会話は難易度Maxです。
口が、動かなかった。
「うわ、これ……ボス部屋の残骸じゃん。まさか二人だけでクリアしたの?」
さっき投げかけられた、その言葉がまだ耳の中で反響している。
目の前のプレイヤー――軽鎧に片手剣を下げた青年が、悪霊の残骸と散らばった鎧をぐるりと見回しながら、感心したように口笛を鳴らした。
「マジで二人だけっぽいな……」
彼の視線が、僕とヴェルトの間を行ったり来たりする。
喉が、きゅっと細くなる。
何か言わなきゃ、って頭のどこかでは分かってるのに、声が出ない。
「ええ。ついさきほど、終わったところです」
代わりに答えたのは、隣のヴェルトだった。
いつも通りの落ち着いた声。
その声を聞いただけで、少しだけ肩の力が抜ける。
「へぇー……」
青年は、僕たちの立ち位置と、床に残った影の槍の痕、崩れた岩柱の残骸を順番に見ていく。
システム的なライン取りでも確認しているみたいな、慣れた目の動きだった。
「ここ、こんな部屋あったっけなぁ……」
ぽつりと零した独り言が、やけに自然で。
ああ、本当に日常的にこのゲームを歩いてる人なんだなって、実感させられる。
「……あの」
やっとのことで、僕は掠れた声を絞り出した。
青年が、ぱっとこっちを見る。
目が合って、心臓が跳ねた。
「なに?」
「あ、その……初めて、ここに来た、から……前にどうだったかは……」
自分でも情けないくらい、言葉が途切れ途切れになる。
青年は一瞬目を瞬かせてから、「あー」と笑った。
「そっか、そっかぁ~~初見さんか。なるほどね」
トレッドワンは片手で後頭部をかきながら、気楽に笑った。
「悪ぃ悪ぃ、責めてるわけじゃないからさ。俺、トレッドワン。トレッドでもトッドでも好きに呼んでいいよ」
その瞬間、視界の端にひとつのログが浮かんだ。
『トレッドワンが、あなたを見ています』
(……僕を見てる? 何これ?)
意味が分からず、つい目の前のプレイヤーにカーソルを合わせてしまう。
すると小さなウィンドウが現れた。
『プレイヤー情報を見ますか?』
【見る/見ない】
(……へぇ、こんな機能あるんだ。見るって押したら何が出るんだろ)
深い意味もなく、軽い好奇心で『見る』を選択した。
パッと半透明のステータスウィンドウが開く。
【プレイヤー:トレッドワン】
【ジョブ:戦士】
【レベル:49】
(よ、49!? そんなに強いんだ……!)
素直に驚いて見入ってしまい、慌ててウィンドウを閉じた。
ウィンドウを閉じた瞬間、視線を上げると――トレッドワンの目が、ほんの一瞬だけ細くなった。
興味、でもどこか値踏みするような冷たさがかすめて、背中に小さな寒気が走る。
「あ、えっと……ユーマ・フォレストです」
反射的に名乗る。
リアル名じゃなくていい安心感が胸を軽くした。
「ユーマね。よろしく~」
トレッドワンが片手をひらひら振って笑う。
「で、そっちは……」
視線がヴェルトに移った瞬間――ヴェルトの眉が、ほんのわずかにひそまった。
(え……?)
胸の奥がきゅっと縮まる。
怒っている、というより、何かを警戒するような……そんな空気。
(な、なんで……?僕、何かした……?)
いや、さっきまで普通に話してたし、
ヴェルトの機嫌を損ねるようなことはしてないはずだ。
けれど、急に表情が変わった理由が分からない。
分からないという不安が、じわじわと胸の奥を押し広げていく。
だがヴェルトの視線は、僕ではなく、まっすぐトレッドワンのほうだけを見据えていた。
「……本来、相手の許可なくプレイヤー情報を見るのは、あまり好まれませんよ」
「おっと、バレたか!」
トレッドワンがへらっと笑う。
「ごめんごめん!ほら、君ら二人でここクリアしたって聞いたらさぁ、どんなレベル帯で挑んだのか気になっちゃって」
悪びれない調子だが、悪意がないのは伝わる。
(……あ。じゃあヴェルトの眉は……僕じゃなくて、トレッドワンがヴェルトまで見たから……?)
