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エルドレイズ・アルカディア ――コミュ症の僕が、ゲームで友人を作ったら、それは“友人”じゃなかった  作者: 雪野耳子


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19/30

全身全霊全力で!

 床一面に広がった影が、波打つようにせり上がった。

 悪霊の足元。

 そこから広がっていた黒い影が、床のひび割れや崩れた瓦礫に絡みつき、じわじわと形を変えている。

 さっきまで騎士たちの足元へ伸びていた細い線は、もうない。

 代わりに――影そのものが、部屋の構造に食い込んでいた。

「影の繋がりは、騎士から“この部屋そのもの”に移りましたね」

 ヴェルトが息を整えながら呟く。

 HPバーは瀕死まではいかないものの、まだオレンジ色。

 僕もMPは底が見え始めている。

(ここから、どうする……? でも――)

 胸の奥で、恐怖と一緒に、妙な高揚が跳ねた。

 ゲームでピンチに追い込まれたときの、あの感覚。

 間違えたら一瞬で“ゲームオーバー”だけど、だからこそ、正解を引き当てたくなる。

 悪霊が、ゆっくりと腕を広げた。


 ザザザッ――。


 床一面の影が、鋭い棘の群れのように立ち上がる。

 それは一斉にこちらへ向かって、槍のように伸びてきた。

「《ウィンド・ブラスト》!」

 反射的に風を叩きつける。

 だが、影の槍は物理的な手応えが薄く、押し返しきれない。

 風は確かに当たっているのに、影の輪郭がぶれて、すり抜けるみたいに形を持ち直す。

(くそ……! 仕様がわからないと、こういうところで差が出るんだよね)

「影は、形になっていても半ば術そのものです。押し返すより、受ける場所をずらした方がいいですね」

「先に言って!?」

 ひときわ太い影の槍が、さっきまで僕の胸があった場所を貫いた。

 石床に深々と突き刺さり、ひび割れが四方へ走る。

(まともに喰らったら、あれも即死コースだ……ゲーム的には)

 ほんの少し、背筋が冷える。

 でも、痛みがないぶん、怖さよりも「どう避けるか」の計算がすぐに頭の前に出てくる。

 足元の影がざわざわと揺れ、次の一撃を狙っている。

「ユーマさん、影の核を探してください」

「核?」

「ええ。さっきまでは騎士たちの足元でしたが、今はこの空間のどこか――必ず、濃度が高い場所があります」

 言われて、僕は荒れた床を見回した。

 割れた石床。

 騎士の残骸。

 崩れかけた柱。

 そのあたり一面に影は広がっているけれど、たしかに――

(あそこだけ、濃い)

 岩の段差と床の境目。

 悪霊の玉座の真下あたりに、墨を何度も重ねたみたいな真っ黒な影の溜まりがあった。

「あそこ、だよね」

「ええ、おそらく核の一つです。とはいえ――」

 悪霊が、ゆっくりと影の剣を持ち上げた。

 刃先に黒い光が集まり始める。

「さっきまでの小技とは、明らかに質が違いますね」

 ヴェルトの声が、わずかに低くなる。

 ただの冷静な分析じゃなくて、「ここからギミック第二段階ですよ」という合図みたいに聞こえた。

「ユーマさん、伏せて!!」

 叫びと同時に、ヴェルトが僕の肩を掴んで引き倒した。

 次の瞬間――


 ズゴォォォォォン――!!


 黒い奔流が走り、岩を抉り、天井を震わせた。

 爆発音のような衝撃が空気を裂き、鼓膜がビリビリと震える。

 天井の一角に大きな亀裂が走り、ざらざらと砂と小石が落ちてきた。

 さっきまで僕が立っていた場所の床が、跡形もなく削れている。

(なに、あれ……!? ビーム兵器じゃん……!)

 ゲームでしか見ないような大技が、目の前で現実味たっぷりに暴れている。

 怖い、というより――正直、ちょっとテンションが上がった。

(こんなの、絶対パターン読み切って叩き込みたいやつじゃん……!)

