終焉の門にて、海霧の妖精が哭(な)く
【R-SNSログ】
2053,9,22
大森シキ(初等部・特待/落書きの子)
@shiki_chalk
よるがすき。
人魚のすがたをした海霧のようせいが、うたをうたっているから。
でもね、そのなかに、だれかがないてる声がまざってる。
みんなこわがってるけど、どうしても気になって、夜の廊下に、こっそり人魚の絵を描いたの。
せんぱいたちは「やめなさい」って言ったけど、消してもまた描く。アヤカさまに少しだけ似てるような気がしたから。
検診は、あれからずっとつづいてる。
アヤカさまはさいしょは泣いてたけど、だんだん泣かなくなって、冷たい雨だけが降ってるの。
みんなは「本当に燃えてるわけじゃないんだし」っていってたけど、ほんとうにそうなのかな?
アヤカさまは今日も大好きなリンドウに、お水あげてるのかな。
*
まどろみの夢の底で、いつもの――「泣いているような妖精の声」が聞こえた。
ヒュウ……と風が切れる。
どこかもの悲し気な高音に重なるのは、天使の吐息のようなハミング。そこに心臓が震えるような……低いうなりが重なってる。
……フィイィ……ィィィィィ…… ……。
声は次第に鮮明に、大きくなっていった。
芸術の妖精の重低音、自然美の妖精の笛の音、豊穣の妖精の鈴のような音と重なって、異国の音楽のような音を幻想的に響かせる【ナマル=イグ】……そして、海霧の妖精のハミングのような優しい声。どこか心が落ち着いていく懐かしさがあるのに……
――誰が「泣いて」るんだ?
目の前の暗闇に僅かな光がさし、映し出されたのは暗い病室の個室と白いベッド。
ここはどこだ? 体がやけに重だるくて、身体中に血の匂いが纏わり付いてる。自分の右手を上げると、小さな子供の手が、僕の愛用のナイフを握りしめていた。
――カタ。
風が頬に当たって顔を上げると、白い患者服を着た少女が窓に手をかけていた。
「ユメ……?」
体中がざわつく感覚と共に、一瞬で理解した。これはユメが死んだ――「あの夜」の夢だ。
「ユメ!!!!」
僕の叫びに、ユメの肩がぴくりと揺れる。
彼女はそのまま窓枠に足をかけ、ふり返る。視線が交わった――次の瞬間
「フイイイィイィィイイイイイイイィィッィィィィィ!!!!!!!!」
耳を裂き、心臓を貫き、脳を震わせる声が部屋中に響く。
――なんだ!? この音は? 子供の発狂にも、不快な重低音にも聞こえる奇声。声に縛られたように体が動かない。どうしてだ?
「ユメ!!」
*
「――!!」
はっとして顔を上げると、僕の肩から何かが転がり落ちる感覚がした。
はあ、と一息。
目の前の部屋いっぱいの白いリンドウの花を、テラスから差し込んだ「赤い夕陽」が照らしてる。そして、僕の右肩に体を預けるアヤカの寝息がかすかに聞こえた。
心臓が速く鼓動を打ってる。冷や汗を拭いながら視線を落とせば……
――淡い青の光を放つ小さな妖精が「猫の伸びのポーズ」で、僕の体をくるんでいる毛布に顔を埋め、プルプルと震えていた。
「……ごめん」
そうだ、この子は昨夜僕の左肩で眠ったんだ。夢に驚いて起き上がったせいで落ちてしまったんだろう。
怪我をしてないだろうか? そっと手を伸ばすと、妖精はぱっと顔を上げて、ふるふると首を振る。僕の顔を見た瞬間――まるで「笑った」ように目じりを下げ、ひらりと舞い上がり、再び僕の左肩にちょこんと腰を下ろした。
……機嫌は悪くない、らしい。
「あの夢……久しぶりに見たな」
子供の頃は毎日のようにうなされていて、ルームメイトだったダイスケが起こしてくれてたっけ。額に滲んだ冷や汗を拭って顔をあげると……そこには白リンドウの花畑が暗闇に美しく映えて映っていた。
……動悸が収まらないのは、夢のせいなのか……それとも今日の結婚式のせいなのか。
時計を確認した。
【2053,9,26 4:30】
いつもの起床時間だった。
大理石で作られた床に羽毛で作られた布団を下に敷いたのは、今日の主役の花嫁に風邪をひかせない為。2053年になった今では珍しい職人仕事の羽毛布団は、人肌に馴染んで心地よく暖かい。
「リュウ……?」
隣に視線を向けると、彼女のライトブルーの瞳がうっすらと開いていた。
「おはよう、起こしちゃったかな」
いつもはもっと早く帰るんだけど「ぎりぎりまでここにいてほしい」っていうアヤカの願いで今日は長居してる。
淡い光がライトブルーの瞳に一瞬花が咲いたように鮮やかに灯った気がした。笑っているのに、どこか泣いているようにも見える、柔らかな表情。
……「ここ最近のアヤカ」は、こんな風に「天使のような笑顔」を浮かべる事が多くなった。
もしかしたら、アヤカの体温が心地よくて思い出したのかもしれない。あの日も……体中に纏わりついた血の匂いに頭がおかしくなりそうな中、隣にいたユメの体温が、やけに心地良く感じたんだ。
「そろそろ戻る時間だ」
「もう、行っちゃうの?」
「もう少しだけここにいるよ、でも明るくなる前には出ないといけないかな」
「やぁ……!! ずっとここに、いるの」
子供が駄々をこねるように、僕の腕にしがみつく。こんな風に甘えられると僕は逆らえないけど……流石に今日結婚する花嫁と一晩一緒にいたなんて、誰かに見つかったら大変だ。
こんな時、ユメはどうしたら機嫌を直してくれたっけ?
