調和の儀・後編 ― The Chorus of Sacrifice ―
リーナ先輩が手に持った花に火をつけた瞬間――ひやりと冷たい風が肌を刺す。
さっきまで祝福の音を鳴らしていた豊穣の妖精や、海霧の妖精達の微かな歌声。全てがぴたりと止み、中庭は異様な静寂に包まれた。
「ねえ、どうして……アヤカさま、泣いてるの?」
少し後ろを歩く深緑の制服を着た7,8歳の生徒――初等部の登校班は、6年生を中心に10名ほどで固まって登校するのが決まりだ。2年生の問いかけに、班長の6年生が気まずそうに顔を伏せる。
『お前ら、よく聞けよ』
マイク越しにレオ君の声が中庭に響き、6年の子は「ほ、ほら。レオ様がお話してくれるぞ」と、話を逸らすように指差す。
『俺たちは、あのバケモンみてぇな樹から世界を守る為に、スマロゲームで発電をしてるよな? でも結果はどうだ? 電力は毎週足りてねぇ。俺たちは世界に選ばれた英雄だってのに、な?』
……一番節約しないで日々浪費してるのは、君だろう。
『で、スイスの……えーっと、 リーナ、なんだったか?』
レオ君がじろりと視線を向けると、リーナ先輩が軽く微笑んでマイクを受け取り、皆の前に立った。
『皆様、私の故郷・スイスにあるハーモニア大学では、新しい電力への取り組みが進められています。国家規模の電力を安定供給できる最新の発電機関――感情相転移型水素燃料炉・通称〈ネーファス炉〉です』
ネーファス炉……聞いたことがない名前だ。
「ナオキ、ネーファス炉って何だ?」
「……!? 君たちは、外の情報を何も知らされていないのですか? ここは「外部からの侵入は許しても内部からの流出は不可能」……つまり、この学院生徒が外のニュースを見る事は可能なはずですが?」
「見てるけど……ネーファス炉なんてニュースは一切流れて来なかったな」
「なるほど、情報を細くする事で行動を制限してると言う事ですか……」
行動制限――煽動者がいるって事か? マイク越しのリーナ先輩の演説は続いた。
『理念だけでは人を導けません。秩序あってこそ自由は生きる。皆、お腹が空いているでしょう? 生きる為にはエネルギーが必要です。そして、このハーモニア大学附属学院は、新たな「秩序」であり「調和」の鍵として世界が注目しています。ネーファス炉は、新しい持続可能なエネルギーとなるのです』
ここが秩序と調和? 困惑する僕にナオキが補足するように呟いた。
「世界のエネルギーを担う国際水素回廊は、水素の生成による持続可能エネルギーですが、無限ではないという事です。新たなエネルギー源が必要……その白羽の矢が立ったのが、この場所と憶測しますが……妙ですね」
「妙って、何が」
『アヤカ様は、2週間後レオ様と結婚されます。その時に、この閉鎖空間は解除されるでしょう』
ナオキへの質問をかき消すその言葉に、皆が驚いた。
「外に出られる!!??」
互いに顔を合わせ、驚きと歓喜の表情を浮かべる生徒達。
どう言う事だ? この閉鎖空間は、ハルモニアが外部からのサイバー攻撃から学院と世界樹を守る為の防壁だったはず。それが……終わる?
「ナオキは何か知ってるのか?」
「……僕は外界の事を生徒に話す事を堅く禁じられています。恐らく彼女が説明するはずです」
『ハルモニアは私たちをここに閉じ込めました。出る為には、彼女のコアとなっているマザーシステムAIを破壊するしかないでしょう。しかし、その前に私たちは決めないといけません』
学院のシステムシャットダウン――確かに、そうすれば外には出られる「可能性」はあると思う。
でも、サイバー攻撃への対応を失ったら学院と世界樹はどうなるんだ……?
──そして次の言葉に皆が息を呑んだ。
『妖精は敵』
「敵」――その言葉に空気が凍り付き、皆が顔を見合わせた。
「え」
『それとも否か……です』
少し間を置いた言葉に、ナオキが一瞬眉を顰める。
生徒達は戸惑い、あたりを見回したり、ヒソヒソと会話する者も。
そんな中、僕のすぐそばで一際澄んだ声が響いた。
「敵じゃないよ! 妖精さん達もアヤカさまも、ぼくたちにごはんをくれるんだ!」
初等部の子どもの純粋な叫びだった。その言葉に押されるように、中等部、高等部の生徒たちも1人、また1人と声を重ねていく。
「俺たちはルナグレインや湖の魚がいないと生きて来れなかった。妖精が敵なんて事、あるのか?」
「そうだよ、それにアヤカ様は検診で僕達の為にエネルギーを作ってくれてるんでしょ?」
1つの小さな声が確信へと育ち、やがて大きな叫びとなって辺りに満ちていく。
「アヤカ様は僕の誕生日にルナリア茶を煎れてくれたよ! 美味しいご飯を分けてくれたんだ」
「アヤカさんがいるから、私たちはここで生きて行けるの!」
皆が心を一つにしているようだった──「妖精は敵じゃない」と。
良かった、アヤカ……君が日々皆の為にしていた奉仕が実を結んでる。
みんな、アヤカが好きなんだ。
「リュウ君」
でも、安堵する僕の耳にナオキの声は冷たく響いた気がした。
「よく見ておきなさい。これが……君の「敵」です」
「敵? 敵なんて、どこに……」
その時――。
『妖精は敵』
再び響くリーナ先輩の声。令嬢らしい気品に満ちた声色なのに、言葉は鉛のように重く、胸の底をざらりと撫でるような不快感が消えない。
──これは、何だ?
