会話クエスト、継続中です。
「ちなみにさ」
トレッドワンが、興味津々といった様子で身を乗り出す。
「ボス、どんなだった?」
「え?」
「いや、床とか壁の穴とか、天井ぶっ壊れてるのとか見れば、なんとなく想像はつくけどさ。プレイヤー視点でどうだったのかなって」
聞かれて、さっきまでの戦闘シーンが鮮明に蘇る。
押し寄せる影の槍。
床を走る黒い奔流。
天井のひび割れ。
ヴェルトの声。
震える足、それでも踏み出した一歩。
「……怖かった、けど」
言ってから、少しだけ言い直す。
「怖いっていうか、失敗したくなかった、かな」
「失敗?」
「ここまで一緒に削ってきたのに、最後に外して、全部やり直しになるのが、嫌で」
ヴェルトの横顔を、ちらりと見る。
「それに……ヴェルトに、がっかりされたくなかったから」
自分で言って、自分で顔が熱くなる。
トレッドワンが「へぇ」と小さく笑った。
「いいねぇ。そういうの、嫌いじゃねぇよ」
軽く手をひらひらと振りながら、彼は感心したように頷く。
「『野良でご一緒した知らん人なら、全滅しても別にいいやー』って割り切るプレイヤーも多いけどさ。そうやってちゃんと、一緒にやってる相手を意識してるの、けっこう貴重だと思うよ?」
「そう、なんですか……?」
「そうそう。めちゃくちゃ大事よ、そういうの」
トレッドワンが、今度は少し真面目な声音で言った。
「一緒に戦ってる仲間のこと考えられるって、単純だけど案外できねぇやつ多いんだって。……なぁ、ヴェル?」
ふと向けられたその視線を受けて、ヴェルトが静かに頷いた。
そして、ほんのわずかに声を柔らかくして言葉を続ける。
「ええ。私は嬉しかったですよ。あなたが一緒に勝とうとしてくれたことが」
その目がまっすぐ僕を捉えた瞬間、胸の奥がじんわりと熱くなる。
さっきまでの戦闘の余韻とは違う、別の温度が広がっていく。
「……そんでさ」
ひと呼吸おいてから、トレッドワンがまた身を乗り出してきた。
さっきまでより、ほんの少しだけ目が真面目だ。
「ボスって、実際どんな感じだったんだ?」
「どんな、って……」
さっきまでの光景が、また頭の中でくっきりと再生される。
押し寄せる影の槍。
足元をさらう黒い奔流。
天井に走ったひび割れ。
崩れ落ちる岩。
ヴェルトの声。
それに必死でしがみついていた自分。
「えっと……最初は、普通のボス戦かなって思ったんだけど……」
言葉を探りながら、ぽつぽつと説明していく。
「途中から、槍が一気に増えて……床の影、全部が槍になって突き上がってきて。避けるのに必死で……天井にもひびが入ってきて……」
「ほうほう」
トレッドワンが、興味深そうに何度も頷く。
視線は、僕じゃなくて、足元の抉れた床や、崩れた岩柱――この広間全体をなぞっていた。
「それで……ヴェルトが、『上を狙いましょう』って言ってくれて。影を撃ちながら、あの柱の根元を狙って……」
崩れた柱の残骸を見る。
その先に、ぽっかりと口を開けた天井の穴。
「うまく当たったら、天井ごと落ちてきて……あの悪霊を、まとめて下に叩き落とした、って感じで」
説明しながら、自分でも「冷静に聞いたらだいぶ無茶だな」と思う。
「……なるほどねぇ」
トレッドワンが、低く感心したように息を漏らした。
「床の抉れ方見て、『影槍』の範囲広めだな、とは思ってたけど……天井までぶっ壊してんのは流石だわ。ギミック読み切ってぶっ壊したわけか」
そこでようやく、彼の視線が僕とヴェルトに戻る。
「いやぁ、ここ通りかかったやつ、みんな二度見するだろこれ。初期エリアの廃坑って、ちょっと硬いスライムとゾンビが出るだけの場所ってイメージだったのにさ」
にやりと笑ってから、わざとらしく肩をすくめてみせる。
「……にしてもさ」
今度は、じろりと僕たちを見比べる。
「さっき初心者と駆け出し抜けたあたりって言ったけど――」
軽く顎に手を当て、ふざけ半分、本気半分の声で続けた。
「訂正だな。リアル寄り初心者と、その初心者に合わせて動けるだいぶ上手い人ってパーティだわ、これ」
『だいぶ上手い人』と評された瞬間、ヴェルトがほんの少しだけ視線を逸らした。
その、ほんの一瞬の揺れを、僕の目は見逃さなかった。
「ヴェルト、すごく強いよ」
思わず口から出た。
トレッドワンの前で言うのは照れくさいけど、それでも言わずにはいられなかった。
「さっきも、前で全部受け止めてくれたし。僕、後ろで魔法撃つだけで精一杯で……」
「撃つだけ、なんて言わないでください」
ヴェルトが、くすっと小さく笑う。
「ユーマさんが狙いを定めて、あの柱を落としてくれたからこそ、今こうして報酬の話ができているんですよ。
あれがなければ、押し切られていた可能性も高かったですから」
「柱、って……」
トレッドワンが、崩れた岩柱をつま先で軽くつつき、「これな」と指さした。
「まさかとは思ってたけど、天井と柱、両方まとめて落としたってこと?」
