笑顔の向こう側。
「おーいトレッドー!なに一人で先行してんのー!」
甲高い女の子の声が響いた。
反響して広間に飛び込んでくる。
「ちょ、ルルアン声でかっ……!」
慌てた低めの声がそれを制そうとする。
やがて、鉄扉の向こうから、ぞろぞろと五人のプレイヤーが入ってきた。
一番目に入ったのは、ショートの金髪をツインテール気味にまとめた、少女。
軽そうなローブに、杖を肩に担いでいる。
名前表示には【ルルアン】。
その後ろから、大剣を背負った赤髪の筋肉質な戦士――【ブレイズ】。
細身の弓使いっぽいシルエットの男――【カナタ】。
黒髪でメガネ、ローブ姿の魔術師タイプ――【クロハ】。
そして、どこかふざけた名前の格闘家アバター――【ブルース李】。
「ちょっとトレッド、また一人で突っ走ってー」
ルルアンがぷくっと頬を膨らませる。
「さっき電話よこしてきたくせにさぁ?『変な扉あった』『新しいクエ臭い』とか言っといて、自分だけ先に入ってるのどういうつもり」
「そうそう。オレら、まだ反対側の坑道うろついてたんだけど?」
ブレイズが、半分呆れたように笑いながら続ける。
「いやいや、ちゃんと待ってたって。ちょっと様子見てただけだって」
トレッドワンが悪びれもせずに言い返した。
その口調は軽いのに、「変な扉」「新しいクエ臭い」という言葉だけが妙に耳に残る。
「いや、もう先にいるし」
クロハが、僕とヴェルト、それから広間全体を冷静に観察して、小さく肩をすくめた。
「うわ、本当だ。先客~」
ルルアンがぱちぱちと瞬きをして、僕たちを見る。
「わ、ほんとだ。二人? すごー」
「マジかよ、初期エリアで『何かありそう』って噂の鉱山とは聞いてたけどさぁ……先に当たり引かれてんじゃん」
ブレイズが後頭部をかきながら、ちょっと悔しそうに笑う。
「ちぇ、レア掘りクエの新ルート見つけたと思ったのに!」
ブルース李が、これ見よがしに肩を落とした。
五人と一人。
トレッドワンを含めた六人のパーティがそろった瞬間、広間の空気が一気に華やかになる。
突然押し寄せた熱気に、胸の奥がざわつく。
さっきまでヴェルトと二人だけで必死に戦っていた場所が、
まるで別の世界みたいに賑やかになっていく。
掛け合いのテンポ、遠慮のない笑い声、自然にできあがった距離感。
その全部が、自分の知らない仲間の空気で満たされていくのが分かった。
さっきまでヴェルトと二人きりで戦っていたから、そのギャップに目が回りそうだ。
会話のテンポ。
お互いのツッコミ。
それに、六人の立ち位置や距離感が慣れている仲間特有のまとまり方をしていて、ひとつの塊みたいに動いているのが分かる。
自然に役割が散って、自然に視線が交差して、まるで長く一緒に冒険してきたパーティそのものだ。
ちょっと羨ましく感じてしまう。
「……やっぱり、クエだった?」
カナタが、広間をぐるりと見渡してからトレッドワンに尋ねる。
「だろうな。扉が増えてる時点で怪しいとは思ったけど……中身的に、完全にボスクラスだったろ?」
クロハが、足元のアイテム痕跡や抉れた床を見比べながら淡々と言う。
「だよねー。ボス演出はもう終わってるし」
ルルアンが、悪霊が座っていた岩の段差をひょいひょいと登っていく。
「まさか、初期んとこの廃坑で発生するとは思わねぇよな」
ブレイズがため息交じりに笑う。
「だよなぁ。テストのとき、こんなとこ何もなかったじゃん? ただのコツコツ掘りクエ用鉱山って感じだったのに」
「ていうか、そもそも初期鉱山にこんなだだっ広いボス部屋なかったしね。構造変わっとる」
クロハの分析に、トレッドワンが「だよな」と頷いた。
「だから、『新作』でいいだろ。名前はあとで調べりゃ分かるとして――」
「名前、渋いのだといいなぁ……」
「ゼラシアのネーミングセンス、たまに渋カッコつけたいお年ごろ入るよな」
そんなやりとりに、僕はただ圧倒されていた。
人数だけじゃない。
会話のテンポや距離感、ツッコミとボケの入り混じり方が、完全に出来上がった身内ノリだ。
輪に入りたいわけじゃない。
