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翌日の早朝。
俺は酸素ボンベなんかのダイビング道具を持って、水上バイクを走らせていた。
船を動かしたり水上バイクを運転できる二級小型船舶免許に特殊小型船舶操縦士免許は、高校生からでも取得出来る。
俺は高校に進学してすぐに、そうした免許を取得していたのだ。
……おじさんを手伝おうと思って取ってたんだけど、まさかこういうところで役に立つとは。
走らせる水上バイクの目的地は、昨日記録しておいた座標。
つまり、ダンジョンだ。
免許取得後、俺は運転に馴れるためと、こうして朝から水上バイクを走らせるのが趣味になっている。
だから朝から俺が海を走っていても、おじさんたちに不審に思われることはない。
……琥珀に見つかりそうになった時は、結構焦ったけどな。
免許を取ってからというもの、あの幼馴染はやたらと俺に海のツーリングをねだってくる。
そんなに船を動かしたいのなら自分で免許を取るように勧めてみたこともあるが、思いっきり尻を蹴り上げられた。
意味がわからない。
……お、そろそろ目的地だ。
水上バイクを停めて、俺は潜る準備を開始する。
今度は防水カバンだけでなく、漁に使う網も持ってきた。
その理由は――
……アイテムを回収するのに、防水カバンだけじゃ足りないだろうからな。
昨日手に入れた『ウォーウルフの爪』だが、大きさ的に防水カバンに入れるのがギリギリだった。
あのダンジョンがどれぐらい大きいのかは、まだわからない。
しかし、入口でいきなりアイテムを手に入れれた事を考えると、もっとアイテムを手に入れられる可能性は高い。
しかも、あの『ウォーウルフの爪』は、取引価格が五万円だった。
……秒だぞ? 入って秒で五万円って、秒給五万円はヤバいって!
そんなにうまい話があるわけないと思いつつ、また潜るとアイテムを入手出来るのでは? という下心を抑えられない。
役に立つかはわからないが、水中ナイフも持ってきた。それを左腕にバンドでしっかり固定されていることを確認する。
今日は学校もあるので、遅れないようスマホにアラームをセットした。
俺はまたダンジョンに潜るため、海に潜っていく。
◇◇◇
……ちょっと、マジで全部水死してるんじゃね? これ!
最初はビビりながら進んでいたが、どうやら俺の予想は当たっていたようだ。
死んでいるモンスターを、スマホで写真を撮って画像検索。
ウォーウルフだけでなく、ノコギリキツネにグレムリン、サソリトカゲなんかがこのダンジョンにいたことがわかる。
……まぁ、全員溺れ死んでるんだけど。
溺れ死んだモンスターの水死体はもれなくグロすぎて、正直視界に入れたくない。
でもまたアイテムをドロップするんじゃないか? という欲望に負けて、俺は海水で満たされたダンジョンを泳いでいく。
すると――
……きたきた! アイテムだろ絶対これ!
グレムリンの死体から、『惑わす結晶』を入手した。
調べてみると、どうやらモンスターに投げれば相手を混乱させれる効果があるらしい。
取引価格は――
……ご、五十万円! マジかよ、凄すぎるだろ!
酸素ボンベに水上バイクのガソリン代なんかをあわせても、これだけで余裕でお釣りが返ってくる。
確かに、ダンジョン攻略をする上でモンスターを混乱させられるならこれを欲しがるプレイヤーも多いだろう。
……ヤバい。これは熱すぎる!
そう思いながら、俺は更にダンジョンの奥に進んでいく。
すると、かなり大きな空間に出た。水で満たされた、鍾乳洞みたいな場所だ。ここがどうやら、最下層のようだ。
そこに、またモンスターの死骸があった。
でも、他のモンスターとは違い、とにかくデカい。
十メートルはあるのではないか? というほどの巨体で、こんなものとまともに対峙したら確実に殺されるだろう。
その恐竜というより、爬虫類っぽいモンスターの写真を撮って、また画像検索にかけてみる。
……検索結果は、サラマンダー、ってウソだろ? こいつ、ダンジョンのボスじゃんかっ!
