話し合いは終了しました。
「PKって」
突然のことで頭が働かなくて、ヴェルトの言葉をそのまま返した。
抑揚のない僕の声が、ひどく静かに広間に落ちる。
その一言に、時間が一瞬だけ止まった気がした。
さっきまで賑やかだった空気が、ぴんと張り詰めていく。
「……は?」
最初に口を開いたのは、ブレイズだった。
赤髪の戦士が、目をぱちくりさせてヴェルトを睨む。
「おいおい、いきなりなんだよ、それ」
「PKって……人聞き悪いなぁ」
ブルース李が、わざとらしく肩をすくめてみせる。
口調は相変わらず軽いのに、その目だけが笑っていなかった。
「『プレイヤー同士の殴り合い』とか、『効率いい稼ぎ方』って言い方もあるだろ?」
ブルース李は、ひらりと片手を振りながら言う。
軽口みたいに聞こえるのに、顎の角度だけ妙に鋭い。
視線が一瞬だけ僕たちをなぞり、すぐに興味なさそうにそらされた。
「なぁ、トレッド。オレら、なんかルール違反したっけ?」
その言葉に、胸の奥がざわつく。
――そういえば、このゲームでは『PK』そのものはルール違反じゃない。
プレイヤー同士が力試しをするための、正式な仕様として『仕合』がある。
仕合中は、一方的な攻撃は無効化されるが、少しでも受けたり、避けたり、武器を構えたりした時点で『仕合を受けた』と判定され、戦闘が成立する。
勝った側は、負けた相手からアイテムを十個まで奪うことができる――そんな、妙に現実的なシステム。
(つまり……受けたら終わり、ってことだ)
胸の奥がひゅっと冷える。
指先がわずかに震え、思わずペンダントの感触を確かめるように握りしめていた。
(……でも、これを渡せば)
喉の奥のどこかで、そんな考えが生まれかけて、ぞくりとした。
(渡せば、見逃してもらえる……かも)
頭の片隅が、勝手に逃げ道を計算しようとしている。
でもすぐに、胸の奥から別の声がそれを押し潰した。
これは、さっきヴェルトと二人で必死に勝ち取った、初めての報酬だ。
怖くて、足も震えて、それでも逃げないで戦って――やっと手に入れたものだ。
それを、「怖いから」って理由だけで差し出すなんて、そんなの。
(嫌だ!!)
一瞬でも「渡せばいい」なんて思ってしまった自分が、ひどく情けなくて、嫌になる。
(……なに考えてるんだ、僕は)
握った指先に、ペンダントの縁が食い込む。
それでも、手だけは絶対に開きたくなかった。
広間に漂う湿ったの匂いが、急にやけに濃く感じられる。
「さぁな」
トレッドワンは、頭をかきながら小さく息を吐いた。
その仕草だけで、空気が一段階、重たく沈んだ気がした。
さっきまでの砕けた雰囲気から、ほんの少しだけ声の温度が下がる。
「……ヴェル、理由を聞いても?」
ヴェルトは、ゆっくりとブルース李たちを見る。
視線は冷静だ。
でも、その奥には確かな警戒の色があった。
「最近、小耳に挟んだんですよ。この鉱山で、初心者や低レベルパーティが狩られてるって」
淡々と言いながら、ヴェルトは周囲を一瞥する。
「廃坑での鉱石掘りクエスト。時間はかかるが、報酬はなかなか悪くない。ただでさえ時間が掛かりがちな依頼中に、終わりかけを狙うプレイヤーがいる、という話も」
「……ふぅん」
クロハが、眼鏡の奥で目を細めた。
「それで、オレらが怪しいと?」
「ええ。さっきの会話を聞いていれば、なおさら」
ヴェルトの声が、ほんの少しだけ鋭くなる。
「鉱山の中をばらばらに探索して、『変な扉』を見つけたから呼び集めた。もともとはレア掘りクエストの新ルート狙いで動いていた――そう言っていましたね」
視線が、ブルース李の方に動く。
「そして、『新しいクエはそこそこいいもんが出る』……それを、目の前で確認して、最初に口にしたのが『それ、わたしてくんねぇ?』という言葉なら」
ヴェルトは、柔らかい微笑みの形だけ残して、言葉を切った。
「――PKだろうと判断するのに、十分です」
空気が、ぴきりと乾いた音を立てた気がした。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
ルルアンが慌てて手を振る。
「人聞き悪くない?『初心者狩り』とか言われるとさぁ、なんか悪者っぽいんだけど」
でも、その顔は本気で否定しているというより、 「バレちゃったかー」とでも言いたげな、苦笑混じりの色をしていた。
「でもさ、トレッドに呼ばれてここまで来て、『はい解散、鉱石掘りに戻りましょう』ってのも、今さらでしょ?」
肩をすくめるルルアンの横で、ブレイズが鼻で笑う。
「実際、ここ稼ぎ場だしな。レアも落ちるし、初心者は油断してるし」
「そうそう。鉱石掘り終わって、疲れたとこ狙うのが一番楽なんだよなぁ」
軽い口調で言うブレイズの声に、後ろめたさみたいなものはあまり感じられない。
やっていることは分かっているけど、もうとっくにそういう遊び方として受け入れている声だ。
