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『上空から新木場の様子をお伝えします。沿岸部沿いに突如出現したゲートですが、肉眼でもはっきりと分かるぐらい、巨大なものです。ゲートが出現した新木場ヘリポートですが、その全てがゲートの中に飲み込まれたとみられ、ダンジョンに詳しい専門家の方のお話ですと、ヘリポートの土地、建物、そしてそこにいた人々もまとめてダンジョンへ送られてしまった可能性が高いとのことです。現在被害の程度はわかっておりませんが、ゲートが現れたのは元々埋立地だった新木場ということもあり、ダンジョンに入るためには海に潜る必要があるという見解が出ています。海の中にゲートが出現したというのは、世界的にも非常に稀であり、政府は水上警察だけでなく、海上自衛隊、海上保安庁と連携しながら対応を――』
テレビから流れてくるアナウンサーの声を聞きながら、俺の部屋にいるベッドに座った来客へ視線を向ける。
緊急速報のアラームで叩き起こされた琥珀の隣では、流石に顔を青ざめさせた天真の姿があった。
彼女は元々白い顔を、更に白くさせている。
「わ、私の責任では、ありませんよ~。ふ、福塚二美がヘリでこの島にこようとしていたのは、あくまで彼女の判断で~、それ――」
「ブルブル震えて強がんな。熱い茶でも入れてやるから、ちょっとは落ち着け」
「あ、私が入れてくるよ」
部屋を出た琥珀の背中から、俺は視線をスマホに落とす。
どれだけ連絡しても、二美先輩にはつながらない。
……ゲートが出現した時間と、先輩が新木場ヘリポートに到着したであろう時刻は、一致している。
報道では、被害がどれほどのものなのか、わからないとのことだった。
二美先輩が巻き込まれている可能性もあるし、そうでない可能性もある。
だが、どうしても嫌な方向に考えてしまう。
テレビで放送された、あの地獄の釜が開いたかのような光景は、見るもの全てにトラウマを残すだろう。
ゲートは、基本的に地中から生まれる。
今回新木場に出来たゲートもその例に漏れず、まるで海の底から巨大な怪物がその口で新木場ヘリポートを丸呑みしたかのような有様だった。
……天真も、無理に強がりを言わないと正気を保てないのかもしれないな。
緊急速報を聞いた時、恥ずかしながら俺もかなり狼狽した。
だが、それ以上に取り乱した天真の姿を見て、逆に冷静さを取り戻したのだ。
天真の横に腰掛けながら、俺は口を開く。
「らしくないんじゃないか? はじめましては昨日だが、あんたならあの新木場のゲートを使ってどこに何を投資すればコスパ良さそうか? とか、そういうことを考えてそうなイメージなんだが」
「……そ、んなこと、考えられるわけ、ないじゃないですか~。私のせいで~、また、ダンジョンに~――」
……『また』?
気になることはあったが、憔悴したような天真を放ってはおけない。
「気にするな、というのは無理な話だが、二美先輩の件はお前のせいじゃない。ゲートがどこに出来るか? なんて、誰にも予測出来ないんだからな。それに、先輩が巻き込まれたって決まったわけじゃないだろ?」
「……どうして、ですか~?」
「ん? 何がだ?」
「どうして、あなたを追い込もうとした私を~、気づかえるんですか~? ここまでくると~、いい人というよりも、もう人が良すぎる部類かと思うんですけど~」
「お、ちょっとは調子が戻ってきたな。慰めてる相手にそれが言えるようになったんだから」
「茶化さないでくださいよ~」
そう言った天真の瞳は、まるで迷子の子供のようだった。
「なんで、あなたはメリットがないのに私に優しく出来るんですか~? それとも弱った私につけこめば~、私があなたに有利な条件を出すと思ってるのでしょうか~」
「人をスケコマシみたいに言うな」
「そこはある意味外れてないと思うんですが~」
「おい」
そう言って、俺は苦笑いを浮かべる。
「別に、俺にとってはそれが普通なのさ。あんたは投資の世界とか、きっと俺の知らない大人の世界で色々やりあってるから、そういう考えになるのかもしれないけど。言ったろ? 皆で競うように攻略するのは、俺の気質にあってないんだ。自分のペースで、ゆるゆるやりたい。だからコスパもあんまり考えないし、敵とか味方とか、白とか黒とか、あんまりそういうのをはっきりさせなんだよ」
「それは、ただ優柔不断なだけなのでは~?」
「まぁ、確かにそうかもな。でも、変にそうやって壁を作らないから、お前にも優しく出来るんだと思うよ。そもそも、人間なんて二面性があって当たり前じゃん? 海だって満潮の時もあれば、引き潮のときもある。好きだな、って波のときもあれば、嫌いな波もある。でも、海は海じゃん? 嫌な波がくるからって海に入らなくなったら、俺たちこの島で生活できないよ。嫌なところ一つ探していちいち全部拒絶なんてしてたら、きりがない。嫌ならそこだけ距離取って、良いところには、ちゃんと向き合う。海と付き合うって、そういうことだと思うけど?」
「あなたの話から、海の話になってますけど~」
……あれ? 確かにそうだな。
なんでだ? と首を捻っていると、天真がクスクスと笑っていた。
「あなたは、不思議な人ですね~。瞬時にこちらの思惑に気づく鋭さがあるかと思えば~、なんでも受け入れてしまえる柔軟性も持ってます~。かと思えば全く動じない、芯の強さも感じさせます~、ほんと、海みたいな人ですね~」
