失恋までが初恋です。
私の初恋はお兄様。
お兄様は、私が五歳の時にご両親を亡くして我が家にやって来て、私のお兄様になってくださったのよ。私は三歳年上の王子様のようなお兄様に一目ぼれ。三歳の妹リリーナと、お兄様の抱っこの座を掛けてガチバトルが勃発したのも、むべなるかなですわ。
「あれから十年…お兄様は間もなく王立学園を卒業されて、ルシンダ様と結婚してしまう……! なんて悲劇なの!」
「うん……。なんでそれを婚約者の俺に言うかな」
「いっそ『ルシンダ様に虐められました!』と言って二人を婚約破棄させてしまいたいけど、悲しいかな私とお兄様は従兄妹同士。お兄様のご両親も従兄妹婚だったそうで、結婚するには血が近すぎて、ルシンダ様を蹴り落としても、私が後釜にはなれませんの。ああっ、私がもうちょっと早く生まれていたら、お兄様のご両親の結婚を何としても邪魔したものを!」
「色々突っ込みたい所はあるけどね、マルティーナ」
「え? こんな女は婚約破棄ですか? アンジェロ様」
「いや、婚約した時からもう何年も聞かされてるから今更……」
ちぇっ、そっちの方が家格が高いからそっちから破棄して欲しいのに。
今日は婚約者のアンジェロ様との定例のお茶会。わが伯爵家の庭にテーブルを出して、仲良くお茶をしている。
「ところでアンジェロ様、裏の林にドングリがたくさん生りましたのよ。拾いに行きませんこと?」
にっこりと笑顔でアンジェロ様を誘う。
「……そして、ぶつけ合いましょうって?」
「あら、お望みならそういたしますわ」
「望んでいるのはそっちだろう? 去年もぶつけ合いをしたよな」
「ええ、惜敗でしたわ。ぜひ雪辱を」
「断っても諦めないんだろうなぁ……」
ほほ、当然ですわ。
ルールは簡単。アンジェロ様とアンジェロ様の護衛騎士の三人、私とうちの騎士の三人がチームを作って林の中に紛れながら相手にドングリをぶつけて、アンジェロ様か私がぶつけられたら試合終了。
単純なのに、昨年は私チームが負けてしまった。今年は燃えていますのよ……!
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「痛ってぇーーーーーーー!!」
俺の側頭部にマルティーナの投げたドングリが命中した。
「やった!」
薮の中からガッツポーズのマルティーナが現れる。
「やはり、騎士たちに陽動してもらって一人で横から攻めると言う戦略が良かったですわね!」
「いやいやその前に、令嬢が藪の中を突っ切ってくるとは思わないから! どうするんだそのドレスの惨状! てか、投げたのは本当にドングリか?」
「ドングリですわ。こう、手首のスナップを効かせて」
「どれだけ練習を積んだんだよ…」
俺の婚約者のマルティーナは、幼い頃から騎士たちの詰め所(家の警備と外出時の護衛用なので、伯爵家の騎士は五・六人)に潜り込んだり、騎士たちのランニングの後をトコトコついて歩く、アグレッシブなお子様だったらしい。
子供だからと騎士たちが気にせず会話していた言葉を覚えてしまったため、時々令嬢が使うべきではない言葉が飛び出す。
俺の両親は、そんなマルティーナを気に入って俺と婚約させた。
「私が勝ったので、婚約は解消ですわね」
「そんな約束してねーよ!」
マルティーナは俺と婚約破棄したがる。理由は、お兄様を好きだから。たとえお兄様と結婚できないとしても、お兄様ほど好きではない相手が婚約者なのは許せないのだそうだ。
「俺の父上も母上もマルティーナがお気に入りだから、俺がマルティーナを逃がしたりしたら『この甲斐性無し!』と言われて、家を継ぐのが弟に変更されちまう。悪いけど婚約破棄はしないから」
むう、と膨れるマルティーナ。
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あれから一週間後。今日は我が家でガーデンパーティです。卒業間近のお兄様とルシンダ様のご友人を中心にお招きして、卒業したら家門を背負ってのお付き合いをよろしく、という親睦のパーティー。お兄様とルシンダ様が皆をもてなします。
皆さん身分も進路もバラバラなので、意外な組み合わせで話が盛り上がってたりしてますわ。
今日の私はホストのお兄様の身内なので、地味な装い。そして何故か隣にアンジェロ様が。
「……何でいるんです」
「俺も身内だろう?」
「本音は?」
「せっかく『当たり年』と言われた王立学園の秀才が一堂に集まるんだ。面を通すチャンスだ」
そう、お兄様だけじゃなくルシンダ様も優秀なのよね……。今日お招きした方々も。これから私とアンジェロ様が入学したら、『ハズレ年』と言われるのかなぁ……。い、いや、お兄様たちが優秀過ぎるのよね!
