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「え、緑旗って部長一人だけなのか?」
「相手も一人だぞ」
「プレイヤーの一対一? なんのためにそんな訓練を?」
「それより部長の福塚の訓練相手、どこの高校だ?」
「確かに、見たことないな。緑旗の新人か?」
「……ダメだ。ダンジョン攻略部の選手一覧にも乗ってない」
「え、野良のルーキー? 嘘だろ?」
「福塚は、なんでそんなやつと一対一を?」
……めっちゃやりづれぇぇぇえええっ!
もう福塚との訓練、という名の勝負を見られるのは、仕方ない。
しかし、見学者の話す声が、どうにも気になってしまう。
「……ちょっと、鏡月? 全然集中してないじゃない。しっかりしなさいよね!」
「いや、集中してないのなら、お前の勝率上がるじゃん。なんでわざわざ注意するのさ」
「はぁ? そんなのフェアじゃないからに決まってるじゃない。モンスター相手じゃないし、正々堂々戦わないと、互いの実力が正確に測れないでしょうが! そんなんで勝ち負け決めても、納得できないでしょ? お互いに」
……あれ? こいつ、実はいいヤツじゃね?
『収納ボックス』の使い方もめちゃくちゃ丁寧に教えてくれたし、カフェでの口喧嘩はちょっとしたすれ違いで起こってしまっただけな気がしてきた。
……とはいえ、今から勝負をなしにしましょう、っていう雰囲気でもないしな。
それに、色々後ろ向きなことばかり考えていたが、俺にとってもこの状況はプラスな面があることに遅まきながら気がついた。
……今の俺の実力がどれぐらいなのか、試すチャンスだよな、これ。
ソロでのダンジョン攻略、しかも海底ダンジョンしかプレイヤーとして活動したことがない俺は、圧倒的にそれ以外の実践経験、そして知識が不足している。
福塚のレベルがどれぐらいなのかはわからない。
しかし、彼女が所属している緑旗のダンジョン攻略部が全国クラスというのであれば、高校生の中でもかなりの実力者になるだろう。
……レベルが20あれば全国クラスって話だけど、それで福塚が俺よりレベルが低い保証もないしな。
ここは、胸を借りるつもりで戦わせてもらおう。
拳に力を込める俺を見て、福塚は僅かに目を細める。
「あら、ようやくやる気になったみたいね」
そう言って福塚は、笑った。
獲物を狩る前に女豹が見せる、勝者の余裕を隠しもしない笑い方だ。
「それで? 勝負っていっても、勝ち負けの判定はどうするんだ? 自己申告か?」
「バカね。それじゃフェアにならないでしょ? ドローンがAIの画像解析で『当たり判定』を決めるの。それなら戦う私たちの主観も入らないし、客観的な判断だからフェアでしょ?」
見れば、俺たちの周りを邪魔にならないよう四機のドローンが飛んでいる。
カメラがついているので、あれで絶えず戦っている俺たちの映像をモニタリングしているのだろう。
「つまり、有効打を最初に相手に入れた方が勝ち、ってことか」
「シンプルでいいでしょ? ああ、怪我した後の心配も無用よ。負傷者を回復するアイテムもあるから、あなたが痛みで島に帰れない、なんて自体にはならないから」
「……そーかい。そいつはありがたいな」
だったら俺も、遠慮なくやれる。
やがて一機のドローンが飛んできて、電光掲示板に『訓練開始のカウントダウンを開始します』とメッセージを表示させた。
電光掲示板の表示に、『5』が表示される。
それを見て福塚が、ゆったりとこちらに剣を構えた。
力みのない、自然体な構え。
電光掲示板の表示に、『4』が表示される。
剣を構える彼女は、足元を確かめるように軽く飛び跳ね始めた。
足を使って、スピード勝負に持ち込むつもりだろうか?
電光掲示板の表示に、『3』が表示される。
福塚は次第に、ステップを刻む。
やはり、足を使うつもりなのだろう。
電光掲示板の表示に、『2』が表示される。
だがここで、福塚が動かしていた足を止めた。
意図がわからず、俺は僅かに下がって身構える。
電光掲示板の表示に、『1』が表示される。
もはや福塚は、完全に静止している。
彼女が何を狙っているのか、わからない。
だが、そこで福塚の目が僅かに弓なりになっているのに気づき、俺は自分の失策を悟る。
……あいつ、こうやって俺を惑わせるために、わざと動いていたのか!