「俺は海というより、島のほうがいいかな。海は台風とか他の要因で急に荒れさせられたりとかするから、ただのんびりそこにいるだけがいいよ」
「そういう巻き込まれ気質なところも、正一さんが海っぽいところですね~」
「だから海にするなって」
そう言ったところで、琥珀がお茶を人数分持ってきてくれる。
夏休み真っ只中だが、今は温かいお茶を飲んで落ち着きたい。
お茶を飲んで一息つくと、天真がスマホを高速に連打し始めた。
「何? またSNSで俺炎上させんの?」
「ご心配なさらずとも、あの投稿はもう消しましたよ~。今はそういう場合ではありませんから~」
「それじゃあ、天真さんは何やってるんですか?」
質問する琥珀へ視線を上げる余裕もないほど熱中しているのか、天真はスマホをずっと操作している。
それでも口は動かせるのか、彼女は幼馴染の問に答えてくれた。
「会社経由で、新木場の情報を集めてます~。政府関係者にも連絡を入れて、対応状況の確認なんかを~。救援活動に手を貸すのは、結構費用対効果いいですからね~」
そう言った天真のスマホには、被害者情報の一覧が表示されている。
彼女なりに、二美先輩の同行を探ろうとしているのだ。
そんな天真に、琥珀が呆れたように口を開いた。
「国にもコネがあるって、どんだけですか。っていうか、投資会社の会長さんの娘さんってことでしたけど、そんなに色々出来る権利ってあるんですか?」
「とりあえず、次の社長は私になってますね~。父は私が会社の跡を継ぐのを望んでますから~」
「規模が凄すぎて、私にはもう想像も出来ないわ……」
俺も頷いて琥珀に同意する。
そんな中、天真はスマホを膝に置いて溜息を吐いた。
「ダメですね~。どうにも被害状況が見えてきません~。建物とかそういうのは立地から追えるんですが、人の部分が全然ですね~」
「どうしてなんですか?」
「ダンジョンへ潜るのが、中々うまくいってないみたいなんですよ~」
琥珀に、天真が困ったように口を開く。
「新木場に出現したゲート、新木場ゲートと呼ばれているらしいんですが~、世界でも珍しいゲートなんですよ~。このゲートは、海の中に存在しています~。基本ゲートは陸地に出現しているので、プロプレイヤーであってもゲートまですぐに到達できないんですよ~。プレイヤーはゲートを潜ったダンジョンならレベルの効果でめちゃくちゃ強いですけど~、現実世界ではただの人ですから~」
「そっか。陸地なら歩いてゲートにたどり着けるけど、海の中だからダイビング経験ある人じゃないとそもそもゲートにたどり着けないんですね」
「そういうことです、琥珀さん~。山岳地帯にあるゲートもありますが~、最悪ヘリから降りればなんとかなりますし~。でも、海だと中々そうもいってられませんからね~」
「でも、海なら潜ればいいじゃないですか」
「プレイヤーが、皆さんみたいに全員海に潜れるとお思いですか~? 逆に、そういうライセンスをお持ちの方がプレイヤーだとお思いでしょうか~?」
「なるほど。ダンジョンで戦える人はゲートに到達する技術がなくて、ゲートに到達できる技術を持っている人はプレイヤーとして戦える人じゃないんだ」
「そうなんですよ~。もし海に潜れる方がプレイヤーだったとしても~、プロプレイヤーまでのレベルには、流石に達してません~。基本仕事は専門性を持たせた方が効率いいですから~、海に潜れる方は救助活動とかそちらの訓練を積んでますし、ダンジョン攻略に割く時間がありませんからね~」
「つまり、海に潜れて、ダンジョンを攻略できるぐらい強いプレイヤーが必要、ってことですね」
琥珀と天真は、そう話しながら、途中からずっと俺をガン見している。
ダンジョンやプレイヤーとは縁がない琥珀が、俺に質問した。
「正一。あんた、レベルいくつよ」
「63」
「天真さん。戦えるプレイヤー、プロプレイヤーって、どれぐらいのレベルがあればいいんですか?」
「うふふっ、60以上ですね~」
「正一、あんたそんなに強いプレイヤーだったの? 本当になんでずっと黙ってたのよ!」
「俺だって二日前に二美先輩に言われて、初めて知ったんだよ!」
でも、今の話を聞く限り、確かにすぐに新木場ゲートへ潜れるプイレイヤーの条件に、俺は合致しているように思えた。
「でも、流石に国が動いているのに必要なプレイヤーが集まらない、ってことないと思うんだけど。ほら、『十人の到達者』だっているだろ? あの人達に頼んだらどうにかならないか?」
「それが~、現在日本にいる『選ばれし十傑』の『貢がれる者』は、北海道の『ワンショット』攻略中みたいなんです~。他の方々もほとんど別のダンジョンに潜っていて、手が離せないみたいで~。それ以外の『選ばれし十傑』は、すぐに連絡がつかないみたいなんです~」
「マジですか……」
「一応、日本も新木場ゲートの先にあるダンジョン、新木場ダンジョンにプロプレイヤーを送り届ける人員と、新木場ダンジョンで戦うプロプレイヤーを集めているようなんですが~、まだ未踏のダンジョンですからね~。送り届けた人員を守るのに、どれぐらいのプロプレイヤーが必要なのか、算出中らしいです~」
「え、プロプレイヤーを送るだけじゃダメなんですか? 天真さん」
「送っただけだと、帰れなくなっちゃうじゃないですか~。それに~、ダンジョンの中も海みたいになってたら、困りますよ~。水中に生息するモンスターもいるんですから、最低ダイバーとプロプレイヤーのツーマンセルじゃないと新木場ダンジョンには入れません~」
……水中に生息するモンスターもいるの? 危なっ!
