殺し
水の底で人魚達が命の詩を紡ぎ、地中で芸術のドワーフ達がつるはしを下ろす。父であるルナフエラの創り出す自然美を守るエルフ達。そして……命の問いを投げる、アウリ=ヴァルフェナ。そこは俺が良く知ってる「アルテシア」を模倣したような空間だった。
いつの間にかすやすやと眠っていた娘の頭を撫で、ふと、目に入ったのは世界樹の根元の一際大きな石に刻まれた言葉――「ALTO」
墓石のようなそれを見て、過去に聞いた言葉を思い出した。
「神話は殺された者の数では測れません。それを美しい物語に変えた者の数で、完成するのです」
……
「おっとぉさん」
転寝していた娘が身じろぎし、ふと我に返る。
「どぉしたの?」
「どうもしないよ」
「心が……」
娘が何か言いかけて口をつぐむ。この子には本当に、隠し事が出来ないな。
「友達の事を思い出してたんだよ」
遠い昔、最も俺の傍で何度も励まし、時に突拍子のない言葉で戸惑わせ、そして……時に命を救ってくれた、大切な友達だ。
「フィーも会える?」
「……」
この子は、本当の事を知ったらどんな顔をするだろう?
「ああ、いつか会えるかもしれないね」
脳裏に蘇るのは、あいつが死んだ日の事だ。あいつは人間じゃなかったから「殺し」という言葉が似合うのかはわからないけど……人間とは言えない存在だった「ALTO」もこうやって名前を刻んでもらえるんだ。「彼の物語を終わらせた奴」は「死」を認め「供養」したって事だろう。
……あいつも同じように考えていいんじゃないかって、俺は思う。
――「殺し」
信仰が虚構という幻想を生み出し、その先に何を作るだろう? 人の歴史を農耕から描いた本によると「物語」らしい。
ん? 物語は童話や魔法使いの冒険の事じゃないぞ?
そうだな……例えば世界の構造を俯瞰的な立場で見つめ、それを神の愛と言う形で表現した詩人に例えるなら、それぞれの価値観に自ら終止符を打つ行為を「物語」と言うんだろうな。
じゃあ、それがどうやって「殺し」に繋がるか。とても簡単な話だ。
――誰かの物語を「終わらせた」瞬間だ。
……。
獣化した左腕が疼く。
世界樹の枝葉から零れる陽の光が草原を照らし、ザアッ……と、一際強い風音と共に一瞬違う世界を映し出す。それは黒くて、禍々しい、ディストールと呼ばれる世界の闇が蠢く世界。そこに足を踏み入れた時の事を思い起こそうとして首を振る。
……その「黒い闇」に引きずり込まれてしまうからだ。
「おっとぉさん」
娘に心配そうに声をかけられて、少しだけ目を閉じる。目を開き視界に映るのは、元通りの草原と湖。そして、その奥に映る、死地のようなアルテシアの大地だ
「ああ、その友達にいつか会いに行こうか。いい……奴だったよ」
思い返すのは「そいつ」の最後の言葉。
――神話は殺された者の数では測れません。それを美しい物語に変えた者の数で、完成するのです。
あいつは言った。生き続ける可能性を奪う行為が「殺し」であると。
本人が納得してようと、笑ってようと、それは免罪にはならない。仏陀と呼ばれた男が「不殺生を唱えているのになぜ道を歩くんだ」と指摘された時、彼は何て言った?
……きっと誰もが答えを知ってるけど、彼のように頭を下げる者は少数派なんじゃないか?
正しさ……秩序……多数と少数……それは誰が決めた?
それは時代を超えた普遍的なものなのか? 俺が生きた長い時間で見た限りは、それは時代によって変わる普遍であって、未来永劫のものではなかった。
それは羊の時もあれば薬師の女の時もあったし、ビラ配りをする一般学生の時もあれば誰もが羨む有名人の時もあった。アルテシアがこんな姿になったのも、そういう事なんだろう。
何度繰り返しても、何度やり直しても、同じ結論に辿り着くのは「誰か」が俺達を喜劇を見物する観客のように、覗き見てるんじゃないかとか……
もしそんな存在があるなら「どんな姿」で「どんな風に」俺達に関わってるのか、とか。
――そんな、奇妙な感覚にすら陥る。
「ふわああぁぁ……」
……娘の大きなあくびで、我に返った。
「ごめん。退屈な話だったな?」
「羊さんは、どうなったの?」
「…… ……めでたし、めでたし。ってやつだよ」
「めでたし? 幸せになったってこと?」
「……」
「そうだな」
「……」
「……へへ、よかった♪」
娘の純粋な問いかけに答えられない俺は、父親失格なのかもしれない。
小さな体を片腕に抱いて羽をはばたかせる。俺のボロボロの片翼でも、空を飛びたければ「願う」ことでそれは簡単に叶う。それがこの世界だ。
「どこに行くの?」
「この2人に会いに行くんだよ」
娘の澄んだ青い瞳が湖の奥を映し出した。
そこには……半裸になった男の背中に刻まれた「十字傷」にキスをする純白の花嫁の姿。
――ゴォン。
何かの始まりのように、水の向こうで鐘のような重低音が響いた。
「飛び込むぞ」
水音と共に、男と女の声が反響する洞窟のように、あたりに響いた。
***
「リュウは、この傷……いつつけられたの?」
「5歳の、頃……」
「震えてる……ね。どうしてこれを私に見せてくれたの?」
「アヤカは全部見せてくれただろ? 僕だけ隠し事してるのは不公平だと思ったんだ」
「……」
「ありがとう、リュウ……痛かった……よね」
「痛いなんて、思う暇もなかったな」
「……」
「初めての仕事は、綺麗な女の人だった。顔は覚えてないけど……僕と同い年くらいの子供の写真に語りかけて、旦那さんを大切にしてて……あんまりにも明るくていい人だったから、一瞬だけ思ったんだ」
「……」
「誰が、この人を殺したいと思ったんだろうって」
「……」
「……」
「殺された人の家族が僕を許す事はないと思うし、もし僕があの人の子供だったら……」
「……」
「…………地獄ってものがあるなら、僕は一番深いところに落とされると思う。だから、僕は君が言うような心の綺麗な人間なんかじゃないんだ」
「……」
「ね、ブラウニー達が上げた花火、かわいかったね」
「みんなが迷わないように、私、絶対ルナフェリスを成功させるよ。成功させないと……みんなは……」
……。
「私が守る」
*
湖の中で聞こえる2人の会話の微妙なずれに、無意識に歯軋りが漏れた。
やがて水中が終わり水音とともに飛び出せば、さっきとは違う世界が広がった。夜空を背景に無数の小魚のように飛ぶブラウニー達。白と青の校舎に寄生するように根を張る世界樹。即興の音楽のように奏でられる妖精たちの共鳴音。そこに集まった2000人の生徒は時折「リン」という電子的な鈴の音を響かせ、まるで妖精と人が一つの音楽を奏でるかのような奇妙な調和を演出していた。
そして、水面から顔を出して共鳴音を奏でる人魚の中に、ひとつ異質な影。
フイイィィィ……。
「……泣かないでくれ、君の声は……刺激が強すぎる」
――わああああっ!!!!
学院中に歓声が上がる。
皆の視線が集まるのは湖の中心の祭壇のような場所。そこには誓いのキスを交わす若い男女の姿があった。