相手も、あれだけ大口を叩いたのだ。
本気で勝ちたいに決まっている。
気づけばカウントダウンは『0』になっていて、福塚は既に動き出していた。
「はぁぁぁあああっ!」
気迫のこもった相手の叫び声を聞きながら、しかし俺の動き出しは遅れていた。
まだ、完全に戸惑いの中から脱したわけではない。
福塚の動きを見ながら、俺はますます混乱していた。
何故なら――
……遅すぎるだろ、福塚のやつ。
動画サイトで、映像を四分の一の速度で再生するより、なお遅い。
コマ送りというよりも、動きがもはや止まって見える。
それに、俺自身の体も、おかしかった。
……なんだ、これ? 体が、軽すぎる。
海底ダンジョンに潜っている時のように、泳ぐような浮き上がる感覚はない。
その一方で、ここには周りに水という障害物がなかった。
地面を踏みしめた力を、いつもより正確に、そして力強く体に伝えることが出来る。
まだ動いていないのに、俺の意識はもう福塚の背後に回っていた。
そして現実が、その通りになる。
福塚が俺との距離を三分の一も縮めるより前に。
俺は軽く彼女の頭にチョップをかましていた。
「痛ったぁぁぁあああ! ちょ、なんで私の頭が痛、って、なんであんたが私の後ろにいるのよ!」
「いや、普通に動いただけなんだが」
そう言いながらも、俺はドローンの電光掲示板に視線を送る。
そこにはまだ、『訓練を継続してください』の文字が書かれていた。
「あれぐらいじゃ、有効打にはならない、ってことか」
「何をぶつぶつと、あ、そうか。わかりやすくグローブをつけて、何も持っていないようなフリをしたのね? そして私の油断を誘った。ふん! やるじゃない! 姑息な手だけどねっ!」
「褒めながらけなすなんて、器用な真似を」
俺が言い終わる前に、福塚はこちらから距離を取っている。
その動きは確かに先程よりも早く、ギャラリーからは歓声が上がった。
「緑旗の部長は、手加減してただけか?」
「当たり前だろ? 福塚妹がルーキー相手に本気出したら、動画がSNSに拡散されて笑いものだぞ」
「そりゃそうだ。プロプレイヤーの姉が泣くぜ」
姉という単語に反応して、福塚の表情が引き締まる。
……どうやら、あいつもあいつで色々あるみたいだな。
とはいえ、少なくとも今の俺には関係ない。
左拳を前にし、右拳を引いたような俺に対し、福塚も構えを変える。
握った剣の切っ先を正眼、俺の喉元から青眼、つまり俺の左目に定めたのだ。
「剣でクロスカウンターでも狙ってるのか?」
「どうかしら? でも、もしそうなら、リーチの長い私の有利ね」
喋る言葉も、全て相手を惑わすための一手になる。
僅かでも迷いが生まれれば、それが致命打になりかねない。
背筋が、ゾクゾクとしてくる。
初めてモンスターを、ウォーウルフを倒した時のことを、俺は思い出していた。
やつの爪を受け止めた時に感じた、命をかけた戦いの記憶だ。
……カフェでは色々言ったけど、確かにこれは、この感覚は、命をかけたやつにしかわかんねぇよなぁっ!
一歩を踏み出したのは、互いに同時。
ダンジョンの地面が陥没しそうな程の踏み込みを経て、俺たちは相手に一撃を見舞うため、駆け出した。
そして――
◇◇◇
「おい、もう泣くなって」
「だ、だっでぇ! ずびっ、あ、あれだげ、ひっく、啖呵、き、きった、ぐじゅ、のにぃ! ひっく、ま、まげ、ずびっ、まげ、だ、ぐじゅ、まげだんだもぉんっ!」
もう泣きすぎて目が腫れ、人目も気にせず鼻水を流しまくる福塚に、俺はどうしたものかと腕を組む。
……琥珀の言ってた通り、ティッシュ持ってきときゃよかったか。
だが、昨日の時点で『収納ボックス』を売ってくれた人とバトルするとは夢にも思わなかったので、それは仕方がない。
そして、勝負に勝ったこっちが負けた相手を東京のファーストフード店で慰めているだなんて、想像するほうが難しいだろう。
「ご、ごめんな、ざぁい! うだ、うだが、ずびっ、うだがっだり、じでぇ。れべ、ひっく、レベル、だがい、ぐじゅ、ほんどうに、だがいの、ひっく、のね、びょうけつ、ずびっ、びょうけつ、わ、ひっく!」
「泣きながら名前を呼んで人をズル休みするやつみたいに言うのはやめろ。ところで、お前のレベルはいくつなんだ?」
「に、にじゅう、いぢ、ぐじゅ」
……21か。
スマホで調べてみると、確かに十代でレベルが20あるやつは高校生の中でも九パーセントもいないらしい。
そういう意味でいうと、福塚は十分高校生ではトップレベルのプレイヤーといっていいのだろう。
……っていうか、そう考えると63って。一緒に潜る相手がいないから、ソロで頑張りすぎて強くなりすぎちまって周りから引かれる、キモがられるパターンの人間じゃねぇか俺!
高校トップクラスのレベルよりもダブルスコアどころかトリプルスコアのレベルに到達していた俺は、凄いことを成し遂げているはずなのに、心理的にダメージを受けていた。
まだ涙が止まらないのか、トイレにトイレットペーパーを取りに行き始めた福塚を見送り、俺はまたスマホの画面をスワイプする。
そこには高校全国のダンジョン攻略部を取材している、ネット記事が表示されている。
トップページには、なんと今トイレットペーパーで鼻をかみ始めた福塚がドアップで表示されていた。
「『天才トッププレイヤーの妹は、同世代でも寵児のエースになれるのか?』か。疑問形の見出しだけど、書かれている記事の内容はお前がダンジョン攻略部で全国日本一を達成するのが当たり前、みたいな風潮になってるな」
「ぞ、ぞうなの、ひっく、よぉ!」
「……すまん。今のは俺が悪い。泣き止んでから話しかけるべきだった」
スマホの時計を見れば、午後六時四十七分。
夕飯は今ハンバーガーを齧っているのでよしとして、船が出る竹芝までは電車で二十分もあれば到着できる。
いつが泣き止むまで、後一時間以上待っていても余裕で鴻田井島行きの船に乗れるだろう。
……まぁ、一度関わっちまったし、話ぐらいは最後まで聞いてから帰るか。
乗りかかった船だ、と俺は覚悟を決める。
セットのナゲットを口に放り込みながら、俺はそろそろ泣き止み始めた福塚に向かって口を開いた。
「で? なんかお前の方でも色々抱えてんだろ? 話してみ? へんぴな島の住民だが、壁に向かって愚痴を吐くよりはマシだろ?」