『……という認識は、誤りかもしれません。いえ、その通りでしょう。では、一つ例えをあげましょう。私の父が好んでいた妖精物語の中で、彼らは異界から来るものとして描かれていました。皆さんも目にしたことがあるでしょう? 可愛らしい妖精の写真や絵を。そしてゲームや物語に登場して、祝福を与えてくれる存在を』
ふう、とリーナ先輩が息をつき、柔らかな微笑を浮かべた。
『私も好きでした。妖精の世界が。故郷ではよく父と妖精の絵画を眺めたものです。幻想的で、美しく……子供心に妖精の世界に行きたいと、ずっと思ってきました』
その微笑みは聖女のようにも、夢見る少女のようにも見えた。生徒たちは頷き合い、彼女に同意の視線を向け、目を輝かせる。
けど、ただ一人――ナオキの表情は険しいままだった。心理学者でもある彼の耳には、この演説が別の意図を孕んで聞こえているのか……?
『リュウ』
「どうしたんだ? ノーエ」
『R-SNSのチェックを推奨します』
「?」
言われるがままSNSを起動する。すると……
【R-SNSログ】
@admire_mio(特待): リーナ先輩は好き。けど今の言葉は違う気がする… #妖精は敵 #リーナ先輩
@fish_life_01(一般): 妖精いなかったら飯食えてない。敵なんて思えるわけないだろ #反対 #妖精は敵
@yousei_kids(初等): ようせいさん だいすき #リーナ先輩やめて
@rich_frame(富裕): 表現が強かっただけ。秩序の話だろ? #調和の儀 #秩序維持
@antu_seg(特待): タグ踏むほど広がるぞ。やめとけ #妖精は敵
@mod_bot: 一部投稿はコミュニティガイドラインにより保留されました(照会中)
ログが急速に伸びていく。不可解な程の速さで。皆突然の「敵」発言に戸惑ってるんだろう。でも、そのたび「妖精は敵」という四文字が刻印のように反復されていく。
耳鳴りのように頭の奥でそのフレーズが響く――まるで言葉の残響のように。
『皆さんは、私たちの生活を支えるアヤカ様がネーファス炉の鍵……世界のエネルギーの核となる存在である事を知るべきです。そして、それは既に我が学院で行われている事も』
──心臓が一際強く跳ねた。ここでアヤカの名前を出す事に、何の意味があるんだ……?
『妖精は……敵』
また、間。
『それとも否か……きっと皆さんは、アヤカ様を通じて感じている事でしょう。彼女の祈りは精霊の風を起こし、マザーAI・ハルモニアのエネルギーとなり、時に足りない発電を「検診」で補ってくれる……まさに奇跡の存在であり……そう、彼女はまさに……』
すう、とリーナ先輩が一息。
『救世主です』
どうですか?
そう、訴えるようにあたりを見回す彼女に、生徒達は拍手を送った。ほっとした様子のリーナ先輩は、片手を挙げて観衆を制した。
そのとき。
『リュウ』
「どうしたんだ? ノーエ」
『リュウの心が叫んでいます』
「……僕の、心が?」
『――嫌だ、と』
それは本能的な何かなのか? 何に対して僕は「嫌だ」と感じてるんだ?
