「NO」――君は子猫(マイノリティ)を助ける勇者か? それとも見て見ぬふりをする多数派か?
――いつも犠牲になるのは、少数派の人間だ。
俺たちが無意識に目を逸らしているそれを目の当たりにした時、どこまで目を逸らすことが出来る? 許される?
例えば、道端に怪我をした子猫が倒れていたとする。もしフィクションの物語だったら、助けようと思うんじゃないだろうか――誰もが。
――でも現実ではどうだろう?
子猫は「助けて」と言う事が出来ない。辛うじて出来る事は「にゃあ」と弱弱しく鳴きながら、澄んだ瞳をこちらに向ける事だけ。でも、その視線に応える人は、果たして多数派だろうか? それとも少数派だろうか?
答えは言うまでもなく、少数派だ。
理由? 簡単だ。
「助ける」という行為には責任が伴う。その子猫を助ける事で生じる「責任」が、彼らの自由を阻害するんだ。
助けたい――その感情が心の片隅にあっても
「助けたんだから、その猫飼えよ」
「可哀想だと思わないの? うち? ダメよ。猫は家をボロボロにするから」
そうした根拠のない正義感が本当の善意を押しつぶす。そして、もし優しい人間がその子猫を助けたとして、その人が猫アレルギーだったり、里親を見つけられず、ついには殺処分を選ばざるを得なかったとしたら――涙を流し子猫を手放すその人を世間はためらいなく非難すると思う。
「酷い! まだあんなに小さいのに」
「あの子猫が死んでもいいのか!? 人でなし!!」
でも……俺は問いかけたい。
――お前たちは、その子猫のために何かをしたのか?
少数派を守ること。素晴らしい事のようで、現実では大きな犠牲と困難を伴うものなんだ。でも――そんな困難を乗り越えてひとつの成果を得たとしても、返ってくるのは皮肉な言葉だけかもしれない。
――えらいね、と。
最悪の場合、褒められる為にやったとまで言う人間まで現れると思う。でも、そんな動機で人は大きな犠牲を払うだろうか? 俺は真の善意はもっと孤独なものなんじゃないかって思う。だって、本音を言ってしまえば
褒められたい――それだけなら、たまたま目の前に落ちてた空き缶を拾ってゴミ箱に放り投げるだけで事足りるだろう。たった3秒で終わる事だ。
*
今回は「真田タクミ」という少年が登場する。
この物語を読みながら、自分自身に問いかけてほしい。
――自分なら、この少年を助けに入ることができるだろうか、って。
きっと大多数の人間がこう答えると思う。
「NO」――と。
この世の中は残酷だ。
魔法や奇跡があればいいけど、そんなものを信じれば悪い人間にそそのかされて一つ数十万もする壺を買わされる――そんな事態にだってなりかねない。だって、そうだろう? 世の中には「影縫い」のように「影の仕事」をする悪い奴らが後を絶たないんだから。
それでも目をそらさず、問い続けてほしい。その「NO」が何を意味し、僕達の未来に何を残すのかを。
数ある作品から本作を読んで頂き、ありがとうございます。
もし続きがよみたいと思って頂けましたら、下の☆☆☆☆☆を★★★★★に変えて応援してくださると今後のモチベーションになります。