「そうだな……じゃあ、アヤカの願い事を何か聞いてあげようか」
「ねがいごと……?」
「アヤカは今日、ルナフェリスを起こす為に皆の前でスピーチをするんだろ? どうすれば、アヤカは頑張れる?」
「うーん……」
首をかしげて考え込むアヤカを見ながら、僕はあの日のマダム・ティムの言葉を思い出していた。
*
調和の儀が最初に行われた2週間前の朝。
僕はマダム・ティムにカフェに月光果実を運ぶ手伝いを頼まれて、それに了承した。
トン、と音を立てて半分にカットされた実は光を失わず、その実は陶器のような美しい白だった。それを一口サイズに切ったマダム・ティムは一口かじり、微笑む。
「うん、エーテルは充分だね」
マダム・ティムは果実をひとかけらフォークに刺し、僕に差し出した。
「食べてごらん、命の味を」
「命……?」
「そうさ、豊穣の女神が許した奇跡の味さ。大地と恵に感謝をしながら、ね」
大地と恵みに感謝。
フォークを受け取り果実を噛み締めると、甘さと酸味が口いっぱいに広がる。果実らしい清涼感だけど、その奥の……「鉄」のような後味に僅かな違和感を感じた。
「初めて食べる味だけど、これは」
「目玉の味だね」
「め……だま」
一瞬喉を襲った不快感を飲み込む。
「覚えておきな。あんたたちは生きて帰るんだろう?」
「それは、どういう……」
「命を見つめる”眼”さ。遠い昔、世界を飢餓から救う為、とある数学者が空に祈りを捧げ、命と願いを捧げた。ヘリア誕生祭は、その時の名残。ルナフェリスは空と海を管理する妖精に共鳴を求める儀式なんだ」
空……海……共鳴……?
「意味がわかりません」
「恵みには代償が必要だ。ルナフェリスにはね……祈り子という生け贄が必要なんだよ」
生贄?
「祈り子は世界樹の一部となって、再び生まれることができる。そうしたら……あの子は妖精じゃなくて、人として生まれ変わることができるのかも、しれないね」
*
――もし彼女が死を望んだら、どうしますか?