しかも、モンスターの属性的に炎ということだ。
それがいきなり海の中につっこまれたのであれば、水死してしまうのも無理はないのかも知れない。
体が大きいので塵になるのも遅いが、どうやらアイテムをドロップしているようだ。
……この剣みたいなのは、『フレイムソード』? 取引価格は、ごひゃ、五百万円!
ヤバい。凄い。金銭感覚がバグる。
とりあえずライトでダンジョンをくまなく捜索し、落ちているアイテムは片っ端から網で回収した。
流石に『フレイムソード』なんかの大きい刃物のアイテムは網が破れてしまうので、そいうものだけは手で抱えたりしている。
でも、そんな苦労は全く気にならない。むしろ、五百万円の重みだと思うと、もっと持っていたいぐらいだ。
興奮気味にダンジョンを泳ぎ、入口まで戻ってくる。
その時にはもう、俺の頭の中にはこのお金を使って何を買うのか? ということばかり考えていた。
……おばさん、そろそろお風呂場をリフォームしたいって言ってたな。あ、おじさんも船のエンジン変えたいって言ってたし。琥珀は指輪が欲しいって言ってたけど、普段遣い出来る指輪ってどんなブランドがあるんだ?
まだダンジョンを出たわけでもないにも関わらず、意識を全く違うことに割いていたためだろう。
俺は、完全に油断していた。
だから、気が付かなかった。
入口付近の壁から、何かが生えてきたことに。
それは、ウォーウルフだった。
生まれたてのウォーウルフが、何かを叫ぶ。
しかし、このダンジョンは海の中。叫ぶ声は、全て泡になってただ海面を求めるように昇るだけ。
放っておいたとしても、このまま窒息死するだろう。
だが逆を言えば、それまでは生きている、ということだ。
……危ない!
それを防御出来たのは、完全なる偶然。
溺れて暴れるウォーウルフの爪を、俺はたまたま抱えていた『フレイムソード』で受け止めることが出来たのだ。
生まれたばかりで水死しそうなモンスターは、必死に生きていたいと訴えるように、無我夢中で両手両足をバタつかせていた。
水の中で聞こえないはずなのに、死にたくない、苦しい、助けてくれ、という慟哭が聞こえたと錯覚した。
その必死に生きようとする姿を見て、俺は手にしていた網を手放した。
せっかく集めたアイテムが、ダンジョンの底に落ちる。
それを見向きもせず、俺は『フレイムソード』を構えた。
……今、楽にしてやる。
自分の自己満足だと、わかっている。
でも、もうあのウォーウルフの苦しみを止めてやりたかった。
泳いでモンスターの背後に周り、ダンジョンの壁を蹴って推進力を得る。
そして、背後からウォーウルフを突き刺した。
やつの口から、断末魔の代わりに無数の気泡が溢れ出る。
貫いた傷口からはどす黒い血が溢れ、スミイカが墨で海中を汚したように視界が悪くなる。
肉を突き刺し、命を断ったという感触が、俺の手の中に残った。
<必要な経験値を確認。対象者はレベル2に上がりました>
脳内に響いた声が聞こえなくなる頃には、ウォーウルフが塵となって溶けていく。
いつの間にか、辺りを漂っていた血も綺麗に見えなくなっていた。
……ヤバい。心臓が、バクバクする。
圧倒的に有利な状況だったとはいえ、俺は初めて命をかけた戦いを終わらせた。
ボンベからは正常に酸素が出ているのに、かなり息苦しく感じる。
そこで、予め設定していたスマホのアラームが鳴った。
鳴ったというより振動で気づいた形だが、それで俺は正気を取り戻す。
……ひとまず、回収したアイテムは向こう側のゲートの外に沈めておこう。
思った以上にアイテムを回収できたので、全て家に持ち帰ると学校に遅れそうだ。
幸いこの場所は、俺以外には見つかっていないようだし、アイテムもゲートの外の海底に沈めておけば見つかる心配もない。
……もう少し、調べてみるか。ダンジョンのこと。
そう思いながらも、俺は学校に行くため、ゲートに向かって泳いでいった。