俺が見つけた海底ダンジョンは、そういうモンスターはいなかった。
ボスがサラマンダーということも関係があるのかもしれないけれど、マジで幸運だったのかもしれない。
「そして先程申し上げた通り~、海に潜れる方はダンジョンに初めて入られる方も多いでしょうから~、皆さんレベル1なんですよ~。そういう方々を海に不慣れなプロプレイヤーが守りながらダンジョン攻略するのは~、至難の技ですよね~。だからパーティー編成に、時間がかかってるんですよ~」
その言葉を聞いて、琥珀が俺の方へ視線を向ける。
目と目をあわせた幼馴染は、俺に向かって口を開いた。
「正一。行ってきなさい」
「行ってきなさい、って、そんな国が編成しているようなパーティーに、俺が入れるわけが――」
「大丈夫よ。きっと天真さんがどうにかねじ込んでくれるでしょうから」
「はい~、可能ですよ~」
「さらっと怖いことを……。でも、琥珀は――」
「でももなにも、こっちは生まれた時からあんたの幼馴染やってんのよ? 顔を見ればわかるわよ。あんたが何をしたくて、この後何をするのかなんて。もう、あんたがプレイヤーになってるって、知ってる今なら、特に」
そう言われて、俺は黙り込む。
確かに俺は天真の話を聞いて、新木場ダンジョンへ潜りたくなっていた。
それはプレイヤーとして、純粋に未知のダンジョンへの憧れもある。
でも――
……二美先輩が、巻き込まれているかもしれない。
俺がプレイヤーとして活動したい理由を言語化してくれたあの人の安否が、気になって仕方がないのだ。
あの緊急速報で天真があれほど狼狽えていなければ、きっと俺が彼女のように取り乱していただろう。
そうした俺の心を全て見通したかのような琥珀が、何故だか挑むように俺を睨む。
「行っても、いいわ。本当は、行ってほしくない。危ないこと、もうして欲しくないもの。でも、どうせ何を言っても行くなら、ちゃんと『いってきます』って言ってからいきなさい! それから、それから、これだけは聞かせて。あの、あのね? も、もし、私が――」
「お前が同じ目にあっても俺は絶対助けに行っ、痛っ! なんでよ!」
「聞く前に言うな! バカっ!」
顔を真赤にして起こる幼馴染への理不尽さに押しつぶされそうになっていると、何故だか含みのあるような笑いを浮かべる天真が、俺に近づいてくる。
「えぇ? このタイミングでお前もなんかあんの? 時間ないんでしょ? 早く行こうよ」
「うふふっ、そ~いう態度だから~、こ~ゆ~目にあうんですよ~」
そう言って、天真が人差し指を俺の唇に押し付ける。
「私~、まだ新木場ダンジョン攻略パーティーに正一さんを入れるよう調整するだなんて、言ってませんよ~」
「そういう迂遠なものいいは、お前の好みじゃないと思ってたんだが」
「確かにそうですね~。では、簡潔に~。人にものを頼む時は、ど~ゆ~風にお願いするのが、人として正しい振る舞いなんでしょ~か~ね~?」
天真が言い終わる前に、俺は彼女の手を握る。
そして目を見て、はっきりと口を開いた。
「俺に道を付けてくれ、アカネさん」
「……は、はい」
「ん、それじゃあ行、琥珀湯呑はダメ! 投げるのダメだよ中身まだ入ってるでしょそれ!」
バタバタしたが、既に島のヘリポートに停めてあるヘリポートは、もう東京へ向かう準備が出来ているらしい。
俺も、準備は既に完了している。
なにせ、持っていくべきアイテムは、全て『収納ボックス』の中に入れてあるからだ。
だから残りは、約束を守るだけだ。
玄関を出て、俺は振り返る。
そこでいつも通りの表情を浮かべる幼馴染に向かって、こう言った。
「いってきます」
「うん、いってらっしゃい!」