胸の強張りが少しだけ緩んだ。
だが、次の瞬間。
(……って、もしかして……僕も同じことした……?)
やっと自覚して、耳まで熱くなる。
「あ、あの、僕……すみ……」
言いかけたところで、トレッドワンが豪快に手を振った。
「いやいやいや! 気にすんなってユーマ」
肩を軽くぽんと叩かれる。
「俺が先に見たんだし、初心者さんが知らなかったのは当然だろ?むしろ『やべっ見ちゃった……』って顔が初々しくてさ」
「そ、そんな……!」
恥ずかしさで視線が床に落ちる。
横でヴェルトが柔らかく言葉を添えた。
「ユーマさん。相手に一言いえば構いませんから」
「……はい……気をつける……」
しゅんとしながらも、ヴェルトの穏やかな声に少し救われた。
一言『見ていい?』と言えばいいとヴェルトは言ったけど、正直、それは僕にとってはハードルが高い。
仲のいい友人ならまだしも友人でもない人に向かって『見ていい?』なんてそんな風に気軽に聞けるわけがない。
結果、今後は『見る』のは辞めようと心に誓ったのだった。
「ははっ、まぁヴェルが言うなら仕方ねぇな」
トレッドワンが笑う。
「しかし……ヴェルって言っていいんだよな?その落ち着き、完全に初心者って感じじゃねぇよな。動きも慣れてたし」
にやりと笑った。
ヴェルトは軽く会釈しつつ返す。
「ありがとうございます。お褒めの言葉として受け取っておきますよ」
その応対がまた落ち着きすぎていて、本当にそこそこレベルなのか自信が持てなくなる。
「そっちは装備、初期からちょっと上くらいだし――」
チラッと僕のローブと杖を見る。
「まあ、初心者と、駆け出し抜けた辺りの組み合わせって感じ?」
言い当てられて、思わず肩が縮こまる。
「……あの」
何か答えないとと思うが、何を言えばいいのか分からない。
リアルでも出来ない自分がここVR世界に来ても変わらない。
変わるためにこのゲームを初めて、ヴェルトと出会って、話せるようになったと思ったのに。
なんて答えたらいいのか、思考がグルグル回る。
でも言葉が出ない。
目だけが、助けを求めるようにヴェルトの方へ向いた。
「ユーマさんは、MMOは初めてですが、ゲーム自体はお得意ですよ」
ヴェルトが、さらりと補足してくれる。
少しだけ、誇らしげな響きが混じっているように聞こえて、胸の奥がじんわり温かくなった。
「なるほど、『ソロゲー廃人』タイプか」
「は、廃人って……!」
思わずツッコんだら、トレッドワンが「お、喋れた」と楽しそうに笑った。
「『一人でやる分には強いけど、パーティ慣れしてない』ってやつ。いるいる。最近増えたよな、こういうタイプ」
バカにしてる、って感じではない。
ただ、本当に『あるあるネタ』として言っている。
それでも、胸のどこかがチクッとする。
小学生のとき、友達に言われた「お前のせいで負けた」が、一瞬だけ頭をよぎった。
「……それで」
トレッドワンは改めて広間を見渡し、足元の鎧片をつま先で軽くつつく。
「ここ、マジで見たことないんだよな。前来たときって、ただの行き止まりの廃坑だったはずなんだけど」
「僕たちも、最初はそう思っていました」
ヴェルトが静かに口を開く。
「途中で条件が重なって、クエストが発生したようですね」
ヴェルトがそう言うと、トレッドワンが眉を上げた。
「条件って……ああ、ランクエ系のやつか?」
軽く言い返しているのに、どこか探るような色が混ざっていた。
その言葉に、僕の背筋がもう一度ゾワッとした感覚に包まれる。
――このクエストは、ヴェルトが用意していたものじゃない。
このゲーム『エルドレイズ・アルカディア』の大きな特徴のひとつ。
ランダムクエスト。
決められた内容だけじゃなく、日々この世界で新しいクエストが自動生成されていく。
一度きりの特別なものもあれば、何度でも挑めるものもある。
リアルで誰かに頼まれごとが増えていくみたいに、この世界でも小さな出来事が積み重なり、形になっていく。