と、思っていたら、複数の女性の悲鳴が聞こえた。
見ると、痩せた男がルシンダ様を羽交い絞めにして、ケーキ用のフォークをまとめて握りしめた物を首に突き付けている。同じテーブルだった女性たちが悲鳴をあげて逃げてくる。
近くに立つお兄様も、ルシンダ様の安全のために手を出せないようだ。
「こいつはな! 人の事をその気にさせる、とんだ悪女だ!」
と、男が叫んだ。
「へ?」
というのが、失礼ながら周りの人たちの感想だろう。
華やかなお兄様の容姿に比べて、はっきり言ってルシンダ様は地味だ。趣味もハーブティーのブレンドと地味だ。男を誘惑とか、ナイナイ。
だが、男はヒートアップしていくようだ。
「他の男に渡さない! 渡すくらいなら……!」
目が血走ってる。
「……『凶暴な女』と噂になったら、婚約破棄していいですからね」
と、アンジェロ様に言って、騎士たちに合図を送る。
先週、アンジェロ様相手に成功した陽動作戦。騎士たちはわざと剣を抜いて、男との距離を縮めるふり。男の目線が騎士たちに釘付けになっているその隙に、手近なティーカップを手に人の間をすり抜けて男の横に移動し、男に思いっきりティーカップを投げつけた。
ティーカップが男の側頭部にパコーン!と……のはずだったのに、バキャッ!という音がしてカップが砕けた。あ、あれぇ…?
男が頭を押さえ蹲る隙に、騎士たちが男を拘束し、地面に叩きつける。
ルシンダ様はお兄様に抱き寄せられ、腕の中へ。くそぅ……。
お兄様とルシンダ様のイチャラブイベントを開催しやがったお前、許せん!
近くのティーポットを手に男に近付くと、じゃぼじゃぼと頭にお茶を降り注ぐ。
「だぁれが悪女ですって?」
悪女じゃ無いから破談に出来なくて苦労してんだよ!
「相手を自分のレベルに引きずり落としてないで、自分がレベルを上げてお兄様からルシンダ様を奪って見せなさいよ!」
むしろ奪え! 奪ってくれ!
