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エルドレイズ・アルカディア ――コミュ症の僕が、ゲームで友人を作ったら、それは“友人”じゃなかった  作者: 雪野耳子


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24/30

話し合いは終了しました。

「PKって」

 突然のことで頭が働かなくて、ヴェルトの言葉をそのまま返した。

 抑揚のない僕の声が、ひどく静かに広間に落ちる。

 その一言に、時間が一瞬だけ止まった気がした。

 さっきまで賑やかだった空気が、ぴんと張り詰めていく。

「……は?」

 最初に口を開いたのは、ブレイズだった。

 赤髪の戦士が、目をぱちくりさせてヴェルトを睨む。

「おいおい、いきなりなんだよ、それ」

「PKって……人聞き悪いなぁ」

 ブルース李が、わざとらしく肩をすくめてみせる。

 口調は相変わらず軽いのに、その目だけが笑っていなかった。

「『プレイヤー同士の殴り合い』とか、『効率いい稼ぎ方』って言い方もあるだろ?」

 ブルース李は、ひらりと片手を振りながら言う。

 軽口みたいに聞こえるのに、顎の角度だけ妙に鋭い。

 視線が一瞬だけ僕たちをなぞり、すぐに興味なさそうにそらされた。

「なぁ、トレッド。オレら、なんかルール違反したっけ?」

 その言葉に、胸の奥がざわつく。

 ――そういえば、このゲームでは『PK』そのものはルール違反じゃない。

 プレイヤー同士が力試しをするための、正式な仕様として『仕合』がある。

 仕合中は、一方的な攻撃は無効化されるが、少しでも受けたり、避けたり、武器を構えたりした時点で『仕合を受けた』と判定され、戦闘が成立する。

 勝った側は、負けた相手からアイテムを十個まで奪うことができる――そんな、妙に現実的なシステム。

(つまり……受けたら終わり、ってことだ)

 胸の奥がひゅっと冷える。

 指先がわずかに震え、思わずペンダントの感触を確かめるように握りしめていた。

(……でも、これを渡せば)

 喉の奥のどこかで、そんな考えが生まれかけて、ぞくりとした。

(渡せば、見逃してもらえる……かも)

 頭の片隅が、勝手に逃げ道を計算しようとしている。

 でもすぐに、胸の奥から別の声がそれを押し潰した。

 これは、さっきヴェルトと二人で必死に勝ち取った、初めての報酬だ。

 怖くて、足も震えて、それでも逃げないで戦って――やっと手に入れたものだ。

 それを、「怖いから」って理由だけで差し出すなんて、そんなの。

(嫌だ!!)

 一瞬でも「渡せばいい」なんて思ってしまった自分が、ひどく情けなくて、嫌になる。

(……なに考えてるんだ、僕は)

 握った指先に、ペンダントの縁が食い込む。

 それでも、手だけは絶対に開きたくなかった。

 広間に漂う湿ったの匂いが、急にやけに濃く感じられる。

「さぁな」

 トレッドワンは、頭をかきながら小さく息を吐いた。

 その仕草だけで、空気が一段階、重たく沈んだ気がした。

 さっきまでの砕けた雰囲気から、ほんの少しだけ声の温度が下がる。

「……ヴェル、理由を聞いても?」

 ヴェルトは、ゆっくりとブルース李たちを見る。

 視線は冷静だ。

 でも、その奥には確かな警戒の色があった。

「最近、小耳に挟んだんですよ。この鉱山で、初心者や低レベルパーティが狩られてるって」

 淡々と言いながら、ヴェルトは周囲を一瞥する。

「廃坑での鉱石掘りクエスト。時間はかかるが、報酬はなかなか悪くない。ただでさえ時間が掛かりがちな依頼中に、終わりかけを狙うプレイヤーがいる、という話も」

「……ふぅん」

 クロハが、眼鏡の奥で目を細めた。

「それで、オレらが怪しいと?」

「ええ。さっきの会話を聞いていれば、なおさら」

 ヴェルトの声が、ほんの少しだけ鋭くなる。

「鉱山の中をばらばらに探索して、『変な扉』を見つけたから呼び集めた。もともとはレア掘りクエストの新ルート狙いで動いていた――そう言っていましたね」

 視線が、ブルース李の方に動く。

「そして、『新しいクエはそこそこいいもんが出る』……それを、目の前で確認して、最初に口にしたのが『それ、わたしてくんねぇ?』という言葉なら」

 ヴェルトは、柔らかい微笑みの形だけ残して、言葉を切った。

「――PKだろうと判断するのに、十分です」

 空気が、ぴきりと乾いた音を立てた気がした。

「ちょ、ちょっと待ってよ」

 ルルアンが慌てて手を振る。

「人聞き悪くない?『初心者狩り』とか言われるとさぁ、なんか悪者っぽいんだけど」

 でも、その顔は本気で否定しているというより、 「バレちゃったかー」とでも言いたげな、苦笑混じりの色をしていた。

「でもさ、トレッドに呼ばれてここまで来て、『はい解散、鉱石掘りに戻りましょう』ってのも、今さらでしょ?」

 肩をすくめるルルアンの横で、ブレイズが鼻で笑う。

「実際、ここ稼ぎ場だしな。レアも落ちるし、初心者は油断してるし」

「そうそう。鉱石掘り終わって、疲れたとこ狙うのが一番楽なんだよなぁ」

 軽い口調で言うブレイズの声に、後ろめたさみたいなものはあまり感じられない。

 やっていることは分かっているけど、もうとっくにそういう遊び方として受け入れている声だ。

「……いきなり襲う、なんて一言も――」

 ルルアンが言いかけるのを、ヴェルトが静かに遮った。

「今回は、まだ、言っていないだけでしょう?」

 ヴェルトの視線が、すっとルルアンをかすめる。

 その一瞬に、彼女の肩がびくりと揺れたのが見えた。

「図星、ですか?」

「うっ……言い方ぁ。初心者ちゃん怖がってるじゃん」

 ルルアンが口を尖らせるが、否定の言葉は最後まで出てこない。

 僕の喉が、ゴクリと鳴る。

 心臓がさっきよりも速く、うるさく跳ねる。

 ゲームだ。

 ここはゲームで、相手もプレイヤーで、死んでも本当には死なない。

 分かっているはずなのに、目の前の空気はまるで違うものに変わってしまった。

(……怖い)

