暗殺者に選択肢はない
――え、普通に殺される。
サンフラワー帝国の帝都近郊にある皇家の別邸。
そこにいる皇子を暗殺してこいと命令を受けた俺は、いつものように「無効化魔法」を使って屋敷に仕掛けられた警備用魔道具を突破し、そのまま皇子のもとへと向かおうとしていた。しかし。
「いらっしゃいませ、皇子が中でお待ちです」
「は? 意味が分からないんだが」
「私どもも何が何やら……ただ、皇子からは貴方様を賓客として歓待するようにと。何か用件がございましたら使用人にお申し付けください。あと、給料は言い値で払うと」
「えぇぇ……」
そんな風にして、やたら暑い屋敷の応接室で、氷の浮いた紅茶なんかを出された。
入念に調べてみたものの、出された紅茶に毒や呪いは仕掛けられていないようだった。いったい何が狙いなんだ。その時の俺には、本当に意味が分からなかったんだが。
「皇子の準備が整いましたので、案内いたします」
まぁ、ターゲットに近づけるというのなら好都合だ。
暗殺者として働いていて分かったが、貴族も騎士も、基本的に魔力に頼りきりだ。
偉そうにしていても魔法が使えなければただの肉塊に過ぎないし、魔力による身体強化がなければ騎士の金属鎧など手枷足枷にしかならない。むしろ魔力にあまり頼らない平民の戦闘職の方が、俺にとっては少々厄介なくらいだ。
無効化魔法をもってすれば、白昼堂々と侵入しても暗殺はそう難しい仕事ではなかった。だから今回も楽勝だと思って、意気揚々と皇子のもとへ向かったのだが。
「君が無効化魔法の使い手か……うーん」
「微妙ですわ……もう少し魔力を鍛えないと」
「だが可能性はあるな。優秀ではある」
――え、無理。これ普通に殺されるわ。
灼熱皇子イグナイトは、何やらその身に魔力制限の魔装具を纏っているみたいだが、俺が全力を出したところで無効化できる気がしない。
髪まで燃えてるみたいに見えるけど、あれハゲてんじゃないだろうな。普通にバーベキューにされる未来しか見えない。俺を焼いても美味しくならないと思うよ。
ご令嬢の方も無理だなぁ。ものすごい冷気を纏っていて、皇子と同じように魔装具で魔力制限しているようだけど、俺の魔法では全然打ち消せる気がしない。
近づいたら普通にカッチカチに冷凍されて長期保存されるんじゃなかろうか。とりあえず、俺の鮮度を保ったところで意味はないと思うよ。
二人はやたら距離を取っているけど、なんだか妙に親しげだった。これはどういう状況なのか。
ひとまず分かったのは、俺が絶体絶命だってことだけだった。普通に無理。今の俺は一瞬で死ねる自信に満ちあふれている。えぇぇ……どうしよう。
そうして困惑していると、皇子が一歩前に出る。
「私は君を雇いたいんだが。名はなんという」
「……俺はシュルクといいます。姓はありません」
「そうか、シュルク。魔力の強さからすると、君はどこかの王族の婚外子ってところだろうか。どうだろう、給料は言い値で払うし、君の身の安全も保証する。なんなら配偶者も探してくるし、君のために地位や役職も用意するが」
あぁ、なるほど。
彼は俺の無効化魔法を何かに活用したくて、引き抜こうとしているわけか。高待遇を用意してくれるという話は、ちょっと心惹かれるものがあるが……でも、それは無理だ。
「せっかくのお話ですが、すみません……俺には二択しかないんです。貴方を殺すか、俺が殺されるか」
そうして、俺は地面に膝をつき、覚悟を決めて目を閉じた。
こんな稼業で十六歳まで生きてこられたのは幸運だったのだろう。ろくな人生じゃなかったが……きっともう、俺はここまでだ。
◆ ◆ ◆
俺の生まれたスノードロップ王国は、サンフラワー帝国の北方にある小さな属国の一つだ。
幼い頃はよく分かっていなかったが、母親は王の側妃として囲われ、何人もの子を生んでいた。
そこに愛があればまだ救いはあったのだろうが……残念ながら、母親に期待されていたのは「王族の魔力量を持った無効化魔法使いを生むこと」だけだったらしい。そうやって生まれてきた俺たちは、公には存在しない人間として扱われ、国に指示されるがまま人の命を奪う生活を送ってきた。