──リン。
静寂を切り裂くように、電子音が鳴り響いた。R-SNSが一定以上のハッシュタグを検知したときだけ鳴る──「コーラス」だ。妖精達の起こすナマル=イグとは違う、どこか冷たく、不気味な鐘のような音。
【R-SNSログ】
@aya_fan(一般): アヤカさんは、やっぱ救世主だよ #救世主ネーファス
@doubt_mk(特待): 誰だよこのタグ作ったのw でも踏むと音鳴るな #コーラス #妖精は敵
@chorus_call(富裕): 反対タグやめろ。統一しようぜ #救世主ネーファス
@star_use(一般): ごめん、タグ踏んだら★ついた… #妖精は敵
@logic_spt(特待): リーナ先輩の論法は合理的だ。でも正しいかは別 #救世主ネーファス #妖精は敵
@mod_bot: 低品質な重複ハッシュタグを抑制しました(コーラス指数 512)
――リン……――リン……。
電子の鐘が、また一つ音を鳴らす。
『さて、皆さん。救世主ネーファス――アヤカ様が検診でどのように発電をしているか、ご存じでしょうか』
誰かが息を呑む音と「コーラス」の電子音だけが、あたりに響いていく。
『神話は語っています。ギリシャの王アガメムノンは娘を捧げて風を起こし、北欧のブリュンヒルデは炎の中に沈み勇者の未来を照らしました。そう……犠牲は悲劇でありながら、未来を開く唯一の鍵であると』
2人の代理教師に羽交い絞めにされたアヤカが、リーナ先輩の前に立たされた。
『祝福の犠牲』
また、一息。
『私たちは牛を食べ、豚を殺し、糧として生きる上で命を学びます。調和のために――その意味を、知る時が来たのです』
マイク越しに、アヤカの微かに震えた声が響いてきた。
『……リーナ先輩、ここで……検診を……するんですか?』
『その通りです。調和の儀は、結婚式の前に皆へ真実を知らせるための大切な儀式。力とは理解され、求められて、初めて意味を持つのです』
リーナ先輩は顔を近づけ、アヤカの耳元で囁いた。
『……ッ!! そんな事……!!??』
マイクを離され、アヤカの声は誰の耳に届く事もなく虚空を舞う。一体何を言われた……!? いや、そんな事はどうでもいい。
――冷たい風……アヤカが悲しんでる。
「リュウ君、待ちなさい」
「止めないでくれ!!」
反射的に走り出した僕の肩をナオキが掴み、振り払った瞬間、彼の体が後方へと押しやられ――一瞬思考が止まった。
軽い……?
触れた指の骨ばった感触に我に帰った時――ふと柔らかな風が吹く。引き寄せられるように視線を向けた先で、橋の上のアヤカと目が合った。
微笑んでる?
彼女は笑顔を浮かべてる。
……どうしてだ? 悲しい事があったんじゃないのか? 何か酷い事を言われたんじゃないのか……?
この感覚……アヤカに初めて会った時と同じだ。安心して、と心に語り掛けられているかのような……不思議な安らぎ。
『大丈夫』……そう、僕に訴えているように。
――アヤカはまだ、諦めてない……!?
「いたたた……成長しましたね、リュウ君」
はっとして振り返り、ナオキに手を差し伸べた。
「ごめん」
「いいんですよ、僕も歳かもしれませんね。さすがに鍛え直す必要がありそうです」
まだ31の彼が「歳」と言うのは少し違和感がある。こういう時のナオキは「嬉しい」から自虐で隠す癖があるんだ。
立ち上がりざま、ナオキは僕にだけ聞こえる声で囁いた。
「……今出れば、彼の思う壺です」
「……彼?」
ナオキがちらりと視線を向けたのは、高等部最上階。アヤカの部屋だ。そのテラスには――
「芹沢さん……!?」
高みから群衆を眺めるように、芹沢さんが僕達を見下ろしている。その後方には、シオンとイサム博士の姿。そして――
一瞬彼の緑色の瞳が僕に向けられた。
「――!!」
体中を虫が背中を這いまわったような不快感。彼は僕に気付いてる。どう行動するか……見てるんだ。
「出て行ったら、どうなる?」
「ここには2000人の目があります。迂闊な行動は……危険です」
ナオキの指さしたR-SNSのログは、怒涛の勢いで更新され続けていた。
【R-SNSログ】
@pray_kids(初等): けんしんって おいのりで でんきを ふやすやつ? #スマロゲーム
@careful_eye(特待): アヤカさんほんとに大丈夫?
