澄んだガラス玉のように綺麗な君の心
――あれは12歳の春の事だ。
澤谷ソウイチさんの家は古いレンガ造りの洋館。手入れの行き届いた花々が咲くその庭で、僕は「丸くて小さな光」に再会した。
「あの時は、助けてくれてありがとう」
ユメ――僕が「影縫い」で強くなる理由であり、守りたかった大切な妹。
彼女が死んだあの日。無我夢中で逃げる僕を先導するように繁華街を飛んでいたのが、この光だ。
組織から逃亡を図った人間は僕の知る限りで数人いたけど、皆捕らえられて姿を消した。僕が逃げ切ることが出来たのは、まさに「奇跡」と言っても良かった。
「でも、これから仕事なんだ。依頼人の澤谷さんの娘さんに会いに行くところ……って、どこ行くんだ?」
「丸くて淡い小さな光」が光を強め、中庭の中心へと飛んでいく。
――なんだ? この風……。
レンガ造りの古い洋館のような豪邸を囲むように、手入れの行き届いたヨーロピアン風の中庭。そこに吹いた心地良い風にゆられた花や木々が歌を歌うようにぽんぽんと優しい旋律を奏でる。とても不思議な光景――どこか現実とは微妙に異なる空間のように感じた。
光は一人の女の子の元へと飛んで行った。
金髪が風に乗って輝き、白いワンピースが風に揺れ、鮮やかな光の粒が彼女を取り囲んでいる。次の瞬間ーー
ザアアッ
ーー風が再び鼓動のような音を奏で、少女の周りの草花が一斉に揺れ出し――色とりどりに美しく咲き出した。
「……は?」
信じられないような光景に目を疑った。
僕に気が付いた少女――澤谷アヤカは、不思議そうに首を傾げた後近付いてきた。
「アヤカさん、ですか?」
「うん。君は?」
「初めまして、羽瀬田リュウといいます。アヤカさんを守る依頼を受けて来ました」
「私を、守る?」
うーんと空を見上げ、考え込むように体を左右に揺らす澤谷アヤカ。金髪と澄んだライトブルーの瞳、整った顔立ち。光を透かしているかのように白く美しい肌は人とは違う雰囲気を放つ……まるで物語に出てくる「妖精」のような少女だった。
やがてアヤカはぱっと顔を上げ、笑顔を浮かべた。
「そっか、精霊さんみたいに私を守ってくれるんだね」
……一瞬頭の中が真っ白になった。
「……精霊?」
「……違うの?」
思わず口から出た、たどたどしい返答。僕とアヤカは同時に首を傾げ、世界が若干傾いた状態でしばらく沈黙が流れる。彼女は再び考え込み、今度は僕に近付いてじっと瞳を見つめてきた。
――じっとしているべきなんだろうか……?
間近に映るお人形みたいなライトブルーの瞳。その純粋な輝きに心の奥底が覗き込まれてるみたいで、任務の緊張感とは全く違う冷汗が額に滲んだ。
「わあ! 君の心の色、とっても綺麗!」
「こ、心の色?」
「どこまでも澄んでキラキラしたガラス玉みたい!」
「……あ、りがとう……ございます?」
――笑顔を見せるアヤカに僕は立ち尽くすしかなく、そのやり取りを笑いを堪えながら見守っていた澤谷さんが、後に事情を教えてくれた。
「私は過去に妻と娘を亡くしてね、自暴自棄になっていた時、妖精のアヤカが私のもとへ舞い降りてくれたんだ」
「すみません、仰ることが理解できないです」
「君は言葉遣いも大人並だね、礼儀もしっかり身に付けているようだ。今日に限り質問を許そう、アヤカについて気になる事は何でも聞いてくれたまえ」
「……」
「遠慮はいらないよ、これは命令だ」
「……では、聞きます。澤谷さんはアヤカさんを引き取ったと言う事ですか?」
「いや、私の心を妖精のエナジーソウルメイトとして決めたそうなんだ。それ以来私の娘として、この子とは一緒に暮らしている」
エナジーソウルメイト――精霊界で生まれた妖精たちが人間界で「エネルギーを蓄える間共に過ごすパートナー」のような存在らしい。
そういえば、昔妹に読んであげた本で見たことがある。妖精は気に入った人間に奇跡を与えることがあるって。
「アヤカを引き取ってから不思議なことがたくさん起きたよ。潰れかかった企業に融資をする取引先が見つかり、手掛けた企業が成功し……まるで奇跡が起きたかのようだったね」
「人間がエナジーソウルメイトではなくても、奇跡を起こすのですか?」
「山の古木を宿主に選べば、その古木の周囲を青々とした木々で満たすだろうし、春や秋みたいな季節を宿主に選べば春風や秋風と起こす。共に生きる存在の望む姿になる事も役目のひとつ。だからアヤカは私の娘として人間の姿をしているんだ」