「……いきなり襲う、なんて一言も――」
ルルアンが言いかけるのを、ヴェルトが静かに遮った。
「今回は、まだ、言っていないだけでしょう?」
ヴェルトの視線が、すっとルルアンをかすめる。
その一瞬に、彼女の肩がびくりと揺れたのが見えた。
「図星、ですか?」
「うっ……言い方ぁ。初心者ちゃん怖がってるじゃん」
ルルアンが口を尖らせるが、否定の言葉は最後まで出てこない。
僕の喉が、ゴクリと鳴る。
心臓がさっきよりも速く、うるさく跳ねる。
ゲームだ。
ここはゲームで、相手もプレイヤーで、死んでも本当には死なない。
分かっているはずなのに、目の前の空気はまるで違うものに変わってしまった。
(……怖い)
その言葉が喉まで上がってきて――なんとか飲み込む。
ブルース李が、にぃ、と口角を上げた。
「……まぁ、いいや」
肩を回して、首をコキコキと鳴らす。
「バレたなら、話早いよな?変に猫かぶる必要もなくなったしさ」
「ブルース」
カナタが低く制したが、ブルース李は片手をひらひらさせて流した。
「いいだろ?どうせ、ここまで来て『何もありませんでしたー』って手ぶらで帰るつもりもないだろ?」
「それはまぁ、ね」
カナタも、ため息まじりに矢羽を指でなぞる。
「ここまで集まって、レアドロも経験値もスルーして帰る方が、オレとしてはもったいないと思うけど」
「俺らだって、リスク背負ってここまで来てんだよ。なぁ?」
ブルース李は、振り向きもせずにトレッドワンに声を投げた。
「トレッド。お前も、こういう展開は想定してただろ?」
トレッドワンは、短く目を閉じて息を吐いた。
そして――ゆっくりと、腰の武器に手を添えた。
背負っていたのは片手斧と小さめの円盾。
さっきはただの探索用装備に見えていたそれが、今は露骨な戦闘の気配を纏っている。
「……ヴェル」
トレッドワンが、少しだけ苦い顔で呟いた。
「『PK』って言い方は、正直好きじゃねぇけどさ」
そこで、わずかに口の端を吊り上げる。
「強い奴相手に本気でぶつかって、ついでに、稼げるなら、悪くねぇ遊び方だろ?」
その言葉に、ブレイズがにやりと笑い、ルルアンも肩を竦める。
誰も止めようとはしない。
それぞれに言い分やニュアンスの差はあっても、「やるかどうか」の答えだけは一致しているのが分かった。
「事実と一致するなら、表現はどうでもいいでしょう」
ヴェルトは一歩も退かない。
「――ユーマさん」
ふいに、こちらを振り返った。
「少し、下がっていてください」
「あ……う、うん」
足がすぐには動かなかった。
けれど、ヴェルトの視線に押されるように、一歩、あと一歩と後ろへにじる。
砕けた石片を踏んで、足元でコリッと鈍い音が鳴った。
「さぁて」
ブルース李が、両手をぶらぶらと振って肩の力を抜く。
「どうする?話し合いで済ませるなら、それはそれでいいけどさ」
軽そうな声。
でも、その立ち位置は、いつでも飛び出せるように低く沈んでいた。
「話し合いって言ってもなぁ」
ブレイズが、大剣の柄を軽く叩きながら笑う。
「向こうが渡さないって言って、こっちが欲しいって言ってる時点で、答え、もう決まってるだろ?」
ブレイズはゆっくりと大剣の刃先を地面にトン、と落とした。
乾いた金属音が広間に響き、空気がひとつ沈む。
その動作に合わせるように、周囲の足元がわずかに動く。
踏み込みやすい角度へ、彼らが自然と体勢を整え始めた。
「そういうの、クエストじゃ『戦闘に移行しました』ってログが出るやつだよねぇ」
ルルアンが、半ば冗談みたいに言いながら、それでも杖を握り直す。
ぞくり、と背中を冷たい汗が伝う。
笑い混じりの声のはずなのに、言葉の重さが足元を縫い留めた。
クロハが小さくため息をついた。
「……止めても、聞かないよな、お前ら」
静寂が、わずかに揺れた。
その変化に気づいた瞬間、広間の温度がひとつ下がった気がした。
「聞かねぇだろ?」
ブルース李とブレイズが、ほぼ同時に返す。
「ですよね」
クロハは、諦めたように肩をすくめ、杖を握って一歩後ろへ下がる。
ルルアンもそれに合わせるように位置を取り直した。
ブレイズはひとつ肩を回し、大剣を抜いた。
刃に鉱山の魔光石の光が反射して、淡い青白い線を描く。
カナタも、いつのまにか弓に矢をつがえていた。
その矢じりが、わずかにこちらを向く。
(……囲まれてる)
遅ればせながら、その事実を認識した。
正面にはトレッドワンとブルース李。
斜め左右にブレイズとカナタ。
後方気味にルルアンとクロハ。
僕とヴェルトは、崩れた柱の残骸と抉れた床の真ん中あたりに取り残されている。
逃げ道は――ない。
「この場を静かに去っていただけるなら、攻撃するつもりはありません」
ヴェルトが、あくまで淡々と告げる。
「それが話し合いの最後の機会です」
「お、ちゃんと警告くれるタイプだ」
ブルース李が笑う。
「――却下」
その一言と同時に、床を蹴った。