@rich_order(富裕): 儀式は学院の秩序。動揺するな #調和の儀
(この投稿は削除されました)
@alt_tag(文化班): タグが暴走してる。別の言葉でまとめよう #祈り #合唱
@power_watch(運営): 【今週累計 25.3MWh / 72MWh】不足継続。各自スマロ5回/日を推奨
――リン……――リン……。
不気味な電子音「コーラス」が、次第に数を増していく。
『みなさん』
コーラスを遮るように話しだしたのは、拘束を解かれたアヤカだった。
『マダム・ティムが言ってたの。妖精も、人間も、ここにいるみんなが心を一つにして祈ることで発生する巨大なエネルギー現象――それが「ルナフェリス」だって。もし私たちが力を合わせられたなら、きっと成功する……』
一拍、彼女は息を呑み、会場を見渡した。
『私ひとりじゃできないの、皆の力が必要なんだよ。……みんな一緒にお家に帰ろう、ルナフェリスを起こそう』
その言葉は、機械仕掛けの「コーラス」が呼び起こす恐怖とは対照的な……まるで、そう。
「祈り」のように、生徒一人一人の心へ流れ込んでいくようだった。
――そして、その時はやってきた。
高等部最上階――アヤカの部屋が真っ赤に燃えている。
それを見て蹲るアヤカを、全校生徒が息を呑んで見守っていた。
遠目で見ても彼女が「泣いて」いるのは分かった。中庭全体が、光の粒のように幻想的に煌めき、ダイアモンドダストが舞ったかのような幻想的な――精霊の降らせた冷たい雨が降っていたからだ。
誰もが言葉を発する事はなかったけど、R-SNSログだけは急激に伸びていく。
【R-SNSログ】
@rain_drop: 雨すげぇ冷たい #検診
@aya_tear: アヤカさんが泣いてる
@meat_logic: 反対なら明日から野菜以外食うなよ
@anger_protect: アヤカさんを豚に例えるな。最低だ #救世主ネーファス
(この投稿は削除されました)
@counter: おい、電力ボード見ろよ
【今週累計 56.3MWh / 72MWh】
@shock_tomo(一般): え、ほんとに数値上がってる。これが検診……?
@useign_jp: 仕方ないよ、調和の儀って政府が決めた事なんでしょ?
@aya_pity: アヤカさん可哀そう なんとかならないの?
@hot_summer: お前昨日エアコンだけは使いたいって言ってたじゃないか
@blame_back: お前もな
@ordinary_01: みんな悪くない。俺達普通の生活をしたかっただけなんだよ。こんな状況になったのは……元はと言えば
カシャ
乾いたシャッター音に、皆の視線が一斉に集まった。
「お、おい」
「いや、だってR-SNSに記録を残さないとさ」
「さすがにこの状況を撮影はまずいだろ」
音の主は、1人の中等部男子生徒。友人らしい男子が慌てて声をかける。けど、撮った生徒は気まずそうに画面を見下ろし……
次の瞬間、目を見開いた。
「★が……ついた」
「え」
「検診の様子を一番最初に投稿したからって……ほら」
【R-SNSログ】
【通知】@shot_first に★が付与されました(重大イベントの初出記録)
@shot_first★: ごめ……写真上げただけで付いた。そんなつもりじゃ
@kehaise: アヤカさんの写真撮ると★付くの?
@chorus_hear: ほら、コーラス鳴った。みんな、タグ踏めば鳴る #検診 #救世主ネーファス
空気が変わり、皆がカメラをアヤカに向けた。
カシャ カシャ カシャ――。
カシャカシャカシャカシャ。
幻想的な雨の中、電子的なシャッター音が異様なまでに不快なリズムで鳴り響く。
カシャカシャカシャカシャ。
カシャカシャカシャカシャ。
不揃いが不気味に揃い始め、無機質な「合唱」となり、R-SNSには「検診」の写真と書き込みが溢れ返っていった。
――リン……――リン……。
雨音と混じり合う「コーラス」の電子音。その光景を前に、巨大な「何か」がゆっくり息をしているような感覚を覚えた。
――「よく見ておきなさい。これが……君の「敵」です」
ナオキの声が、脳の奥で反響する。
天を仰げば、ハルモニアが張った薄いシールドの幕が空と僕達を遮断するように微かに煌めく。雨の音に混じって聞こえるのは――いつも妖精達のナマル=イグに混じって聞こえる微かな「泣き声」だ。
物悲しく耳に響くこの声が、この時だけは唯一、僕の心に同調してくれている存在のような気がした。
数ある作品から本作を読んで頂き、ありがとうございます。
次回で第1章終了予定です。
★【番外編】Ebeniza's Echo③ ― 美徳と大罪 ―にも掲載した補足★
国際水路回廊について(フィクション設定)
複数の国家間を繋ぐ、水素の国際供給網(インフラ&協定)で構成されたシステムです。水素の製造、輸送、貯蔵、消費を一体化したネットワークであり、リュウ君達の世界では2042年に構築されました。
陸上・海底の両方に存在し、陸上の場合は高圧パイプラインを用いた水素輸送。経由年に「水素ハブ」を設置して貯蔵しています。
海底ルートは液体アンモニア化して運ぶのが主流となっています。直接接続による高速輸送が可能ですが、近隣同士の国でしか実現はされていない。
最も主流な輸送方法は液体水素タンカー。リュウ君達の国ではこれによる輸入がメインとなっている(エネルギーは他国依存の部分が多い)
もし続きがよみたいと思って頂けましたら、下の☆☆☆☆☆を★★★★★に変えて応援してくださると今後のモチベーションになりますm(__)m