「シュルク兄ちゃん! 見て見て!」
「お、どうした? サーヤ」
「シュルク兄ちゃんが買ってきてくれた絵の具でね、みんなの絵を描いたんだよ。これがお母さんでしょ、シュルク兄ちゃんと、マイト兄ちゃんと、タキナ姉ちゃんと、アルタ姉ちゃんと、これがサーヤ。こっちがジルバ」
サーヤだけ妙にキラキラしたドレスを着ている絵なのは御愛嬌だし、赤子のジルバはゴマ粒みたいだったけど、妹の絵には家族全員が勢揃いしていた。
「お姫様みたいなドレスだなぁ」
「キラキラでふわふわなんだよ!」
「うん。みんなニコニコで良い絵だ」
まぁ、俺たちが全員揃うことなどないがな。
弟のマイトも、妹のタキナとアルタも、俺と同じように各地に派遣されて暗殺稼業をやっている。仕事終わりにそれぞれと顔を合わせることがあっても、全員が集合することはまずない。
『――選べ。暗殺仕事を続けるか、母親や弟妹が処分されるか。お前が逃げれば、家族はそれまでだ』
全ては王国の手のひらの上だった。俺が家族との交流を許されているのは、裏切りを防ぐ足枷とするため。家族を全員一度に集めないのは、共謀しての反乱を起こさせないためだ。
無効化魔法は暗殺において強力な武器ではあるが、詳細を知られて対策を取られれば弱い。なにせ、俺たち自身もまた無効化魔法の影響で、ろくに魔力を扱えないのだから。
長く仕事をしていれば、国の意図も徐々に見えてくる。
スノードロップ王国は、暗殺という手段で国際情勢を操り、近隣諸国を傘下に収めている。おそらくは帝国の属国という立場を抜け出して独立したいのだろう。俺たちはそのための便利な駒だ。
「――次はサンフラワー帝国の皇子だ。奴らは優秀な血を脅しのように使って帝国をまとめ上げているが、ククク。その象徴たる皇子が暗殺されたとなれば、どうなると思う?」
俺にとっては、どうでも良かった。
いずれにしろ、家族の命を握られてしまえば逆らうことなどできはしない。暗殺稼業を続けるか、どこかでヘマをして殺されるか、俺の人生は二つに一つだ。
◆ ◆ ◆
「――というわけで、君の家族は全員救出してきたわけだが」
イグナイト皇子はそう言って、母親と弟妹をみんな連れてきた。えぇぇ……どういうことなの。
暗殺失敗から一ヶ月。
なんだか妙に大事にされ、まるで国の要人かのように扱われる日々が続いていたんだが……久々に帰ってきた皇子はとても良い笑顔を浮かべていた。
「あの、皇子……スノードロップ王国は」
「ヒヤシンス侯爵家の所領になった。なにせ侯爵家は、エリサーナの嫁入りがかかっていると大張り切りで協力してくれたからな。実に迅速だったよ。あぁ、もちろん民は無事だぞ」
「えぇぇ……」
連れられてきた家族に目を向ければ、みんな困惑した様子だった。それはそう。気持ちはめっちゃ分かるよ……まぁ、とりあえずみんな無事で何よりだけど。
「さてと。君の懸念していた家族の安全は、今後も私が保障しよう。それと、新設する皇族補佐室の室長という席を君のために用意した。高給取りだぞ」
「えぇぇ……」
「君やその弟妹たちには、その部署で私たちの生活のサポートをしてもらいたい」
生活のサポート? と俺は首を傾げる。
無効化魔法を欲しがるってことは、てっきりまた暗殺仕事を強制されるのではと思っていたんだが……それにしては家族を人質に取る様子もないし、むしろすごく手厚い待遇なんだが。
差し出された書類には目が飛び出るような金額が記載されていた。思わず「俺の年収高すぎ……」と呟くと、皇子は「それは月の給与だが」と異次元の回答をしてきた。ハハハ、これが月給かぁ……毎月家を建てられちゃう。金銭感覚狂いそう。
「――シュルク室長と弟のマイトには皇子付きの補佐官として。妹のタキナとアルタには皇子妃付きの補佐官として。それぞれ無効化魔法で私とエリサーナの魔法を無効化してほしいのだが……頼めるだろうか」
えぇぇ……それは無理じゃない?