でも、この中に投げ込まれた自分の存在が、どこか場違いにも感じてしまう。
「で、その新しいのをクリアしたのが」
トレッドワンが、僕たちの方へ親指を向けた。
「この、初心者と駆け出し抜けたとこコンビ、ってわけ」
「ちょっと、言い方ぁ」
ルルアンが苦笑する。
「でも、二人でやったなら普通にすごくない?この規模のボス部屋だよ?」
「それはそう」
カナタが、僕とヴェルトをじっと見て、素直に言った。
「おつかれさま。初見でこれは、なかなか」
「ありがとうございます」
ヴェルトが、丁寧に頭を下げる。
「ユーマさんも、頑張ってくれました」
「え、あ、その……」
急に注目が集まって、言葉が詰まる。
そんな僕を見て、ルルアンがくすっと笑った。
「わぁ、初々しい」
「なに、初心者?」
「う、うん……その、MMOは、はじめてで……」
なんとか搾り出すと、ルルアンが「やっぱりー」と嬉しそうに手を打った。
「いいねいいね、新人さんだ。最近スタート組?」
「えっと……昨日、はじめて……」
「昨日!? え、昨日でここまで?」
今度はブレイズが素で驚いた声を上げた。
「マジか。トレッド、お前らが来る前にどんなルート辿ってたんだよ」
「オレのせいにすんな。オレまだ今日初対面だし」
トレッドワンが笑いながら肩をすくめる。
「オレはさっき来たばっか。鉱山入ったら、さっき言った変な扉見つけてさ。『これ絶対なんかあるだろ』って皆に電話飛ばしたら、思ったより到着早かったってだけ」
「電話飛んできたとき、オレ普通に別坑道で鉱石殴ってたんだけど?」
「私なんて、まだ入口近くのスライムいじめてたんだけど?」
軽口のはずなのに、どこか噛み合っていない気配が会話の端々ににじんでいた。
浮ついた明るさの層のすぐ下に、ひっそり沈んだ静けさが並走していて――同じ場所のはずなのに、温度が二つあるような変な感覚が胸の奥にざわりと触れる。
誰かがこちらをじっと見ているわけじゃない。
けれど、笑い声の隙間からこぼれ落ちてくるわずかな温度差が、皮膚の表面をそっと撫でていくようで、思わず背筋がすっと伸びた。
理由は分からない。
ただ、空気の中に小さな針の先みたいなものが混ざっている――そんな、説明しづらい違和感だけが静かに積もっていく。
ブレイズとルルアンが口々に文句を言い合い、賑やかな声が広間に弾ける。
そのわちゃわちゃした明るさの中で、六人の視線の一部が、ふとした拍子にこちらへ流れてくる。
値踏みでも探りでもない、ごく自然な“状況把握”の視線――なのに、その自然さが妙に刺さる。
軽さの裏側にもう一段、別の意味が隠れている気がして、心臓がひとつ跳ねた。
深刻な空気ではないはずなのに、身体だけが勝手に緊張を拾ってしまう。
軽口を叩き合う声は楽しそうなのに、僕の耳にはその明るさがどこか遠く響いた。
輪の中の空気って、こんなふうに迷いなく混ざれるものなのだろうか。
話題が流れる速さについていけなくて、追いつく前に次の笑いが起きて、置いていかれているようなそわそわが胸の奥に残る。
自分の立っている場所だけが、床からほんの少し浮いているみたいな――そんな、落ち着きどころのない感覚だった。
(……うわ、なんか緊張してきた)
視線を正面から受け止める度胸はなくて、かといって逸らしすぎるのも不自然な気がして、目が行き場を失う。
靴先の砕けた石片を見つめたり、ヴェルトのローブの裾を見たり、広間の影を追ったり――所在ない視線だけが落ち着きなく揺れた。
「……で、報酬は?」
ブルース李が、ニヤニヤした顔で尋ねた。
「お前、そっちの方が気になるのかよ」
「そりゃそうだろ。こういう、そこそこいいもん出るんだよなぁ」
ブルース李は視線を泳がせて、何気ない風を装いながら、ちらりと僕とヴェルトを見た。
「クエの条件とか、もうちょい詳しく分かる?」
「え、あの、その……」
また焦って、喉が詰まる。
条件なんて、さっきヴェルトと話したこと以上のことは分からない。
「いきなり、始まったんで」
さっきトレッドワンに言ったのと、ほとんど同じ言葉が口をついて出た。
自分でも、芸がないと思う。