シオンにそう、問いかけられた時。僕は「そんな事は絶対にない」と否定した。
けど、今なら彼の言葉の意味が分かる……今は彼女を解放する唯一の方法はルナフェリスの祈り子として天に召される事なんじゃないかって。そんな風に思ったのは、ここ2週間毎日アヤカの検診を一番近くで見て来たからだ。
1輪だけ彼女の目の前で燃やし、その後花畑が燃える演出。涙を流し冷たい雨を降らせるアヤカ。それを凝視する2000人の生徒。
ナオキの話のよると――
『社会心理学論によると、人は他者の行動を正しい判断の指標とみなす傾向があります。2000人が同じものを見て沈黙する行動・光景を繰り返す事により無意識の同調圧力を生み出すのでしょう』
その言葉の後に「ひと昔前に流行った「バズり」を再現した”実にわかりやすい煽動”ですが、学生を操るには十分なのでしょうねぇ。何せ指摘する大人がいないのですから」……と、いつもの皮肉と共にため息をついてた(当然、僕もわからなかった……とは、言えなかった)
……正直、僕が運んだ花がアヤカから奪われることは覚悟してたけど、まさかこんな風に「煽動の道具」として使われるなんて……思いもしなかった。
【R-SNSログ・1週間前の投稿のログ】
@artlover_rui: 花畑、本当は燃えてないらしいね。
@info_log07: 記憶失ってるから毎回本気で泣いてるらしい。
@normal_k: でもさ、それを見せる必要ある? #倫理
【今週累計 220.2MWh / 94MWh】
@ordinary_25: もうスマロゲームやらなくていいレベル。検診もゲームももうやめようよ。アヤカさん可哀そうだし。
@yu-se01: リーナ先輩、今日も言ってたね。 #妖精は敵 #救世主ネーファス
@normal_k: そのタグ使うのやめろ #妖精は敵
@ordinary_01: でも記憶ないなら、泣いても忘れちゃうんだからアヤカさんは幸せなんじゃないの? #アヤカさん
*
ここ2週間のR-SNSの投稿を見て、ナオキはこう言っていた。
『日本人は文化的に、死や喪失を美しく語る傾向があります。これは、まさにそれが顕著に出ていると言えるでしょう』
ログを見るたび、吐き気に近い不快感が胃液を押し上げる。
R-SNSの投稿は「アヤカが自ら犠牲になる美学」で溢れていて、自分たちが生きる為に必要な発電をやめていく生徒が後を絶たないらしい。
――「ルナフェリスは絶対起こせる」
アヤカはこんな状況でも、皆を信じてた。
正直僕にはわからなかった。全力で寄り添おうとしてるアヤカに対し、生徒達は彼女に1ミリも寄り添おうとしていないようにしか見えないからだ。
……だから僕も「ある計画」を決めた。その準備は着々と進んでる。
「……人魚姫が見たい」
「人魚姫なんて、いるのか?」
「いるよ! 見に行こう? 12時にアウリスブリッジで会ってほしいな」
「いいよ」
「やったぁ! 約束だよ?」
微笑んだアヤカと軽く指切りをして、僕は立ち上がった。
ガーデンスペースを埋め尽くさんばかりに咲く花は「夕陽」に照らされて赤く染まってる。それを見ながら、アヤカがぽつりと呟いた。
「もっと……真っ赤になったら、綺麗だろうな」
それを聞いた時、身体が拒否するように、ぞわりと何かが這いずるような感覚がした。
テラスに出ると、ハーモニア大学附属学院全体を赤い夕陽が照らしてる。
そして、いつも通り壁に背を預けて俯いているシオンさんが。相変わらず微動だにしない……彼は一体何者なんだろう?
「あ、あの子。いつもこの時間に歩いてるね」
中庭を見下ろすアヤカが指差す先にはアウリスブリッジを歩く初等部の女の子の姿。
「知ってる? あの子初等部の壁に絵を描いてるんだって。将来はタクミ君みたいな画家になりたかったのかな?」
なりたかった……? なんだか引っかかる言い方だ。
「アヤカも夢はあるんだろ?」
「私は……」
アヤカは小さく息をつき、湖面の向こうの空を見つめた。
「きっと……あの子も待ってる」
まるで現実とは違う、遠い世界を見るように。アヤカはそう言った。
*
寮で着替えて外に出ると、レンガ造りの道を挟むようにパンジーの花壇が続いてる。ルナグレインや月芝、そして月光果実。異世界の植物が増えて大分風景が変わったハーモニア大学附属学院だけど、ここだけは以前とほとんど変わらない。
変わった事と言えば……一際青いパンジーが「定期的に数を増やしていく事」だ。
「よぉ、リュウ」
後ろから声をかけてきたのは親友のダイスケ。彼が身に付けてるのは僕の黒とは違う明るめのジャージ。これはダイスケが好きなブランドのものらしい。右手に握ってるのは、マダム・ティム手作りのカンパーニュ。ダイスケはこれを非常食代わりにいつも常備してる。
