緑の竜と草原で、ちょっと特別な契約を。
このゲーム、『エルドレイズ・アルカディア』は、発表されるやいなや瞬く間に話題となり、SNSのトレンドを独占した。
なぜなら、このゲームを作ったのが、世界中で知られるAI——Zerasia・ゼラシアだったからだ。
医療や教育、物流に至るまで、その名を聞かない日はないほど、現代社会の至る所に影響を与えてきた存在。
特に、フルダイブVR機器の進化においては、その名を語らずにはいられない。
そしてそのゼラシアが、「人を楽しませるために」選んだ次の舞台が、ゲームだった。
圧倒的な没入感、かつてない会話精度、誰もが息をのむ世界構築力。
まさに現実よりもリアルなこの仮想世界に、多くのプレイヤーが夢中になった。
伝説の竜『エルドレイズ』によって創られたとされる、理想郷『アルカディア』。
世界には、さまざまなモンスターが登場し、尽きないほどの多彩なクエストがあった。
そして、ゲームの中には、ひとつの伝説が存在している。
――『八匹の竜』という、誰も見たことのない存在。
かつて世界を創りしエルドレイズの使い、その力を受け継ぎ、今もどこかで眠っている……とされる。
八匹の竜――それは、かつてこの世界の理を形作ったとされる、神話上の存在。
紅蓮の怒りを燃やし、情熱と破壊を司る炎の竜。
深淵の記憶をたたえ、静寂と想いを宿す水の竜。
雷光の理を纏い、空の誓いを貫く雷の竜。
大地の鼓動に根差し、揺るがぬ意志を宿す岩の竜。
終焉の闇に潜み、時の彼方をさまよう影の竜。
秩序の光をまとい、命の循環を護る光の竜。
そよ風の調べに舞い、自由と流転を導く風の竜。
そして、最後のひとつ。
草木を司り、緑と癒しの象徴とされた緑の竜。
森のささやきを聞き、風と共に眠るその竜は、八匹の中でも特に静かに、深く、世界を見つめていたという。
風が吹いた。僕の頬を、柔らかく撫でていく。
気づけば、僕は広大な草原の中に立っていた。
風が、音を立てて草を揺らす。
星々の輝く空の下、緑に染まった草原の真ん中で、僕はただ立ち尽くしていた。
目の前にいるヴェルトは、たしかに、僕が知っているヴェルトだった。
穏やかで、冷静で、そしてときおり皮肉っぽく笑う、少しだけ大人びたプレイヤー。
でも、今の彼から漂う気配は、明らかにそれとは違っていた。
さっき見た竜の姿。
あの、圧倒的な存在感。
そして、その竜が、まるで臣下のようにヴェルトに頭を垂れたあの光景。
(プレイヤー……なわけ、ない)
頭では、そう理解していた。
でも、心が追いつかない。
だって、ヴェルトはずっと僕の隣にいて、笑ってくれて、話してくれて。
まるで、本当に、友達みたいに。
「混乱してますね、ユーマさん」
ヴェルトが、僕の様子を見て小さく笑う。
優しい声だった。けれど、その声の奥に、今まで聞いたことのない深さがあった。
「そりゃ、混乱するよ……! だって、君……君は……!」
言葉が詰まる。
『竜』という存在が、現実味を持ってしまったあとでは、あらゆる常識が崩れていく。
ヴェルトはゆっくりと近づいてきて、僕のすぐ目の前で立ち止まった。
「私は、ユーマさんに嘘をついていました。正確には、黙っていたんですけどね」
「……君は、プレイヤーじゃない」
「ええ」
あっさりと肯定されて、息が止まりそうになった。
「私は……この世界を司る八匹の竜の一体。『緑の竜』として、ここに存在しています」
さらりと告げられたその言葉に、僕の脳は一瞬空白になった。
八匹の竜。
この世界を創った神が、世界を司るために創造した存在。
炎、水、雷、大地、光、闇、風。
そして……
「……緑の、竜」
「そうです。僕は草木と癒しを司る『緑の竜』。人々に癒やしを与え、木々の息吹を見守る存在です。そして今……目覚めの時が来た」
風が吹いた。
空が揺れ、木々がざわめく。
まるで、この世界そのものがヴェルトの言葉に呼応しているようだった。
「なぜ……僕だったの?」
口から零れたその問いは、気づけば震えていた。
「条件があったんです。街にいるすべてのNPCに話しかける、という、ちょっとした遊び心のあるフラグがね」
ヴェルトは微笑む。
「でも、本当の理由は、私があなたを選んだからです」
選ばれた。
たったそれだけの言葉なのに、胸の奥が熱くなるのを感じた。
今まで、誰かに選ばれることなんてなかった。
ずっと一人でゲームをして、誰かと関わることを避けて。
でも……ヴェルトは、僕を見つけてくれた。
「ここから始まるのは、特別な旅です」
ヴェルトが、そっと手を差し出した。
「ユーマさん。どうか、私と契約を結んでください」
迷いは、なかった。
僕は、ヴェルトの手を取った。
光が、舞い上がる。
風が唄い、草がざわめき、星が揺れる。
――契約、成立。
ヴェルトの背に、緑の羽が広がる。
僕の手のひらには、小さな緑色の紋章が刻まれていた。
「これで、あなたは私を導く『緑乱の賢者』。そして、私はあなたの守る『守護竜』です」
その笑顔は、いつかと同じだった。だけど、もう違う。
夜空の星がまたたく中、草原に静かに風が吹いた。
木々が揺れ、遠くで小鳥の囀りが聞こえた。
僕の新しい旅が、音もなく始まっていた。
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