「そっか、ならしゃぁねぇか」
ブルース李はあっさりと言って、にっと笑った。
軽い調子。
それなのに、その笑みに、どこか薄い刺のようなものが混じっている気がした。
気のせい、かもしれない。
でも、その気のせいかもしれない不穏さが、皮膚の上にじんわりと張り付く。
「でさ」
ブルース李が、片手をひらひらさせながら、何気ないように言葉を続けた。
「さっきから気になってるんだけどさ」
視線が、僕の胸元に吸い寄せられる。
そこには、さっき手に入れたばかりのペンダント――『森守のペンダント』が、魔光石の光を受けて静かに揺れていた。
「それ、新作報酬だろ?」
ブルース李が顎で指し示す。
「見たことねぇし、ステも良さそうだしさ」
「……え?」
思わずペンダントを押さえる。
指先に伝わる、冷たい金属の感触。
「あー、やっぱ新作装備か。いいなぁ」
ブレイズが苦笑しながら言う。
「初期エリアの新作って、わりと将来性あるの多いんだよな。育てると化ける系」
「そうそう。初期から持ってたら、ずっと愛用できるヤツ。羨ましいわー」
ルルアンが、口を尖らせてペンダントを覗き込む。
「ねぇ、ちょっと詳細見せてよー」
「あ……」
言葉が詰まる。
見せるだけなら、きっと何も問題ない。
でも、他のプレイヤーに注目されるってだけで、心臓が変なリズムで跳ね始める。
「ユーマさん」
ヴェルトが、そっと僕の袖をつまんだ。
その仕草に、ほんの少しだけ落ち着きを取り戻す。
「すみません。彼はまだ、慣れてなくて」
ヴェルトが柔らかく笑う。
「ですが、たしかにユニークな効果ではありましたね。『闇属性からのダメージ小軽減』――この鉱山専用、というよりは、今後を見据えた設計でしょう」
「うわ、やっぱ美味しいやつ」
トレッドワンが素直に悔しそうに言った。
「初期から闇軽減とか、後々のダンジョンで役立つやつじゃん」
「新しいクエはそこそこいいもん出るんだよなぁ、ほんと」
ブルース李が、さっきより少しだけ低い声で繰り返す。
その目が、ペンダントから離れない。
広間に、妙な沈黙が落ちた。
笑い声が途切れたわけじゃない。
誰も喧嘩しているわけでもない。
なのに、会話の隙間にひやりとした空気が入り込む。
ブルース李の視線だけが、冗談とも軽口とも違う温度で、
ずっと僕の胸元に貼り付いている気がした。
喉の奥が、からんと乾く。
「……なぁ」
その声色が、ほんのわずかに変わった気がした。
「それ――」
ブルース李が、一歩、僕との距離を詰める。
僕の背筋に、さっきの戦闘とは別種のざわりとした寒気が走った。
「それ、わたしてくんねぇ?」
軽い調子。
冗談みたいなイントネーション。
なのに、背中の汗が一気に冷たくなる。
何か、決定的に違う空気が、ブルース李の周囲にまとわりついた気がした。
「え……?」
思わず、ペンダントをもう一度握りしめる。
視界の端で、ルルアンが「ちょっとブルース」と眉をしかめかけ――でも、何も言わずに口をつぐんだ。
トレッドワンは、ほんの少しだけ視線を伏せる。
誰も、すぐには続けない。
広間の空気が、さっきまでの賑やかさを保ったまま、見えない方向にねじれていく。
胸の鼓動が早まっているのが分かった。
怖い、という自覚より先に、身体が勝手に緊張していく。
呼吸が浅くなって、喉の奥にうまく空気が入らない。
ゲームだって分かっているのに、
目の前の空気が現実以上に重く感じられて、
足元がじわりと冷たくなった。
「……ユーマさん」
その中で、ヴェルトだけがはっきりと動いた。
すっと一歩、僕の前に出る。
自然な、でも確実に僕を庇う位置取り。
背中越しに、ヴェルトのローブの布の擦れる音がした。
肩越しに見える彼の横顔は、いつもの穏やかさをわずかに引っ込めている。
「下がってください」
低く、小さな声。
でも、はっきりとした芯がある。
僕は、言われるままに一歩後ろへ下がった。
靴底が砕けた石片を踏んで、コリッと鈍い音が鳴る。
ヴェルトは、ブルース李たちの方をまっすぐ見据えた。
そして――。
「……PKです」
静かに、そう告げた。