 その言葉が喉まで上がってきて――なんとか飲み込む。

 ブルース李が、にぃ、と口角を上げた。

「……まぁ、いいや」

 肩を回して、首をコキコキと鳴らす。

「バレたなら、話早いよな?変に猫かぶる必要もなくなったしさ」

「ブルース」

 カナタが低く制したが、ブルース李は片手をひらひらさせて流した。

「いいだろ?どうせ、ここまで来て『何もありませんでしたー』って手ぶらで帰るつもりもないだろ?」

「それはまぁ、ね」

 カナタも、ため息まじりに矢羽を指でなぞる。

「ここまで集まって、レアドロも経験値もスルーして帰る方が、オレとしてはもったいないと思うけど」

「俺らだって、リスク背負ってここまで来てんだよ。なぁ?」

 ブルース李は、振り向きもせずにトレッドワンに声を投げた。

「トレッド。お前も、こういう展開は想定してただろ?」

 トレッドワンは、短く目を閉じて息を吐いた。

 そして――ゆっくりと、腰の武器に手を添えた。

 背負っていたのは片手斧と小さめの円盾。

 さっきはただの探索用装備に見えていたそれが、今は露骨な戦闘の気配を纏っている。

「……ヴェル」

 トレッドワンが、少しだけ苦い顔で呟いた。

「『PK』って言い方は、正直好きじゃねぇけどさ」

 そこで、わずかに口の端を吊り上げる。

「強い奴相手に本気でぶつかって、ついでに、稼げるなら、悪くねぇ遊び方だろ?」

 その言葉に、ブレイズがにやりと笑い、ルルアンも肩を竦める。

 誰も止めようとはしない。

 それぞれに言い分やニュアンスの差はあっても、「やるかどうか」の答えだけは一致しているのが分かった。

「事実と一致するなら、表現はどうでもいいでしょう」

 ヴェルトは一歩も退かない。

「――ユーマさん」

 ふいに、こちらを振り返った。

「少し、下がっていてください」

「あ……う、うん」

 足がすぐには動かなかった。

 けれど、ヴェルトの視線に押されるように、一歩、あと一歩と後ろへにじる。

 砕けた石片を踏んで、足元でコリッと鈍い音が鳴った。

「さぁて」

 ブルース李が、両手をぶらぶらと振って肩の力を抜く。

「どうする?話し合いで済ませるなら、それはそれでいいけどさ」

 軽そうな声。

 でも、その立ち位置は、いつでも飛び出せるように低く沈んでいた。

「話し合いって言ってもなぁ」

 ブレイズが、大剣の柄を軽く叩きながら笑う。

「向こうが渡さないって言って、こっちが欲しいって言ってる時点で、答え、もう決まってるだろ?」

 ブレイズはゆっくりと大剣の刃先を地面にトン、と落とした。

 乾いた金属音が広間に響き、空気がひとつ沈む。

 その動作に合わせるように、周囲の足元がわずかに動く。

 踏み込みやすい角度へ、彼らが自然と体勢を整え始めた。

「そういうの、クエストじゃ『戦闘に移行しました』ってログが出るやつだよねぇ」

 ルルアンが、半ば冗談みたいに言いながら、それでも杖を握り直す。

 ぞくり、と背中を冷たい汗が伝う。

 笑い混じりの声のはずなのに、言葉の重さが足元を縫い留めた。

 クロハが小さくため息をついた。

「……止めても、聞かないよな、お前ら」

 静寂が、わずかに揺れた。

 その変化に気づいた瞬間、広間の温度がひとつ下がった気がした。

「聞かねぇだろ?」

 ブルース李とブレイズが、ほぼ同時に返す。

「ですよね」

 クロハは、諦めたように肩をすくめ、杖を握って一歩後ろへ下がる。

 ルルアンもそれに合わせるように位置を取り直した。

 ブレイズはひとつ肩を回し、大剣を抜いた。

 刃に鉱山の魔光石の光が反射して、淡い青白い線を描く。

 カナタも、いつのまにか弓に矢をつがえていた。

 その矢じりが、わずかにこちらを向く。

(……囲まれてる)

 遅ればせながら、その事実を認識した。

 正面にはトレッドワンとブルース李。

 斜め左右にブレイズとカナタ。

 後方気味にルルアンとクロハ。

 僕とヴェルトは、崩れた柱の残骸と抉れた床の真ん中あたりに取り残されている。

 逃げ道は――ない。

「この場を静かに去っていただけるなら、攻撃するつもりはありません」

 ヴェルトが、あくまで淡々と告げる。

「それが話し合いの最後の機会です」

「お、ちゃんと警告くれるタイプだ」

 ブルース李が笑う。

「――却下」

 その一言と同時に、床を蹴った。

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