「結果的には、そうなってしまいましたね。少し、力加減を誤りました」
ヴェルトが、いたずらを打ち明ける子どもみたいな声音で肩をすくめる。
トレッドワンは一瞬ぽかんとして、それから盛大に吹き出した。
「ははっ! マジかよ! ギミック利用ゴリゴリ勢じゃん!」
広間に、明るい笑い声が響く。
その笑い方があまりにも楽しそうで、僕の胸の中の緊張も、さっきよりもう一段階ほぐれていく。
「そりゃ、たまたま後から来たやつでも一発でヤバかったクエだなこれ、って分かるわ。入り口の地味さからは想像できねぇレベルで、ここだけ景色が派手にぶっ壊れてるしさ。初期エリアの鉱山で、ここまでの戦闘跡、俺は見たことねぇな」
トレッドワンが、改めて天井の穴から床の抉れ、散らばった鎧片までをゆっくり見渡す。
「ボスのモーションとか細かいギミックは、噂話とかプレイヤー掲示板で追うにしてもさ。こういう現場の空気ってのは、その場に来ねぇと分かんないんだよな……『ああ、確かにここで戦ったんだな』ってのが、空間ごと残ってる感じ」
その言葉を聞いた瞬間、ふと、説明文が頭をよぎった。
どこかで流し読みした公式ヘルプか、プレイヤーズガイドか――そんな類のもの。
『ボス部屋や戦闘専用エリアは、占有エリアとなる。
占有エリアは戦闘後に解除されるが、占有していたプレイヤーがそのエリアを出るまではエリアは維持される』
今目の前に広がる光景みたいに、天井の穴も、抉れた床も、散らばった鎧も、しばらくのあいだは戦った痕跡として残る。
さっき通ってきた鉄扉が、今も開きっぱなしになっているのも、そのためだ。
本来、戦闘中のボス部屋は占有エリアとなり扉は固く閉ざされる。
扉はびくともしなくなり、中にいるプレイヤーは外に出れなくなり、勿論パーティー外のプレイヤーが中に入ることも出来ない。
けれど、戦闘が終われば話が別だ。
扉はゆっくりと解放され、空気が入れ替わり、外のエリアとつながる。
その短い開放時間のあいだだけ、別のプレイヤーが中に入ってこられる仕様になっている。
ヘルプに書いてあったとおり、これは単なる演出じゃない。
――もし中のパーティが全滅して、身動きできなくなった場合。
外にいた誰かが駆けつけて、倒れている仲間に蘇生魔法をかけたり、回復薬を放り込んだり。
そういう救助の余地を残すためのものだ。
閉ざされたままだったら、ただ見殺しにするしかなくなる。
プレイヤーにとっては地味だけどありがたい仕様だ。
そして、戦ったプレイヤーが全員この部屋を離れてしまうと、扉は再び閉じて、そこから先はシステムの判断になる。
何度も挑めるタイプのクエストなら、内部は一定時間ののちに再構成され、ギミックもボスも元の位置に戻る。
一度きりの突発クエストなら、今残っている痕跡ごと一気に幕が引かれるように消えて、ただの廃坑か通路に姿を変える。
(……完成したばかりのボス部屋を、後から覗きに来た、って感じなのか)
そんなふうに考えると、今見ているこの光景が、使い終わった舞台セットの裏側みたいに思えてきた。
誰かがついさっきまでここで必死に戦っていて、その余熱だけが空気の中に残っている――そんな錯覚がつきまとって離れない。
それに――もし、さっき僕がやられていたら。
たぶん今ごろは、街の宿屋のベッドで目を覚ましていたはずだ。
このゲームでは、HPが0になると、最後に『休む』を選んだ宿屋がリスポーン地点になる。
起き上がるときに、経験値ロストも一緒についてくる。
溜めていた経験値の一部が、ごっそり削られてしまう、あのいやな表示だ。
でも、ヘルプにはこうも書いてあった。
『戦闘不能になってから三分以内なら、他のプレイヤーの蘇生魔法で、その場で復活できる。
その場合は、経験値ロストは発生しない。』
だからこそ、今みたいに扉が開いている時間帯に誰かが駆けつける意味がある。
助けを呼べるし、助けに行くこともできる。
さっき足音を立ててここに来たトレッドワンも、
本来なら、そういう救助役になっていたのかもしれない。
(……でも、今回は)
思わず足もとに視線が落ちる。
砕け散った鎧片が靴先に触れて、カラン、と乾いた音が跳ねた。
その小さな響きが、さっきまでの戦いの現実味をもう一度胸に呼び戻す。
指先がほんのわずか震えて、その震えを誤魔化すようにぎゅっと拳を握りしめた。
(ちゃんと、自分とヴェルトで勝てたんだ)
改めてそう思うと、胸の奥がじんわりと温かくなる。
さっきまでの人と話す怖さも、いつのまにか薄くなっていた。
僕が何かを言っても、誰も「お前のせいで」なんて言わない。
ただ、ゲームの話をして、笑っているだけ。
(……こういうの、いいな)
そう思った、その時だった。
――ドドドッ。
通路の向こうから、複数の足音が一気に響いてくる。
さっきここに来るまで、自分たちだけの足音しかなかった通路が、一気に賑やかになった。