 視界の端で、ヴェルトのHPバーが赤に染まる。

「ヴェルト!!」

 起き上がろうとした僕を、ヴェルトが押さえつける。

「……動かないで。まだ撃ってきます」

 悪霊の剣先に、再び黒い光が収束していく。

 今度は、横薙ぎだ。

 広間を丸ごと薙ぎ払うつもりらしい。

「避ける場所、限られますね……」

 ヴェルトが周囲を一瞥し、短く息を吸う。

 その横顔は、緊迫しているのに、どこか楽しげですらあった。

「ユーマさん、天井を見て」

「え?」

 見上げると、悪霊の頭上の岩天井に大きなひび割れが走っていた。

 さっきの影の奔流がかすめた部分だ。

 黒く焦げた岩肌が、不気味に――いや、攻略対象みたいに、今にも崩れそうに軋み続けている。

「あそこを、落とします。悪霊の射線上に」

「ええっ!?」

「やるしかありません。あれは、受けていい攻撃ではありません」

 ヴェルトの瞳が、まっすぐ僕に向く。

「《ファイアボール》で、ひびの中心を撃ち抜いてください」

「そんなピンポイントで……!」

「できます。ユーマさんならきっと」

 迷いの欠片もない声。

 僕のほうが、不安なのに。

 でも――。

「昨日のあなたなら難しかったでしょう。でも、今日は違う」

 胸が熱くなる。

 言葉だけじゃなくて、ここまで一緒に戦ってきた体感が、そのまま背中を押してくる。

(あのとき――飛び出せたんだから)

 怖い。

 外したら、クエスト失敗。

 ここまで積み重ねたものがリセットされるかもしれない。

(でも――今の僕なら……きっと)

 ワクワクと、ほんの少しの怖さが混ざり合って、手の震えが前のめりなものに変わっていく。

「……やる」

 深く息を吸い、杖を天井へ向ける。

「お願いします」

 ヴェルトの囁きが、震える心を静かに押し上げた。

(狙うのは――ひびの弱いところ)

 黒く焦げた亀裂が集中している部分だ。

「――《ファイアボール》!!」

 炎の球が一直線に天井へ。

 視界が狭まり、炎と岩しか見えなくなる。

「当たれ――っっ!!!!」

 小さな爆発。

 ひびの中心が砕け、鈍い音とともに岩が剥がれ落ち始めた。

 巨大な岩塊が、悪霊の真上へ落ちていく。

 同時に、悪霊の黒い奔流が解き放たれた。


 ドゴォォォォンッ!!


 岩と影の衝撃がぶつかり合い、広間に爆風が巻き起こる。

 砕けた岩片と鉱石が雨のように降り注ぎ――悪霊の姿が、爆煙で一瞬だけかき消えた。

「今です!!」

 ヴェルトの叫びが響く。

 悪霊の足元。

 さっき真っ黒だった影の溜まりが、爆風で薄く引き伸ばされていた。

(影が――崩れてる)

 床のあちこちで、影が途切れ、形を保てずに震えている。

「ユーマさん、影の根ごと縛ります!」

「うん……!」

「――《ヴァイン・バインド》!」

 僕は、悪霊の足元から広がる影全体を狙うように、床へ蔦を走らせた。

 緑の光を帯びた蔦が、割れた石床の隙間から一斉に飛び出し、黒い影を絡め取って締め上げる。


 ギチギチギチ……ッ。


 黒い影が、蔦とぶつかり合って火花のような黒いノイズを散らす。

「《ブレイク・スピア》!」

 ヴェルトが続けざまに、影の核を狙って槍を放つ。

 濃度の高かった影の塊が、内側から破裂して霧散した。

 悪霊の身体が、大きくよろめく。

 ボスHPバーが、目に見えて削れた。

(さっきまでとは、違う……!)

 じわじわとしか減らなかったゲージが、ここに来てようやくボス戦の第二形態らしい削れ方を見せ始める。

 怖い、というより――このまま押し切れるかどうかのラインを読みたくて、目が離せない。

 騎士たちという盾はもういない。

 今は影の防御も崩れかけている。

 ようやく、本体に届き始めた。

「ユーマさん。ここからは――」

「分かってる。もう、逃げないよ」

 僕は、自分でも驚くくらい自然にそう答えていた。

 炎と風と、蔦と木。

 賢者の力じゃなくて、今の僕とヴェルトにできる全部で。

(ここで、ちゃんと倒す。負けたくない。ヴェルトと一緒に勝ちたい)

 杖を握り直し、悪霊の濁った瞳を真正面から見据えた。

 黒い靄が、最後の悪あがきみたいに渦を巻く。

 その中心にある、かすかな青白い光――このボスの核。

 そこを、撃ち抜くために。

「ユーマさん」

 肩越しに、ヴェルトの声がする。

 振り返らなくても、彼が微笑んでいるのが分かった。

「最後くらい、派手に決めてもいいですよ?」

「派手って……」

 チラッと目配せされた先に、はっとする。

 崩れた天井。

 ひび割れた床。

 そして――広間の中央に立つ一本の岩柱が目に留まった。

 さっきの光線の余波で、根本に大きなひびが入っている。

 ちょうど、悪霊と僕たちの中間あたり。

(あれ、落とせるか……? ……いや)