澤谷さんの話が本当なら、妖精はパートナーに選んだ存在に合わせた奇跡を与えてくれるらしい。
「つまり、この豪邸はアヤカさんの・・・」
途中まで聞いて、口をつぐんだ。流石に失礼な質問だ。でも、澤谷さんは優しい笑顔を浮かべ、僕の頭にポンと手を置いた。
「その通りだ。そんなおとぎ話みたいな話が本当にあるのか? と思うだろう?」
怒っていない。むしろ良い質問を受けたと喜んでいるかのようにも見えて、少しだけほっとした。
「……はい。正直信じ難いです」
「疑問に思うのは当然だ。しかしアヤカと共に過ごしていれば、いずれその答えが見えてくるだろう」
澤谷さんはゆっくりと腰を落とし、目線を合わせるようにして、こう言った。
「アヤカは可愛いだろう?」
「……えっ!?」
完全に意表を突かれた言葉に、僕は思わず素の返事を返してしまった。
「そうそう、今のようにもう少し少年らしさを見せるといい。アヤカもその方が嬉しいだろうからね」
……完全に、してやられた。この豪邸の重厚なイメージと相反した穏やかな人柄が印象的な澤谷さんだったけど、その優しい口調の中には深い洞察力が潜んでた。
「依頼人とボディガードという間柄だが、君はその前に12歳の少年なんだ。アヤカと良い友達になってあげてくれないかな?」
――これが妖精がパートナーに選ぶ人間と言う事なのだろうか?
澤谷さんの微笑みは高慢さを感じさせるものではなく、むしろその優しげな表情に、不思議と心が穏やかになるような感覚を覚えた。
*
――最初は半信半疑だったけど、一カ月もすれば、僕はアヤカが妖精であるとはっきり認識するようになっていた。
アヤカの周りでは彼女の心に反応し、さまざまな自然現象が起こる。大気中にいる「精霊」達が、妖精の感情に反応して起こす現象らしい。
悲しみは水の精霊が気温を下げ、冷たい風が吹いたように肌を冷やす。
怒りは雷の精霊が雷を。アヤカが小さな怒りを感じるとパチパチと静電気のようなもの音を鳴らすんだ。アヤカはめったに怒らない明るい子だけど、こうなった時の彼女にはなるべく触れないようにしている。
恥や緊張は炎の精霊が熱気や炎を。アヤカは算数が苦手だから、先生に回答を指摘された時にはこっそりヒントを伝えるようにしてる。でないと、アヤカの緊張に反応した炎の精霊が教室を真夏のような熱気に包んでしまうからだ。
そして、安らぎは風の精霊が心地よい風を。アヤカと初めて会った時彼女は「安らいで」いたから、温かく心地良い風が吹いていたそうだ。そして、アヤカがある日教えてくれた。
「リュウと一緒にいた子は太陽の精霊さんだね」
多分僕が影縫いから抜ける時に先導してくれた「丸くて小さな光」の事を言ってるんだと思う。
「リュウ、何か質問したそうだね」
「アヤカさん、また僕の心読みましたか?」
「リュウ、アヤカさんじゃなくて!!」
「……」
「ごめんなさい。でも、私はリュウに質問されたいな? 興味待ってくれたんだなって嬉しくなるもの」
少し申し訳なさそうに微笑む彼女のライトブルーの瞳が僕に向けられてる。心に直接語り掛けるようなこの視線は、行動や態度より心の色でその人を判断する、妖精ならでは直感的な行動だ。
「僕の話なんて聞いて楽しいですか?」
僕の質問に、アヤカはいつものように瞳をじっと見つめ、柔らかな笑顔を浮かべた。
「うん! 私リュウの事がもっと知りたいな!」
――まるで「安心して」と心に直接語り掛けられているようで、心がじんわりと温かくなっていく……とても、不思議な感覚だった。
「アヤカさん、太陽の精霊は……」
そこまで言って、口が止まった。アヤカの悲しみの感情が起こす自然現象――「冷たい風」が吹いていたからだ。
「アヤカ、太陽の精霊はどんな自然現象を起こすんだ?」
「……!! うん、太陽の精霊はね……」
アヤカはいつも僕に「学生としての羽瀬田リュウ」を求めた。
好きな勉強、毎日のトレーニング、趣味や好きな物……ボディガードになる為にどんな事をしたのか……とか。
――妖精は感情や行動ではなく「人の心」でその人を判断する。
「リュウの心は澄んだガラス玉みたいにキラキラしてるね。きっとこの子はリュウの心の色が好きで、助けたいった思ったんだよ……人の綺麗な心に恋をするように引き寄せられる。それが妖精や精霊なの」
そう言って僕の瞳を見つめる彼女は、まるで何かに見とれるかのようにうっとりと目を細めていた。