「マルティーナ! やり過ぎです!」
母が止めに入った。
「でもこれ冷めてますよ」
「そう言う意味じゃ無く!」
ちぇっ、あと、ゲシゲシと踏んづけてやりたかったのに。
男は、家の者が呼んだ町の警備兵に連れて行かれた。
「じゃじゃ馬でお恥ずかしい」
と、言う父の声に
「さすがは王太子の婚約者マルティーナ様!」
「次期王妃なだけあって、なんという堂々とした対応」
「彼女が王妃になったら我が国は安泰ですわね」
と、言う声が重なる。
「どうやら婚約破棄にはならなそうだな」
と、隣で笑うアンジェロ様は、これでも王太子だ。
幼少の頃は病弱で、お忍びで田舎に静養に行ったのだが、すっかり地元の悪ガキたちとなじんでしまったそうだ。
八歳の私が見合いだとは知らされずに「王様や王子様とお茶会」と、城に連れて行かれたら、そこにいたのは意地悪でイタズラなガキ大将のようなクソガキ。ダンゴムシやカメムシの強制的プレゼントにキレました。
「何なのこいつ! 王子様って言うのは、私のお兄様のような人よ!」
「はあ? この国の王子様は俺だけだよ!」
「ふんっ! お兄様のように勉強してからおっしゃいませ!」
お父様は頭を抱えたが、国王陛下と王妃様は大笑いして気に入られた。他の令嬢は、泣かされてすぐに帰ってしまったそうだ。ああっ、その手があったのか!と、思ったが後の祭り。
その後婚約したり、アンジェロ様に弟と妹が生まれたり、アンジェロ様が人前では王子様っぽく振る舞えるようになったり、王太子になったり。
……私は、変わらずお兄様一筋でした。
「マルティーナ!」
お兄様とルシンダ様がやって来た。今も恐怖に震えてるルシンダ様の肩を、お兄様は優しく抱いている。
「ルシンダを助けてくれてありがとう」
「マルティーナ様、ありがとうございました」
ずるい。お兄様と結婚出来るのに、さらにお兄様に庇ってもらえるなんて。
「本当、情け無いですわ! ルシンダ様! お兄様を愛するのなら、あんな男は蹴飛ばすくらいでなくては!」
ほのぼのとしていた周りが凍りつく。
「まずはドングリで練習ですわ!」
私は有無を言わさずルシンダ様を林に引っ張って行った。
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ドングリ?という顔をしたルシンダと、興味を持った女性陣が、マルティーナに連れられて林の中に消えてゆく。その後を、護衛騎士たちが慌てて追いかけて行く。
それらを優しく見守っていた隣の男は、皆の姿が見えなくなってその笑顔を消した。
俺に向き合い、
「この度は尊いお体を危険な目に遭わせてしまい、申し訳ありませんでした」
と、深く頭を下げる。
「いや、これは予測しようも無いだろう。気にするな」
こいつの前で王子ぶった態度を取る必要は無いので、雑に返す。
「ありがとうございます」
「ところで……マルティーナとの仲は相変わらずのようで」
『相変わらず』。……まったく、マルティーナは俺が王子様っぽくなっても、立太子しても、他の女たちと違って全然態度を変えない。一貫してお兄様ファーストだ。
そして、俺が親に言われて嫌々マルティーナと婚約していると信じている。
「その事は心配するな。マルティーナの初恋は、もうじき相手が結婚して終わる。そしたら俺に目が行くだろうさ」
「それはどうでしょう……。マルティーナの魅力に気付いてるのは殿下だけではありませんので」
「そんな男がいたら、全力で潰しに行くさ」
「たとえ他に誰もいなくなっても、マルティーナが本気で婚約を嫌がったら何としてもこのご縁は無かった事にしますから」
「残念ながらそんな日は来ねぇよ」
こいつは、マルティーナを妹としてしか見ていない。それも当然で、マルティーナが覚えていないだけで、こいつの方はマルティーナがおむつの頃から可愛い従妹として見てきたのだから。
だが、マルティーナを愛する気持ちはかなり重い。
「流行り病で両親をあっという間に亡くして、私の世界は色を無くしました。引き取られて伯爵家に行った時、幼いマルティーナが『今日からお兄様になってくださるの?』と、嬉しそうに迎え入れてくれたのです。そして、もじもじして『だっこ、してくださる?』と言った時の可愛らしさ! マルティーナを抱っこしたのを見たリリーナが『あたちも!』と乱入し、それでも離れないマルティーナに伯父夫婦や侍女たちももみくちゃの大騒ぎになり……、私は笑う事を思い出したのです。そんなマルティーナの笑顔を守るためなら、王家と刺し違えてもいい覚悟ですから」
もう何度も聞いた。マルティーナの前では決して見せない黒い笑顔と共に。
「安心しろ。マルティーナを幸せにできるのは俺だけだ」
マルティーナは気付いていない。
お兄様が自分が思っている以上にシスコンな事を。
俺が王座目当てで婚約してるのでは無い事を。
とりあえずは、早く失恋して俺に落ちてくれ。
2024年7月6日
日間 総合ランキング 7位になりました!
ありがとうございます。
7月7日 2位になってる……!
本当にありがとうございます!




