマさんが――」

 迷いのない声が響いた。

「初めて、ボスを倒して手に入れた戦利品です」

 坑道の空気が、わずかに張りつめた。

「そのときの、達成感も」

 ヴェルトは一度、ぎゅっと指を握りしめた。

 まるで、その瞬間の手応えを、もう一度確かめるみたいに。

「怖さも」

 一瞬だけ、呼吸が浅くなる。

 背中に走った緊張を、今でも覚えているように。

「嬉しさも」

 その言葉だけは、少しだけ柔らかく落とされた。

 一つひとつを、確かめるように。

「全部が、詰まっています」

 ヴェルトの声は、感情的ではない。

 けれど、揺れていなかった。

「……思い出の品なんです」

 その一言が、はっきりと『線』を引いた。

 渡さない。

 譲らない。

 交渉は、成立しない。

 その事実が、静かに確定する。

 ――絶対に、渡さない。

「ハッ」

 ブルース李が鼻で笑う。

「思い出?そんなの大事に取っといたって、インベントリ圧迫するだけだろ」

 拳をぶら下げたまま、半歩だけ前に出る。

 殺気が薄れたが、その分、余裕が露骨だった。

 坑道の湿った空気の中で、靴底が石を擦る音だけがやけに大きく響く。

 周囲では、ブレイズが大剣を肩に担ぎ直し、

 カナタは弓を下ろさないまま、こちらの動きを値踏みするように視線を走らせている。

 逃げ場はない。

 囲まれている、という事実だけが、静かに押し付けられる。

 ブルース李は肩をすくめた。

 まるで雑談でもするみたいに。

「まぁ、レアなら保管しとく価値はあるけどな」

 その軽さが、胸に刺さった。

(……渡そうとしてた)

 胸の奥が、ずきりと痛んだ。

 ほんの少しでも。

 迷った自分が、確かにいた。

 アイテム一つで、助かるなら。

 ヴェルトがこれ以上、傷つかずに済むなら。

 そうやって――逃げ道を探していた。

(最低だ)

 ヴェルトは、僕の思い出を守ろうとしてくれた。

 それなのに僕は――勝つ前に、逃げ道を探していた。

 交渉で済ませる?

 差し出して終わらせる?

(……心が、負けてた)

 恥ずかしくて、情けなくて、喉の奥が、ぎゅっと詰まる。

 ――違うだろ。

 勝たなきゃ、意味がない。

 守りたいなら、逃げるな。

「……じゃ、交渉決裂ってことで」

 パンッと、一拍。

「とどめ、さしてやるよ」

 拳に、青い光が宿る。

「《衝破拳》」

 空気が鳴った。

 一瞬で距離が詰まる。

 ダメだ。

 ダメだ、ダメだ。

 ヴェルトが倒されるなんて、ダメだ。

 わかってる。

 これはゲームだ。

 リスポーンもある。

 ――それでも。

 目の前にいるのは、

 NPCなのに、普通の人間みたいに話して、笑って、信じてくれる――。

 僕の、初めての友達だ。

 ここで見捨てるなんて、できない。

「――っ!」

 咄嗟に、僕の指が動いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