そうして生まれる新しい依頼たちが、毎日冒険者の道を増やし、分岐させ、惑わせてくれる。
同じ道を通っても、昨日とは違う何かが落ちているかもしれない――それが、このゲームの醍醐味でもある。
あの影の騎士たちも、悪霊も。
さっきまで僕たちを襲ってきたギミック全部が、「初期エリアで発生するには重すぎる」系統のクエストだったわけだ。
「……いやしかし、こんなところでクエストが発生するとは思いませんでしたね」
ヴェルトが静かに周囲を見渡しながら言った。
その声はいつも通り落ち着いているのに、どこか珍しいものを見たという色が混じっている。
「ヴェルト、ここ来たことあるの?」
僕が小声で問うと、ヴェルトは当然のように頷いた。
「何度もありますよ。今日はユーマさんのレベル上げがてら……と思っていたら、途中で『条件』が揃ってしまったようで」
「条件?」
トレッドワンが興味深そうに眉を上げる。
その表情にはわかるぞその気持ちみたいなベテランプレイヤーの余裕がある。
「ランクエは、複数のフラグが同時に重なることで発生します。ただ……ここの鉱山で、しかも初期エリアで発生するのは、私も初めてですね」
ヴェルトが軽く肩をすくめる。
「やっぱり、前にはなかったよな?」
「ええ。ボス部屋なんて構造、ありませんでした」
そのやり取りに、トレッドワンはぽん、と手を叩いた。
「だよなぁ!!オレもさ、鉱山のクエなら全部やった覚えあんだけど……ボスルームなんて絶対なかったんだよ」
トレッドワンは肩をすくめながら、両手を大きく広げて周囲をぐるりと見渡した。
「条件……なんだろな?触った順番とか?アイテム?場所?」
誇張気味の身振りで洞窟の天井から壁、床までを指さしながら、矢継ぎ早に疑問を投げる。
ヴェルトは少しだけ首を傾げて、静かに応じた。
「正直、私にも分かりません。ただ――ユーマさんが鉱山に入り、騎士の残骸を調べ、剣を拾い、さらに逃げずに踏み込んだ。おそらく、それらが偶然重なったのでしょう」
「え、えっと……」
急に矢面に立たされた気がして、胸がそわそわと落ち着かなくなる。
僕は慌てて手を振った。
「た、たぶん……ほんとにいきなり始まっただけで……特別なことしたとかじゃなくて……!」
言いながら、肩がびくっと上がる。
指先が落ち着かなくて、握った杖のグリップをぎゅ…っと握り直したり、すぐに緩めたりを繰り返してしまう。
視線も安定せず、相手を見るのが怖くて、砕けた石片の上を彷徨うように泳いだ。
「ふむふむ、じゃあたまたま最初に通ったプレイヤーってことか」
トレッドワンはにやっと笑い、ひどく楽しそうに息をついた。
「いいなぁ! その瞬間に立ち会えるの、エルドレの醍醐味だよな。ランダムクエは何度かやってっけど……こういう出方すんのは初めて見たわ」
トレッドワンは感心したように目を見開き、そのまま両手をぱん、と軽く叩いた。
乾いた音が広間の壁に反響して、少しだけ明るい雰囲気が広がる。
足元の鎧片をコツコツ蹴りながら、まるで本当に宝物でも見つけたみたいににこにこと笑う。
「そうでしょうね。この規模は珍しいタイプですから」
ヴェルトも苦笑気味に同意する。
「初期エリアでこんな重いクエ、普通は出ませんよ。だからこそ、景色が丸ごと変わったのだと思います」
「はーー、なるほどねぇ……さすがヴェル、説明うめぇわ」
トレッドワンは素直に感心して頷く。
「初心者のユーマ、そこそこやってるヴェル……二人の行動が、たまたまハマったってわけか。そりゃ納得」
彼の視線が僕へ向けられ、また胸がじん、と熱くなる。
「ま、詳しい条件はゼラシア様しかわかんねぇってな!」
軽口混じりに笑うトレッドワンに、ヴェルトが柔らかく笑みを返す。
「それは確かに。あのお方の気まぐれには、私もよく振り回されますからね」
その会話を聞きながら、僕もようやく肩の力が抜けていく。
説明しなきゃと焦る必要はなかった。
ヴェルトが自然に、僕の代わりに会話の中心に立ってくれる。
それが、妙に心強かった。