 狙うのは、柱『だけ』じゃない。

 悪霊を、その下に引きずり込む。

(こういうの、ソロゲーで散々やってきた。ギミック利用は僕の得意分野だ)

「ヴェルト」

「はい」

「悪霊の前、開けられる?」

「もちろん」

 ヴェルトが立ち上がる。

 杖を剣のように構え、悪霊に向き合った。

「――こちらですよ」

 小さく囁き、わざとらしく大きく杖を振る。

 影の槍をかわしながら、悪霊の注意を一手に引きつける。

 黒い瞳が、ヴェルトを追う。

 足元の影が伸び、槍となって彼を貫こうとする。

「《ウィンド・ブラスト》!」

 僕は側面から、悪霊の足元を押し込むように風を叩きつけた。

 影の足場が一瞬だけ崩れ、悪霊の身体がわずかによろめく。

 視線が一瞬だけ、僕の方へ逸れた。

(今!)

 悪霊の立ち位置が、柱の真下のライン上に重なったのを確認する。

 床を蹴る。

 柱の根元まで駆け寄り、ひび割れの中心に杖を叩きつける。

「そこだァァァ!!」

「――《ファイアボール》!!」

 小さな爆発が柱の根元を抉る。

 火花と石片が飛び散り、柱がゆっくりと傾いた。


 ゴゴゴゴ……ッ!


 岩柱が、悪霊の方へ倒れ込んでいく。

 黒い影が慌てたように形を変え、支えようとするが――

「《ヴァイン・バインド》!」

 僕はその影ごと、柱と足元を蔦で縫いとめた。

 逃げ場を塞がれた悪霊の上に、巨大な岩塊がのしかかる。


 ドシャァァァァンッ!!


 重い衝撃が広間を揺らし、黒い靄が爆ぜた。

 ボスHPバーが、一気に残り一割を切る。

 同時に、床一面の影が、ひび割れたガラスみたいに砕け散った。

(あと、ちょっと……! ここまで来たら、絶対落としきる!)

 そう思った瞬間――岩の下から伸びた悪霊の腕が、鞭のようにしなってこちらを払った。

「っ……!」

 避けきれない。

 横からの衝撃で、僕の体が宙に浮いた。

 HPバーが、残り1ミリくらいまで削られる。

 視界の端で、警告表示が赤く点滅する。

 床に背中から叩きつけられ、息が詰まる感覚だけが走り抜けた。

(まだ、死んでない……! 続けられる……!)

 ぼやける視界の向こうで、岩柱の下から悪霊がふらふらと立ち上がる。

 黒い霧はほとんど残っていない。

 骨ばった体がむき出しになり、今にも崩れそうに揺れていた。

「ユーマさん――!」

 ヴェルトの声が聞こえる。

 でも、たぶん、彼ももう動けない。

(だったら、ここで)

 僕が、やる。

 床に手をつき、無理やり身体を起こす。

 足に力が入らない。

 それでも、膝でにじるように前へ進む。

 MPバーを確認する。

 ギリギリ、一発分。

(この一発外したら、多分終わる……でも)

 不思議と、心は静かだった。

 ここまで削って、ここまで来て、その上で撃てる最後の一発。

「……最後まで、付き合ってよ……!」

 震える手で杖を構える。

 悪霊の胸の奥――さっき自分の炎を叩き込んだ場所を狙う。

 短く、息を吸い込んだ。

「――《ファイアボール》っ!!」

 炎の球が、ふらつくような軌道で飛んでいく。

 一瞬、外れたかと思った。

 けれど、炎は悪霊の胸の穴に吸い込まれるようにして消えた。

 次の瞬間。

 ドッ――という、鈍い音が広間に響いた。

 悪霊の胸の中から、緑がかった炎が噴き上がる。

 黒い霧が内側から焼かれ、骨が音を立てて崩れ始めた。

「――――アァァァァァァァァ……!!」

 耳をつんざくような咆哮。

 だけど、もう怖くはなかった。

 長かったボス戦の『終了演出』が始まった、と身体のどこかが理解していた。

 炎に包まれながら、悪霊の体がゆっくりと崩れていく。

 黒い影が霧散し、青白い魂の光が空へと昇っていった。

 やがて――すべてが、静かになった。

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