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エルドレイズ・アルカディア ――コミュ症の僕が、ゲームで友人を作ったら、それは“友人”じゃなかった  作者: 雪野耳子


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26/30

格上だって関係ない。

 喉の奥に残った恐怖を無理やり押し込めて、僕は杖を握り直した。

 逃げ腰になりそうな足に力を込め、真正面に立つトレッドワンを見据える。

 さっきまで押し潰されそうだった胸の奥に、じわりと熱が灯っていく。

 ヴェルトが一人で前線を支えている姿が、視界の端で揺れた。

(……もう、隠れてるわけにはいかない)

 斧を構えるトレッドワンの殺気が肌を刺す。

 それでも、今はさっきまでの僕じゃない。

 震えが完全に消えたわけじゃないのに、足が勝手に一歩、前へ出た。

(戦う。――ヴェルトと並ぶために)

 目の前に立つトレッドワンが、わずかに目を見開く。

 すぐに、その口元がにやりと歪んだ。

「……へぇ。言うじゃねぇか、初心者」

 低く笑いながら、トレッドワンは斧を肩に担ぎ直した。

 鉄の刃が、岩壁の灯りを受けて鈍く光る。

 盾を構えた左腕が、じり、とわずかに前に出た。

 ――重い。

 視線を合わせただけで分かる。

 さっき一度、真正面から受け止めたあの一撃。

 もしもVRじゃなくて現実だったら、腕ごと折れていてもおかしくない重量だった。

(でも、ここはゲームだ。レベルとステータスと、プレイヤースキルの世界――)

 呼吸を整えながら、意識のどこかで自分に言い聞かせる。

 トレッドワンのレベル49――僕より、19も上。

 装備も、見ただけで分かる。

 胸当ての光沢、肩当ての造形、脚甲のエッジ。

 どれも、さっきまで戦っていた「朽ちた騎士」とは比べものにならない、ちゃんと鍛えられた金属の質感だ。

(防御も攻撃力も、ぜんぜん違う。こっちの《ファイアボール》が直撃しても、きっとHPの数パーセント削れるかどうか――)

 でも。

(それでも、やる)

 杖を握り直し、一歩、前に出る。

 足裏に伝わる石床の感触が、やけに鮮明だった。

「トレッド、遊びはここからだぞ」

 正面のブルース李が、ちらりとこちらを見て笑った。

 その隣で大剣を構えるブレイズも、視線だけ一瞬こっちへ寄越す。

「そうだな。……じゃ、相手してやるよ、ユーマ」

 トレッドワンが、斧をゆっくりと下ろした。

 構えた瞬間、空気が一段階、重くなる。

 ――来る。

「っ……!」

 次の瞬間、斧の軌跡が視界から消えた。

 風を裂く音と、足元の石が砕ける音が同時に響く。

 さっきよりも、さらに速い。

(右、上段――!)

 身体より先に、視界が動く。

 右肩側からの大きな振りかぶり。

 斧の重さを活かした、押し潰す一撃。

 僕は反射的に左へ飛び込んだ。

 地面を蹴った足裏が、砂を巻き上げる。

 ほんの一瞬、背中をかすめるように風が抜けた。


 ドガァンッ!


 斧が叩きつけられた床石が砕け、石片が雨のように飛び散る。

 砕けた石粉が白い靄のように舞い上がり、焦げた土の匂いが鼻を刺す。

 破片の一つが頬を掠め、ヒリッとした感覚が遅れて走った。

(当たったら、一撃で終わってた……!)

 怖気が背筋を這う。

 けれど、それより速く、口が動いていた。

「《ウィンド・ブラスト》!」

 避けざまに、トレッドワンの足元――踏み込み足へ向けて杖を突き出す。

 圧縮した風を叩きつける感覚は、もう何度も繰り返した動きだ。

 ドンッ、と空気が爆ぜる。

 風の弾丸が足首を弾き、トレッドワンの体勢がわずかに浮いた。

「っと」

 バランスが崩れかける。

 でも、彼はそのまま転ばなかった。

 盾を地面に叩きつけ、支点にして身体を支える。

 重心の移動が、滑らかすぎる。

(……やっぱり、うまい)

 それでも、ほんの一瞬――動きが止まった。

 その隙を、僕は逃さない。

「《ファイアボール》!」

 盾と斧の間、胴体の隙間へ狙いを絞り、小さな炎弾を撃ち込む。

 青白い炎がトレッドワンの胸当てに弾け、火花が散った。

 HPバーが、ほんのわずか――五パーセントあるかないか、削れる。

 火花の残滓が揺れながら落ちていき、暗い坑道の天井まで赤い光が一瞬だけ反射した。

 その輝きが消える頃には、胸の奥の期待も静かに沈んでいく。

「ハッ……マジかよ」

 火花を払ったトレッドワンが、むしろ楽しげに笑う。

(……やっぱり、この差か)

 思わず、心の中で呻く。

 直撃でこれだけ、だ。

「おーおー。ちゃんと狙って撃てるじゃねぇか」

 トレッドワンは、焦った様子もなく胸を軽く叩いた。

 燃えかけたエフェクトを払い落としながら、にやりと笑う。

「初心者っつっても、棒立ちでスキルぶっぱするタイプじゃねぇな……ソロでボスとか回してた口か?」

「………さあね」

 とっさに逸らした声は、思った以上に軽かった。

 本当のことを言う気にはなれないし、かといって否定するほどの余裕もない。

 曖昧な返事で誤魔化したつもりなのに、胸の奥がひりつくように熱い。

 トレッドワンの目が、その一拍の揺らぎを逃さず射抜いた。

 まるで僕の言葉の裏に隠したものを正確に拾い上げたみたいに、彼はわずかに目を細める。

「……なるほどな。言いたくねぇってことは、まぁ――それなりにやれてきたってこった」

 低く言いながら、彼の足取りがさらに軽くなる。

 ステータスも装備も低いはずの僕が、まだ戦えている理由を見抜かれている気がして、喉がひりついた。

「ステと装備がしょぼくても、動きだけはそれなりにできてんだよ……だからこそ――」

 トレッドワンの足が、ふっと消えた。

「余計、狩り甲斐があんだよな」

 低く呟いたその声は、もう背中の方へ回り込んでいた。

 背後の闇が揺れ、坑道の湿った空気が冷たく肌を撫でた。

 気配が形を持たないまま迫ってくる。

「っ――!」

 振り向きざま、《ウィンド・ブラスト》を叩き込む。

 さっきより出力を抑えた小さな風弾を、斧の軌道にぶつけるように。

 風と刃がぶつかり合い、軌道がずれる。

 斧の一撃は肩のすぐ横をかすめ、床をえぐった。

 赤いエフェクトが視界の端で瞬いた。

 かすり傷――それでも、HPバーがごっそり減る。

(……っ、三割……!)

 鼓動の音だけがやけに大きく響く。

 周囲の喧騒が遠くなり、坑道の冷えた空気だけが鮮明に触れた。

 今のは「当たっていない」に近い。

 それでも、この削れ方。

 初期装備のローブと、向こうの上級装備。

 レベル差。

 ステータス差。

 全部が、数字の形で目に見える。

(だけど――)

 息を整える。

(格上だって、関係ない)

 胸の中のどこかが、逆に静かになっていく。

(こういうハンデ戦、何度もやってきた)

 ソロゲーで、縛りプレイや低レベルクリアに挑んだこと。

 ボスの攻撃パターンを、何十回、何百回と見て覚えたこと。

 そのすべてが、今この瞬間に繋がっている気がした。

「もう一回だ」

 自分に言い聞かせるように、小さく呟き、杖を構える。

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