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エルドレイズ・アルカディア ――コミュ症の僕が、ゲームで友人を作ったら、それは“友人”じゃなかった  作者: 雪野耳子


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16/30

二人で、もう一度

 ――木の軋む音と、窓を叩く風の音。

 まぶたの裏に、やわらかな光が差し込んでいた。

 ゆっくりと目を開けると、天井の梁と、明るい木目の壁が目に入る。

 見覚えのない場所。

 けれど、どこか懐かしい空気が漂っていた。

「……ここ、宿屋?」

 寝返りを打つと、柔らかい布団がわずかに沈む。

 木の香りが鼻をくすぐり、外から人の話し声や荷車の音がかすかに聞こえた。

 どうやら街の中らしい。

 あの草原じゃない……なんで?

 昨夜、ヴェルトと『契約』を交わした。

 緑に輝く紋章。光に包まれた草原。

 そして、「また明日」と言った彼の笑顔。

 確かにログアウトしたのはあの場所だったのに、目を覚ますとここにいる。

 混乱していると、コンコン、とドアが二度叩かれた。

 木の扉の向こうから、穏やかで聞き慣れた声がする。

「ユーマさん、起きていますか?」

 その声を聞いた瞬間、心臓が跳ねた。

「ヴェルト……?」

 思わず名前を呼ぶと、扉がゆっくり開く。

 光の粒を背に、ヴェルトが立っていた。

 銀緑の髪が朝の光を受けてきらめき、淡い笑みを浮かべている。

「おはようございます。よく眠れましたか?」

「うん……あれ、ここは?」

「アーシュアの宿屋ですよ。街のセーブポイントです」

 彼は部屋の中へ一歩進み、柔らかな声で続けた。

「昨日の草原は、契約専用の隔離空間なんです。あそこでログアウトすると、最後にセーブした場所――つまりここから再開される仕組みです」

「なるほど……そういうことか」

 少し安心した。

 けれど、どこか不思議な感覚が残る。

 ゲームのはずなのに、あの草原の光景は夢のように鮮やかで、現実のように温かかった。

「混乱させてしまいましたね。でも、こうして無事に目覚めてくれて、よかったです」

「うん。昨日のことが夢じゃなかったって、それだけで十分」

 そう言うと、ヴェルトはふっと目を細めて微笑んだ。

 その表情は、どこか人間らしくて――NPCだと分かっているのに、息をするみたいに自然だった。

「さて」

 ヴェルトが軽く手を叩く。

「今日の予定ですが……昨日のリベンジ、ですね」

「やっぱり、そうなるか」

「約束ですから」

 彼の声は穏やかで、けれど芯がある。

「昨日の戦い、僕も覚えています。あと少しでしたね」

「……うん、正直ちょっと怖かった。あの瞬間、ほんとに勝てないって思った」

「当然です。初めて挑む相手でしたし、あの速度と攻撃範囲では仕方ありません」

 ヴェルトはゆっくりとうなずいた。

 その仕草には慰めでも同情でもなく、まるで隣に立つ仲間のような信頼があった。

「でも、あなたは逃げなかった。それが一番大事なことです」

 胸の奥がじんと熱くなる。

 そんなふうに言われるなんて思っていなかった。

「ねぇ、ヴェルト。勝てると思う?」

「ええ」

 迷いのない声だった。

「今のあなたなら、きっと勝てます。……そうですね、レベルを確認してみてください」

 ウィンドウを開く。

 数字を見た瞬間、息が止まった。

「……二十……になってる?」

「はい。ミッションに入る直前まで、ずっと戦ってましたから」

 あの時は戦うことに必死で、全然気づかなかった。

「すごい……こんなに上がってるなんて……」

 思わず目を見張ってウィンドウを凝視すると、ヴェルトが柔らかく笑った。

 ほんの一瞬、ヴェルトがNPCじゃなく、隣にいる友達みたいに見えた。

「レベルも上がった。魔法も増えました。あなた自身も強くなっています」

 ヴェルトはそう言ったあと、微笑みながらさらっと聞いてきた。

「……『賢者』の力を、使ってみますか?」

「え?」

 問いの意味が一瞬理解できず、言葉を失う。

「契約によって得たあなたの力。竜と同調し、能力を飛躍的に高める――『緑乱の賢者』。あの力を使えば、確実に勝てますよ」

 彼は淡々と説明しながらも、どこか探るように僕を見つめていた。

 けれど、その視線には圧も誘導もない。

 ただ、僕の答えを待っているようだった。

 少しだけ考えてから、首を横に振る。

「……使わない。あの力を使ったら、昨日の戦いの意味がなくなる気がする」

「意味、ですか?」

「うん、昨日はヴェルトが倒れるのが怖くなったけど、それでも二人で力を合わせて戦ったのは楽しかったんだ。でも、賢者の力を使うのは……なんか違う気がして……」

 言葉にして初めて、自分の中にある確かな気持ちに気づいた。

 手に入れた賢者の力は、ゲームでいうところのチートだ。

 きっと簡単にクリアできてしまうだろう。

 でも、一瞬で終わってそれは『楽しい』のだろうか。

(……そんなの、楽しくない)

 勝ちたいだけじゃない。

 ずっと一人でプレイしてきた。

 でも昨日は負けそうだったけど、誰かと一緒にプレイするのが楽しかった。

 だからちゃんと戦いたい。

 二人で戦って勝ちたい。

 ――それが本音だった。

「僕はヴェルトと二人で勝ちたい」

 ヴェルトはゆっくりとまばたきをして、それから笑った。

 やさしい風が、部屋の中を通り抜けるみたいな笑み。

「いいですね。その答え、私は好きです」

「ほんとに?」

「ええ。だから――二人で勝ちましょう」

 思わず笑みがこぼれた。

 その瞬間、緊張していた心がふっと軽くなる。

「準備ができたら、行きましょうか。南門の方に出れば、すぐフィールドに出られます」

「了解。インベントリ整理だけしたら行く」

 ヴェルトは「待ちます」と穏やかに言い、窓の外を眺めながら待ってくれた。

 インベントリを開いて装備とアイテムを確認する。

 杖の耐久値はまだ十分。ポーションもマナ薬も揃っている。

「……よし、オーケー」

「準備、整いましたか?」

「うん。待たせたね」

「ふふ、いいえ。では――行きましょう、ユーマさん」

 ヴェルトが軽く手を差し出す。

 その手を取ると、ほんのり温かい感触が指先に伝わった。

 NPCのはずなのに、現実の人と何も変わらない温度。

 ふたり並んで扉を開ける。

 朝の光が差し込み、柔らかく視界を満たした。

「――昨日、あなたが言ってくれた『また明日』。ちゃんと叶いましたね」

「……うん。ほんとに、また明日だね」

 ヴェルトが微笑み、僕も笑った。

 木の階段を下り、受付の女性に軽く会釈して宿を出る。

 石畳の道に朝の光が反射してまぶしい。

 街のざわめきが、耳に心地よく広がる。

 パン屋から漂う甘い匂い、屋台の呼び声、遠くで響く鍛冶屋の槌音。

 どれも生きていると感じられるほど鮮やかだった。

(行こう。ヴェルトが隣にいるんだから、きっと大丈夫だ)

 自然と口元がゆるむ。

 心の奥が少し高鳴る。

「リベンジ戦、準備はできてるよ――ヴェルト」

「ええ、私もです」

 並んで歩く足音が、石畳に静かに重なる。

 一人じゃない。

 その音が、二人の冒険の始まりを告げていた。

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