その強烈な魔力を無効化するのは、俺たちの力量じゃちょっと厳しいものがあると思うんだ。いや、ちょっとどころじゃないが。
「心配はない。君たちの魔力鍛錬はサンフラワー皇家とヒヤシンス侯爵家が全力でサポートしよう。秘伝の鍛錬法も特別に伝授する」
「えぇぇ……」
「君たち家族の婚姻相手も用意する。今、候補を選別しているところだが、いずれ見合いをしてもらうことになるだろう。気に入った相手を選んでくれ」
えぇぇ……なにそれ、めっちゃ本気じゃん。
いやあの、これ絶対に断れないやつだよね。結婚相手の選別がもう始まってるってさぁ。どういうこと。俺はいったい何に巻き込まれてるんだろう。
「当面の目標は、私とエリサーナが結婚式で誓いのキスを交わせるようになることだ」
「えぇぇ……」
「四人がかりでもなんでもいい。君たちの魔法を補助するような魔道具があれば取り寄せよう。必要なものはなんでも申し出てくれ」
うん。本気も本気。ガチのやつじゃん。
当面は誓いのキス……ってことは、いずれは皇子と皇子妃の夜の生活とかも俺たちがサポートするんでしょ。地獄かな。暗殺とどっちの方がマシかと問われれば……いやぁ、それでも別種のしんどさがあると思うんだよね。地獄から別の地獄にコンニチハ、だ。
「もちろん、お母上や幼い弟妹にも健全な生活を送ってもらうが、不足があれば後からでも言ってくれ。可能な限り対応しよう」
「えぇぇ……」
「私なりに思いつく限りの手は打ったつもりだが……改めて問う。どうか私に雇われてはくれないだろうか」
いやまぁ、ここまでされてしまえば、断ることなんてできないし、家族が平穏に暮らせるなら俺としては言うことはないよ。だから答えは一択なんだけど。
そうだなぁ。
せっかくの機会だし……。
「それじゃあ、一つだけお願いが」
「うむ、なんだ」
これくらいのお願いなら、構わないだろう。
「――妹のサーヤに、お姫様みたいなドレスを用意してやってほしい。キラキラでふわふわのやつを」
そうして、俺はその場で膝をつき、皇子に忠誠を誓うことになった。まぁ、皇子に目を付けられた時点でこうなることは決まったようなもんだったが。
その後、俺たちはとても良い生活をさせてもらいつつ、血反吐を吐くような鍛錬で魔力を鍛えた。地味に辛い日々だったよ。
それで、どうにかこうにか二人に誓いのキスをさせることに成功してな。事前に「一秒だけだぞ」ってキツく言っておいたのに、あいつら十秒くらいチュッチュチュッチュしやがって。死ぬかと思ったわ。
それで、もうこんな仕事辞めてやると思っていた頃に……美男美女とのお見合いパーティが開かれたんだよなぁ。そこで、めちゃくちゃ可愛いお嬢さんといい関係になった。そう、ナタリエのことだ。それで結婚して、逃げ場も完全になくなったもんで、今もこうして室長を続けているわけなんだよ。
――さて、お前の両親と俺が知り合った経緯はこんな感じだ。どうだ、イグナイトもエリサーナも昔からめちゃくちゃだったろう。今も相変わらずだけどさぁ。息子のお前からなんとか言ってやってくんない? イチャイチャの頻度を減らせって。無理? まぁ、そうだよなぁ。