「どーだった? アヤカ」
「少し精神が子供になってるみたいだ」
「ナオキが言ってたぞ。あれは心の防衛反応ってやつだって。精神が限界を迎えてる証拠だ」
「……うん」
僕が浮かない顔をしてるのに気づいたんだろう。ダイスケが背中を叩いてきた
「久しぶりに――トレーニング、付き合えよ」
ダイスケに応えるように、軽く腰を落とす。思えば彼と「これ」をするのは、久しぶりだ。
パンジーの花壇の隙間から、淡い光がひとつ飛び立った。
風が頬をかすめる。
その瞬間――僕たちは同時に、風を切った。
――学生寮裏の森は、元々天然のパルクール競技場になっていたけど、今は整備が届かない無法地帯になってる。
僕達にとっては好都合だった。木々の下に走り込んだ瞬間、ぬかるんだ土や小石に足をとられる。直進するだけじゃない――天然の障害物だ。
地面から飛び出した木の根をハードル走のように飛び越え、池のような水たまりを走り幅跳びのように飛び越える。
無駄のない動きを徹底している僕に対し、体を捻らせてアグレッシブな動き(パフォーマンス)をするのがダイスケのスタイルだ。例えば――
「あそこ、超えようぜ」
木々の密集するその場所は、上下から枝を張り、傍から見たら獣道のようになってる。僕はスライディングで枝の下の隙間に滑り込む。対するダイスケは軽くジャンプして体を捻らせながら枝の隙間を縫うようにすり抜ける。
パルクールでは、これをコングツイストというらしい。
「それ、新技?」
「まぁな」
僕より半歩早く着地したダイスケが一瞬笑みを浮かべる。頭ひとつ分前へ出た彼を追い、走った。
――影縫い時代に無駄のない動きを叩き込まれた僕に対し、ダイスケの動きは予想がつかず相手を翻弄する。性格から戦闘スタイルまで何もかも、僕とダイスケは正反対だ。
森の終わりが見えて僕達の前に1人の「女性の影」が現れる――自然美の妖精だ。彼女の吹く笛の音が森にこだました瞬間、僕とダイスケは同時に足を踏み出す。
横から反復させて回避した僕に対し、バックフリップで彼女の頭上を飛びぬけたダイスケ。
タン、と2つの足が真横に並び、そのまま走り抜けた僕達の目の前に――ハーモニアレイクが良く見えた。
「ちぇ、引き分けか。やるじゃねぇか」
「ダイスケも、前より動きが早くなってるね」
僕とダイスケの視線の先には、赤い絨毯で彩られたアウリスブリッジ。バージンロードのように軸を引かれた橋の先で、終焉の夕陽が、いつもより不気味に湖を染めている。
「なあ、あれなんで出てきてんだっけ?」
「僕達の世界の終わりが近い証拠だって、芹沢さんは言ってたな」
「わっかんねぇな。ナオキの話だと、タクミの犠牲は1年前から決まってたらしいじゃねぇか」
「でもさ……」
ダイスケがスマロを起動すると、そこには【今週累計 220.2MWh / 94MWh】の表記。
「エネルギーは溢れてるはずだろ? なんであの夕陽が出てるんだ?」
彼の言う通り、調和の儀でエネルギー獲得量は増えてる。それなのに、終焉の夕陽は姿を現した。1年前のシオンの言葉が正しいなら……「世界樹は負の感情で得たエネルギーは求めない」……そして
「アヤカは自分が犠牲になる事を受け入れてる。まるで1年前のタクミ君みたいだ」
ルナフェリスが失敗すれば、彼女の願いは全て閉ざされてしまう。だから、僕は決めた。
「人の責任は人が解決するべきだ。アヤカ一人に押し付けて良いわけがない」
その為に立てた計画の名を、僕は心の中で静かに繰り返す。
――『澤谷ソウイチ、殺害計画』
「ダイスケ、頼むよ」
「任せとけって」
僕とダイスケの手が、ぱん、と音を立てて合わさる。
それと重なるように、どこか遠くで――海霧の妖精の泣き声が、かすかに聞こえたような気がした。
数ある作品から本作を読んで頂き、ありがとうございます。
次回はリュウとアヤカが……??
もし続きがよみたいと思って頂けましたら、下の☆☆☆☆☆を★★★★★に変えて応援してくださると今後のモチベーションになりますm(__)m
年齢 : 16
血液型 : B
身長 : 177
ハーモニア大学附属学院には「サポート教師」としてスマロゲームの授業をする為に編入してきた。スマロゲームの授業以外は普通の生徒として在籍。
明るく自由奔放で、社交的。人間観察と直感力に長ける。悪態も飄々と躱すメンタルの強さも持つ。
遠距離での後方支援が得意。特に銃の扱いに長ける。リュウとは唯一無二の親友で、影縫いを逃亡しナオキに保護されてから数年を兄弟のように過ごしていた。




